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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第105話「ペースを乱されるくらいなら、人をつきあわせはしません」

 いっしょに歩きたい、といわれて、初野(はつの)千鳥(ちどり)は、梅宮(うめみや)美礼(みれい)の顔をまじまじと見つめ返した。

「取材か何かですか?」
「どちらかというとロケハンかな。いい風景、千鳥さんなら知ってるかと思って」
「美礼さんのご期待に添えるかどうか、自信がないのですが」
「それはこっちが決める。ハズレでも文句いわないから」

 正直、千鳥は彼女の言葉を疑わしく思う。腹芸のできる人だとは思わないが、気まぐれで前言を翻す可能性は高い。文句をいわれること自体も不愉快だし、約束を破ったのを責めることも億劫だ。
 まだ日も高くない午前9時の住宅街には、子どもたちのはしゃぎ声がする。ふたりの平板な声音は、彼らの声の下に潜り込むように、ひそやかに往復する。

「たぶん、私のほうがずっと歩くのは早いです。追いつけないのでは?」
「加減してくれないの?」
「ペースを乱されるくらいなら、人をつきあわせはしません」
弥生(やよい)さんのことも、そういうふうに突っぱねるわけ?」
「彼女の話は関係ないでしょう、いま」

 そこで内海(うつみ)弥生の名前を出して攪乱してくるとは、美礼は思ったより意地が悪い。そうなると、千鳥のほうも甘い顔をする理由はない。

「端的に申し上げますが、邪魔くさいです」
「おおう」

 つぶやくなり、美礼は手元のタブレットを器用にくるりと反転させ、その画面にペンをすべらせ始めた。会話そっちのけで、スケッチを始めたらしい。
 それを、要求を取り下げた合図だと判断し、千鳥は背を向ける。

「待ってよ、もう10秒」
「……私なんてモチーフにはならないでしょう」
「なるよ、なる」

 美礼の言葉を受け、千鳥は立ち止まって、踵で地面を規則正しく叩き始める。
 足で10秒を計測し終えると、千鳥は今度こそ去ってしまおう、と足を踏み出しかけて、やめる。

 好奇心が彼女の背中を押す。それに逆らえた試しはないし、逆らわないから千鳥は千鳥でいられる。
 だから千鳥は、遠慮も何もなく、美礼の頭の上からタブレットの画面をのぞき込んだ。

「……抽象画じゃないですか」

 さすがの千鳥も、ちょっと眉をひそめてしまった。タブレットに描かれていたのは、人間どころか自然界にさえ見当たらないような、矩形と円の組み合わせだ。線画であることを差し引いても、とうてい、自分自身の姿には見えなかった。

「私がいる必要はあったんですか?」
「当然よ。インスピレーションのきっかけだもの」

 得々とした様子でうなずき、美礼はタブレットの隅のアイコンをつついた。彩色ツールが作動して、無数の色のカラーパレットが開く。

「……やめとこ。塗ったら別のものになっちゃう」

 つぶやいて、美礼はウインドウを閉じた。そんな彼女の仕草のひとつひとつ、行動の一部始終が、千鳥の感覚ではうまく測れない感じがあって、千鳥はなんだか、背筋がむずがゆくなる。

「完成させないんですか?」
「これで出来上がり、にしとく」
「しとくんですか」
「自分で定義すればいいんだよ、それは」

 要するに、自分勝手なのだな、と千鳥は美礼のことを解釈した。そういうふうに、自分で何事も決めてしまわなければ、創作物を手がけるなんて務まらないのかもしれない。
 創造性のある物事の苦手な千鳥には、ぴんとこない。授業で絵を描くのでさえ、満足にできたことがなかった。
 美礼の行動と思考は、千鳥の解釈とは合わないのかもしれない。

「……好きに作ればいいのなら、やっぱり、モチーフなんて必要ないのでは?」
「違うんだよ。心に何かが浮かぶ取っかかりとか、いろいろあるの」
「よくわかりません」

 端的に言い切った。この調子で会話をしていても、どこにも着地点を見いだせそうになかった。行き先のわからない放浪は嫌いではないが、それは帰る場所があってのことだ。
 何もわからない暗闇を、手探りだけでさまようのは、好みではない。

「やっぱりもう行きます」
「ほんとに?」
「描きたいなら、私の後ろ姿でも描いててください」
「ちょっとぐらい、ついてってもいいでしょう?」
「好きにしてくださいよ。ペースは合わせませんから」

 千鳥はそう言い切って、いい加減、吹っ切るように歩き出す。アスファルトの固さが靴の裏から足を叩きつけてくるようで、自分の足音がやけに大きく聞こえる。
 街並みを、南の方へと歩み抜けていく。南側の青空の低いあたりを、暗い色の高架線が区切っていて、それがまるで遮断機のように心にのしかかる。電車の苦手さは、まだなかなか克服できていない。

 後ろから、よたよたとした足音がついてくる。どうやら、意地でもついてくるつもりらしかったが、その歩調は危なっかしく、左右にふらふらと動いて、そそっかしい子どもみたいだ。
 千鳥の歩調に必死に合わせようとしているのは、足音だけでも伝わってくる。最初はあくまで徒歩、それが早足になって、立ち止まったと思ったら駆け足になって。

 そして転んだ。

「あいたっ」
「……何やってるんですか」

 嘆息して、千鳥は振り返った。美礼の手を離れたタブレットが、画面を上にしてくるくると、水面の上を跳ねる石みたいにすべって、電信柱のそばで止まった。
 つまずいた美礼は、アスファルトに膝をついて、涙を堪えるみたいな顔をしていた。あごの先に、しわが寄っている。
 千鳥は、つい、罪悪感を覚える。そんな筋合いはないはずなのに。

 学校ではマイペースで、天才として扱われて、その名声に乗っかるように飄々と過ごしている、梅宮美礼。
 そんな彼女が、つまずいて転んでべそをかいている姿が、なぜだか千鳥の心をくすぐった。

 タブレットに歩み寄って、拾い上げる。画面上には、さっきとは別の絵が表示されていた。歩きながら描いたのだろうか。
 千鳥は眉をひそめて、つかのま画面を見つめ、それからリュックサックに手をやる。いつも背負っているカバンのジッパーの位置は、見なくても覚えている。サイドのちいさなジッパーの奥から、角のすこし曲がった絆創膏の箱を取り出した。

 タブレットといっしょに、絆創膏を1枚つけて、美礼に差し出す。

「歩きながら絵を描くの、危ないですよ」
「つい、ね」

 美礼は苦笑しつつ、膝を払って、絆創膏を膝に貼った。手の中に残った包み紙を、彼女はじっと見つめる。

「何か、珍しいことでも?」

 首をかしげて千鳥は問う。ドラッグストアで買った市販の絆創膏、たいして貴重なものでもないはずだ。なのに、美礼はそこから目を離さない。
 千鳥の声も聞こえた様子はなくて、彼女は表情さえ微動だにさせず、身じろぎもしなかった。
 彼女の透明な視線は、千鳥を見つめるのとおなじ、冷え冷えとした強さを孕んでいる。

 美礼にとって、包み紙も、人間も、おなじなのかもしれない。

 新しいモチーフを見つけたのなら、もう千鳥は必要ないだろう。

「失礼しますね」

 深く頭を下げ、千鳥はふたたび歩き出す。美礼は顔を上げなかった。
 高架を駆け抜ける電車の走行音が、鈍く、かすかに、あたりの空気を震わせる。千鳥の足音は、その低い響きにかき消される。そうしていると、歩いている自分も、ぼんやりと溶けていくような気分になる。

 あの絆創膏から、美礼は何を描くのだろう。
 千鳥についてくるより、ずっと大切なことを、彼女は見るのだろうか。

 休みの間に、一度くらい、美礼に声をかけてみてもいいかもしれない、と、千鳥はぼんやりと思う。
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