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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第103話「颯爽としてるくせに足が遅すぎるって」

 近衛(このえ)薫子(かおるこ)が窓の外に出ると、日射しはすでに真昼の高さで、ベランダにかんかんと照りつけてくる。圧力すら感じさせるその日光を、薫子は両腕を広げて堪能しつつ、胸一杯に空気を吸い込んだ。

「暑くありません……?」

 部屋の中から、香西(こうざい)(れん)が声をかけてくる。薫子は、ベランダの手すりに背中を預けながら振り返る。
 恋はノートと筆記用具の散乱したテーブルに突っ伏すようにして、顔だけ上げて、薫子の方を見ていた。まだお昼にもなっていないというのに、すでに1日分の体力と知性を使い切ってしまったみたいなだらけぶりだ。

「冷房の効いた部屋にずっといるの、苦手なのよ。すぐに指先が冷えてしまって」
「血行が良くないのでは? 意外です、薫子さん、活発そうなのに」
「ぜんぜんよ。ちいさなころは、わりと部屋にこもりきりだったし」

 蝶よ花よ、という言葉を地で行くような育ちで、お稽古事も室内で座ってできるものばかりだった。たぶん薫子の体の血管は、そんな常温の静かな環境に適応している。こんな暑い日には、とうてい耐えられない。
 でも、だからこそ、薫子はなるべく真夏の熱を感じていたいように思った。すくなくとも、頭を使わなくてすむ休憩時間のうちは。

「前も叶音(かのん)さんにからかわれたわ。颯爽としてるくせに足が遅すぎるって」
「叶音さんらしいですね」

 机にあごを載せたまま、恋が口だけ動かしてにんまりと笑みを作る。

「恋さんこそ、もうそんなに疲れてるの? 運動神経いいのに、体力はないのね」
「頭を使いすぎるとすぐダメになるんですよ……カロリー消費が激しすぎるんです」
「しょうがないわねえ。恋さんが言い出したのに」
「ひとりじゃ保たないから皆さんを誘ったんですよ」

 今日は、なじみの面々で恋の家に集まっての勉強会だった。
 夏休みもあっという間に4分の1近くが経過して、8月に突入しつつある。長い休みに体が慣れて、気の抜けてくる時期ともいえた。
 このあたりで気合いを入れ直して、宿題をきっちり済ませて休みを堪能しよう、というのが、恋の告げた提案だった。薫子としても、それに否やはなかった。

 言い出しっぺの恋の家に、薫子や(りつ)美礼(みれい)が朝から集まり、得意分野を教え合いながら課題を進めていった。そしていまは小休止の時間、じゃんけんで負けた律と美礼が近くの店まで飲み物の買い出しに向かったところだった。

「恋さん、こういうふうに人集めるの好きよね」

 いつまでも窓を開けていると、さすがに冷房の無駄遣いだ。薫子は部屋のほうに足を踏み出しつつ、もう一度だけ、熱をできるだけ吸収しようとするように両腕を大きく伸ばした。

「みんなが集まっているのを見るのが、わたしの幸せですから」

 恋の視線は、縦にピンと伸びた薫子のシャツの胸あたりに向けられている。不純、とまでいうと失礼なようだったが、糸のような目の奥には、静かであえかな喜びが浮かんでいた。薫子は腕をおろして、部屋に戻る。窓を閉めると、ひんやりした室内の空気のなかを、ごうごうと空調の音が響く。

「ほんとうなら、毎日でも、皆さんを家に呼びたいんですけど」
「……毎日勉強会じゃ、さすがに疲れてしまいそうだわ」

 元あったクッションに腰を下ろして薫子はつぶやく。腰の下で、薫子の体型に馴染んだ細長いクッションが、ふんわりと彼女の体を受け止める。

「名目は何でもいいんです。同じ部屋で、皆さんが、他愛のない話をしたり、黙っていっしょに本を読んでいたりするだけで、それで」

 つぶやきながら、恋の頭は、テーブルの上でころころと、起き上がりこぼしみたいに左右に転がる。前髪が、それに合わせて振り子のように揺れた。

「だけど、用事もなく人を呼ぶなんて、受け入れられませんから。皆さんも、ほかに会いたい方がいらっしゃるわけですし」

 薫子の脳裏に浮かぶのは、叶音のクールな面差しだった。夏休みに入ってから、一度だけいっしょにケーキを食べに行ったが、それだけだ。薫子のほうはそれで満足していたし、叶音も呼び出してきたりはしなかったから、それ以上求めることはしなかった。
 そんなことを恋にいったら、どんな顔をするだろう。

「でも、美礼さんや律さんなら、呼べば来てくれるんじゃないの?」
「どちらも自分の世界を持っているふたりですし。邪魔をするのは、それこそ失礼でしょう……結局、学校のようにありがたい場がない時期ですから、わがままはいえません」

 揺れていた恋の頭が、元の位置に戻り、彼女の唇がふてくされたようにとがる。天板の上で彼女の吐息がかすかに曇りを作った。

「学校がありがたいって、やっぱりおもしろいわよね、恋さん」

 からかうようにいう薫子だったが、恋の気持ちはわからないでもなかった。
 学校という引力があるからこそ、つながりの薄い人々が教室に集合し、思いも寄らない関係が生じる。いい関係も、よくない関係もあるかもしれないが、そこに存在するダイナミクスは特異で、興味深い。

 そういう唯一無二の力が失われるからこそ、夏休みには、何か違ったことが起こるのかもしれない。
 いや、それとも、学校から解き放たれたいまこそが正常で、少女たちの本性なのか。
 薫子の頭をよぎった益体もない問いには、たぶん正解はない。

「あと1ヶ月も学校がないなんて、憂鬱ですよ」
「たった1ヶ月よ、すぐだわ」
「それは、薫子さんはそうかもしれないですけど……」

 恋は体をもたげて、羨ましそうに恋の顔を見据える。

「また海外に行かれるんでしょう?」
「今年は北欧」

 8月に入ったら、家族で長期旅行、それから一度祖母の実家にも行くから、月の半分はこの街にいないことになる。そう考えると、ほんとうに、夏休みなんてあっという間だ。
 その短い休みを存分に楽しむため、というのが、薫子が恋の誘いに乗って勉強会にきた理由でもある。

「叶音さんにいったら、羨ましがるやら、怒るやら、よ。そんなに街を離れてたら、ちっとも会えない、って」
「また叶音さんの話ですね」
「……そうね」

 また、というほど話しているだろうか、と首をかしげる。今日は、まだそんなには話題にしていないつもりだった。

「勉強会、なんなら、叶音さんも呼べばよかったですか?」
「それもいいわね。でも、きっと勉強にならないわ……お菓子もたくさん持ってきちゃうだろうし」

 叶音が不真面目だとは思わないが、たぶん、彼女は人と集まるときに勉強を優先したりしないだろう。おやつや、メイクや、ネイルや、そんな話ばかりして、きっと場をぐだぐだにしてしまう。
 旅行から帰ってきたら、一度、叶音の課題もチェックしにいかないといけない。

「楽しそうですね、薫子さん」

 ぽつり、と恋がつぶやくのに、はっと薫子は顔を押さえた。

「失礼したわ……ふたりでいるのに、別の人のことばっかり考えてて」
「それ、恋人にいう台詞みたい」

 素知らぬ顔で、恋があっさりと告げるその言葉。
 薫子の頭の奥に、それが、すとんと、針のように突き刺さった。

 きょとんと固まる薫子の顔を眺めて、恋が、細い目をいっそう細める。両腕を天板の上に横たえて、その上にあごを乗せ、何か、満腹した小動物のような顔をしていた。

「大丈夫ですよ。わたしは、ここから先に近づいたりしません」
「……恋さん」
「ずっと遠巻きに見ているのが、わたしの役回りです」

 丸いあごの下で、ゆるやかに湾曲している恋の二の腕を、薫子はぼんやりと眺める。その柔らかそうな腕に触れてみたら、きっと、ゴム風船のように優しく受け止めてくれるだろう。
 けれど、薫子は、そこに触れたりしない。

「……ねえ、恋さん」
「何ですか?」
「たいせつなことはきっと、あなたの知らない場所で起きてしまうわ。それって、さびしくないの?」
「いいんですよ。想像する楽しみはありますもの」

 あっけらかんとした恋の答えに、薫子はそれ以上、何もいわずにおいた。
 玄関のチャイムが鳴る。美礼と律が帰ってきたようだった。
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