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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第116話「私にとっては、2年分のお祭り」

 駅舎の裏側、古い市街地に通じる道は、ふだんとは違う賑わいがあった。商店街を越えた先にある神社の参道のほうでは、屋台の真っ赤な明かりがあふれ出て、夕暮れの空にしみ出しているようだった。すでに神輿が動き出しているのか、笛と太鼓の響きがかすかに駅の空気を震わせている。
 駅の周辺にいる人だかりは、浴衣が3割、普段着が7割というくらいだった。はなやかな浴衣をまとった女性たちは、カラコロと下駄を鳴らして、宵の藍色の中を歩み抜けていく。

 そんな空気の片隅に、新城(あらしろ)芙美(ふみ)は、よるべなく突っ立っていた。
 新調したねず色の浴衣は、きっと祭りの喧騒の中にはうまく溶け込めるだろうけれど、駅前で待ち合わせるにはそぐわない。浮かれているようでもなく、しかし普段着でもない、どこか落ち着きをなくさせるような装いだ。
 こつん、と、下駄のつま先をタイルに打ち付ける。

「お待たせ」

 それが、魔法の合図だったみたいに、西園寺(さいおんじ)るなはふわりと姿を現した。

「ん、大丈夫」

 10分ぐらいは早めに来たし、そのくらい待つのは予定のうちだ。ちょこんとうなずく芙美を、るなは上から下までざっと眺めて、微笑んだ。

「似合ってるじゃない。いいよ、クールで」
「そうかな……」

 自信なく口にして、改めて自分の浴衣を見下ろし、るなの装いと見比べる。るなは、その名にし負う、とでもいわんばかりのレモンイエローの浴衣だ。一歩間違えれば、派手すぎて目に痛くなってしまうその色合いを、上品な染色と柄のアクセントで見事にものにしている。
 るなの身につけているものは、流行り物ばかりに見えて、ときおりそうした職人仕事が混じっている。

「るなさんこそ、すごく、似合ってる」
「ありがと」

 るなは、当然、というようにうなずいてみせる。そんな仕草も、決めたメイクも、いつもと同じ彼女だ。るなにかかっては、軽やかな和装もいつものファッションの延長であるかのようだった。
 そろそろ賑わいの増してきた参道の方へと目配せをして、彼女は芙美を誘う。

「行こ」
「うん」

 うなずいて、とことこと芙美が駅舎のみじかい階段を下りて歩き出すと、るなは半歩遅れてついてくる。いつもだったら、彼女のほうが前に立って芙美を引っ張ってくれるはずなので、ちょっと途惑ってしまう。
 から、ころ、と、ふたり分の下駄の音が並んで、駅前の通りに線を引いていく。

 暗い街路に白いぼんぼりが立ち、ほのかな明かりで道行く人を導いている。時の流れに取り残されて、ふだんならみすぼらしく思える景色も、今このときは、どこか幻想的に芙美たちを包んでくれる。
 薄暗い脇道の奥で、何かが動くような気配さえ感じられる。

「……ねえ、るなさん」
「何?」
「どうして後ろにいるの?」

 振り返って、芙美は訊ねた。
 芙美が不安になるのは、たぶん、その立ち位置のせいでもあった。

 もう何年も、彼女は誰かの後ろにいるのに慣れていた。たいていは、前にいるのは内藤叶音だったけれど、近頃は、西園寺るなであることも多い。いずれにせよ、自分より大きな誰かが前にいてくれて、その道筋を安心してたどるのが、いつもの芙美の態度だった。
 なのに、今日はなぜか、るなは芙美の後ろからついてきている。芙美の両肩に、彼女の目に見えない気配がのしかかってくる。

「……そのほうがいいかと思って」
「どうして」
「私のほうが、背、高いしさ。芙美さんが前にいたほうが、よく見えるかな、と」

 とん、と、るなは、芙美の両肩に手を乗せてきた。そして、子どもを促すみたいに、肩を押して前を向かせる。

「ほら」

 神社の境内から、真っ赤な光が炎のように立ちのぼっている。
 甲高い笛の音と、軽快な太鼓のリズムが絡み合って、心の浮き立つようなお囃子が鳴り響く。そのリズムに乗せられたように、人々の足取りもどこか音楽的だ。色とりどりの浴衣が夜道のあちこちに浮かび上がって、すでに踊り出しているみたいに、左右に揺れながら進んでいる。
 芙美の全身を、音楽が包んでいるみたいだった。

 両肩に伝わるるなの手のひらの脈動も、同じ音楽を奏でている。

「行こう」
「……うん」

 うなずく芙美の肩を、るなが、とん、と押した。
 夜の中に飛び込んで行くみたいに、芙美は、足を踏み出す。下駄の音が、初めは高く、それからすこしずつ安定して、しだいに早く。
 ひとつひとつの音が刻まれるたび、芙美の鼓動までも高められていく。

 縁日のにおいが漂いだしている。焼ける粉と、焦げた砂糖と、人いきれ。
 つかのま子供に帰ったような気持ちで、芙美は、夜道を走る。

「……早い早い!」

 半笑いのるなの声。

「あ、ごめん!」

 とっさに立ち止まって振り返ろうとして、下駄がつまずいた。芙美はちょっとよろけて、膝をつきそうになる。
 その腕を、るなの右手が支えた。

「大丈夫?」
「うん、平気」

 足は別に痛くはない。しかし芙美自身の気持ちには、なんだか余分なとげが刺さったみたいに思えた。うっかり調子に乗って、いきなりはしゃぎすぎてしまった。まだ参道にもたどり着いていないというのに。

「……馬鹿みたいだ、私」
「そんなことないよ。お祭りだもん、年に一度の」

 あっさりしたるなの言葉に、ふと、胸がしめつけられる思いだった。忘れているつもりでいた、そして今日一日ですっかり忘れ去れるはずだった記憶が、その痛みと共に、這いだしてくる。

「私にとっては、2年分のお祭り」

「……そうなの?」
「去年は、叶音(かのん)さんにすっぽかされて……ううん、違う。いっしょに行くつもりで、でも、約束も何もしてなくって、で、叶音さんは薫子さんといっしょで」
「はあん。罪作りだね、叶音さんも」

 苦笑気味のるなの言葉に、芙美は首を振る。

「叶音さんは悪くないよ。私が思いこんでたから」
「でも、思いこんでるの、叶音さんだって察してたはずでしょう? あの子がそんなに鈍いわけないもの」
「……かも」
「一言もいわないのは、向こうにも責任あるって。芙美さんだけが背負い込まなくてもいいよ」

「……るなさんは優しいなあ」

「た、ただ当然のことをいっただけだって! そんな顔しない!」

 急に狼狽しだしたるなが、芙美の顔に両手を押しつけてくる。そうされて、どうやら自分が、笑っていたらしいことに気づいた。るなの手のひらの中で、芙美のほっぺたは、あたたかく、すこしやわらかく、ひんやりした夜風から守られていた。
 しばらくそうしていてほしくて、けれど、それと同時に、お祭りの音色に芙美は誘惑されている。2年分、いや、それ以上の楽しみが、この先に控えているはずなのだった。

「ありがと、るなさん。行こう」
「ん」

 ひょい、と身を翻して、芙美は両足で地面を踏みしめ、下駄を鳴らして歩き出す。
 と、後ろからついてくる気配がない。

「るなさん?」

 振り返ると、るなは、道の真ん中でぼうっと突っ立っていた。彼女の左右を、水風船をばしゃばしゃやりながら子どもたちが駆け抜けていく。ちいさくカラフルな浴衣姿が、るなの周りで、熱帯魚みたいに踊っていた。

「るなさん、どうしたの?」
「……芙美さんが話してくれたから、私も、ひとつ、話す」

 神妙な声の響きに、芙美はふと、心の奥が寒くなるような気がした。
 駅舎から届く淡い光を背にして、るなの目つきは険しく据わっている。

「何それ。恐いやつ? 悲しいやつ?」
「今日、私が、芙美さんの後ろにいるわけ」

 恐いやつのような気がしてきて、いよいよ芙美は全身が冷えてくる気がして、両手で自分の体を抱く。浴衣の薄い布地の奥で、頼りない体が震えている。

 るなは、頬を包み込むように、右手を当てた。マスカラで彩られた目が、すこし、斜め下に落ちる。
 宵闇の中でよく見えないけれど、なんだか、その肌が、ひどく朱を帯びているように見えた。

「……芙美さんの後ろ姿。すごく……」
「すごく……?」

「すごく、いつもより……その、腰のあたりが」

 るなの左手が、そっと、自分の腰のうしろのゆたかな膨らみをさすった。
 芙美は一瞬、立ち尽くす。それから、頭の奥底に、爆発するみたいに血流が上っていく。

 そんなこと、るなにいわれるなんて、思ってもみなかった。いや、この世のほかの誰も、自分にそんなことを告げるはずはない、と思っていた。
 想像だにしないことば、想像だにしない視線が、今宵の芙美に投げかけられる。
 それから身を守るには、この浴衣は薄すぎる。帯だって、ちゃんと締めたはずなのに、ほんのすこしの力加減で、まるで時代劇みたいにほどけてしまうような気がした。

 無防備な芙美の心の底の底、すっかり沸騰してしまった部分に、るながとどめの一言をくれた。

「……ずっと見てたかった」
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