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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第114話「プライベートでの過剰な接触は倫理的に問題がありますよ」

「行きますよ、お祭り」
「そうなの?」

 意外と素直に初野(はつの)千鳥(ちどり)が答えてきたので、逆に内海(うつみ)弥生(やよい)は驚きの声を上げてしまった。
 特に何をするでもなく、弥生の部屋でだらけていた夕方のこと。そういえば、お祭りは今週末だった、と思い出して、試しに訊いてみた結果が、その予想外の返答だった。
 千鳥はクッションの上で、体を左右にゆらゆらさせている。ゆるやかに波打つ髪が、屋台の上の提灯みたいに揺れる。

「そんなに変でしょうか」
「何となく、人混みとか苦手なイメージだった。あんまりゴミゴミしたとこ、歩きたがらないでしょ?」

 夏休みに入ってからも、ときおり弥生は千鳥と会って、あちこち遊びに行っている。そのときに、千鳥のことを観察していて気づいたのは、彼女が自分の歩調を乱されるのをあまり好まないことだ。
 弥生といっしょにいるぶんには、彼女にペースを合わせてくれる。でも、赤の他人に道をふさがれたり、強引に交差点に進入する自動車に横断を妨げられたりすると、千鳥はすごく不愉快そうな顔をするのだ。外見上はあまり変わらないけれど、弥生には、そんな彼女の表情もよくわかる。

 だから、人混みで騒がしいお祭りなどは、千鳥の大の苦手のはずなのだ。

「お祭りならまた話は別ですよ」

 素っ気なくいって、千鳥はテーブルの上のポットから麦茶をくんで、のどを潤す。

「やたらに濃い味付けの粉物とか、私、けっこう好きですし」
「けっこうカロリー高いもの食べたがるよね、千鳥さん」
「カロリーは身体の活力です。食べたぶん、より遠くまで歩けますから」
「……そりゃ、太る心配なんかしないよね」

 きっと彼女の中には、弥生とは出来の違うカロリー消費システムが完成しているのだろう。それは、何年もかけて構築された、人体の神秘だ。
 弥生には、そういうカロリー消費はあまり縁がない。いま目の前にあるプチシューの残りにも、手を出していいものかどうか迷ってしまう。

 そんな弥生の逡巡など知らぬげに、千鳥はプチシューを口に放り込んで、あっさり飲み込む。

「あ~……」
「食べたかったなら、そういってください。でなければ早い者勝ちですよ」
「迷ってたの。乙女心は複雑なの」

 憤懣やるかたない弥生は、その怒りを千鳥の横腹にぶつけた。カッターシャツの裾に右手を滑り込ませ、ぐっ、と脇腹をつかむ。

「うわ、腹筋固い」
「やめてください」

 千鳥はあくまで冷静な顔で、弥生の右手を引きはがす。腕力でも千鳥のほうがはるかに強いので、弥生の手はすげなく振り払われてしまう。弥生は恨みがましく、千鳥の顔をじっと睨む。

 弥生を見つめる千鳥の顔が、うっすら、赤くなっていた。

「……なんてことするんですか。いくら仲良くなったからって、限度がありますよ」
「えー、ちょっと触っただけじゃない。体育のときとか、けっこう密着したりするでしょ?」
「それとこれとは別です。プライベートでの過剰な接触は倫理的に問題がありますよ」

「千鳥さん、堅いなあ」
「弥生さんがそこまでいい加減だとは思いませんでした」
「そうだよ、私はアバウトなの」

 意外な千鳥の弱点を見つけた気分で、面白くなった弥生は、膝で千鳥のほうににじり寄っていく。逃げようとする千鳥に、倒れ込むように飛びかかる。

「えい」
「ちょ」

 弥生は千鳥の肩にのしかかり、そのまま額を彼女のうなじにくっつけた。両腕を、背中と胸を挟み込むようにぐっと伸ばして、千鳥の体を抱える。
 ぎゅっ、と抱きしめると、千鳥の体が凍りついた。

「うん、堅いけど、あったかいね」

 ふわふわの髪の奥から、シャンプーの香料と入り混じった汗のにおいがした。おでこを肌に密着させると、頭の奥に、千鳥の鼓動が伝わってくるように思える。両腕の中で、千鳥は、ゆっくりと呼吸している。
 千鳥のちいさな目は、弥生のほうを見ずに、ただじっと部屋の隅っこの薄暗い陰を見つめているみたいだった。

 ぎゅっ、と口をつぐんだまま、千鳥は身じろぎひとつしない。
 弥生はそんな彼女に、いっそうもたれかかる。おでこが肩の上を滑って、襟をすこしだけ引きずり下ろす。ちらりとのぞいた千鳥の鎖骨は、目を見張るほど細くて、彫刻みたいにきれいな弧を描いている。
 しだいに、しがみつくように、弥生は腕にこめる力を強めていく。
 純白のカッターシャツのボタンが引っ張られて、いまにもちぎれてしまいそうだった。襟元がだんだん開かれて、鎖骨の奥、素肌が次第に露わになっていく。
 下着のストラップが見えてしまう、ぎりぎりの瞬間。

「いい加減にしてください」

 とうとう、堪忍袋の緒が切れた千鳥が、弥生の体を強引に引っぺがした。勢いで、弥生はころりと後ろに転ぶ。

「きゃん」

 うっかりかわいい悲鳴を上げてしまった。床に仰向けに寝そべりつつ、弥生は恨みがましく、千鳥を見上げる。

 ずっと冷静で無表情の千鳥が、顔を真っ赤にして、かすかに唇を開けて、目をそらしていた。斜め下、何もない床をじっと凝視するようにしながら、彼女は自分の体をきつく自分の腕で抱きしめ、細く、熱っぽい息を吐いていた。
 ふだんは人に見せることのないであろう、白く透明な肩の肌が、緊張に満ちて突っ張っている。

 いつまでも、千鳥は、こちらを見ない。
 ぽつりと、つぶやいた。

「……ほんとう、どうしていいか、わからないんですから。慎んでください」

「……うん。ちょっとはしゃぎすぎたね」

 身を起こしながら、弥生は、自分では落ち着いていたつもりの、しかしちょっと震える声でいった。

 どうしていいかわからなかったのは、弥生もおなじだった。近づけすぎた距離を、うまく元に戻すための時間が、自分でもうまくコントロールできない。
 エアコンの風の音が、天井のほうでいつまでも、うるさく聞こえる。

 腕の中にずっと残る千鳥の固さが、まるで、大切にしてきたセルロイドの人形みたいに愛おしかった。

 千鳥は、ちょっと肩をすくめるようにして、シャツの乱れを直した。襟を指でつまんで、かるく、しわを伸ばす。
 それから、ようやく弥生のほうを振り返った。そのときにはもう、いつものポーカーフェイスだ。

「プチシュー、食べます? 私はもう、おなかいっぱいですから」
「うーん……私ももういいや。なんだか、そんな気分じゃなくなっちゃった」
「お祭りでは、いっぱい食べましょうね。屋台を食い尽くすくらいの勢いで」
「それはそれで、あとが恐いなあ」
「お祭りは別腹ですよ、きっと」

 いたずらっぽく、千鳥は笑った。
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