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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第131話「四六時中アルカイックスマイルではいられません」

 日射しに熱された空気を胸いっぱいに吸い込むと、体の中で、血の温度がすこし上がったような気になる。香西(こうざい)(れん)は、体内でさらに2度ぐらい加熱された空気を吐き出して、ゆるゆると歩き出した。まだお昼前のこの時間なら、どうにか外出できなくはない。太陽が南中するころには、外気の温度は彼女の体では耐え難いくらい上昇して、道を歩くのも億劫になる。
 自宅から徒歩で10分ほど歩いたあたりは、古めかしい家並みを残す下町だ。恋の住む閑静で上品な住宅街とはまた違った、どこか猥雑さも含んだような落ち着きがあって、彼女はこの辺もわりと嫌いではない。

 わずかに曲がって見通しの悪い道を歩いていると、見覚えのある人影が、道ばたに突っ立っているのに出くわした。

希玖(きく)さん?」
「……あ、恋さん。ごきげんよう」

 すこし疲れた目をした佐藤(さとう)希玖は、こちらを振り返っておだやかに笑った。彼女らしい、親身でありながら、わずかによそよそしさも感じる微妙な笑みだ。ブラジル生まれの祖母を持つという彼女の褐色の顔立ちには、生まれながらの華やかさがあるけれど、性格はむしろおとなしくて内向的だ。
 希玖は、恋に向けてすこしいぶかしげな顔をする。ふだんはあまり話しかけてこない相手だから、警戒しているのかもしれない。
 恋は、ちらりと希玖に目配せして訊ねる。

「こういうファッションにご興味が?」

 希玖が立っていたのは、年輩女性向けの服が並ぶ古風なブティックの前だった。はたしてほんとうに着る人がいるのか、というような、異様にラメの入った服や、分厚すぎるコートなどが所狭しと並んでいる。よほど在庫が余っているのか、どの商品にも真っ赤で大きな値引きシールが貼られていた。
 ショーウインドウに並ぶ、きらきらしたジュエリーだかイミテーションだかを過剰に催した服を見やって、希玖は苦笑した。

「ないない、こんなの私には着こなせないし」
「大丈夫ですよ。着こなせる人がこの世にそう何人もいないでしょう」
「わかんないよ? なぜか、こういう素っ頓狂なファッションが似合っちゃう人、いるんだから」

 肩をすくめて、希玖は首を振る。

「ともかく、別に用事があるわけじゃないよ。ただの散歩」
「私もです。夏休みはすっかりだらけていましたから、ちゃんと体を動かさないと、なまってしまいますね」
「ほんとほんと。今年も夏じゅう暑かったしね」
「こんなところで立ち話もなんですし、すこし休みませんか」
「そうね。ちょっといい場所あるから、案内するよ」

 かくして希玖に連れてこられたのは、下町の通りの裏手、入り組んで狭苦しい路地の奥にある、ちいさな空き地だった。公園、というのもはばかられるような、車止めに遮られただけの、何もない空間。ほとんどペンキのはがれた看板と、丁寧に除草された地面だけが、人の手の入っていることを示している。
 希玖と恋は、車止めにそのまま腰を下ろした。

「少々、お行儀が悪くないですか?」
「翠林生だって、たまには羽目を外してもいいんだよ。恋さん、そういうとこ、やっぱり筋金入りだよね」

 納得した様子で希玖は笑い、恋はすこしばつが悪い。高等部になって、自分ではだいぶ自由になった気でいたけれど、三つ子の魂百まで、というか、染み着いた性根は抜けないものらしい。

 そう自覚して、ようやく、すこし肩の力が抜けた気がした。

「……そうですね。ほんとのところ、息抜きする気でいたんです、今日は」
「休みなのに?」
「休みだから、かもしれないですね。ずっと家にいたから」

 希玖は、不審そうな顔で恋を見つめてきた。恋の口ぶりが、いささか仰々しく聞こえたせいかもしれない。
 何か訊かれるより前に、恋は、自分から説明することにした。

「家庭がどうこう、というわけではないのですよ。ただ、このところ、来客される方が多くて」

 恋の両親が、仕事とプライベートの両面で社交性を重視していることもあって、香西家には常に来客が多い。それはこの夏休みに始まったことではなく、恋が通学している間もずっと同様だ。
 しかしこの時期には、自宅にいる恋も客の接待にかり出されることがある。翠林の高等部生らしく、挨拶も接客も如才なくこなせるし、相手も礼儀をわきまえているものの、自分よりずっと年上の相手に向かってずっと笑みを浮かべているのは、いかに普段から笑い顔の恋であっても、大変な行為だった。

 昨日も、そういうわけで、恋はだいぶ消耗していた。

「ちょっと羽を伸ばしておきたかった、というだけです。そんな、難しい話ではなくて」
「……恋さんでも、そういう日、あるんだね」
「私だって、血の通った人間ですからね。四六時中アルカイックスマイルではいられません」

 微笑みを絶やさない自分が、周りからどんなふうに見られているか、恋だって知らないわけではない。別に悪いいわれ方ではないから、気にせずにいるだけだ。
 でも、それをあたりまえと思われてしまうのは、窮屈だ。

 はふ、と、ため息と笑いの混じったような、希玖の声。

「わたしも、そうね。今日はちょっと、うちにいづらくってさ」

 かぶりを振る希玖は、わずかにうつむいて、やわらかに揺れる髪も力を失ったみたいに垂れている。なんだか、自分の気持ちに罪悪感を抱いているかのような、胸の奥の苦しそうな顔をしていた。

 恋は、何も訊かずにおこうと思った。彼女が何か打ち明けたいのなら、自分から口にするのを待つべきだ。そうでなくとも、誰かの家庭の事情にずかずか立ち入るのは失礼だろうから。
 希玖自身は、どうやら、口をつぐんでいるつもりのようだった。唇をひん曲げて、いつもの穏和な表情を崩して、どこか、苦い顔をしている。

 つかのまの沈黙。もうセミの鳴く季節はすぎて、裏町の空気はひんやりと感じるほど静かだった。遠くの路地を通り過ぎていく猫の足音さえ、聞こえるように思えた。誰かが2階で、洗濯物を干している。

 たまらなくなって、恋が口を開きかける。いまの希玖には、何か呼び水が必要かもしれない、と思ったからだ。
 けれど、その前に、希玖が口を開いた。

「お父さんがさ、来てるんだよ」
「……はあ」

 そのひとことが帯びた複雑な含意に、恋は、問いかけようとしたことばを放棄するしかなかった。
 希玖は、恋のそんな微妙な気配を察したように、あっけらかんと笑う。

「いや、それこそそんな複雑な話じゃなくって。ちょくちょく家空けるから、たまに帰ってこられると、何か慣れなくて」
「充分複雑だと思うんですが」
「単にふわふわしてるだけよ」

 恋の危惧を、希玖はあっさり切り捨てる。

「今回とか、ほら、おじいちゃんの国でオリンピックあったじゃない? あれ観に行って帰ってきたっていって、何かテンション高くて、相手するのがめんどくさくてさ」

 希玖は、空を見上げて嘆く。そうして日射しを受けた彼女の表情は、しかし、さっきよりもずっと明るい。
 さっきまで彼女の顔を覆っていたつかのまの影が、いっそう、そのはじけるような肌を魅力的に感じさせるようだった。

 恋は、両肘を膝の上に載せ、ふにゃっと首をひねった。希玖のしなやかな首筋を、斜めに見上げるようにして、つぶやく。

「めんどくさいですよね、大人って」
「ほんと、ほんと。恋さんが、女の子だけ見ていたいっていうの、わかってくるよ」
「でしょう?」

 ふたりの笑みが、路地裏で交錯する。
 夏休みが終わるまで、あとすこしだ。
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