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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第124話「飽きた、とか、使わなくなった、とか、そういうものがない感じ」

 芳野(よしの)つづみの部屋は、何もかもが精密なカッターで切り出された、工業製品のような印象だった。大垣(おおがき)風夏(ふうか)は、自分までその製品の一部になったような気分で、自然と正座して背筋を伸ばしてしまう。
 部屋に戻ってきたつづみは、そんな風夏の姿を見て、苦笑しながら肩をかるく叩いた。

「力みすぎですよ。肩が凝りませんか?」
「……はあ」

 そういわれて初めて、思いきり肩をいからせていたことを自覚する。風夏は肩から力を抜いて、ほっ、と息を吐く。一センチくらい自分の身長が下がったような気分だった。
 座り直したつづみは、テーブルの上に広げたノートを見直し、また風夏を見た。

「もうちょっと休憩しますか?」
「そうだね……まだちょっと頭がゆだってる気がする」

 今日は朝から、1年撫子組の聖歌隊部員で集まっての勉強会だった。そろそろ夏休みも終盤とあって、本腰を入れて課題に取りかかるべき時期だ、というつづみの判断だった。

 学業に難がある生徒は聖歌隊にふさわしくない、という彼女のことばは、風夏にはなかば、脅しに聞こえた。
 風夏自身、試験の成績はさして悪くないものの、それはつづみに追いつくために死ぬほど頑張って勉強していた成果だ。休みに入ってすっかり気の抜けていた風夏は、つづみに尻を叩かれて、ようやく課題を本格的に片付け始めた、という段階だった。
 ちなみにもうひとりの聖歌隊員である三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)は、はなからほとんどやる気もなく、いまは部屋の片隅で丸まって寝ている。彼女のことなので、同級生から白い目で見られても何とも思わないだろうけれど。

 ともあれ、そうしたわけで、この1時間ほどはつづみと風夏のマンツーマン勉強会だった。風夏の肩に力が入っていたのは、そのせいもある。

「さっきの方程式、ちゃんとわかりました?」
「あ、まあ、なんとか」
「気になるところがあったら、すぐにいってくださいね」

 そういいながら、つづみはそっと首に手を当て、すこし頬をゆがめる。

「私も、到らないところがあるし」
「……うん」

 いっしょに出かけて、部屋に呼ばれて、ようやくつづみがおなじ人間であると思えてきた……というのも極端な話だけれど、実感としてはそれに近い。
 初めて出会ったころから、つづみはどこか浮き世離れした超常的な何かで、それこそ聖なるものに属しているように思えていた。その印象は、ずっと風夏の心の片隅に焼き付いたまま、なかなか取り除けなかったけれど、それがすこしずつ変化してきているのが実感できる。

 いま、目の前にいるのは、同い年の少女だ。
 緻密に編み上げられた長い髪の下、白いおでこの顔をかすかに笑わせている、風夏の友人。
 彼女はそっと、額にかかったひと筋の髪を、指でかき上げる。糸で操られるからくりのように、指が動くのを、風夏はぼんやりと見つめる。

 視線に気づいたように、つづみが、こちらを見た。

「……風夏さん?」
「え? あ、えっと」

 いうことなんて何も用意していなかったから、いきなり名前を呼ばれて風夏はあたふたしてしまう。テーブルに広げたままの教科書に視線を落とし、何か、訊きたいことがないかどうか探すけれど、そんなときに限って疑問が思いつかない。
 そんな風夏の様子を見て、つづみは、くすっと笑いをこぼす。

「何でもないなら、何でもないでいいんですよ」
「うん……」

 こちらの胸のうちまで見透かしたフォローをされて、風夏はうつむいて肩をちぢこめてしまう。さっきつづみに注意されたばかりなのに、また、肩に力が入っている。
 結局のところ、この部屋では、なかなかいつも通りじゃいられない。

「つづみさんの部屋、すごく片付いてるね」

 ぽつり、思いついて口にする。つづみはきょとんとして自分の部屋を見回す。

「そうですか?」
「片付いてる、っていうか、なんかすごくきっちりしてる。定規で測ったみたい」

 つづみは顔を上げ、思わず自分の指を直角に交差させ、部屋の壁に向ける。本棚や机の角度はもちろん、床に敷かれたカーペットのへりも、壁と完全に平行になっているように見えた。
 無造作にテーブルの横に置かれたクッションすら、計算されているかのように思える。

「几帳面だよね、つづみさん」
「そうでしょうか? 特に意識してはいないんですけれど」
「自然だからできるんじゃない? 考えてやるんじゃ、きっと忘れるもの」

 何かしたい、と考えて行動したって、だいたい長続きしない。風夏はいつもそうだ。習い事も、部活も、趣味も、最初は強い興味を持って始めたものでも、たいていすぐに飽きてしまって、あとは惰性で続けるばかりだった。
 彼女の部屋には、そんな、続かなかった興味の残滓が山積みになっている。

「ああ、そっか」

 風夏は、くっつけたままの指をくるりとひねって、うなずく。

「つづみさんの部屋、過去のものがあんまりないよね」
「過去、ですか?」
「飽きた、とか、使わなくなった、とか、そういうものがない感じ」

 つづみの部屋には、大きな収納スペースがない。クローゼットの他には、本棚くらいだろうか。幼いころのおもちゃを詰め込んだ押し入れとか、使わなくなった教科書をしまった段ボールとか、そういうものが見当たらないのだ。
 だからだろう、彼女の現在は、彼女の過去と直結していて、一貫しているように思える。

「つづみさんって、ちっちゃなころから、つづみさんだったんだろうね」
「何ですか、それ」

 ことばにしたら、当たり前のことにしかならなかった。つづみは、微妙な冗談でも聞いたみたいに、あいまいに笑う。

「でも、わかるでしょ? いいたいこと。つづみさん、子どものときから、きっといまとおなじに礼儀正しくて、几帳面で、落ち着いてて」
「退屈で、堅苦しくて、融通の利かない子どもですよ」

 ちらりと舌を出して、つづみはつぶやいた。彼女がそんな自虐的なことば遣いをするとは思わなくて、風夏は一瞬、口をつぐんでしまう。
 けれど、当のつづみ自身は、そんな自分のことばを、やけに楽しんでいるみたいだった。右手で髪をめいっぱいかき上げて、んっ、と、顔を上向ける。

 一瞬、ひどく乱れたつづみの細い髪が、空中で波打った。

「でも、そんな自分に気づけるようになっただけ、ちょっとはましなのかもしれないです」

 ぐいっ、と、つづみは顔を地上に引き下ろした。丸い瞳は、ぴたり、と風夏を見すえ、視線がまともにぶつかる。
 つづみの襟元がわずかに揺れて、風夏は、つかのま、息が止まる。

「課題、ちゃんと終わったら、遊びに行きましょうよ」

 真正面から誘いかけるそのひとことが、風夏の心に突き刺さる。その鋭さ、まっすぐさは、やはり一分の隙もない、芳野つづみのことばそのものだ。
 つづみは迷いもなく、てらいもなく、風夏と向き合ってくれている。

 一瞬、頭に血が上って、何も考えられなくなって。

「……そこで」

 風夏は視線を逸らし、部屋の片隅で寝ていた百合亜に目を向けた。

「そこで寝てる、百合亜さんも、ちゃんと片付けたら、ね」
「……そうですね」

 雲で日射しがかげるみたいに、つづみはかすかに目を伏せて、笑った。
 風夏は、二つ返事でうなずけなかった自分に途惑いながら、笑い返す。
 だしにされた百合亜は、何も知らずに眠っている。

 几帳面に整理された部屋の中で、彼女たちの視線は、あいまいな曲線を描いて交わらないまま。
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