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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第100話「刺したり爆発したりしないんだから危なくないでしょ?」

 道端に落ちていたセミの死骸を、膝を曲げて見つめる。
 腹を空に向けた褐色の物体は、ぴくりとも動かない。くの字に曲がった6本の足は、まるで電気製品の部品のように無機質で、なんだかこの世のものとは思えなかった。
 宇都宮(うつのみや)(りん)は、それをつま先でつついてみようか、やめようか、と、延々迷い続けていた。うなじに当たる日射しがじりじりと熱くなって、一瞬、めまいがする。
 そのとき、ふいに、ビビビビビビビ、と大きな音がした。

「うひゃ!?」
「わお」

 よろめきながら立ち上がった凛は、きょろきょろとあたりを見回し、音の出所を探す。そして後ろを振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべたクラスメートが立っていた。彼女がかざす手の中で、白いスマートフォンが震動して鈍い音を発し続けている。

(あゆみ)さん?」
「驚いた?」
「そりゃ驚くよ……」

 ため息をつき、凛はうなじをかるく右手でなでた。じんわりと汗をかいた肌の感触が、指にまとわりつくみたいだった。
 真木(まき)歩は、凛の肩越しに、さっきまで凛が凝視していたセミの死骸をのぞき込む。死骸はもはやぴくりともせず、暴れ出す様子はない。

「それ、どうかしたの?」

 歩が問うのに、凛はすこし答えに迷う。暑さでぼんやりした頭では、うまく説明できる自信がない。まとまりのない髪の毛をがさっとかき上げて、凛は目を下に向ける。暑さでとろけそうな黒いアスファルトの上で、つま先をくるくるとひねる。

「どう、というわけでもないけど。ただ、気になっただけ。動き出すか、どうか」
「生きてるかも、って?」
「つまりは、そう」

 凛がうなずくと、歩は、ひょいと凛を避けてセミの間近にしゃがみ込む。ぎょっとして振り返る凛の目の前で、歩は躊躇わず、人差し指をセミの死骸に伸ばした。
 彼女の手が触れても、死骸はぴくりともしない。

「度胸あるね……」

 思わず吐息を漏らした凛に、歩はふしぎそうな目を向けてきた。

「そう? 刺したり爆発したりしないんだから危なくないでしょ?」
「かもしれないけど……いってみたら、死体だよ?」
「うん。それで?」

 歩の反応はあくまであっけらかんとしていて、びびっていた自分のほうが間抜けなように思えてくる。しかし、虫とはいえ、死骸に平然と触ることができる歩の図太さは、凛とはかけ離れたものだ。
 しかし、歩はむしろ、そんな凛のほうが理解しがたい相手でもあるみたいに、きょとんとした目をしている。

「触る気ないなら、何であんなふうに見つめてたの?」
「んー……」

 しばらく考え込んで、適切な言葉を探して、どうにか凛はつぶやいた。

「怖いもの見たさ、かな」

 セミというのは、意外と巨大な生き物だ。犬や猫とは比較にならないが、蚊やハエのような虫に比べればずっと大きい。
 そんな生き物の死体が、突如として路上に出現するのは、ひどく珍しい体験に思えた。突然ショッキングな映像が出現するサプライズ動画のような、前触れもなく訪れる異様な出来事。

 そこに触れたいと思うのは、何かひどく子どもじみて、けれどとても心の昂ぶる感覚だった。

 たぶん、いつもの凛なら、ちょっと気持ち悪く思うだけで通り過ぎていただろう。あんなふうに、間近に凝視してしまったのは、きっと夏の熱量が凛の頭を麻痺させたからだ。

「ふぅん」

 と、突然、歩がこちらに歩み寄ってきて、凛に手を伸ばした。

 その両手が、凛の頭をがしりとつかむ。

「ふわっ!?」
「んー」

 歩の細長い指が、きれいな手が、凛の髪の毛をがしゃがしゃとかき回してもてあそぶ。指先が髪の奥の頭皮にまで触れてきて、凛は思わず声が出てしまう。

「な、な……」

 正直、いたたまれなかった。ふだんからわりとボサボサで、いくら櫛を入れてもおとなしくならない髪の毛は、凛のコンプレックスだった。それを無遠慮にいじり倒されて、しかも歩の目は物言わぬ機械でも相手にしているみたいな無機質さで、凛はどうしたらいいものかわからない。
 しばらくの間、歩はそうして凛の髪を縦に横に揺さぶりまくっていたが、やがて歩はあっさりと両手を引いた。そして、満足そうに一度うなずく。

「なるほど」
「何が!?」

 わけもわからず玩ばれ、しかも勝手に納得されては、ひとこと抗議もしたくなる。険しい目で詰め寄る凛を、しかし歩は微笑で受け流す。

「一度、触ってみたかったんだよ、凛さんの髪」
「え……?」
「思ったよりやわらかかったね。実は、けっこう手入れしてる?」
「う、うん、どうにか整えられないかなって思って、いろいろ試してみてるんだけど」
「やめときなよ。そのまんまのほうがかわいいし」
「かわ……!?」

 そんなこと、生まれてこの方、一度だっていわれたことはなかった。いや、一度や二度はあったかもしれなくとも、いまの歩みたいな視線でいわれたことは初めてだった。
 思わず、凛は両手で頭を押さえる。膝を曲げてうずくまりそうになりつつ、しかし、歩の視線から逃げてはいけないような気がして、顔を上げる。

 歩の目は、教室にいるときとおなじ、悠々として飄々とした、感情の読めない瞳。しかし、その微妙な無表情には、おだやかな優しさが宿り、辛らつな言葉と縁のなさそうな唇が、ほんのすこしだけ口角を上げていた。
 真夏の風が、歩の髪をそっと揺さぶった。

「ありがとね」
「え?」
「勝手にさわらせてもらっちゃって」

 いいながら、歩は自分の長い髪を指先でくるりと巻いて、凛のほうへと差し出す。指も、髪も、凛のそれよりよほど繊細そうで、白い日射しの下ではいまにも崩れ落ちてしまいそうだ。

「私の髪も、さわってみる?」

 日射しの底で、ほろりと崩れてしまいそうな、甘い問いかけ。

 凛は、ぽかんと歩を見つめ返すことしかできない。髪の毛に蓄積した熱が手のひらに伝わってくる。自分ばかりが熱を帯びていて、目の前の歩は、いつも変わらない平熱のたたずまいで、だから彼女の言葉には何らの他意も感じられなかった。
 からかうでもなく、誘うでもない、単なる提案。

「……わたしは、いいよ」
「そう?」
「別に、趣味じゃない」

 人の髪の毛にいちいち触りたくなるような性分は、凛にはない。
 それに、凛は、歩のようにはできない。

 凛の触り方が歩にいやがられたらどうしよう、とか、自分の指が何かよくないものだったらどうしよう、とか、遠慮がちな思考が、凛の前に立ちふさがる。
 だから、彼女はうまく誰かに近づいたりできない。

 ことに、真木歩のような子には。
 撫子組のてっぺんで、明るく輝く彼女には。
 歩のきらきらとまばゆい頭髪には、凛は触れてはいけないような気がしてしまう。

 なのに、歩は平気でいうのだ。

「怖いものなら、見てみたいって、そう思うんでしょ?」

 やわらかな無表情が、どこか意地悪な微笑みに変わる。唇の端が、悪魔みたいにつり上がる。
 焼け付く肌の奥を、彼女の視線が射抜いて、そこだけ凍りついたみたいに固くなる。

 歩のそんな誘いが怖い。歩に触れてしまうのが怖い。後戻りできなくなるのが怖い。

 だけど、このまま逃げ出して、永遠に歩に触れる機会を失うほうが、ずっと安心で、ずっと怖かった。

 かすかに息を吐き、べったりと熱を帯びた両手を頭から離す。
 覚悟が緩まないうちに、凛は、勢い任せに歩の指に手を伸ばした。

 長い髪は、さらりと凛の指に絡まって、きゅっ、と、人差し指の細い関節を締めつけた。
 凛は、ひとことだけ、つぶやいた。

「……やわらかい」
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