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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第99話「逆に夜更かししすぎて朝になっちゃった感じで」

 ベッドから顔を出すと、もう朝だった。カーテン越しの明け方の日射しは、液晶画面の光よりまぶしくはないはずなのに、やけに目に痛く感じられた。波長の違いのせいかもしれない。
 八嶋(やしま)(たえ)は、スマートフォンの向こうの相手におやすみの挨拶をして、そのままのそのそとベッドに這い込む。同好の士と一晩中語り明かしたせいで、いまは眠たくてしょうがないのだ。
 しかし、せっかく潜り込んだ掛け布団はあっという間にはぎ取られてしまった。妙を起こしにきた母親は、妹のラジオ体操に付き添うよう彼女に命じた。反抗してもしょうがないことは重々承知なので、妙は渋々起き出して、ジャージに着替えた。
 あくびをしながら、妹といっしょに家を出た。10メートルほど歩いたところで、妹は姉に、ついてこないでほしい、と要求した。年の離れた姉にくっついてこられるのが恥ずかしいらしい。それはそうだろう、と妙はうなずき、電信柱のそばで手を振って妹を見送った。

 道ばたに妙は立ち尽くす。ぽっかりと空いた時間、何をすればいいものか。電池の切れそうだったスマートフォンは部屋で充電させている。真夏の朝にはしぶとく湿気が残っていて、ただでさえ眠たい妙の気持ちをいっそう萎えさせる。
 大きなあくびを、もう一度。
 涙の浮いた目でぼんやりと道の向こうを眺めると、朝の光を背にして誰かが歩いてくる。その人は、妙を見つけて、微笑した。

「ごきげんよう、妙さん」
「……ごきげんよう、弥生(やよい)さん」

 内海(うつみ)弥生は、妙とは対照的に、身だしなみもきっちり整えて健やかそうな顔色だった。その顔に浮かぶのは、学校にいるときと寸分違わぬ柔らかな微笑だ。
 弥生がいつも、いの一番に教室に来ていることは何となく知っていたが、こうして朝早くに出会ってみると、その事実をしみじみ納得させられる。弥生のたたずまいは、明け方の淡い景色に、すんなりと馴染んでいた。

「妙さんも朝の散歩?」

 も、って何だ、と妙は背筋がむずむずするような気分だった。柔和で穏やかな弥生の言葉が、やけに引っかかる。自分と相手が同じ気持ちだと疑っていないような、素朴な無邪気さのせいかもしれなかった。

「私はラジオ体操……妹のね」
「妹さん?」
「置いてかれちゃったけど。姉の同伴なんて必要ないんだよ、ほんとは」

 妙の口調は、つい、きついものになってしまった。徹夜明けはテンションは高いけれど、心はやっぱり疲れていて、隠しておきたい本音も隠しきれずにこぼれ出てしまう。
 妹にばかり過保護な母も、姉を億劫がる妹も、うんざりだ。そんな気持ちが、彼女の声をとがらせた。

 妙の言葉を聞いて、弥生はふしぎそうにまばたきする。化粧っけもない彼女の目は、丸っこくて子供っぽいけれど、まぶたを縁取るように濃い下睫毛がやけに印象深くて、一瞬、目を離せない。

「じゃあ、わたしたちも体操する?」

 何が、じゃあ、なのかさっぱり分からない。弥生の提案に、妙はぽかんと口を開けた。

「何で?」
「退屈そうだったから。体を動かしたほうが気分もよくなるし」
「……こんな道路の真ん中で?」

 妙が半眼でいうと、弥生は苦笑して、背後に目配せする。ふたりから道を挟んで反対側に、ちいさな空き地があった。こんな真夏だというのに雑草もあまり生えていなくて、ゴミも落ちていない。

「誰か管理してるんじゃないの?」
「ゴミ拾いや草むしりは、近所のお年寄りの方々がやってくださってるの。あと、翠林のボランティア部と」
「はー」

 ふたりで空き地に足を踏み入れる。妙はすこし不安だったが、特に注意されたりはしない。ウォーキング中の老人が通りすがったけれど、弥生がていねいにお辞儀をすると咎めもせずにそのまま行ってしまった。弥生も、案外顔が利くらしい。

 体操というのもなんだか大げさなので、軽いストレッチをすることにした。
 隣り合わせに並んで、両手をつないでお互いを引っ張り合う。

「おおお……」
「何、その怪獣みたいな声」
「体がめっちゃ凝ってるんだよ……変な姿勢してたから……」

 両肘をついたままスマートフォンを床置きでいじっていたせいだ、と、妙は後悔する。

 今度は、弥生が妙の両手首を握って、背負い投げするようにぐいっと妙の背筋を伸ばす。

「あ~……」
「……お……」
「お?」
「重……」
「そんな重たくないでしょ! ていうかちゃんと支えてよ弥生さん!」

 かろうじて弥生は潰れずにすんだ。

 今度は妙が支えになって、弥生が脚のアキレス腱を伸ばす。弥生は、妙の胸元に両手を押しつけるようにして、遠慮なくぐいぐいと力を入れてくる。妙は、弥生のつむじを見下ろしながら訊ねる。

「弥生さん、夏休みも毎日こんなに早起きなの?」
「習慣だから」
「まじめだね。私、休みに入ったら朝全然起きれないよ」
「そうなの?」
「今朝だって、逆に夜更かししすぎて朝になっちゃった感じで」
「はあ……」

 理解が追いついてないような弥生のため息だった。

 一通り体を動かし終えて、妙は額ににじんだ汗を拭った。なんとなく、全身の凝りがほぐれたような気はする。

「思いのほか、すっきり目覚めた気がする」
「帰ったらよく眠れそう」

 対照的な感想をいい合う、弥生と妙。
 ふたりのストレッチにかかった時間は、せいぜい5分というところで、まだ妹は体操から戻ってこない。クロックスを履いたつま先をくるくると回しながら、妙は弥生に目をやる。彼女は朝の日射しを全身で受け止めようとするみたいに、大きく深呼吸していた。

 ふたりのいる空き地の周辺には、いまは人通りがない。もうすこしすれば、体操に行っている小学生も散らばって、明るい声が響くようになるだろう。そのうち、次第にみんなの目も覚めてきて、街路もにぎやかになっていく。
 この瞬間は、朝のすきまのような時間だった。

「……気持ちいいね」

 静寂の心地よさに、妙は初めて気づいた。自分のそんなつぶやきさえ、一瞬、邪魔に感じられた。明け初めていく薄い色の空を見上げて、妙は冷たい空気を肺の奥底までゆっくり染み渡らせる。

「私は、すこし寂しい」

 肺の空気を吐き出し切るみたいに、背中を丸めた弥生が、ぽつりとつぶやいた。うつむいた彼女の向こうには、人の住んでいる気配のない一軒家が見えて、閉じられた窓の向こうに、暗闇だけがのぞいていた。

 妙は、弥生の丸い背中を、ぎゅっと押した。

「ちょ、何?」
「なんとなく」

 笑いながら、妙はのしかかるように弥生を後ろから抱く。昔、妹のちいさな体を見つめながら、こんなふうにじゃれ合ってみたい、と思ったことを、不意に思い出した。すぐに大きくなって、ませた妹は、姉と過剰にふれ合うのをいやがるようになって、だからそんな機会は一度も訪れなかった。

「やめてよ、けっこう重い!」

 悲鳴を上げて弥生が訴えるので、妙はすぐに体を起こした。恨めしげな弥生の視線に、妙は微笑を返す。

「弥生さん、体固いね、じつは」
「ほっといてよ。千鳥(ちどり)さんみたくはいかないわ」
「あの子、そんなにすごいの?」
「前屈で床に手のひらついてた」
「何それ、新体操でもやるの?」

 じゃれ合うようなふたりの声が、静かな街並みの中に流れていく。

「夏休み、ふたりでキャンプに行くの」
「あー、なんか楽しそう。いいなあ」
「妙さんは、そういう予定ないの?」
「んー……夏フェス、行ってみたいけど」
「何それ?」

 きょとんとする弥生。そこから説明しないといけないのか、と、妙は肩をすくめる。けれど、そういうのも、いまだけは億劫じゃない。
 ぽっかりと空いた時間が終わるまで、妙は、弥生に、一から音楽の話をした。
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