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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第129話「世界を見る角度が、すこしだけ変わるってことだもの」

「えい」

 ぐいっ、と、後ろから抱きすくめられて、宇都宮(うつのみや)(りん)は一瞬、頭が真っ白になった。

「ひっ」
「よいしょ」

 そのまま、ぐぐっ、と、背後へと引っ張られる。相手の腕力はさほどでもなかったけれど、突然のことで、凛は抵抗できずにそのまま後ろに倒れ込んだ。

「わわ、ちょっと凛さん、もうちょっとこらえて」

 後ろから不満げな声がする。抱きついてきた相手も、凛の重みに負けていっしょに後ろによろめいていた。たたらを踏んで、どうにか姿勢を立て直す。
 ほっとして、ようやく凛は恨みがましく後ろを振り返った。

「何するの、青衣(あおい)さん」

 凛に抱きついていた腕をほどいた光原(みつはら)青衣は、空とぼけたような顔でこちらを見つめる。いつものようにフリルのたっぷりついたゴシックロリータを身にまとう彼女を、道行く人々が一瞥していく。その視線に、自分まで巻き込まれている気がして、凛は決まりが悪い。
 相も変わらずやけくそ気味に暑い日の夕方、ふたりで歩く街角。夏休みも終盤とあってか、浮き足立った子どもたちの姿が目につく。彼女たちもそろそろ課題を終わらせなくてはならないのだが、凛はどうしても気が乗らなくて、青衣をつきあわせてぶらぶらと散歩していたのだった。
 そして夕暮れの帰り道、いくぶん気温の下がって人通りが多くなった街中で、ふたりは向かい合う。

 青衣は、青と黒で染めた不健康そうなまぶたを、ぱちぱちとまばたきする。

「凛さん、今日、ずっと背中が丸まってたから」
「……そう?」
「悪霊か何かが背中にのしかかってたみたい。心当たりない?」
「悪霊の?」

 凛は霊感が強い方ではないし、霊障を受けるような行為をした覚えはない。それはたしかに、カトリック系女子校の生徒としては不真面目かもしれないが、それで罰をかぶるほど神は狭量ではないはずだ。

 首をひねる凛を見て、青衣はかすかに笑みをこぼす。

「悪霊は冗談よ。私、別にそんなに霊とか信じる方じゃないし」

 その顔でいわれても、なんとなく説得力がない。

「……じゃあ、霊以外の何か?」
「心配事とか、憂鬱とか。すこしなら、話聞くよ」

 青衣はあっけらかんという。しかし、凛は、すぐに首を横に振った。

「いい。必要ないよ」
「……私に相談しても無駄、ということ?」
「ぺらぺら話すようなことじゃないから」

 あのライブの夜、感極まって、八嶋妙に打ち明けてしまった彼女の想いは、ほかの誰にも話したくなかった。その対象が誰なのか、に至っては、妙にさえ話していない。
 そうやって、自分の心に留めておかなくては、想いが偽物になってしまうような気さえする。

 凛は、薄くかげり始めたアスファルトを見つめている。日射しが傾き、灰色の雲がわいて出て、あたりはしだいに黄昏に覆われつつあった。生ぬるい風が路上を流れて、凛の足下から胸のあたりまでをゆっくりとなでていく。
 と、そのつま先に、黒い影がさす。

「ほら、また」

 ことばと同時に、額を強く押し上げられて、凛はのけぞった。

「はわ」
「すぐにうつむくんだから。そんなに重いもの、抱え込んでるの?」

 顔を上げさせられて、凛は目の前の青衣と向き合わされる。青衣は、青白い顔をわずかにかたむけ、凛の表情を舌からのぞき込むようにして、問いかけてくる。

 凛は、首を振って、彼女の視線をはねつけた。

「青衣さんには関係ないってば」
「関係なくても」

 青衣の声が間近に迫る。彼女は凛のすぐそばまで詰め寄り、正面からこちらを見た。瞳の色を際だたせるような灰色のメイクの奥で、青衣のまっすぐな視線は、凛を決して離さないようにぴたりと据えられている。

「ちょっとくらい、心配させてよ」
「だから」
「まずはとりあえず、形からでもさ」

 そういって、ふたたび青衣は凛の額に手を当てて、ぐっ、と押す。

「最低、姿勢だけでもよくしておいたら、いつの間にか気分も変わるものよ」
「……そういうもの?」
「世界を見る角度が、すこしだけ変わるってことだもの」

 青衣がそっと手を離して、くるり、ときびすを返す。彼女の全身を飾るフリルが、薄暗い街角に白く翻って、つかのま、花びらのように夕暮れを彩る。

 前を向いた凛の視界が、突き抜けるように、遠くまで広がる。
 ざわめく街路は、商店街のアーケードまで続き、たち歩く人々の顔が一瞬、やけに鮮明に見えた。左右に並ぶ家々も、似たように見えて、何もかも違った姿をしている。門柱のそばで犬が吠えている。塀の上から何かの木の枝が路上に乗り出して、道行く人にしなだれかかる。
 雲は空を半分だけ覆っている。残り半ばは、未だに青く、真夏の日の名残を色濃く残していた。

 一瞬、広い世界の真ん中に、ぽつんと立ち尽くしているような気がした。
 取り残されているのではなく、ただ、ちっぽけな自分がそこに、世界の一員として、いる。

 手の届く距離で、光原青衣が、踊るように振り返った。

「きれい?」

「……うん」

 自然、引っ張られるように、凛はうなずいていた。そして、ほぼ無意識に、彼女は歩き出している。アスファルトを蹴る足下の感覚は、固く、強く、彼女を前に押し出していくみたいだった。
 青衣に追いついて、彼女のそばに並ぶ。べったりと肌を白く塗りつぶすような青衣のメイクは、やっぱりどこか不健康で、けれど、独特のキッチュなかわいらしさを感じさせた。そもそも、凛はそんなに、青衣のそういうファッションが嫌いじゃないのだ。
 青衣の首筋に、汗が浮いている。メイクが崩れてしまわないか、心配なのだけれど、きっとそれこそよけいなお世話なのだろう。

 ひょうひょうとした青衣の横顔に、凛は、ふと、ことばを投げ出す。

「実はね」
「うん」
「好きな人ができた」

「……すてきね、それ」

 何も問わず、何も詮索せず、ただ、青衣はそういって、凛を祝福した。
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