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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第134話「識別番号彫り込まれたアンドロイドみたいになってる」

「うええええええええ」
「泣いても喚いても新学期は来るんだから。あきらめなよ」

 積み上げられたノートの上に突っ伏して、正体不明の怪獣のようなうめき声を上げる宇都宮(うつのみや)(りん)に、八嶋(やしま)(たえ)は冷たく言い放った。
 とはいえ、凛のノートは、その大部分が文字で埋まっている。解答の出来はともかく、夏休み終盤でこつこつすませた宿題を終わらせるめどはすでについていた。

 つまるところ、心配事は、そういうことではない。

「でもでも、どういう顔して学校行けばいいの、こういうとき……?」
「ふつうにしてればいいんじゃない?」
「うう、いつもの私ってどんなふうだったっけ……?」

 凛の頭はそうとう迷走しているようで、彼女はぐりぐりとノートに額を押しつけるようにしながら考え込んでいる。おでこに文字が写りそうだった。

「意識するとよけいにふつうじゃなくなるよ。自然体、自然体」
「自然っていわれても」

 凛の動きが止まる。テーブルの下から、くぐもった声が漏れ出てくる。

「いままでの私とは別人なんだもの。新しい私の自然を、私、まだ見つけられてない」

 妙は黙り込んだ。伏せられたままの凛の表情は見えない。耳たぶがわずかに赤くなっているのは、さすがに、いまのことばに自分で照れたのかもしれなかった。それはちょっと恥ずかしくて、でも、だから本音だとわかる。

 凛の好きな相手というのが誰なのか、妙は、まだ聞いていない。撫子組の誰かだ、ということは、凛の口ぶりからおよそ想像がつくが、どのクラスメートなのかまでは聞き出せていなかった。本人がその気になって、打ち明けてくれるまでは、根ほり葉ほり訊くことはしないつもりだった。
 ともあれ、教室であらためて好きな人に出会うということが、どういう感じなのか、妙にはぴんとこない。そういう強い恋愛感情は、妙にはまだ縁のないものだ。

 だとしたら、結局、妙にいえることは何もないように思えてくる。
 目の前で懊悩する友人の、くしゃくしゃになった髪を上から見つめて、妙は、ずっと正座していた足をかるく崩した。

「……じゃあ、まあ、凛さんは自分について考えてて。私、宿題やらなきゃ」

 そういって、妙は自分のノートと辞書を開いて、英文の翻訳に取り組み始めた。
 凛は先ほどの姿勢のまま、ずっと突っ伏して動かない。あるいは寝ているのかもしれない。妙は彼女を刺激しないよう、なるべく音を立てずにページを開き、解答を記入していく。

 夏休みの課題として出される問題は、たいてい教科書の内容そのままか、多少ひねりを加えた程度で高度な応用問題はない。きちんと勉強している人にとっては苦もなく答えられるだろうし、そうでなくとも、教科書を調べればだいたい答えられる。
 こうした地道な仕事は、まず、取っかかりがいちばん面倒なものだ。やり始めるための決断に、問題を解くのとおなじくらいの労力を使う。

 動き出すための推進力を生むのは、しばしば、時間に追われる切迫感だ。

「……凛さん、起きて。もう夜だよ」
「え!?」

 妙の小声に素早く反応して、凛は跳ね起きた。きょろきょろと辺りを見回し、窓の向こうのまだ明るい景色を見やって、一瞬、顔をしかめる。
 それから肩を落として、凛は、妙をにらんだ。

「だましたわね……もう」
「ごめんごめん」
「脅かさないでよ、まったく」
「でも、完全に寝てたみたいだったし。起こさないとまずいかと思ってさ」
「寝てないよ。目をつぶってたけど、意識はちゃんとあった」
「そういってる間に寝ちゃうんだよ、みんな」
「で、何で起こしたの」
「寝てたんじゃん結局」

 ため息をつき、妙は凛の頭を見やって、かすかに笑う。

「おでこ。字が写ってる」
「また嘘でしょ」
「ほんとだって。なんか識別番号彫り込まれたアンドロイドみたいになってる」
「え~」

 ふたたび凛が視線を部屋中に向ける。学習机の上にあったコンパクトを見つけて、むしり取るように手にして、自分の額の様子を確認した。汗ですこしにじんだ文字を確認し、首をひねった。

「アンドロイドは言い過ぎじゃない?」
「かもね」

 しれっと妙がいって、凛はちいさく笑った。

「何それ。……ちょっと顔洗ってきていい?」
「洗面所わかる?」
「知ってる……と思う」
「おばあちゃんの部屋、近いから気をつけてね。怒られやしないと思うけど」
「了解」

 そういって、凛はすたすたと部屋を出ていく。彼女が戻ってくるまでの数分、妙は、英文を見つめてすこし考え込む。こういう半端な時間は、ふしぎと、手が進まない。

 戻ってきた凛の顔は、だいぶすっきりしていた。肌もつやつやだし、おでこもきれいだし、目の輝きまでいくぶん戻っていた。
 吹っ切れた、というのは、おそらく気が早すぎるだろう。そんなにすぐに気持ちが切り替わるようなら、苦労はない。どうせ、明日になるまで、凛はさんざん悩んだり、気分を切り替えたりして、落ち着かない時間を過ごすことになる。

 それを手助けできることばは、妙のなかにはない。

 だから、妙はほんのすこしだけ、凛の気持ちを加速させる。

「きれいになったじゃん」
「……そこでそういう言い方、する?」

 頬に手を当て、額を照れたようにこすって、凛はなんだか変なファッションモデルのポーズみたいになる。ちっとも自然体じゃないそんな姿が、たぶん、いまの彼女なのだろう。
 自然でいられないこと自体が、彼女の心の現実なのだ。

「目、覚めたでしょ? ほら、宿題進めなよ」
「んー」

 凛はまだ、何か釈然としないような顔をして、腰を下ろした。目の前のノートを見据えて、深々と嘆息。

「……まあ、でも、やらないと終わらないよね」
「そりゃそうでしょ」
「そっか」

 肩をすくめて、凛はあらためてシャーペンを手にした。前にいっしょに買った、インディーズバンドのキャラの絵がついたシャーペンを、彼女はいまでも大事に使っている。もちろん、妙も。

 もうすぐ、新学期だ。
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