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秘密の宝島
作:雨宮雨彦



1/2


 ここはゴーストタウンだと思っていたのに、船小屋の扉に開け閉めをした跡があることに気がついて、私はとても驚いた。

 雑草が数本折れ曲がり、扉のすきまに頭を突っ込んでいるのだ。どう見てもつい昨日あたり、誰かが知らずにはさみ込んでしまったものとしか思えなかった。

 船小屋というのは、ここにまだ人が住んでいた時代に、ボートをしまっておくために使われたものだ。海からは細い水路が、その入口へ直接通じている。

 私はもう一度見回した。小さな入り江に沿ってできた町で、捨てられた家々が並んでいる。窓のすみにはホコリがたまり、庭には雑草が茂っている。多くの窓は、何年もカーテンが閉まったままになっている。ガラスが割れてしまっているものもある。

 振り返って海を見ると、ちょうどサンゾウと目が合った。野生のイルカなのだが、丸い頭がお坊さんに似ていたのでそう名づけていた。

 もとは外の広い海に住んでいたのだろうが、防波堤の出口に船が一隻沈んでいて、それがフタをする形になって、この入り江の中に閉じ込められてしまっている。それが気の毒で、私は毎日、漁師たちから小魚をもらい、バケツに入れて運んできてやっていた。

 始めのうちはなかなかなつかなかったし、投げ与えた魚も食べてはくれなかったが、数日たつうちに私を信用する気になってくれたようだった。このころには私とはすっかり仲良くなり、砂浜に降りて手を伸ばすと、やわらかな鼻を押し付けてきたり、三角定規のようにとがった歯で軽くかんで遊んだりするようになっていた。

 今日もそのエサやりがすんだところで、何気なく目を向けて、船小屋の異変に気がついたわけだった。だがいくら眺めていても、何もわからなかった。私はバケツの中を見せて、もう空であることをサンゾウに納得させ、病院へ帰った。

 あることを考え付き、私は実行に移すことにした。ノートの切れはしを破いて、小さなクサビを作り、インクにつけて黒く着色した。それを病室の窓辺で乾かしているのを見て、看護婦たちが「何をしているの?」ときいたが、私は「内緒よ」と答えた。秘密情報部員になったような気がして、なんだかわくわくした。

 翌朝も、私はいつものように入り江へ向かった。サンゾウにエサをやり、船小屋の扉にクサビをはさみ込んで帰ってきた。次の日、わくわくしながら入り江に出かけたが、クサビはまだはさまったままだった。その次の日も、そのまた次の日もそうだった。私は落胆し、何もかもが思い過ごしなのではないだろうかという気がしはじめた。

 だがその次の日に変化が現れた。クサビが地面に落ちているのを見つけたのだ。私はにんまり笑って拾い上げ、再びもとのようにはさんでおいた。

 私は、ここでは人も自動車も見かけたことはなかった。両手でノブを持ち、船小屋の扉を強く揺さぶってみたが、南京錠はがっちりしていて、とても開けることなどできそうもなかった。だが不意に思いついた。家々の廃墟にとって返し、どこで見たのだったか思い出そうとした。どこかの家の軒下に、ペンキの缶が転がっているのを見た覚えがあったのだ。

 何軒か歩き回り、見つけ出すことができた。ずっしりと重く、中身が黄色のペンキであることを示すラベルが貼り付けてある。フタを開けると、甘ったるい溶剤の匂いがした。中身はほぼいっぱいで、缶を傾けると、とろりとやわらかく動いた。船小屋へ戻り、道の上に少しこぼした。ペンキは小さな水たまりのようになった。缶を隠し、私は入り江を離れた。

 翌朝、わくわくしながら入り江を訪れたのだが、期待は裏切られなかった。ペンキの上に大きなタイヤの跡がついていたのだ。うれしくて、こおどりしてしまいそうだった。

 もちろんすぐに町へ行った。だがいくら歩き回っても、何の成果もなかった。表通りから裏通り、フェリー乗り場や自動車修理工場までのぞき込んだのだが、ペンキのついた自動車を見つけることはできなかったのだ。午後の診察時間が近づいてきたので、私は病院へ帰らなくてはならなかった。

 翌日も探し回ったが、やはり成果はなかった。こんな狭い島の中にある自動車の数など知れている。もう探す場所は残っていなかった。私にはわけがわからなかった。

 その翌日は、サンゾウにエサをやりに出かける以外は、私はずっと自分の病室の中にいた。窓を開け放して、風に吹かれながら考え続けた。診察時間が来て、それもいつものように終わった。夕食までの間、私は自由になった。外へ出ることは許されなかったが、病院の中を歩き回るのはかまわなかった。私は庭を散歩することにした。

 病院にも自動車はあった。乗用車と救急車が一台ずつ、あとは小型トラックと院長が乗る外車だ。院長の名は渡辺先生といい、私の主治医でもあった。外車は渡辺先生の所有物で、車庫の中に他の三台と並べていつも駐車してあった。私は車庫にもぐりこんだ。

 車庫の中は暗かった。コンクリートでできた四角い部屋で、スイッチを入れ、私は電灯をつけた。四台の自動車は、エサを待つ犬のように行儀よく並んでいた。私は足音をしのばせ、タイヤを調べ始めた。まず小型トラックを調べたが、すぐに落胆しなくてはならなかった。タイヤは四つともきれいで、黄色のしみなど影もなかったのだ。

 私はため息をついた。乗用車と救急車のタイヤも調べた。どちらもきれいなものだった。もう一度ため息をつき、電灯を消そうとした。スイッチに手を伸ばしかけて、はっと息をのんだ。渡辺先生の外車が目に入ったのだ。なぜ気がつかなかったのだろうという気がした。タイヤに黄色いペンキがはっきりと残っていたのだ。



 昼食を食べながら、テーブルの上に広げて新聞を読むのが私は好きだった。

 ある記事が目についた。警察が発表したもので、ここ何年間も密輸の取締りに力を入れているが、一向に効果が上がらず困っているという内容だった。新しい種類の麻薬が外国から大量に密輸されており、東京や大阪へ運ばれ、大勢の中毒患者を出している。だが海岸線は長く、取り締まりは思うようにいかない。どのような人々の手で、どうやって持ち込まれているのかさえわからない。ついては市民の協力を求める。怪しいと思われることがあれば、どんなにささいなことでもよいから、近くの警察署に知らせて欲しいというものだった。

 すぐにあの船小屋のことを思い出した。怪しいといわれれば、怪しいような気もした。通報したほうがいいのだろうかと考え始めた。三日間考え続けたが、通報するにはあと何か一つ証拠が必要だと結論を出した。

 入り江へ行き、再びペンキ缶を手に取った。棒切れの先をペンキにつけ、筆のように使って、船小屋の扉に文字を書いた。

  『見つけた!』

 渡辺先生が動きを見せたのは、翌日のことだった。朝からひどくいらいらした様子で、機嫌が悪かった。どこかで看護婦を怒鳴りつけている声が、私の病室にまで聞こえてきた。

 私は思わずにんまりした。廊下を歩いたり、庭を散歩したりしながら、ちらちらと院長室を観察していた。怒鳴り声の後は何事もなかったが、昼食がすんでいくらかたったころ、もう少しおもしろいことが起こった。

 私の病室の窓からは、町へ下りていく道路を見下ろすことができた。ぐねぐね曲がった狭い道で、まわりは茂みになっているから人目を避けることができる。あの場所をのぞき見ることができるのは、最上階にある私の部屋の窓だけだったろう。知らず知らずのうちに、彼らは私に最も都合のよい場所を会合場所に選んでいたのだ。

 自動車が二台止まり、男が一人ずつ降りてきた。木の下で合流して、何かの話を始めた。

 そのうちの一人はもちろん渡辺先生だった。背中を向けているので、もう一人の顔は見えなかった。だがひどくいらいらした様子で、タバコを吸っていたが、煙をぷかぷかと噴き出し、吸いかけのものを頻繁に投げ捨てては新しい一本を取り出し、不機嫌そうな手つきで火をつけるというのを繰り返していた。

 距離があるので、何を話しているのかはもちろん聞こえなかった。だがいかにも困ったことが起きて、どうすればいいか声をひそめて相談しているという感じだった。互いに相手をにらみつけて、口調も激しそうだ。身振り手振りが大きいことも、そんな感じにぴったりだった。その様子を眺めながら、私は満足感のようなものを感じないではいられなかった。

 この島にも警察署があった。巡査が一人駐在しているだけで、看板がなければ普通の家と見間違えそうな小さな建物だったが、翌朝私はそこを訪れた。警察官の名は加藤巡査といい、私が入っていくと意外そうな顔で見つめ返したが、すぐににっこりした。

「どうかしたのかい? まあお座りよ」

 私が話すことを加藤巡査はまじめな顔で聞いていたが、メモを取るどころか、鉛筆に手を伸ばしすらしないのが気になった。

 だが話し終えると、「本当だとすれば、これは大てがらだよ」と言ってくれたので、とたんにうれしくなった。

「そう?」

「このことは誰か他の人にも話したかい?」

「いいえ、お巡りさんが初めてよ。どうして?」

「そういう大がかりな事件だとすると、どこに共犯者がいるかわからないからさ。不用意に話すと、その相手が共犯者だったりするかもしれないからね」

「そうね」

「よし」加藤巡査はぽんとひざをたたいて、立ち上がった。「少しドライブをしよう。君もおいで」

「どこへ行くの?」

 加藤巡査はにっこりした。「入り江さ。疑うわけじゃないが、自分の目で確かめておきたいからね」

 加藤巡査は私を外へ連れ出した。パトカーのところへ行き、助手席に座らせてくれた。ばたんとドアを閉めたが、不意に大きな声を出した。

「しまった、キーを忘れてきた」

 加藤巡査は駆け足で警察署の中へ入っていったが、二分もしないうちに戻ってきた。運転席に座り、キーを差し込んでエンジンをかけた。パトカーが動き始めた。

 パトカーは町の外に出た。道は上り坂になり、峠にさしかかった。それを越えて、ゴーストタウンのある入り江へ入っていった。風のない日で、水面はいつものように静かに広がっていた。

「あの船小屋だと言ったね」スピードを落とし、指さしながら加藤巡査が言った。

「ええ」

「女の子一人で、よくこんなところに来るものだねえ。怖くはないのかい?」

「怖くはないわ。お化けなんていないもの」

「なるほど」

 船小屋の手前まで来て、加藤巡査はパトカーを止めた。すぐにあのペンキの跡が目についた。

「あれが例のやつだね」加藤巡査が指さした。

 私たちはパトカーから降り、船小屋へ向かって歩いていこうとした。道がぐっと狭くなり、左右を海と山にはさまれた場所だ。後ろから別の自動車が近寄ってくる音が聞こえてきたのは、そのときだった。振り返ると、見覚えのある外車だった。

 だまされたのだと気がついて、私はため息をついた。逃げ道などありそうになかった。右手にある岩壁は垂直で、登る手がかりなどない。左側は海で、前を向いても船小屋の大きなドアが通せんぼをしているだけだ。何秒もしないうちに、渡辺先生は私を捕まえてしまうだろう。駆け出そうとするそぶりを見せるだけで、加藤巡査の両手が私の肩をつかむだろう。

 絶望的な思いで、私は見回し続けた。外車はブレーキをかけ、パトカーのすぐ後ろに停車しつつある。私は海の中をのぞき込んだ。水底に向かって、地面は垂直に落ち込んでいる。サンゾウがそこにいて、スイカのように丸い頭を出して、私を見上げていることに気がついた。

「加藤」渡辺先生の声が聞こえてきた。「その子は…」

 私はそれを最後まで聞いてはいなかった。さっと身をひるがえらせ、水の上に身体をおどらせたのだ。そのまま落ちていき、冷たく気持ちのよい水にさっと全身を包み込まれたが、それを楽しんでいる余裕はなかった。水中で目を開き、手足をバタバタさせた。

 身体が水面に向かって浮かび上がろうとするのを感じた。やっと思い出したのだが、私は泳げなかったのだ。水面に顔が出た瞬間、渡辺先生が怒鳴る声が耳に入った。

「早くその子を助けるんだ」

 次の瞬間、手首をはさまれ、強く引かれるのを感じた。前を向くと、サンゾウが私の腕をくわえているのが目に入った。

 渡辺先生たちの驚く顔が目に見えるような気がした。船小屋の前を離れ、私とサンゾウは入り江の中央へ向かって進んでいった。ときどきサンゾウはちらりと振り返って、私の表情を探っているようだった。真ん丸い目が、いたずらっ子のように笑っている気がした。

 入り江の中央まで来て、サンゾウは静かに停止した。胸びれにつかまり、私はサンゾウの背中にはい上がることができた。渡辺先生の声が遠くから聞こえてきた。

「ミツコ、戻ってくるんだ」

「戻っておいで」加藤巡査も言った。両腕を大きく振っている。

 私は靴を脱ぎ、彼らめがけて投げつけてやった。届くはずはなかったが、靴下も同じようにした。靴下は水の上を漂い始めたが、靴はすぐに沈んでいった。

「ミツコ」

「ミツコ」

 渡辺先生が再び大きな声で呼び始めた。渡辺先生だけでなく、加藤巡査までが親しげに呼び捨てにすることに腹が立ってきた。

「黙れ、密輸犯ども」私は大きな声を出した。

「そのことだ」渡辺先生が言った。加藤巡査がパトカーのところへ走っていき、電気式の拡声器を持って戻ってくるのが見えた。それを渡辺先生に手渡した。カチッと音がして、拡声器のスイッチが入った。

「ミツコ」

 私はサンゾウの背中にほおを押し当てた。肌は温かく、コトコトと動く心臓の音を聞き取ることができた。その間も渡辺先生は話し続けていた。

「君は私たちを密輸犯だと思っているらしいが、それは誤解だ。私たちは密輸などしない。百年前の海賊が残した財宝を探しているだけなんだ」

 二人に向けて、私は思いっきり舌を突き出してやった。

「本当だ」渡辺先生は続けた。「ここにいる加藤とは幼なじみだ。私もこの島の生まれなんだ。君のお父さんと知り合ったのは、大学へ行っていたころだ。学部は違っていたが、キャンパスで出会って友人になった」

「どこの大学?」

 私の声が聞こえにくかったのか、二人は顔を見合わせていたが、二言三言話して解決がついたようだった。再び拡声器のスイッチを入れ、渡辺先生はある大学の名を言った。

 だがそれは、答えさせても無駄な質問だったと気がついた。私は、父がどこの大学を卒業したのか知らなかったのだ。再び渡辺先生の声が聞こえた。

「医師になって、私はこの島に帰ってきて病院を開いた。ここは気候がいいし、友人も多いからね」

「それがどうしたっていうのよ」

「私たちには、子供のころから夢があった。百年前、この島には海賊がいて、どこかに財宝を隠したという伝説があるんだ。

 私と加藤は、子供のころからそれを探して島中を歩き回った。だが何も見つからないまま大人になってしまった。私は島の外に出て大学へ行き、君のお父さんと知り合ったんだ。財宝の話をすると、お父さんはとてもおもしろがってね、自分も財宝探しに加わりたいと言い出したんだ。それ以来、お父さんも夏になるとこの島へやって来て、私たちと一緒に歩き回るようになった。

 そんなとき私たちは、古くから伝わるある言い伝えを聞きつけたんだ。そこにある船小屋の内部には隠された洞窟への入口があり、その洞窟は島の地下を何キロも通って、島の西側の海底につながってぽっかりと口を開けているのだとね。

 それを聞いて、身体が震えてきたのを覚えているね。海賊たちはそこに財宝を隠したのかもしれないじゃないか。すぐに私たちは、船小屋の調査に取りかかった」

「どんな調査?」

「文字通りしらみつぶしさ。だが一日中探しても、洞窟の入口らしいものは見つからなかった。まったく何もなかった」

「あら残念ね」

「まったく残念だったよ。夕方になったのでひとまず調査を終えることにして、私たちは引き上げたんだ。だが翌朝、おかしなことが起こった。船着場の前にある旅館のことは知っているだろう?」

「ええ」

「島にいる間、お父さんはあそこに泊まっていたんだ。朝早く、旅館の主人から私のところへ電話がかかってきた。お父さんが起き出してこないので様子を見にいったら、部屋の中は空っぽだというんだ。荷物はすべて残してあって、布団に入った様子もないから、昨夜のうちにこっそり出かけたようだというんだ。お父さんの自動車も見当たらなかった。それだけじゃない。一緒に泊まっていた十歳の娘の姿も見えないというんだ」

「なんですって?」もう少しでサンゾウの背中から滑り落ちてしまうところだったが、私は何とかしがみついた。

「本当だよ。君はあのとき、お父さんと一緒にその船小屋の中にいたんだ。記憶を失う直前のことだ」

「どうして?」

 渡辺先生はすぐには答えてくれなかった。加藤巡査が何か話しかけてきたので、拡声器のスイッチを切って、それに答えている様子だった。二人は一分間ほど話し合っていたが、結論が出たのか、カチリと拡声器のスイッチが入った。

「ミツコ、のんびりしてはおられない。それはネズミイルカといって、肉食の凶暴な動物だ。いつ暴れだすかわからない。今から加藤がそちらへ行く。一緒に岸へ戻ってくるんだ」

 加藤巡査が服を脱ぎ始めた。上半身は裸になり、靴と靴下も脱ぎ、ズボンだけの姿になった。

「嫌よ。サンゾウは悪いことなんかしないわ」

 二人はきょとんとした顔をした。また二言三言話し合っていたが、サンゾウがイルカの名であると思い至ったようだった。再び渡辺先生が拡声器を使い始めた。

「私たちは、そのイルカに悪さをしようとしているわけじゃない。君のことが心配なだけなんだ」

「あんたたちに心配なんかしてほしくないわ」

「頼むから聞いてくれ」

 次に私は、知らず知らずのうちに決定的なことを口にしてしまった。それが私の運命を大きく変えることになった。

「じゃあ船小屋の中を見せてよ。麻薬が山積みになっているんじゃないのなら、見せることができるはずよ」

「わかった。すぐに鍵を開けよう。自分の目で見るがいい」

 渡辺先生は拡声器を加藤巡査に手渡し、船小屋へ向けて駆け出していった。扉の前へいき、ポケットからキーを取り出し、慣れた手つきで南京錠に差し込むのが見えた。南京錠はすぐにパチンと開き、渡辺先生は扉を開いた。扉は上下に長く、一番下の部分は水中に届いている。

「扉を開いたから、岸へ戻ってくるんだ」拡声器を使って加藤巡査が言った。

 サンゾウが行動を起こしたのは、そのときだった。突然のことだったから、私にはどうすることもできなかった。私の手首をくわえ、再び泳ぎ始めたのだ。私は引きずられていくしかなかった。全身の力を尾びれに集めて、サンゾウは強く水をける。

 私とサンゾウは、ぼうぜんと立っている渡辺先生の前を通り過ぎて、船小屋の中へ飛び込んでいった。内部は思っていたよりも広く、窓がないので薄暗い。渡辺先生も駆け込んできたが、もちろんどうすることもできなかった。「ミツコ、ミツコ」と叫ぶ声が耳に入ったが、サンゾウと一緒に水中に潜るとそれも聞こえなくなった。

 洞窟の中を進みながら、なるほどと私は思っていた。これではなかなか発見できなかったのも無理はない。壁にではなく、石づくりの船着場の下に入口があったのだ。ちょっと見ただけではわからないように精巧に作られていたが、ある部分を取り外すと顔を出すようになっていたのだろう。

 真っ暗な洞窟の中を、サンゾウは真下を向いて泳ぎ続ける。少し行くと方向を変え、今度は真上を向いたようだった。目を閉じているのか開いているのかもわからない暗闇の中だが、私には感じられた。

 私の息はつきかけていた。苦しくて、もう何秒ももたないだろうと思った。頭が水の上に出たことを感じたのはそのときだった。やはり真っ暗で、何も見えはしない。潮くさい空気だったが、口を大きく開けて、胸いっぱいに吸い込むことができた。

 サンゾウが水面を進み始めたので、私は背中にはい上がった。音がはね返ってくる様子から、トンネルのような穴の中にいることが感じられる。私はゆっくりと運ばれていった。サンゾウに身体を預け、私はじっとしていた。

 洞窟の旅は長く、真っ暗だったが、途中で一度だけ光を見ることができた。どういうわけか一ヶ所だけ、天井が破れて外の光が差し込んでいたのだ。

 あまりにもまぶしくて、手をかざし、私はうんと目を細めなくてはならなかった。天井は高く、とがった鍾乳石が無数に生えているのが見える。そこに十メートルほどの裂け目があり、真っ青な空が顔を出しているのだった。

 その地上に、ナイフのようにとがった形の岩が見えていることに気がついた。空を脅迫でもするかのように、真上を向いて鋭く突き出しているのだ。

 私とサンゾウは、光に照らされた水面をゆっくりと横切っていった。光が波に反射して、きらきらと宝石のように踊っている。突然、水中に何かが沈んでいることに気がついた。光をあびて、銀色にぼんやりと浮かび上がっているのだ。

 私は目をこらした。意外なものだったので少し驚いたが、飛行機だった。あちこち傷だらけでゆがんでいるのは、墜落したときに地面を突き破ったからだろう。操縦席のガラスは失われていたが、座席は空っぽだった。プロペラは踏みつけられたようにぐにゃりと曲がっている。大きなものではなく、一人乗りの戦闘機だ。

 きっと第二次世界大戦中のものだろう。この島の上空でも何度か空中戦が行われたという話は私も聞いたことがあった。そのときに墜落したものだろう。だがサンゾウが泳ぎ続け、次の曲がり角を曲がると、太陽の光と一緒に飛行機も見えなくなってしまった。洞窟の中は再び真っ暗になった。

 私たちは進み続けた。だが突然、サンゾウが息を深く吸い込み始めたことに気がついた。吸い終わると一瞬止め、またゆっくりとはき出す。まるで深呼吸でもしているかのようだ。

 また水中に潜るつもりでいるのだと気がついて、私もまねをした。肺の中いっぱいに空気をたくわえ、ほおも風船のようにふくらませた。サンゾウが手首をしっかりとくわえなおし、私も腕をしっかりまわしてしがみついた。サンゾウの身体がバネのように動き、二度目の潜水が始まった。

 私たちは、まるで墜落でもするようにまっすぐ潜っていった。水がすっと冷たくなってきた。私の心臓は、コチコチと時計のように打ち続けていた。耳のわきで、水が急流のようにごうごうと音を立てていた。

 いつまで息がもつのだろうと不安になってきた。だが前方に光が見えてきたのは、そのときのことだった。遠く小さく、はじめは白いしみのようにしか見えなかった。だが出口だと気がついて、私は息の心配など忘れてしまった。思わずほおずりをしたが、サンゾウは何の反応も見せなかった。そのまま私たちは、光の中へ頭から突っ込んでいった。

 あまりにもまぶしくて、目など開けてはいられなかった。それでもちらりと見たところでは、私たちは海底に開いた井戸のような穴から垂直に抜け出してきたようだった。海草が肌をさっとなでていくのを感じた。上昇を続け、私たちは水面を目指した。水が暖かくなった。まわりは、色のついたガラスのようにすべてが水色に染まった世界だ。

 頭の上で揺らめく大きな丸い輪は太陽だろう。ちらりと下を見ると、バイバイと手を振るように海草たちが揺れているのが目に入った。

 私たちは上昇を続けた。水面に達したとき、勢いあまって、私たちはロケットのように水上に飛び出してしまった。太陽の光が明るく迎えてくれた。私の身体は空中で一瞬停止し、サンゾウと一緒に水面へ落ちていった。

 水しぶきが高く上がり、口や鼻に水が流れ込んできたが、気にならなかった。おなかをかかえて、私は笑い始めた。サンゾウは私から離れ、いかにもうれしそうにヒレを大きく動かし、トビウオのようにびゅんびゅんと波の上で遊んでいたが、すぐに戻ってきた。波は高かったが、私は再びその背に乗ることができた。

 ヒレをゆっくりと動かし、サンゾウが泳ぎ始めた。背伸びをし、私は海を見回した。船の影を見つけるのに長い時間はかからなかった。数百メートルのところをフェリーが走っている姿が目に入ったのだ。私が指さす前に、サンゾウは進路を変え始めていた。

 船長や船員たち、乗客たちの驚く顔を私は一生忘れることはないだろう。へさきが作り出す波に巻き込まれないためか、サンゾウは船とは距離と保ち続けた。船長はすぐに船を止め、救命ボートを降ろすように船員たちに命じた。私が甲板に助け上げられるのには五分もかからなかった。サンゾウはいつの間にか姿を消していた。












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