挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

100/233

第98話「近頃のその単語の使われ方は、あんまり軽々しいと思うの」

 開け放たれた縁側に、西日が射している。乱雑に積み重ねられた洗濯物の山の横から、にょきっと突き出した2本の白い脚が、ぶらぶらと石の三和土の上で揺れている。つま先のそのまた先に、赤いクロックスが引っかかっていた。

 その脚に向けて、舟橋(ふなばし)妃春(きはる)は声をかけた。

「何してるのよ」
「……何もしてない」

 答えた三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)の上半身は、白い洗濯物の陰に隠れて見えない。まるで、まっさらの衣類が声を発しているみたいだった。

 妃春は、まるで我が家みたいな気安さで縁側の窓をすこし動かし、百合亜の横に腰を下ろした。板の間に横たわった百合亜は、半分熱で溶けたようなだらけた顔のまま、目だけで妃春を見る。

「何しに来たの? そっちこそ」
「何でもなかったら来たらいけない?」
「めずらしい」

 夏休みに入ったとたんに、ただでさえ出力の低い百合亜のバッテリーは完全に切れてしまったようだった。両腕を体の左右にべったりと広げた姿勢で、薄いシャツの裾がまくれ上がっておへそが露わになっているのを隠しもせず、うつろな目で天井を見上げている。
 妃春は、そんな百合亜のこめかみの横に、冷えたソーダの缶を置いた。

「おみやげ」
「うん」
「……いいかげん起きなさいよ」

 妃春が缶をちょっと動かして、百合亜のこめかみにくっつける。百合亜は眉をひそめるだけで、それ以上はぴくりともしない。どうやら、百合亜の怠惰は筋金入りのようだった。

「お客をもてなそうっていう気はないの?」
「いまさら妃春さんをお客扱いしろって?」

 減らず口だけは一丁前だ。もちろん、いまさら百合亜が妃春を下にも置かぬ扱いをし始めたら、そのほうがよほど気持ち悪いし、そのくらいがちょうどいい。

 妃春の脚が、百合亜の脚と並んで縁側の端で揺れる。じりじりした熱が地面から立ちのぼってきて、かすかに空気がすねを左右から押してくるように感じられた。
 浮遊するような感覚に身を委ねながら、妃春は体重をすこし後ろに預ける。縁側に手をつくと、手のひらがきゅっと引き締まるような気がした。
 かるく後ろに背筋をそらして、家の中の音に耳を傾ける。冷蔵庫の唸る音まで聞こえてきそうなほど静かだった。電気もほぼ消しているからか、縁側と床の間を仕切る戸の向こうは、恐いような薄闇だ。

「誰もいないの?」
「みんな出かけてる。買い物とか、サークルとか、旅行とか」

 百合亜の謂は大雑把で、誰がどこに行ったのかも不明瞭だ。この家の敷地の外が、ふいに錯雑とした迷路になって混沌としているかのような、錯覚を感じる。

「そっちこそ、お姉様は?」

 百合亜に問い返され、妃春は首を振る。

「今日は級友と出かけてるそう」
「デートかな」
「近頃のその単語の使われ方は、あんまり軽々しいと思うの」

 ちょっとふたりで出かけただけで、性別も年の差も関係なく、デートだといって憚らないご時世だ。そういう軽率な言葉遣いは、妃春の好むところではない。
 むきになってしまった妃春の言葉に、百合亜は苦笑を返した。

「置いてかれて拗ねてるのね」
「そういうわけじゃ」
「別にいいのよ。わたしも妃春さんも、取り残された同士ってことで」

 百合亜の声は、ふだんよりもいっそう投げやりに聞こえた。

「……ちっちゃいころにも、こんな感じで喋ってたとき、なかった?」
「そんなの何度もあったでしょ」
「そうなんだけど、特別、印象深いのがあったような……」

 つぶやきながら、ようやく百合亜が体を起こした。肩や胸に引っかかった肌着や下着が、ばらばらと彼女の身体の左右にこぼれ落ちる。ブランケット代わりにするには、あんまり俗世的すぎる代物だ。
 花かシーツでもまとっていれば、百合亜でもお姫さまに見えたかもしれない。

 あくびと伸びを同時に行いつつ、百合亜は寝ぼけ眼で妃春を見た。

「ふたりで無人島に流れ着いたら、こんな感じかな、とか」
「……そうかしら?」
「わたしも妃春さんも、真面目に生きるの、諦めちゃいそうって。そんなこといってた気がする」
「……覚えてないわね」

 妃春は記憶をさかのぼるが、ちっとも思い出せない。夏の記憶はさまざまに混じり合って、ひとつひとつの細かなやり取りまでは覚えていなかった。彼女の思い出せるのは、とぼけた百合亜の面差しと、きれいに雑草が刈り取られた庭先の様相ばかりだ。

 しかし、百合亜のいうことがほんとうだとして、ずいぶん失礼なことをいわれたものだ。

「私、諦めたりしないわよ。無人島でもなんとか食料を探すし、住処も作るわ」
「そうかなあ。わりとわたし、いまでも疑ってる」

 百合亜が小首をかしげた。ふしぎと寝癖にならない髪が、ふわふわと彼女の首の動きに合わせて垂れ下がる。

「妃春さんって、何かひとつ支えがなくなったら、ぶっ壊れちゃいそうなんだもん」

 遠くで、雷のような音がした。
 いつの間にか、空を灰色の雲が覆い始めている。さっきまでは入道雲の浮かぶ、ポスターカラーのようなぱっきりした色の空だったのが、またたく間にその様相を変えて、いまにも夕立の落ちてきそうな空に変わり始めていた。
 洗濯物を先に取り込んでおいてよかったな、と、関係のないことを、妃春は思った。

「だって、いまも、すごく寂しそうな顔してるよ」
「……してないわよ」

 妃春のつぶやきに、百合亜は、指先で応えた。
 丸っこい指が、妃春のほおをつつく。頬骨を持ち上げるように、粘土をいじくり回すみたいな乱暴な仕草。

「何してるの」

 ぼやく声が、なんだか歪んで聞こえた。あんまり遠慮のない百合亜の態度に、妃春は逃げる気にもなれず、彼女のなすがまま。

「こうしたら、すこしは楽しそうな顔になるかな、って」
「……ならないわよ」
「ならないの?」

 百合亜はつまらなそうに、しかし相変わらず、ほおの下に指先をごりごり押しつけてくる。

「遊ばないで」

 ぐい、と、妃春は百合亜の手をねじるみたいにして、指を引きはがした。冷たくなっていた手のひらに、百合亜の手首の温度が伝わってくる。彼女の手首は意外と太くて、力強さを感じる。
 脈拍が、指先で打つ。

「ほら」

 百合亜が、ふいにつぶやいた。

「何が」
「いま、安心したでしょ。わたしの手を握ったら」

 妃春は答えない。答える代わりに、すこしだけ強く手を握った。百合亜の鼓動までが、手のひらの中に伝わってくる気がする。

 遠くで、雷が鳴った。ふたりは何もいわずに、両脚を縁側の奥に引っ込める。
 薄暗い家の中は、夕立の気配を受けてますます暗く、黒く沈んでいく。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ