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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第120話「こんな壁ドンみたいな話し方、する気じゃなくて」

 毎日でも会いたい、ということばは嘘ではなかった。西園寺(さいおんじ)るなは、待ちきれないように夜中にメッセージを送ってきて、新城(あらしろ)芙美(ふみ)も寝ずに答えを返した。そうしてろくに眠れないまま、朝の日射しのまぶしさに目を潰されそうになりながら、芙美はるなに会うために駅前に駆けつけた。
 夏休みの中高生が、どこか倦怠を感じさせるゆるやかな歩幅でうろついている中、フェミニンで薄い色のキャミソールをまとったるなの姿は、きらきらと輝いて見えた。

「るなさん!」

 芙美が手を振ると、るなは胸元でひらひらと右手の指先だけを蝶のはばたきのように振った。

「おはよ」
「おはよ、遅くてごめん」
「急がなくてもよかったんだよ。どうせ何の用事でもないし」
「でも、それでるなさんを待たせちゃ悪いもの」

 そういえば、いつもるなは芙美よりも先に待ち合わせ場所に来ている。芙美が外出着やアクセやメイクであれこれ悩んでいるあいだに、彼女は迷いもなく、颯爽と家から目的地までの足取りを歩んでいるに違いない。
 そんなるなの姿を想像すると、胸が苦しくなる。自分のためだけに、るながそんなことをしてくれるなんて、信じられないのだ。
 申し訳なくて、すごく嬉しい。

 両手を膝について、芙美は、深く息を吐いた。

「……けど、毎日毎日遊んでたら、さすがにお小遣いなくなっちゃうね」

 足元を見つめて、白いタイルに向けてつぶやく。それを聞いて、るなはあっけらかんと笑った。

「そうしたら、家で毎日会おうよ」
「うん……」

 芙美は、ジーンズに覆われた自分の膝を、いっそう強く握りしめた。るなの告げたビジョンはあまりに魅力的で、だからこそ足がすくむ。自分がそんな世界の住人になるなんて、そんな資格はないような気さえしてくる。

 ここにいていいのかどうかさえ、ちょっと疑わしいくらいだ。

「それで、どうする? 何か買いたいものとかある? 上のテラスで水飲んで駄弁ってるだけでもいいけど?」
「中学生じゃねえっての」

 肩をすくめて、芙美は顔を上げた。こちらを見つめるるなの目の中で、自分の顔が一瞬、引きつった笑みを浮かべていた気がした。

「適当にお店、見て回ろうよ。もう秋物も支度しないとだし」
「秋かあ、そうだよね」

 るなは目を細め、東の空に浮かぶ日射しにちらりと目をやる。

「季節なんて、すぐに変わっちゃうね。あっという間に2学期が来て、冬が来て、そんで2年生になっちゃう」

 つぶやきながら、しかし、芙美はそのことばのさまざまな遠さにめまいがする思いだった。これから気温がどんどん跳ね上がっていく、その手前の時間。足元のタイルから、じりじりとした熱気が立ちのぼってきて、目がくらむ。
 夏さえもまだ終わらないような、無限の時間が待ち受けているような、そんな気分になる。

「寂しいこといわないでよね。ほら、行こ」

 るなのかたわらに歩み寄って、芙美は彼女の肩をかるく押し出すように叩く。るなは、ぱちくりとまばたきして、芙美を見つめる。いまごろになって、ようやく目が覚めたかのようだった。

「そうね。行こ」

 うなずいたるなは、跳ねるようにタイルを蹴って歩き出した。彼女の足を覆うミュールは、ただでさえ背の高い彼女をいっそう高く見せていて、芙美は、そのまっすぐな背筋と、迷いのない歩調に見とれてしまう。
 るなが振り向くより前に、彼女の後を追った。

 ふたりは、いろんなものを見た。ショーウインドウ越しに新しいカーディガンやショールを眺めたり、度の入っていないメガネを試しにかけてみたり、スマートなデザインのメモ帳に合うボールペンを探したりした。
 そのひとつひとつの時間を、芙美は大切に使えた、と思う。
 るなのしなやかな首筋や、細い腕や、きっちりと整えられた爪に魅入られている瞬間だって、決して無駄ではないはずだ。いま、この日の二階堂るなのことを覚えているのが、とても大切なことに違いなかった。
 ただ、るながそんな彼女の視線に気づいて振り返ったりすると、とたんにその決意が雲散してしまいそうになる。

 るなの瞳に見つめられるのは、こわくて、震えて、心が急に頼りなくなったように感じられる。
 彼女のそばにいるあいだは、自分は無敵でいられる。
 なのに、彼女の目だけが、芙美を別の何者かにしてしまう。弱くて、壊れそうな何者かに。

「……芙美さん、ちょっといい?」

 ブティックの紙袋を右腕に引っかけて、るなが何でもない様子でつぶやいた。

「何?」

 小首をかしげ、芙美は問い返す。あちこち見て回ったわりに彼女は手ぶらのままだ。るなといっしょにいる時間だけで、彼女はだいぶ満足していて、それでいい、と思っていた。
 そんな彼女の所在ない両手を見つめて、るなは、眉をひそめる。ぽかんとその顔を見上げる芙美を誘うように、早足にるなは歩き出す。

「え、何?」

 もう一度問いながら、あわてて芙美はそのあとを追った。
 るなは店の建ち並ぶ廊下から、奥まった通路へと入っていく。店員や作業員が使うような、狭くて薄暗い道だ。トイレもなく、いちばん奥は鍵のかかった重い扉があるばかり。甲高い足音ばかりが、まるでお化け屋敷の効果音みたいに響く。

 きゅっ、と、音を立ててるなが振り返る。急な行動におどろいて、芙美はちょっとつまずくように立ち止まる。その勢いで、彼女はふらりとすぐ脇の壁にもたれかかってしまう。

「っと」

 るなが左手を差し出し、芙美の体を支える。二の腕に触れた手の感覚が、ふたりの体を同時に痺れさせたみたいに、同時に身をすくめる。芙美はそれで、自分の背中をいっそう壁際に押しつけてしまう。
 その姿勢は、まるで、るなが芙美を壁際に追い込んだみたいだった。

 灰色の照明が、こちらを見下ろするなの表情に影を作る。真剣なその面差しは、恐いようでもあり、頼りないようでもあり、そのどちらともつかない揺らぎが芙美をますます不安にさせる。
 るなの目を縁取る睫毛が、影の中に際立った筋を描いていた。

 三ヶ月のように薄く、つややかな唇が開く。

「……芙美さん」

 何かいいかけて、るなは首を振った。芙美に伸ばしていた手を、わずかだけ引き、それでもその指先は、芙美の半袖の下の白い腕の、すぐそばにある。
 指先と、皮膚のあいだで、かすかな電気が発しているように、芙美はるなの存在をひしひしと感じる。
 るなの目の前にいると、芙美は、なにかひどくちっぽけなものになったような心地になる。

 なのに、るなのほうも、芙美から目をそらした。まるで、互いが互いのことを、まともに見られないように。

「……こんなつもりじゃなかったんだけど」

 突然いわれて、息が止まる。今日のこと、それとも、いままでのことぜんぶ。ぐるりと頭の中でいやな想像が跳ね回って、血の気が引いていく。

「いや、こんなとこで、こんな壁ドンみたいな話し方、する気じゃなくて、ってこと」
「……うん」

 芙美がよほどひどい顔をしたのか、るなが慌てて口を開く。その慌てぶりがおかしくて、芙美の頬が、すこし緩んだ。
 るなはかぶりを振って、かすかに吐息。眼前で、空気が揺れる。

「そうじゃなくて、なんか、私だけ浮かれてるみたいで。芙美さん、楽しくないかも、って思ってさ」
「えっ?」

 きょとん、と芙美は目を見開いた。
 ずっとどこか遠く、手の届かないもののようだったるなの表情が、ふいに、目の前に落ちてきたような気がした。月が地上に降ってきたようなものだった。
 それとも、ずっと水に映った月を見ていて、手の届かないものと諦めていたのかもしれない。

 飛び込めば、すぐそこにあったのに。

「好き、っていわれて、私、めっちゃ舞い上がってんだ。いまも、こんなふうで、心臓ばくばくで」

 るなが語れば語るほど、彼女は地上に近づいてくる。彼女の声音は震え、顔色は赤みを帯び、唇はいっそうつやめく。そうして、るなの姿があざやかになっていく様を、呆然と芙美は見上げるしかない。

 そして、るなははっと、口をつぐんで、胸元を手で押さえた。

「……触んないでよ、芙美さん。そしたら、私、どうなるか」
「どうなっちゃうの?」

 すとん、と。
 まるで、自然の法則に従って墜落するように、どうしようもなく引き寄せられて、芙美は、るなの体を両腕で抱いた。おでこをるなの肩に預けると、ぎゅっ、と、キャミソールの肩紐のあたりに押しつけられる。
 ほんのりと、るなの熱とにおいが漂ってくる。

「芙美、さん」
「好きって、そういう意味だよね」

 そのことばの意味がわからなくて、ずっと迷っていたような気がする。
 でも、ここにこうしてるなの体の存在する実感が、すべてをわからせてくれる。ことばはことばだけで意味を持つわけじゃない。抱きしめる腕と、落ち着かない呼吸と、巡る血の熱で、すべてが通じる。

 ふたりの髪が絡み合う。るなの繊細な髪のひと筋ひと筋を、感じられる気がした。

「好き」

 ことばにしたのは、るなのほう。
 でも、芙美の唇の内側にも、おなじことばがある。
 それを、お互いが知っていた。

 ひとけのない、危なげな通路の片隅で、彼女たちはお互いのことを確かめ合うように、抱きしめ合った。
 この時間が、いつまでも終わらないように。
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