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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第107話「夢でも見たのかな。自宅にいる気分だった」

 小田切(おだぎり)(あい)のほっぺたが、肩に触れている。息をするたびに、まるで犬が飼い主になつくみたいに、顔をすり寄せてくる。目を閉じて、うたた寝してしまった彼女は、無防備に薄く唇を開けている。

 どうしていいのかわからなくて、(なつめ)沙智(さち)は正座したまま凍りついていた。
 吐息の音がかすかに聞こえて、体温が沙智の首筋からうなじにかけて、ゆるやかに伝わってくる。さらさらの髪の毛先が、沙智を玩ぶように鎖骨のあたりをくすぐる。
 力が抜けた愛の体は、沙智の肩の上に、そっとのしかかる。
 その重さと、温度と、服の上からでも明瞭に感じられる愛の体の芯の感覚が、沙智の思考を狂わせている。

 夏休みのある日だった。特に何がしたい、というわけでもなく、単なる気まぐれで、愛が沙智の家に遊びに来たのだ。
 おやつを買って、マンガを読んで、愛が映画を見たいというので、タブレットを液晶モニタに繋いで動画サイトで適当に、退屈しなさそうな派手なアクション映画を選んだ。
 結果、ポテトチップを食べかけたまま、愛はあっさりと眠りに落ちてしまったのだった。
 映画は中だるみして、思ったよりつまらなかった。愛のことだから、夜更かしで生活リズムが狂っていたのかもしれない。
 いずれにしても、彼女たちしかいない沙智の家の中で、愛は無防備な姿をさらしている。

 どうとでもできるから、どうしようもない。
 沙智は、愛の寝顔を見つめて、このまま永遠に時間が過ぎ去ってしまいそうな予感に囚われる。液晶モニタの中で、車が爆発して道路上が大惨事になっていたが、その轟音はまさに遠い世界の出来事みたいで、いっそう彼女たちの間に漂う沈黙を強調していた。赤い炎の色の中にうっすらと、自分の顔が映り込んだ気がして、その顔がひどく引きつっていたように錯覚する。

 こくん、と、愛の頭が、うなずくように揺れる。いくぶんかたむいた頭が、そのまま、転がり落ちてしまいそうだ。
 はっとして、右手で頭を支える。愛のこめかみを、右の手のひらで受け止めて、沙智の体の中の機械がどんどん歯車を狂わせていくのがわかる。
 シャツの上から、胸の奥に、かすかな息が触れる。頭の温度が数度跳ね上がって、ブレーカーがはじけ飛びそうになる。

「……んー……」

 吐息の奥から声がこぼれて、愛が目を開けた。

「……あれ、寝ちゃってた? 何秒?」
「分単位ではあったと思うけど」
「起こしてよ……映画、どうなった?」
「車で逃げて、あと、爆発した」
「雑な説明……」

 ぼやきながら、愛は身を起こした。ふわり、と、愛のシャンプーのにおいが鼻先をかすめ、思わず沙智は右手で空中をつかんでしまう。指先が、むなしく宙をおどった。

「うーん」

 愛は二の腕で口元をかるくこすって、液晶モニタに向き直り、しかしすぐに首をかしげた。

「途中がわかんないとつまんないかな。どうしよう、巻き戻す?」
「……私はどっちでも」
「じゃあやめようか。つけてても電波もったいないし」

 愛の指がタブレットをなぞると、液晶画面が遷移して、壁紙とアイコンが表示される。ディスプレイの電源を落として、暗い画面に、うっすらとふたりの顔が映った。

 何か、ひどくもったいないことをした気分だった。

「ポテチ食べる?」

 ゆらゆらとさまよう手を袋に伸ばし、沙智は愛に訊ねる。

「ん」
「はい」

 沙智の差し出した、手のひらよりずっとちいさなポテトチップを、愛は右手でつまんで受け取る。ぱりん、と、真ん中で割れたポテトチップの片方を、愛は無造作に口に放り込んだ。
 咀嚼の様をずっと見ていたかったけれど、それはあまりにぶしつけに思えて、目をそらす。自分の手元に残った半分だけのポテトチップを、代わりみたいに食べた。

 目を戻すと、愛は、またうつらうつらと舟をこぎ始めている。

「……そんなに退屈?」

 ぽつり、と沙智がつぶやくと、愛は細く目を開けた。三日月ほどの薄い視線が、沙智を見やる。

「何かいった?」
「ううん」
「そう……」

 塩のかけらをちょっと舌で舐めとって、愛はそのまま力を抜く。今度は、沙智の反対側に重力を見いだしたように、彼女から遠ざかるほうへかたむいていく。
 むりやり引き寄せて、抱き留めてしまいたかった。
 そうしたら、愛のとぼけた顔がどんなふうに変貌するのか、知りたかった。

 ぬくぬくと眠りに落ちる愛のそばで、沙智ばかりが嵐に翻弄されている。
 そんなのは、不公平だ。

 横座りの愛の脚が、沙智の膝に触れる。
 白いキャミソールの裾が指一本分ほどだけ捲れている。
 そんなに弾力のない胸が呼吸で上下している。
 うなじが白い。
 頬が赤い。
 閉じたまぶたから、細い螺鈿細工のようなまつげ。

 沙智は、無意識に愛の肩に手を伸ばした。
 触れたとたんに、彼女の細い体ががくんと揺れた。

「ふあ」

 間抜けな声。それを聞いただけで、沙智の全身から力が抜ける。
 目をごしごしとこすった愛は、眉をひそめて見上げる。

「寝かせてよう……ってあれ、沙智さん?」
「記憶喪失なの?」
「ん……いや、なんか、夢でも見たのかな。自宅にいる気分だった」

 そういって、愛は無邪気に笑うのだ。

「沙智さんの部屋、なんか、安心しちゃうんだよね」
「……そう」

「沙智さんの家の子になっちゃおうかなあ」

 そのひとことに、いかなる含みがあるのか、沙智にはわからない。
 近しくなればなるほど、愛の本音がわからなくなる気がする。
 つきあい始めた瞬間には、たしかに、彼女の心がぜんぶ見通せていたはずなのに。

「それは、私の一存では決められないよ」

 沙智はそういって、愛の微笑みをはぐらかした。愛は残念そうに、顔をしかめる。

「つまんないな。よく眠れそうだったのに」
「人の部屋を寝床扱いしないでよ」

 そばにいる間は、起きて、目を開けて、できれば自分を見つめて欲しい。
 そんなわがままを、沙智は、のどの奥で押し殺した。
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