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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第121話「いきなり絶交とかありえないでしょ。昭和じゃあるまいし」

 絵はがきに描かれているのとおなじ北の空は、たぶん、この街からは見えない。
 それでも、内藤(ないとう)叶音(かのん)はまるで故郷を夢見るかのような思いで、自宅の北向きの窓から空を眺め渡す。緑なす山々の上、澄んだ空には雲ひとつなく、数百キロの彼方まで見はるかすことさえ、できそうに思わされる。

 けれどもやはり空想は空想で、白と灰色の入り交じってくすんだ空の色は、叶音の手の届くところにはない。絵はがきの中では、日本でも有名な白いキャラクターが、渦巻く雲と氷の海を背景に、遠い国の少女に向けて手を振っている。
 ひっくり返せば、差出人からの楽しそうなメッセージが、達筆で記されている。よほど熱意を込めて書いたのだろう、近衛(このえ)薫子(かおるこ)の字ははがきの上でいささかにじんで、長旅の間にすこしかすれていた。

 堅苦しく、力の入った字を見つめて、叶音は目を細める。

「ああ、そんなとこにいた」

 眼下の小道から、新城(あらしろ)芙美(ふみ)の声がした。
 目をやれば、背伸びした芙美が無邪気な顔で手を振っている。もともと裏表のある子ではないけれど、ふだんよりもずっと屈託のない笑い顔には、内側からわき起こる強いエネルギーのようなものが感じられる。

「レスないから気になっちゃって。何してんの」
「別に。つーかごめん、スマホ部屋においてきてた」
「あっそ。まあチョクで伝えればいいか」

 芙美はそういって、一度自分のスマホを確認する。画面をちらりと見て、ちょっと唇をゆがめた。それは、前の彼女の偏屈そうな不満の顔つきではなく、むしろ、かわいげのあるちいさな不満の表明だった。すこしだけ我慢すれば望みが叶うとわかっているような、それでいて、待ちきれないような。

「明日どっか遊びに行こうって話。るなさんと……あと真鈴(まりん)さんとか呼んで」
「どっかって?」
「プールとかよくない?」

 叶音は、一瞬目を見開いた。別に水が嫌いなわけでも、水着を用意していないわけでもない。ただ、それを芙美が言い出すことは、想像だにしない事態だった。
 自分の肌を外に晒すことなんて、いやがりそうなものなのに。

「……あたしはかまわんけど」
「よかった。それじゃ、あとはるなさんかな……まだレスこないや」
「つか、今日はるなさんどうしたの? 最近ちょくちょく一緒にいるじゃん」

 芙美と西園寺(さいおんじ)るなの親しげな様子は、叶音はしばしば目にしていた。ふたりでいるときの彼女たちは、どこか余人を近寄らせないような気配を漂わせていて、叶音も空気を読んで、声をかけるようなことはしなかった。
 それでいいのだろうな、と、思っていた。

「るなさん、今日は実家だって。大変だけど、仕方ないよね」
「実家?」
「あれ、知らなかったっけ。隣街の」
「いや、それは知ってるけど。なんか用事なの?」
「ちょくちょく帰って、おじいさんだかに生活の報告してるんだってさ。古くて厳しそうな家だっていうしね」

 そういってから、ふいに、芙美は自分の口に手を当て、わなわなとふるえ出す。

「……るなさん、おじいさんに、私のこと何て伝えるんだろう……やば」
「聞かれちゃ疚しいことでもしてるわけ?」
「してねーし!」

 芙美は頬を紅潮させて叫ぶ。その荒っぽい口調も、久しぶりに聞いたような気がした。

「ねーけど、ほら、いろいろ勘ぐられたら、やじゃん」
「女友達ひとりくらいで、そこまで変に思われることないっしょ。だいたい、1学期からずっと友達じゃん」
「それはそう、だけども。でも、ほら」

 両手をぱたぱたと左右に振って、へどもど声を発する芙美。彼女のそんなそぶりは、なんだかいつもの彼女らしくて、すこしほほえましい。

 けれど、そんなに焦る理由があるのだろうか。

「……ま、いきなり絶交とかありえないでしょ。昭和じゃあるまいし」
「そうかもしれないけどさあ」

 まだくねくねともどかしげな声を出して、芙美は恥ずかしそうに顔を伏せる。右手で顔を覆って、斜めに目線を落とす彼女の頬は、真っ赤になっている。
 うつむいた彼女の、肩を滑り落ちる長い黒髪が、つややかに夏の日射しを反射した。念入りにトリートメントしたのか、髪はさらりと彼女の胸元に垂れて、飴のような曲線を形作る。

 とん、と、芙美のつま先がアスファルトを蹴った。真新しいスニーカーは、着古したような部屋着に身を包んだ彼女の装いのなかで、一点だけ際だっていた。

「靴、どうしたの?」
「え? うん、るなさんに選んでもらった」

 また、るなさん、だ。
 彼女がその名を呼ぶ響きは、はっとするほど瑞々しくて、夏空の空中を白魚のように跳ねた。

「そんなら、水着もるなさんに選んでもらえば?」

 叶音がいうと、芙美は一瞬、愕然としたようにこちらを見上げた。その手があった、と、いまになって気づいたみたいな、痛恨の表情だった。

「……いや、でも、それは」

「んなマジにとらなくてもいいって」

 叶音はそういってみたものの、すでに芙美の耳には入っていない様子だった。真っ赤な耳たぶの奥では、たぶん、るなといっしょに水着選びをする想像が荒れ狂っているのだろう。路上でもだえる彼女はいくぶん珍妙で、けれど、ふだんよりずっと率直に見えた。
 内気に、みんなの集まったテーブルの隅で、黙り込んでシェイクとかすすっている彼女よりは、ずっと。

「……のど乾いた。飲みもんとってくる」

 いいわけがましくつぶやいて、叶音は、芙美を置いて屋内に戻った。
 明かりの消えた室内は、薄暗くて、静かで、いやに背筋が不安になる。風邪をひいて寝込むときの、寄る辺ないおそれを思い出させるせいかもしれない。
 叶音は、自室に帰るでもなく、階下の冷蔵庫を目指すでもなく、ただ、そこに立ち尽くす。

 その手のなかには、一枚の絵はがきの薄い感触だけ。
 幼い頃から、前になり、後ろになり、ずっと握り続けられていた芙美の手の強さは、そこにはない。

 手を離したのが自分のほうだ、という自覚はあった。もちろん、昨年の夏祭りで、近衛薫子とともに出店を回ったあの夜からだ。
 けれど、それでも、いつか芙美は叶音の手をもう一度握り返してくれる。
 そんな余裕、それとも慢心が、叶音の中にはあったのかもしれなかった。

 ショックを受けている自分が、いちばん、驚きだった。
 自分は、芙美みたいに、相手に甘えたりしていない、と思いこんでいたから。

 でも、手をつないでいっしょに歩いていたふたりは、結局、似たもの同士だったのかもしれない。
 似たもの同士だったからこそ、ずっといっしょにいられたし、これからも近くにいるだろう。

 これからは、手を握るのじゃなくて、ただ、おなじ速さで歩いていくだけかもしれないけれど。
 いつか、足の速ささえ変わって、遠く離れてしまうかもしれないけれど。

 ため息をついて、叶音は、手の中の絵はがきを、ぴったりと額にくっつける。
 北欧の冷えた空気が、ほんのわずかでもそこに残って、彼女の頭を冷やしてくれればいい。

「……かおさん、早く、帰ってこないかな」
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