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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第106話「無意識に人を惑わせてるような感じはあるよね」

「勘違いなんじゃないの? それか、穂波(ほなみ)さんがすっかり欺されてるか」

 グラウンドからも校舎からもほどよく離れ、プールの水のにおいがかすかに漂ってくる芝生に、木曽(きそ)穂波と飯塚(いいづか)流季(るき)はふたりで腰を下ろしている。ペットボトルから水をがぶ飲みしつつ、流季は穂波を横目に見ていた。

「そうなのかなあ」

 水筒からコップについだ麦茶を口にして、穂波はなんだかあやふやな声でつぶやく。自分の気持ちも、人の気持ちも、うまく掴み切れていなくて、だからどんな声を出せばいいのかもわからず、体ごと左右にぶれている気がする。手の中で、麦茶の水面がちゃぷちゃぷと揺れている。
 危うい自分を抑えこもうとするように、穂波は、三角座りした膝の間に体を押し込む。

満流(みちる)さんって、なんか、浮き名を流しがちというか、噂をいろいろ聞くじゃない?」
「でも」

 流季のいうことは事実だ。演劇部でも、それ以外でも、山下(やました)満流を取り巻く人間関係は、さまざまな類いの風説にまみれている。それも、女子校特有の色恋を交えた言葉が大半だ。
 そういうのがデタラメばかりだというのは、穂波にもわかっている。実物の満流は、どこか淡々として、色恋にも興味が薄く、ふいにいなくなってしまいそうな危うげさを漂わせた少女だ。

 けれど、そういう全部が、演技であるようにも思える子でもある。

「満流さんがわざとやってるとは、私も思わないけどさ」

 ペットボトルの底を首筋に当てて、流季はいう。

「なんだか、無意識に人を惑わせてるような感じはあるよね。だから、勘違いした噂が流れちゃう」
「……わかる」
「だからさ。すこし頭を冷やしたほうがいいかもよ、穂波さんのほうも」

 その通りかもしれない、と思いながら、それも安易に流されている気がして、穂波はすこし自己嫌悪に陥りそうになる。麦茶の波の中に、不安げな自分の顔を見出しながら、穂波は吐息をこぼす。

 そもそも、流季にこんなことを相談するの自体、自分の弱さの証のような気がする。

 ふたりで旅行に出かけよう、と満流に誘われて以来、穂波はずっと頭を抱えていた。うなずいて、予定を決めたはいいけれど、その日が近づいてくるたびに心が重たくなったり舞い上がったりして、ずっと不安定だった。
 宿題を済ませたり、旅支度を進めたり、そんな用意はちゃんと進めていたけれど、心ばかりはどうにもならないでいた。

 そして出発日が近づいて、とうとう、穂波は誰かに話を聞いてもらう決断をした。相手が飯塚流季だったのは、たまたま部活の練習日が重なったというだけでなく、彼女が物事から一歩引いた判断のできる子だと思ったからだ。

 流季はペットボトルで首筋を冷やしながら、グラウンドのほうを眺めていた。陸上部もフットサル部も休憩時間で、生徒たちは日陰に散らばって、寝そべったり喋ったりしている。グラウンドの白い砂を真夏の日差しが焼いている様は、アフリカの砂漠を思わせる。
 こうして、芝生の草いきれに包まれていると、あんな荒涼とした空間を走り回っていたのが信じられなくなる。

「……ぬるくなっちゃった」

 ぽつりと流季がつぶやく。彼女の汗と結露で濡れたペットボトルの中で、半分だけのミネラルウォーターが波打っている。

「麦茶飲む? まだたくさんあるから」

 そういって穂波はコップに麦茶をそそぎ、流季にさしだす。彼女はちょこんと頭を下げてコップを受け取り、いっぺんに飲み干した。
 それから、空にしたコップをじっと見つめる。

「どうかした?」
「ううん。ただ、これ、穂波さんが口をつけたコップだったよな、って思って」
「……いやだった?」
「あー、ごめん、そういう意味じゃない。このくらい、部活じゃ当たり前だから」

 流季はすまなそうにいって、コップを穂波に返してきた。空っぽになったコップの縁で、ふたりの指がつかのま触れる。熱された彼女たちの体にあって、指の関節はやけに固く冷えて、無骨な感触だった。

「ただまあ、こういうの、雰囲気とか気の持ちようだよね。間接キスになるかどうか」
「……そうかもね」

 流季のいうとおり、相手のことをただの友達と思っているのなら、そんな接触も別に気にならない。穂波自身、同じ部活の同輩となら、いくらでもペットボトルや麦茶をやり取りするだろう。
 過剰に意識してしまうのは、相手を特別に思っているせいだ。

「じゃあ、私、満流さんをそんなに特別に思ってる、ってことかな」

「何でもない相手とのお泊まり旅行で、そんなに悩んだり心配したりはしないよ」

 ほおをゆるめていう流季の声音は、穂波の心をさっと洗い流すようにすがすがしい。重たくわだかまっていた気持ちが、いくぶん晴れたように思った。

 けれど、逆にその自覚は、別の難題を呼び起こす。
 穂波は三角座りの膝の間にあごを乗せて、芝生の縁の暗い陰に向けるようにつぶやく。

「……そしたら、私、満流さんにどんな顔して会えばいいんだろ」

 一度、自分の心に気づいてしまえば、もう昔の自分には戻れない。
 だからといって、ほんのひとときで様変わりした自分は、満流にどう見られるのかわからない。

「どんなでもいいじゃん」

 あっけらかんと、流季は穂波の悩みを笑い飛ばした。

「器用な立ち回りとか、秘密めいた物腰とか、穂波さんには向いてないよ。そのままでいいって」
「気楽にいうけど……そのまま、っていわれて、そのままでいるのは難しいよ」

 ありのまま、を意識した瞬間に、それは元の自分ではなくなってしまう気がする。フォームを意識したとたんに、いつものように脚が出せなくなって記録が逆に悪くなる、なんてことは、穂波も何度も経験している。
 バーの落ちる音、失望の目。その薄暗い記憶が、満流の表情と重なり合って、穂波を不安にさせる。

「……えい」

 ふいに、流季にペットボトルで額をつつかれた。痛くはなかったけれど、びっくりした。

「な、何?」
「穂波さんのそういう、ナイーブなとこ、私は好きだよ」

 にっこりと笑った流季が、穂波のほうに、顔をちょっと寄せてくる。
 彼女の髪と肌から、汗の匂いが漂う。熱と気配がいっぺんに押し寄せてくるようで、穂波は思わず身をすくめた。

 こつん、と、流季の額がペットボトルのふたに当たる。実はあんまり視力がよくないのだという彼女の、わずかに眉間にしわを寄せた顔が、穂波の目からほんの数十センチ先にある。
 機械のような音を立て、流季の瞳孔がわずかにすぼめられたように感じた。
 見つめていると、吸い込まれそうな、薄い色の瞳。

「だから、そんなに思い詰めなくてもいいんじゃないかな」

 流季は穂波から顔を離して、にっこり笑った。

「あたふたしたり、混乱したり、迷ったり、そういう穂波さんでいればいいんだって思う」

 いい残し、流季はぬるくなったペットボトルのふたを開けて、頭からかぶった。熱の残る体操服と肌から、一瞬、湯気が立ちのぼったみたいに見えた。つかのま、彼女の背後に見えるプールの景色が揺らいでいた。

「よ、よし、休憩終わり!」

 声を張り上げると、流季は芝を蹴って、ほかの誰より早くグラウンドに駆けだしていく。
 穂波はぽかんと、それを眺めて、首をかしげているばかりだった。
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