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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第102話「ぼうっとできるのが才能なら、いろいろ考えが浮かぶのも才能じゃないの?」

 待ち合わせに遅れる、という旨のメッセージがSNSに流れてきたのは、駅に着いてからだった。改札の前でスマートフォンを見つめながら、新城(あらしろ)芙美(ふみ)はかるく唇をゆがめた。プラットホームから出てくる人の流れの真ん中に棹さして、彼女はつかのま、改札口の奥を見やる。
 もちろん、突っ立っていたって、待ち人が来るわけではない。

 なんだか裸で立っているような気分で、芙美は自分の眉毛の上あたりをなぞる。しばらくさぼっていた眉を、久しぶりに今朝手入れしたのだ。そのせいか、額の下あたりが妙に落ち着かなかった。
 ほんの数ミリ、形を整えただけなのに、なんだか別人になったような気分だ。

「待ちぼうけ?」

 後ろから声をかけられたとき、一瞬、自分にいわれたのだと気づかなくて、芙美はうつむいて眉毛をなぞっていた。

「芙美さんってば」
「え?」

 名前を呼ばれて芙美が振り返ると、立っていたのは大垣(おおがき)風夏(ふうか)だった。シックで涼しげな装いをした彼女は、ちょこんと一歩こちらに歩み寄って、芙美を見つめる。

「ごきげんよう。今日のメイク、かわいいね」
「あ……ありがと」
「ちょっとその辺でお茶でもしない? あたしも待ち合わせなの。さっき、遅れるって連絡あって、暇になっちゃって」
「うん……」

 風夏の勢いに圧倒される思いで、芙美はうなずいてしまう。とはいえ、別に断る理由もなかった。その辺の柱の陰で、目当ての電車が来るまで佇んでいてもよかったけれど、もうすこし有意義な時間の使い方があることは、芙美にもわかっている。
 ほとんど話したことのない級友とお喋りすることだって、何もないよりはましだ。

 すたすた歩く風夏の後ろにくっついて、芙美は古風な店構えの喫茶店に足を踏み入れた。からんからん、と、乾いたベルが鳴る。薄暗い店内にはうっすらと煙草のにおいがして、芙美は眉間にしわを寄せる。
 愛想の悪い店主が水を乱暴にテーブルに置くと、波打って天板にこぼれた。メニューには、コーヒー豆の品種の名前ばかりがずらりと並んでいて、何が何だかわからなかったので、芙美はブレンドのアイスコーヒーを頼んだ。
 店主が去ると、芙美は顔をしかめつつ、コップのそばをナプキンで拭く。きれいになったテーブルに、彼女はスマートフォンを置いた。

「近くの人の散歩コースって感じだね。ほら、奥の席、すごいよ」

 小声で風夏がいうので、視線を店のいちばん奥に向ける。幾十年も設置された置物のような貫禄の老人たちが、さしておいしくもなさそうにカップを傾けていた。

「ああいう人たちが、こういう店を生き残らせるのかな」

 風夏がこそこそというので、芙美は肩をすくめてうなずいた。

「駅前って立地だけで保ってるみたい」
「わかる。生まれついての強者って感じ」

 目を見交わして、風夏と芙美はかすかに笑い合う。

 店主が持ってきたアイスコーヒーに、芙美はミルクと砂糖を大量に放り込む。それでも、ひとくち飲むとのどの奥にざらっとしたものが引っかかって、芙美は顔をしかめた。
 見れば、風夏も同じような顔をして、ストローから口を離す。

「そういや、今日は芙美さん、誰を待ってたの?」

 何気ない調子で風夏が訊ねる。つかのま、芙美は言いよどんだ。まずいコーヒーのせいでのどがざらついていたのと、相手の名前を口に出すのがすこし、気が引けたせいだ。
 その一瞬の反応の遅れをどう解釈したのか、風夏は興味深げに芙美の顔をのぞき込む。

「ひょっとして」
「る、るなさんだよ」

 皆までいわせず芙美は答えた。風夏は目を見開いて、首をかしげる。

「るなって西園寺(さいおんじ)るなさん? 撫子組の?」
「そう……風夏さんは?」

 あまり問いつめられてもうまく答えられない気がしたので、先に質問してしまうことにした。
 風夏はすこし目をそらした。テーブルの端のナプキンに手を伸ばし、その先端を指先でくるくると玩びながら、答える。

「親戚。姪っ子連れてくるんだけど、母は仕事抜けられないから、あたしが出迎え」
「仲、いいの?」
「どうかな。あたしが翠林に入ったって聞いて、面白がって見に来るだけじゃないかな」

 目をそむけたままつぶやいた風夏の、唇の端に、苦笑が漏れた。

「学校がちょっとハイソになったくらいで、人が変わるわけでもないのにねえ」
「まあ……ね」

 逆に、ずっとおなじ学校にいておなじ制服を着ていても、中身の人間はおなじままではいない。制服という鎧の奥で、芙美もすこしずつ変わっている。
 いつのまにか、喫茶店の居心地もいくぶんましになってきた気がする。いつまでもこびりつくような煙草のにおいが、コーヒーの香りによって上書きされたせいかもしれなかった。

 芙美は、テーブルの上に置いたスマートフォンの画面に目をやる。るなからのメッセージは、さっきの遅刻のお詫びから更新されていない。

「そろそろ、次の電車?」
「どうかな。こっちはまだだと思う」
「んー、うちもたぶん、この次かな」

 時間を確かめて、風夏は眉をひそめる。

「こうして時間を無駄にさせられちゃうのって、なんか、すごく蔑ろにされてる気にならない?」
「うーん……」
「……ああ、待つの苦にならないほうだ、芙美さん。できた子だねー」

 風夏にからかうようにいわれて、芙美は眉をひそめる。

「そんなことないって。ただ、ぼうっとしてるのが好きなだけ」
「それも才能じゃない? 無心になれるのってすごいと思う……あたし、雑念ばっかりで、つづみさんにも、ときどきたしなめられるし」

 ぼやきながら、風夏は目を伏せて苦笑する。かすかな吐息が、透明なグラスにうすく曇りを作った。

「……ぼうっとできるのが才能なら、いろいろ考えが浮かぶのも才能じゃないの?」
「そんなもんかなあ」
「私はむしろ、そうやって、ポンポン思いついて喋れる方に憧れる」

 やんちゃだったころの幼い芙美と、誰かの後ろで縮こまるようになったいまの芙美と、本質はきっとおなじだ。頭の中は半分真っ暗な感じで、その無音の果てから、唐突な行動が現れたり、現れなかったりするだけで。
 風夏は、あるいはるなや叶音も、芙美とは真逆なのだろう。彼女たちの中には、いつも新しい言葉や、新しいイメージが浮かんでいるような気がする。眉毛の形だって自分で決められない芙美とは、大違いだ。

 なのに、風夏は、芙美の賞賛を聞いてきょとんとしている。

「うるさくない?」
「そこまでは思わないよ」
「翠林に相応しくなくない?」
「……風夏さんよりヘンテコな人、撫子組にもいっぱいいるでしょう?」

 何人かの顔を思い浮かべて、芙美は告げる。風夏は、ぷっ、と噴き出した。

「かもしんないけど」
「だから平気。翠林生なんて、どこにいて何を着てたってだいたい翠林生だよ」

 翠林に伝わる格言をパラフレーズした芙美に、風夏は肩をすくめて笑みを返した。

「だといいけど」

 ため息にも似たかすかな声を挟むように、芙美と風夏の視線がふたたび交差した。つい数分前まで、明るく堂々としていたような風夏の瞳の底に、いまにも崩れそうな不穏な揺らぎが見えた。
 それは、彼女の心が変わったのではなくて、芙美の目のほうが変わったのだと思う。眉を整えた成果かもしれない。

 遠くで、電車の走り抜ける音が聞こえた気がする。急行電車にあっさりやり過ごされる駅の時間は、滞って、ゆるやかで、長い。
 まだたっぷり残ったグラスから、芙美はアイスコーヒーをすすった。まだ待ち時間は長いと思うけれど、もう、苦にならなかった。
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