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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第101話「ベースのソロでも、意外と聴けるものだからさ」

 手元のスマートフォンと、目の前の人物とを見比べる。おなじ顔をしているはずなのに、画面の中と実物とでは、まるで別人のように感じられて、ドロシー・アンダーソンはなんだか、現実感がふわりと揺らぐような気分を覚えた。夏の日射しのせいかもしれない。
 足元からジリジリと、熱がせり上がってくる。コンビニの駐車場は、地獄の底みたいに暑いな、とドロシーはぼんやり思う。

「何? 私、誰かに似てた?」

 津島(つしま)(つぐみ)は問いかけながら、ドロシーの持つスマートフォンを前からのぞきこんでくる。鶫の頭がドロシーののど元に突っ込んできて、なんだか命を狙われたような気分だった。ひやっとしながら、ドロシーはスマートフォンを反転させて画面を鶫に見せる。

「ほら、この人」
「どれどれ、って、本人じゃない! そりゃ似てるよ」

 画面の上で流れているのは、ステージに立っている鶫と、彼女の先輩たち。それは、彼女たちがどこかのライブハウスで繰り広げた演奏の、10秒ほどの断片だった。
 撮影者が背伸びでもしているのか、映像は微妙に不安定に縦に揺れている。必死に全身を伸ばして、すこしでも高い位置からステージ全体を映そうという情熱が、映像からも伝わってくる。

 ステージ上、少女4人のバンドが自分たちの曲を奏でている。騒々しいギターと安定しないリズムの上で、センターに立ったボーカルの少女は、衝動をそのままぶちまけるみたいに声を張り上げていた。
 鶫は、そんなステージの片隅で、淡々とベースを演奏している。楽器の音も聞き取れないし、彼女の動作はきわめて地味で、ステージではいちばん目立たない存在だったろう。

 SNS上に誰かが流した、画像も粗くて音も聞こえにくいその動画を、ドロシーは何度も何度も再生していた。

 映像の中でベースを弾いている少女は、いまはドロシーの眼前で、照れたように右手で顔の下半分を覆っている。そうしてみると、鶫の目は意外に垂れ目気味でかわいらしい。
 一方、動画の鶫は、なかばフロントメンバーの陰に隠れながらも、自分の役割を確実にこなしている。気張るでもなく、かといって手を抜くでもない。粗い画面の中では指使いまではわからないけれど、ミスがあるようには聞こえなかった。
 目の前にいる鶫と、それはたしかに、同一人物だ。

「こういうの苦手なんだよね」

 くぐもった声で、鶫はつぶやく。ドロシーは、つい笑ってしまう。

「何恥ずかしがってるの。バンドやるならステージ出るの当然でしょう」
「うーん、ステージはいいんだけど、それ動画で流されるのって、なんかまた別じゃない?」
「それは……たしかに」

 あくまで身内とはいえ、誰かがいままさに自分の映像を見ているのだ、という感じは、なんだかむずむずするものがある。動画を観ている人は、彼女を手中に収めているのだ、という想像が広がるせいかもしれない。
 私的に所有されてしまう感覚、とでもいうのか。

「でもまあ、苦手とか言ってられないんじゃない? ステージに立つ機会なんて、これからいくらでもあるでしょう?」
「わかってる。馴れてくよ、これから」

 そういって鶫は、ドロシーのスマートフォンをふたたびじっと見つめる。手のひらの奥の口元は、まだかすかに羞恥に震えているようだったけれど、彼女はまっすぐに自分の姿に向き合おうとしていた。
 うつむいた自分の陰に覆われた鶫の目は、底深く光っている。

 とたん、ドロシーはなんだか、気恥ずかしくなった。笑うんじゃなかった。

「……なんかごめん。からかっちゃって」

 頭を下げたドロシーを、首をかしげて鶫は見つめた。

「ん? 何が?」
「いや……ちゃんと真面目に、苦手、克服しようとしてるんだな、って」
「ああ」

 右手を顔から離すと、鶫の顔にはおだやかな微笑がある。

「大げさだね、ドロシーさんは」
「……そう?」
「なんか、いちいち直球というか、向き合い方が真剣」

 くるり、とつまんだスマートフォンを、ドロシーのほうに戻してくる。

「肩に力入れすぎてて、疲れない?」
「んー……」

 そういわれても、ドロシー自身にはピンとこない。スマートフォンを握ったままの手で、かるく肩甲骨のあたりを叩いてみるけれど、格別、固くなっていたりはしない。
 とん、とん、と、お年寄りみたいに肩を叩くドロシーを見て、鶫はちいさく吹き出した。

「そういうのが、直球」
「……うえ」

 指摘されて、急に気恥ずかしくなり、ドロシーは手の甲で唇を覆い隠した。耳が熱くなったのは、日射しのせいではないはずだ。くっく、と、鶫はのどの奥で微妙な笑いを発しつつ、口を覆ったドロシーの手をつついた。

「それで、何? これを見せたくて、私を呼んだわけ?」
「会いたいっていいだしたのは鶫さんの方でしょう」
「でも、声をかけたのはドロシーさん」

 件のライブの動画を見て、ドロシーはいても立ってもいられず、鶫にメッセージを送ったのだ。感想を送ろうとしたドロシーに、鶫は、直接会って話した方がいい、と提案してきた。
 待ち合わせ場所を、この熱気に満ちた駐車場に決めたのは、鶫のほうだった。

「……ちょっと歩かない? なんか、突っ立ってると、暑くて死にそう」
「そうね、退屈」

 コンビニでペットボトルを1本ずつ買って、ドロシーと鶫は歩き出す。口をつけると、まるでポンプで吸い込まれでもするかのように、ドロシーの体内に麦茶が流れ込んでくる。よっぽど渇いていたらしい。
 かたわらを歩く鶫は、コーラをごくごくとのどに流し込んでいる。彼女の飄々とした横顔にも、じんわりと汗が浮いていた。耳の後ろあたりから、つっ、と汗のしずくが伝って、首から襟元へと滑り落ちる。
 シャツの湿った襟が、いやに生々しく、ドロシーの目を射るようだった。

「夏休み、さ。またライブの予定とかあるの?」
「どうかねえ……今回のも、先輩が友達に呼ばれて、急にブッキングしたみたいだし」

 鶫はボトルの蓋をくるくると開けたり閉めたりしている。彼女の右の人差し指は、先がいくぶん赤くなっていて、それはまるで勲章のように思えた。演奏に酷使された指が持つ、音楽の神様の贈り物。

「まあ、翠林の部活だし、そんなに真剣って訳じゃないからね」
「それでいいの? 鶫さんは」
「まただよドロシーさん」
「また?」
「直球」

 ペットボトルのフタを握った人差し指の関節で、鶫は、こつん、とドロシーのこめかみを小突いた。

「うっ」
「部活でなくても、音楽はできるしね。ひとつのやり方だけが本筋じゃないんだから」
「……そんなものかな」

 ドロシーにとっては、筆と硯と墨、そして半紙は、いつだっておなじでなければ気が済まないし、変わらない真剣さで向き合うべきものだ。
 鶫の音楽は、そうではないらしい。それはジャンルの違いでもあり、心構えの違いでもある。

 ボトルのフタを閉めながら、鶫はゆるやかにドロシーに歩調を合わせて歩いている。彼女の横顔は、熱気の中でつかのま、蜃気楼みたいに遠く見えた。夏の日射しのなか、鶫の瞳は光り輝くようでもあり、暗く沈み込むようでもある。
 いずれにせよ、彼女の瞳は、揺らぐ空気からわずかにずれた場所にいるようだった。

「だから、さ」

 鶫は、ちらりと横目で、ドロシーを見た。

「聴きたいんなら、私を呼んで。ベースのソロでも、意外と聴けるものだからさ」
「……そうなの?」

 ベースだけ、なんて音楽は聴いたこともなくて、ドロシーには想像もできない。バンドはみんなが揃って、楽譜が全部仕上がっていなくては作れない、と思い込んでいるドロシーには、それは別世界の代物に思えた。
 きっと不完全だ、とドロシーは思う。だけど、それはひどく、魅力的でもある。

「いつかのあの曲も、聴かせてあげるよ。ちゃんと」
「……ベースだけで?」
「舐めてると、度肝抜かれるよ」

 鶫は、自分の肩にコーラのボトルをくっつけて、目を細める。細くて、すこし湿った唇が、やわらかく歪んだ。
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