【競演】古詩〜いにしえうた〜
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今より千年の昔、人間界に哀しみが満ちている事を知った神は、我が子を地上へと堕とした。
哀しみを体得するために、神の子は人の女の腹から生れ落ち、人の子として育つ。
ここから、彼の人の心に触れる旅が始まる。
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序章 「降臨」
諸人宇宙を仰ぎ
無限荒野をさすらいて
今こそ迎えん
北天の堕とし子
神の御胸より
放たれて悲哀の地
人なる母の身体に宿らん
現世に渦巻く煩悩を
浄化するごとく
清らかなる光
弱き我らを包みたまえ
弱き我らを救いたまえ
弱き我らを信じたまえ
弱き我らを導きたまえ
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庶民の子として育った神の子は、農民たちの慎ましやかな生活を目の当たりにする。
一見、貧しく、希望の見えない絶望的な日々。
しかし、そこに見たものは、貧しさの中でも力強く、精一杯生きようとする人々の姿だった。
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第一章 「哀恋歌〜あいれんか〜」
子供たちは明日をつかもうと
夕焼け空に手のひらをかざし
今夜の夢を楽しみに
薄いしとねに身をうずめる
つぎはぎだらけの麻衣は
最近少し窮屈で
駄々をこねている幼いあの子が
今夜も叱られる
ああ
この世をば
長く渡ってきたけれど
いまだ答えは見つからぬまま
ああ
僕たちは
その瞳濡らす涙さえ
いまだ乾かす術さえ知らぬ
娘たちは祭りの夜に咲く
恋しい人の背を求めながら
踊りの輪の中舞い乱れ
朝がくるまで蝶になれる
あかぎれだらけの細い指は
最近夜風が傷に染みて
愛しいあの人の黒髪を
今夜も結えない
ああ
この世をば
長く渡ってきたけれど
いまだ答えは見つからぬまま
ああ
僕たちは
その手に滲む血潮さえ
いまだとどめる術さえ知らぬ
夢追い人の男たちは
最近夜風が冷たくて
愛しい人を抱かずには
今夜も眠れない
ああ
この世をば
長く渡ってきたけれど
いまだ明日は見つからぬまま
ああ
僕たちは
この胸を焦がす怒りさえ
いまだ抑える術さえ知らぬ
ああ
僕たちは
いまだ夢見る術さえ知らぬ
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苦しんでいるのは民だけなのか?
そんな疑問を抱いた神の子は、楽団の一員となって、ある貴族の屋敷へ出入りし始める。
そこで出会った若き武人は、死を覚悟した戦に旅立とうとしていた。
そんな彼は、この屋敷の姫君に密かに想いを寄せていた。
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第二章 「乱舞」
砂を巻き上げ吹き抜ける風よ
伝えて欲しい
愛しき君へ
熱き想いは胸を焦がし
やがてこの身も焼き尽くすだろう
変わり果てた私の前で
君は涙を流してくれるだろうか
花のように微笑む君を
ただ守りたかった
散らされるくらいなら
穢されるくらいなら
いっそ蕾のままで
咲き乱れよ
愛しき人よ
罪なほどに美しく
哀しいほど華やかに
そしていつか思い出して欲しい
君を愛した男のことを
花のように微笑む君の
ただそばで笑っていたかった
苦しめるだけなら
悲しませるだけなら
このまま名乗らぬままで
咲き乱れよ
愛しき人よ
花弁のようなその唇に
触れることさえ叶わなくとも
そしていつか思い出して欲しい
君を愛した男のことを
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武人の想いを知った神の子は、彼の懸想人のもとを訪れ、彼女も同じ想いであることを知る。
しかし、彼女も、今生では決して彼と結ばれることはないと涙した。
そして、いつの世か生まれ変わり、再び出会える日を月に祈るのだった。
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第三章 「夢一夜〜ゆめひとよ〜」
君に届けしこの声は
悠久の時を越え
山河をさまよう
愛を語りしその声は
言葉となりて
闇に散る
この世で果たせぬ想いなら
輪廻の渦に身をまかせよう
君と手と手を結べる
その日まで
天翔る鳥のよに
この身に翼があるならば
今すぐ飛び立とう
君のもとへ
されど今日もひとり
月を見上げし夜は
千年の時にも等しく
頬つたうは涙
せめて夢一夜
たとえ姿は異なれど
この世の鎖をひきちぎり
愛しき君といつの日か
ああ せめて夢一夜
愛しき君といつの世か
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終章
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あれから、幾度この世に生まれ堕ちただろう。
その後も俺は、この国が辿ってきた歴史を目の当たりにしてきた。
ある時代には、天下を奪い合って殺し合い、ある時代からは、人々の頭から髷が切り落とされ、服装も、考え方も時代とともに変化していった。
やがて世界を相手に戦ったこの国は、焼け野原となった。
しかし、そこから目覚ましい再起と進歩をはかり、今では世界有数の先進国と呼ばれるまでになったのだ。
今もこの地上のどこかでは、銃が火を噴き、罪の無い人々の血が流されていると聞く。
しかし、この国に限って言えば、比較的平和な時代が訪れていると感じている。
20年前、この時代に生まれ堕ちた俺は、しがない歌うたいとして暮らしている。
なんとか食いつなげているという生活のため、狭いワンルームで暮らしているが、隣人の顔は見たことがないし、ステージや練習の無い日は、誰とも言葉を交わさないこともままある。
テレビをつければ、世界中のニュースが瞬時に飛び込んでくるし、携帯電話を手にすれば、話し相手はすぐに見つかる。
なのに、人と人との繋がりに、希薄さを感じてしまうのはなぜだろう。
千年前、この地に初めて降り立ったあの頃、人々の暮らしは今よりも遥かに貧しく、ままならぬ運命と哀しみを背負っているように思えた。
しかし今思えば、それでも彼らは、ささやかなことに喜びを見いだし、日々を精一杯生きていたような気がする。
当初から俺は、父である神より、この世にいる間は人間として生きるよう命じられている。
神の子としての能力は封じられ、正体を明かす事も禁じられているのだ。
そのため、たとえ人がどんなに苦しんでいても、俺にはただ見守ることしかできない。
その無力感は、時に身を裂く程に胸を締め付けた。
だが唯一、そんな俺に残された能力がある。
それは、その人間の前世の姿を見る事ができることだ。
今、ステージの最前列で、俺の歌を聴きながら涙を流している彼女もそうだ。
今日、初めて目にする顔。
だが、俺はかつての彼女に会った事がある。
変わり果てた私の前で
君は涙を流してくれるだろうか
そう、この歌を聞いて込み上げる、身に覚えのない哀しみに君は驚いているけれど、その涙を流させているものは、魂が記憶している想いだ。
遠いあの日、君は戦場から還った愛しい人の屍に、すがりつく事さえ許されず、遠く離れた場所で泣き崩れていた。
そしていつか思い出して欲しい
君を愛した男のことを
結局、名乗ることさえないまま逝った彼を、君は生涯想い続けていたね。
その時、後方の重い扉が開き、開演時間に遅れたとおぼしき人影が入って来た。
照明が落とされた薄闇の中、スーツ姿の彼は熱狂する人々の間を縫うように、前方へと近付いて来る。
やがて最前列へ到達し、ステージを一瞬見上げた男の顔を見て、俺は思わず息を呑んだ。
驚く俺を気にもとめず、彼はすぐに客席の方へ向き直り、やや屈んだ姿勢で自分の席を探し始めた。
やがて、目的の場所を見つけた彼は、隣の席の人物を見上げて軽く会釈した。
ほっと息をつき、ジャケットを脱ぎかけた彼の動きが一旦止まった。
そして、再びゆっくりと、その視線が隣の席に立つ彼女の方へと向けられたのだ。
そこには、両手で口元を覆い、涙を流す彼女の姿があった。
たとえ姿は異なれど
この世の鎖をひきちぎり
愛しき君といつの日か
ああ せめて夢一夜
愛しき君といつの世か