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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第118話「その先のこと、何にも考えてなかったの」

昨日の続き。
 家の明かりが消えるのを、ベッドの中で待った。
 階下から人の気配がなくなって、両親が寝室に入っていくのを、部屋の外から聞こえるわずかな床板の軋みで察知した。
 それからしばらく、ふたりが寝静まるのを待った。

 そして、新城(あらしろ)芙美(ふみ)は動き出した。
 パジャマのままで駆け出したいのを堪えて、外出着に着替えた。手近にぶら下がっていたブラウスとスカートだけの簡素な格好で、西園寺(さいおんじ)るなに会うのにはあまり相応しくないけれど、もたもたしている時間はなかった。
 着の身着のまま、手ぶらのままで、ドアをそっと開けて部屋を抜け出す。階段を忍び足で下り、クロックスをぱっと履いて、玄関のチェーンを恐る恐る外して、気づかれないように家を出た。

 そこから先は、一直線。
 るなから教えてもらった待ち合わせ場所に、一気に駆けていく。彼女たちの住む街は平和だけれど、夜中になればガラの悪い少年たちもうろついている。ことにいまは夏休みで、羽目を外した輩も多いだろう。
 目を合わせさえしなければいい。捕まっても大声を出して必死で逃げるだけ。彼女の頭にある方針は、それくらいだった。

 そんなことよりも、いまは、るなのことを考えていたかった。

 クロックスの足音が、夜空に高らかな響きを奏でる。不安定なリズムで、落ち着きのない駆け足で、芙美はただ懸命に走る。
 どんな顔をして、何を話そうか、なんて、そんなことを考える余裕もなかった。

 夜景に浮かび上がる国道の明かりに、一歩一歩、近づいていく。
 息を切らせて、それでも待ちきれないような思いで細い路地を駆け抜け、芙美は国道に飛び出す。走り抜けるヘッドライトと、深夜でも営業をやめないディスカウントショップやコンビニのぎらつく光が、芙美の目を射る。
 顔をしかめながら、彼女は角を曲がり、歩道を駆ける。

「あ、ほんとに来た」

 西園寺るなの声がして、芙美は足を止めた。
 ファミレスの駐車場の車止めに、ちょこんと、るなが腰を下ろしていた。黒いキャミソールとスカートとハイソックスで固めたるなの姿は、ファミレスの看板の人工的な照明を受けて、夜の中にひときわ黒く鋭い影を描いていた。
 その黒ずくめのたたずまいの中で、色白のかんばせだけが、蠱惑的に浮き上がっている。

 ひと目見て、惹かれずにいられない。

「るなさん……!」

 るながどこにも行かないうちに、つかまえておきたくて、芙美は駆け寄る。
 が、そこで足が限界を迎えた。
 芙美の上半身が、ぐらりとかたむく。

「あ……」
「おっと」

 るなが身を乗り出し、芙美を受け止めた。

 呼吸が止まりそうになる。夜風を浴びていたるなの肌は、ひんやりとして、しかし身内にこもった体の熱は、布越しに芙美に伝わってくる。化粧のにおいが、汗に混じって鼻をつく。
 恥ずかしくて、逃げ出したくなるけれど、るなの両腕は、芙美の体を腕ごと抱え込んでいる。離れようにも離れられなくて、芙美は一瞬もがく。
 るなの脇の下に潜り込んだ腕に、つい、力が入る。離れるつもりで、よけいにしがみついてしまう。
 芙美の頭が、一気に熱くなる。

「お、激しいね芙美さん」
「あうあう」

 反論したくても変な声しか出ない。のどの奥が引きつって、いいたいことの一部だって口にできそうもなかった。懸命に体を離そうとしても、るなに抱えられたままの状態では文字通り手も足も出ない。

 むしろ、るなが離してくれそうにない。

「もうすこし、こうしてていい?」
「うう……」

 るなの抱擁はやわらかくて、いつのまにか芙美の背中にるなの手のひらが貼りついていて、力が抜けてしまう。自分の背中を、こんなにあたたかに抱きしめてくれる人を、芙美は他に知らなかった。
 脱力して、芙美は、るなの胸元に頭を預ける。ふくよかな胸の奥から、彼女の心臓の音が聞こえてきそうで、芙美はつかのま、息をひそめる。

 るなが芙美を抱く腕は、いっそうやさしくて、芙美は何もいえなくなる。
 全身を包まれることの多幸感を、芙美はひしひしと感じる。こんな世界の中で、言葉なんて迂闊に口にできるはずはなかった。
 言葉にできなくて、身動きすらもなくなって、それでいいんだ、と思えた。

 ただ、肌を寄せ合っているだけで、満足だった。

 るなの体を伝わる血の音が、全身から伝わってくるような気がした。
 芙美とおなじくらいに、るなの心にも熱があればいい、と思う。

「……あのさ、芙美さん」

 ふいに、るなの声に、弱音のような響きが混じる。びくり、と芙美の体が無意識に震えて、足元のクロックスがアスファルトの上で跳ねて平板な音を立てた。

「いまさらだけど、ごめん。こんな夜中に」
「……ううん」

 誘ったのはるなのほうだけど、芙美はそれに、”会いたい”とはっきり答えた。その意志はたしかに芙美のものだ。るなが詫びる必要なんてない。
 るなが、わずかに首を横に振る気配がする。ほんのすこしのるなの身じろぎも、はっきりと体に伝わってくる。

「会おう、なんていっちゃったけど。その先のこと、何にも考えてなかったの」

 るなの話し声も、吐息も、芙美は体でまるごと感じる。

「だから、こうしてても、どうすればいいのか見当がつかなくって」

 すぐそこのファミレスでご飯を食べたり、コンビニで立ち読みをしたり、パーティグッズを買ってはしゃいだり、選択肢はいくらでもある。
 でも、そのどれも、いまのふたりには相応しくなかった。

 こうして、ふたり、寄り添うことより大切なことなんてないのだ。

「……いいよ」

 芙美は、かそけくつぶやく。その声は、るなの肌に、心臓に、余すところなく届くはずだった。

「このまま朝まで過ごしたっていい」
「ほんとに?」
「冗談なんていわんし」

 なんだか、るなの前で荒れた言葉遣いをするのが、ひどく久しぶりな気がした。それくらい、ずっと気を張っていたのかもしれない。
 るなの前では、品行方正な自分でいたかった。彼女の内なる品格に見合うような、高潔な自分でいたかった。
 だけど、もうそんな気持ちさえ、解けて消えそうになっている。抱擁の熱には、そんな力がある。

 抱きしめられれば、かたくなな心は、解けてなくなってしまう。

 るなは、言葉で答える代わりに、芙美の体をそっと横たえるように、その場に腰を下ろした。芙美は膝を曲げて、彼女に体重を預けながら、わずかに身じろぎして、頭だけ抜け出す。
 るなの肩に、自分のこめかみを載せるみたいにして、芙美は顔を上げた。

 夜中の光に照らされて、満月のように白いるなの顔と、つややかに光る唇。
 芙美は、呆然と見とれる。
 わずかに視線を落として、るなは芙美の視線を受け止め、はにかんで笑う。あんまり見ないで欲しい、とでもいいたげで、けれど彼女は何もいわずに、芙美を見つめていた。彼女の透明な瞳の中で、自分がどんな顔をしているのか、芙美はもう、気にならない。

 見つめ合う、るなと芙美。
 ふたりのあいだで、すでに、時は止まっているみたいだった。
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