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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第122話「割り切った顔してる人に限って、いざってときに泣きわめくんだから」

 助けてほしい、というメッセージが届いて、武藤(むとう)貴実(たかみ)はため息をついた。発信者は、桂城(かつらぎ)恵理早(えりさ)。彼女のことだから、どうせ、その辺の路上で暑さにへばっているだけだろう。
 どこにいるのか教えて、と返信すると、写真が送られてきた。古びた電信柱の根元から、青空を映している。左の隅っこに見える錆びた看板の文字は読めない。
 こんなのでわかるわけがない、と悪態をつこうとしたところで、電信柱の住所表示に目がいった。そのままだと反射が強くて見えないけれど、画像の色をいじったら場所がわかった。貴実の家からなら、そんなに遠くない。
 真夏の日射しはまだ衰えを見せない。つば広のハットとポーチを手に取り、貴実は部屋を出た。行きがけに、キッチンの冷蔵庫から、凍らせたペットボトルを持っていく。体を冷やせば、恵理早もすこしは動けるようになるだろう。


「ありがと」

 恵理早は猫のように、ほぼ廃屋となったタバコ屋の軒先のせまい物陰に潜り込んで、べったりとアスファルトに足を伸ばしていた。お尻が汚れるのもおかまいなし、といった風情だ。白いロングスカートがまくれて、右の膝小僧がむき出しになっている。
 ゆらゆらと、真っ白な手を貴実に向けて振る恵理早は、いささかお化けじみて見えた。

「立てる?」

 どうしたのとか、何をしているとか、そんな話を彼女に訊いても、どうせまともな答えは返ってこない。貴実は貴実らしく、実質的なことばで話すことに徹する。
 恵理早は目線を空中に漂わせて、こくりとうなずく。

「ゆらゆらしてる」
「……横になってたほうがいいんじゃない?」
「大丈夫。ダメージはないから」

 よくわからない応答をして、恵理早は立ち上がり、白い霜のついたスポーツドリンクのボトルを受け取る。それを額に当てて、んー、と、ちいさく声を発した。

「暑くて、湿ってると、空気がぐにゃぐにゃするよね。空気がぐにゃぐにゃしたら、人間、立っていられるわけがない」

 感慨に耽るように、彼女はつぶやく。それから、ちょっと首をかしげて貴実に振り向いた。

「ほんとにありがとね。よくもまあ、この燃えさかる炎のような空気の中をきてくれたよ」
「自分で呼んだんじゃないの」
「呼んだらきてくれる、ってだけでうれしいものなの」
「そんなもんかしらね」

 時間と暇があるかぎりは呼び出しに応えるのが、友達というものだ。ほんとうに熱中症のおそれがあったことを差し引いても、当たり前の行いだと貴実は考えていた。
 それとも恵理早当人は、こんな暑さのなかで貴実を助けにはこないだろうか。

「おなかすいた」

 またしても、前触れもないことばが恵理早の口からこぼれ出た。貴実は自分のスポーツドリンクをごくごくと勢いよく口に流し込みながら、あたりに視線を巡らす。熱された道路から陽炎のような空気が立ちのぼって、それこそ地獄のような様相を呈しつつある。強烈な日射しさえ、灼熱した空気のゆがみには負けて、あたりの家並みもほんのり揺らいで見えた。太陽よりも、大地のほうが強い。

「コンビニしかないなあ」
「コンビニならあらゆるものの代用になるでしょ」
「……恵理早さんにしては意外な思想ね」

 灼熱の道を往復して、恵理早に塩パンを届けた。
 受け取ったパンの包装を、恵理早は左右に引っ張る。しかしビニールは左右に伸びていくばかりで、いっこうに破れない。左右上下前後、あらゆる方向にねじり回すが、一度伸びてしまった袋はなかなか裂けてくれなかった。
 ふう、と、ふたたび恵理早は地べたに座り込んでしまう。

「世界はままならない」
「そういうとこ不器用よね、恵理早さん……」

 貴実は恵理早の手から塩パンの袋を取って、端をちぎって縦に開けた。恵理早は、新大陸でも発見したみたいな驚愕の表情で、その様子を見つめる。

「芸術的」
「こんなんで芸術とかいってたら笑われちゃうわよ」

 恵理早は貴実から塩パンを受け取って、大口を開ける。小食な恵理早が、こんなに激しい勢いでものを食べるのを、貴実は初めて見た。ほんとうに、よほどおなかが空いていたのかもしれない。
 学校ではやたらに省エネなくせに、こういうときにはやけに腹を空かせる。学校でも、休日でも、ひとつところにとどまるべきときに限って、どこかにさまよい歩いてしまう。たぶん、自由に行動させたら、逆にどこにも行かずに冬眠でもし始めるのではないだろうか。

 なんというか、ちぐはぐで、不器用だ。
 食べ過ぎのハムスターみたいにほっぺたにパンを詰め込む恵理早のそばで、貴実は苦笑する。

「実験器具の扱いとか、うまいのにねえ」

 理科の実験などでいっしょの班になると、恵理早の手際の良さに驚かされる。ビーカーに液体を注いだり、顕微鏡にプレパラートをセットしたり、そんなひとつひとつの行為が、まるでそのために自動化された工場みたいに正確に実行される。
 それは、ほかでは見られない、恵理早の特別な一面だった。

 口をもぐもぐさせて、遠くを眺める恵理早のそばにいると、貴実はすこし不思議な気分になる。
 彼女の中の様々な側面は、まるで騙し絵のように、すこし角度を変えるだけでまったく別の姿を見せる。
 見ていて飽きないのは事実だけれど、多少、心配だった。

「……恵理早さんさ。気をつけないと、次は本気で熱中症とかで倒れるかもよ」
「危険の度合いは心得てるよ。それに、困ったら、また貴実さんか誰かが助けてくれる」

 平気でそんなことをいうのが、危ないのだ。貴実は首を振った。

「そりゃ、恵理早さんくらいに美人でおもしろくて頭よかったら、助けてくれる人は多いかもしれないけど。いつもぜんぶが都合よく行くってわけじゃないんだよ」
「そのときはそのときでしょう」
「……そうやって割り切った顔してる人に限って、いざってときに泣きわめくんだから」

 深々と嘆息して、ペットボトルをあおった。中身はほとんど残っていなくて、つるり、と舌の上をぬるい液体が通り過ぎていくだけ。のどの奥に引っかかって、貴実は眉をひそめる。
 空のペットボトルで、所在なく、自分の腕をぽこんと叩いた。

「そろそろ帰ろうか」

 いいだしたのは、恵理早のほうだった。まったくもって気まぐれだ。
 廃屋の庇の外は、まだ灼熱の空気で満たされた地獄のままだった。恵理早は自分の気分だけで、地獄でも天国でも好きに行き来するのだろうけれど、つきあわされる側はたまったものではない。

「正直、今度は私のほうが死にそう」
「そう」

 うなずいて、恵理早は貴実の首筋にかるく触れる。意外なほどひんやりしたその手に、ぎょっとした。

「な、何」
「……もやもやしてるね」
「だから何が」
「でも、こんなところじゃ休憩にならないよね。ちょっと歩こう」

 唐突にまっとうなことを言い出した恵理早を拒否する理由もなく、貴実は彼女とそろって歩き出した。足下から燃やされているような感覚だが、すぐそばにいる恵理早の体にはあまり暑苦しさはなくて、ふしぎと、耐えられそうな気がする。

「休んでなかったんなら、さっきは何してたの」
「見てた」
「……何を?」
「きらきら」

 恵理早は両手を前方に捧げて、ピアノを弾くみたいに両手の指を上下させる。彼女の視線と、指のさす先を見ても、貴実には陽炎めいた町並みしか見えなかった。
 まったくもって、恵理早のことは、よくわからなくて、だから、目が離せそうにない。
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