第六話 顔面神経痛の方々
「確かこっちだったか――――!!」
さっきの悲鳴が聞こえた方向に走り出す。足場が駐車場のコンクリートだからか、いつもよりひざが痛い。足の裏も同じように、痛みの信号を脳に送り出す。しかし――――
「こんなもの、母さんのデコピンに比べたら……!」
比べる対象が微妙だと思った君は大間違い。母さんのデコピンはかなづちで脳天を叩かれるよりも痛い。
冗談抜きで、アレはやばい。壁をも砕きそうだ。
しかも当の本人はそれほど身構えるまでもなく、軽い感じで技を繰り出してくるからなお怖い。
「もう! お・し・お・き・よ♪」ドガアァァァァァァンン!!!
てな感じだ。言葉だけを聞いていたら何が始まるのかとドキドキするアホもいるかもしれないが、別にナニは始まらない。待っているのは一週間通院と言う結果だけだ。
(――っと、ヤバイ。どっちの方向だったっけ……?)
母さんの恐怖を思い出して軽く震えていると、迷ってしまった。
この駐車場は四階建てらしい。今俺がいるのは三階だ。声が聞こえたのは同じ階だった気がするのだが、一分ほど経過した今ではもうあやふやになってしまった。
この階はどうやら満席らしく、色とりどりの車がぎゅうぎゅうに入れられている。配置の仕方はどことも変わらないような一般的な方法。車同士が背を向け合うようにして並べているところもあるし、壁に背が向けられているのもある。時々、後のことを考えないで正面から突っ込んで駐車している車があるのが少し滑稽だ。その車の一割ほどがアイドリング中なものだから、臭いがすごい。むせそうになる。今の時代アイドリングストップは常識だろうに、バカヤロウ。
(しかしどこにいるのかわからないが、取り合えずこっちに――)
「――――」
今まで全力疾走していた身体に、静止の命令を下す。
俺の履いていたスニーカーが、キキッと音を立てて止まった。
(今、何か聞こえた)
「…………!! ……! ………………!!」
今の自分の進行方向に、誰かと誰かが言い争うような声が聞こえる。
(――数人の、男と、……女か!!)
俺はその一人の女が先程の悲鳴の主であると確信する。
多対一と言うことはまさか――襲われている? いや、ナンパか? 後者であってほしいと願うのだが、前者だったら――――
いや、大丈夫だ。言い争っていると言うことは、少なくともそういう状態じゃない。と、思いたい。気が強い女なのだろうか。さっきの悲鳴といい、目に見えていない場所からここまで声を響かせるとなると、結構な音量になる。
行き先がわかったら後は走るだけ。先程よりも方向がはっきりとしているので、本気が出せる。
ダンッと音を立てて、俺はコンクリートの上を駆ける。
風でなびく前髪がうざったい。帰ったら学校行く前に髪を切りに行こうか。
「……じゃあ……!! な……! ……か!!」
だんだんと声がはっきりと聞こえてくる。あとちょっとか! すぐ行くから待ってろ!!
「じじじじゃあ、あれは、ディ、ディープキスと、言うのですね?」
こけそうになった。
というかこけたい。
むしろこけたい。
言い争いでもなんでもなかった。ただの会話じゃないか。しかもディープキスって何だ。文脈が全く予想できない。恥ずかしい。何か変なことが起こったんじゃないかって勘違いした自分が恥ずかしい。穴があれば入れたいと言う言葉はこういうときに使うのだろうか。……間違った。穴があったら入りたいでした。
そうだ。予想できないと言えば――さっき出逢った清楚さんも予想できない人物だった。
予想外だった。あの時の最後のセリフさえなかったら、奈々も鎮火できたかもしれないのに。しかもキスし損ねたし。
思い出したら何かだんだん苛立ってきた。くそぅ。どこかでストレス発散しないと周囲に被害が行きそうだ。壁にパンチとか電柱にキックとか奈々にボディーブローとか奈々にフライングニーとか奈々に――――
「そうそうそうなんだよぉ〜。だからさぁ〜俺とディープキス実践してみねぇ? できればその次もさぁ〜」
いた。
ストレス発散専用人種。
ああ、間違った。ヤンキーとかいう奴だったな。
そこでは三人の男が一人の女を取り囲んでいた。女のほうは囲まれていて全く見えないが、男たちのほうは異常に目立つ格好をしているので嫌でも目に付く。俺と彼らとは十メートルくらい離れているのに、『三人とも頭悪いですオーラ』がにじみ出ている。
ふむ……。三人ともなんと呼ぼうか。
「きゃはは! お前はその次のほうが大事なくせに〜」
あだ名なんていらんな。不良ABCでいいか。
「その次って何ですか?」
そこに場違いな綺麗な高い声が聞こえる。女のほうだろう。
……呼び名くらいは考えたほうがいいな。
Aが鼻ピアスで、Bがサングラスで、Cが短足腰パンでいいか。かっこいいだろう。
「ん〜? じゃ〜あ〜、僕たちが教えてあげようかぁ〜?」
前かがみになりながら女と目線を合わせて、顔を近づけて不良Cがふざけた調子で言う。
間違った。短足腰パンだった。もうどっちでもいいや。
それにしても何だ。こいつらは語尾を延ばさないと気が済まないのだろうか。気持ちが悪くてしょうがない。女でさえもどうかと思うときがあるのに、男がやったら即ジャーマンスープレックスだ。しかも投げっぱなしの。
というか、バカかこいつら。そんな言い方でナンパできる訳ないだろう。いや、言い方以前に顔とかもう絶望的だな。鼻ピアスの奴なんかブタとしか言いようがない。お前らなんかに女が付いて来るわけ――――
「え、はっはい。よろしくお願いしま――――」
「ちょっと待ったあああああああああああああ!!!!」
付いていく人いたー!! 怪しめよ! 少しくらい怪しめよー!!!
くそっ、思わず突っ込んじまったじゃねえか! いったいどこのどいつだ!? そこまでの天然さんなんてそうそういない――って、もしかして……。
「あ、ディープさん!」
(――やっぱり、清楚さんだった)
というかディープさんって何ですか。どうせならその後にインパクトを付けてくれ。
「せい――何してるんだ、キス魔の美少女」
「キス魔の美少女じゃないですよ」
「ああ、『美』は余計だったか?」
「そこじゃないですよー」
あきらかに『美』が必要な容姿なのだが、少し茶化した感じで言う。
「私はこの方たちの話し相手になってたんです」
「話し相手だと?」
「はい。私のことかわいいって言ってくださいました。それにそこの顔面神経痛の方が、私の質問にも答えてくれて、先ほどのキスの名称も教えてくださいました」
顔面神経痛て、おい。顔に似合わず結構言うな、清楚さん。これも天然だからこそなせる技か。
「名称……? そんなのあるのか?」
「はい。貴方としたのは、ディープキ――――――」
「な〜にシカトこいちゃってんのかな〜お二人さん?」
今の今まで完全に忘れかけていた存在が俺たち二人に声をかけてきた。今のは鼻ピアス。
「チッ、こぶつきかよ」
「あーあ、超上玉だったのに」
「だよな〜。こんなマブイ子見たことねえー」
マブイってお前いつの時代の人だ。
「あー、もうこの男ボコしてヤっちまわね?」
「おっ、いいなそれ!」
「きゃはは! 俺ヤるのひさび〜」
「キメェー!」
目の前の男たちが口々にものを言っていく。
(――ヤる、だと?)
「つーことでぇ、君はリンチ決定でーす!」
「きゃははは!!」
「運命と思ってあきらめてね〜」
三人が三人ともニヤニヤしながら俺たちに近づいてくる。さっきまで横にいた清楚さんは流石にこの状況の険悪さを悟ったのか、俺のロンティーの端を掴んで後ろに隠れてしまっている。
震えているのが、服を媒介に伝わってくる。
(――ここは、大丈夫だと声を掛けた方がいいのだろうか)
でも逆に心配させることになるかもしれない。言わないほうがいいか。
「…………ふう」
ダメだ。ものを考えすぎた。俺らしくない。いつも通りに戻れ。
いつもの俺は、冷静沈着。このくらいで怒っちゃダメだぞ、春日井楼火。こいつらを叩きのめすのは、あっちが手を出してきた瞬間だ。それまではマテだ。こっちから手を出すとあいつらと同じになってしまうじゃないか。こいつらをボコすのは、あくまで清楚さんを助けるためだ。決してストレス発散などではない。決して。
(…………よし、落ち着いた。たぶん落ち着いた。おそらく落ち着いた)
「あれれ〜だんまりしちゃってどうしたのかな〜? 怖いの〜? 女置いて逃げてもいいんだよ〜? そうすれば君は助か――――――」
「黙れゲスが。くさい息を吐くな。というか息をするな。空気が汚れる。ああ、近頃話題の大気汚染は貴様らが原因だったのか。激しく納得だな。っておいおい、近づいてくるなよ。ほこりが立つだろう。半径十メートル以内に入るな。体臭がきついからな。ああもう視界に入るな。気分が悪くなる。というかむしろ存在するな。地球から出ろ。そしてこの世から消え去れ」
落ち着いてませんでした。てへ☆
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