第四話 清楚さんと般若さん
俺の命以上に大事な部分の、ズキっと圧迫したような痛みで目を覚ますと、
目の前に超絶美少女がいた。
それはもうすれすれに。
文字通り紙一重に。
――――って!!
「ぬおうあ!!??!?!?」
「キャッ!!」
目の前の現象が理解できない俺は思わず叫んでしまう。
誰だこいつは何でここに何をしていた――――
(いや落ち着け俺。落ち着け落ち着け春日井楼火。いつもの冷静さを取り戻すんだ)
…………よし、まずは現状を確認しよう。
ここはベンチ。周りにはショップがあるから店の中のベンチなのだろう。このベンチは大きめで、六、七人が座れるほどなので体がすっぽりと入ってしまっている。素材は木、か? よくわからない。
それにしても奈々よ、もっとちゃんとしたところに運んでおくれよ。それとも店員が運んだのか? いや、それはないな。あいつの怪力を以ってしたら、俺の体重なんか一反木綿のようだろう。まあいい、後で聞こう。
そんでもって目の前には心底驚いたようにこちらを見る女の子が。
清楚。
それ以外の言葉がこの子に合うのだろうか。まるで人形のような華奢な身体は、真っ白なワンピースによって綺麗に飾られているようだ。心もとないくらいにある胸はこれ以上ないくらいその姿に似合っていて、妹のそれとは比べようがない。
肌の色はワンピースの色と同化してしまいそうなくらい色白い。その服から伸びる手足は、触れるとガラスにひびが入るように崩れてしまいそうだ。肩ほどまで伸びている髪は、少し青みがかかっているが、黒い。もともと黒かった髪を何度も何度も黒く染め上げたかのようだ。その不自然なまでの黒さが肌の白色と相反して、この子の綺麗さをよりいっそう引き立てている。年は十五、六歳といったところ。それとも俺と同い年か。
この子に日傘を持たせて草原に立たせたら、一つの絵の完成だな。
(オーケーわかった。これが夢でないことを祈ろう)
「あ、あの、大丈夫ですか……?」
おずおずといった感じで女の子は聞いてくる。
本当にどっかの国のお姫様みたいだな。もしくはお嬢様か。
どっちでもいいがこの子は『清楚さん』と名づけよう。
「ああすまない、大丈夫だ」
俺が大丈夫と言うと、清楚さんは傍からから見てもわかるように安堵する。
「よかった。私がここを通りかかったら、人がベンチでうなされているものですからびっくりしました」
「また、か……?」
「?」
最近うなされていることが多いな、俺。
というか俺はこの人ごみの中でベンチに横たわってうんうん唸っていたのか。恥ずかしいぞコノヤロウ。これが噂の羞恥プレイか。我が妹はレベルが高い。
「清楚さ――げふんげふん。それにしても君、何してたんだ? どう考えても、俺にキスをしようとしているようにしか見えなかったんだが……」
「はい、そうですけど?」
「ちょっとマテ」
「何か?」
何か? じゃない! 何を考えているんだ清楚さん! 知らない男が寝ていたらキスをしてしまうと言う性癖でもあるのか!?
「……なぜ、そんなことを?」
「なぜって……ただ起こそうとしただけですよ」
「は?」
「ですから、揺すっても声をかけても起きないのですから、他に方法はキスしかないでしょう?」
いやあるだろう。
声を掛けるとか揺するとか叩くとか水を掛けるとか。
「……意味がわからないんだが……」
俺が意味を理解できないでいると、なんでもないことのように清楚さんは言い切った。
「あれ、知らないんですか? キスをしたらどんな人でも眠りから覚めるのですよ?」
――――ああ、そうか清楚さん。君は、天然なんですネ。
ついでにロマンチストという称号も与えよう。
「……そうか、それは知らなかったな。うん、知らなかった」
「あら、そうでしたの。有名な話とばかり思っていましたけど」
「……ちなみに、それを実践したことは?」
「ありません、でした」
「――でした?」
「はい、ですから、貴方が私の――――初めての人です」
「な」
「な?」
「何いいぃいいぃぃいいいいいいぃぃいいいい!!!!!!」
まて待てマテマデ待ってくれえええええ!!!! 何だとなんだと!? 今この子はなんと言った!? 顔赤くしてなんて言った!? 貴方が初めての人だって? なんかエロいな……じゃなくて! 問題はそこじゃなくて! ここ、この俺にキスをしただってええええ!? 初めてだったのに? こちらこそですぅーー!! ……あ、いや俺は初めてじゃないか。や、んなことはどうでもいい! それより何より悔しいのが――――寝ていて記憶にないことだ!! もう一回したい! プリーズカムアゲイン!!
「ど、どうしたんですか?いきなり叫んだりなんかして……」
事の元凶は今朝の奈々のような目線を俺に向けている。……なんか悔しいな。仕返ししたい。
(――そうだ)
「なんでもないんだ。ただ、まだ頭が起きていないような感じがするだけで……」
「そうなんですか?」
「ああ。だから君が――――――――」
そう言いながら、俺は自分の右の手のひらを清楚さんの額に軽く当てる。
そのままスライドをして、長めの前髪をそっとなでるようにかき上げ、右手を後頭部に持ってくる。
目線はこの子の瞳から動かさない。
それまでの動作時間は約六秒。なるべくゆっくりと進める。
それによって少しだけ仰け反った身体を、左手を軽く腰に当てることで支える。
身長差が結構あるからか、この子が俺を見上げるような形になる。
戸惑うような、恥ずかしがるような小さな声が聞こえるが、ここは無視。
そして先ほどの動作よりもさらにゆっくりと顔を近づけ、呟く。
「――――キスしてくれれば、起きるかもしれない」
目をだんだんと細める。この子の、薄くて形の整っている唇をちらりと見ると、少しだけ震えている。
顔同士が近づく。
清楚さんは少し頬を赤らめながらも、目を閉じる。俺も完全に眼を閉じ、顔を少しだけ傾け、鼻同士がぶつからないようにする。
やがてお互いの吐息がかかる位置まで来て――――――
ズズ、と空気が震える音がした。
あと一秒でできたのになどと考えている暇なんてない。
まだ清楚さんが顔を赤くして、目を瞑って待っているのなんか気にしない。
バッ! と首が千切れるかと思うほどの勢いで俺は振り返る。
そこには――――――
暗黒のオーラを纏った、春日井奈々が仁王立ちしていた。
両手には自動販売機で買ったオレンジジュースとコーヒーであろうと予想される物体が握り締められている。予想、というのは、その缶ジュースが二つともひしゃげていて原形を留めていなかったからだ。その形はまるで、そのままかぶりついて食べ終えた後のりんごの様。中身は、俺が振り返った今でさえぼたぼたと溢れ出ている。右手がオレンジで、左手がブラック。それらの色が、現在奈々がこぶしに纏っているオーラを表しているようでいて、この光景に非常にあっている。
「おにぃ」
腹の奥底のそれまた奥から捻り出したような、異常なまでにドスの効いた声が奈々の口から聞こえてくる。
その声を発したことが引き金になったかのように、ズシン、ズシン、と足を前に出し、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
(――やばい。早く逃げろ)
母との戦闘にて培ってきた自分の戦闘本能がそう告げる。
しかし、足がピクリとも動かない。それどころか指一本さえ動く気配がない。
(――この俺が、臆しているのか……?)
自分の今の状態が信じられない。
「何を、しているのかな?」
再び、あの声。この声は俺を石化させる。
「その、女の子、知ってる、人?」
話し方が途切れ途切れなのも恐怖を余計に駆り立たせる。
「知ら、ない、が」
俺まで声が途切れ途切れになるのは、奈々につられてなのか、恐怖からなのかは定かでない。
「ふーん。この、奈々を、差し置いて、どこぞの馬の骨とも、知らない女と、ねえ」
差し置いてって、お前は俺の何なのさ。妹だろ。Aマイナスは黙ってろ――――なんて言えたら、どんなに楽だろうか。いや、普段なら何も気にすることもなくズバッと言えるのだが、もし今言ったとしたら、俺の首と胴体は10mほど離れて暮らすことになるだろう。
(しかし、どこぞの馬の骨って言い方はないだろう。こんなにかわいいのに)
そう思い、清楚さんのほうを奈々に気取られない程度に一瞥すると、まだ頬を赤くし口をむーっと尖らせて俺のキスを待っていた。さすが天然。予想を覆すぜコノヤロウ。
「ち、違うんだ、奈々。この子は俺を心配して起こしてくれたんだ!」
情けない声になってしまう。くそぅ、修行が足りん。
「……え?」
奈々にとって俺の答えは予想外だったらしく、驚いた顔をして少し声を漏らした。
(よし、もう一息)
「俺、今朝うなされてたんだろ? それでさっきも同じようになってたらしいんだ。それを見かねて、わざわざ声を掛けてくれたらしい」
声は掛けられてないけど。
「…………」
先ほどまで般若のような顔だったのが、少しずつ和らいでいき、それに伴って暗黒のオーラも薄らいでいく。
(良し! これで俺の勝――)
「あ、あのあの、キキキキスはまだですか? 二回目なのですから、ははは恥ずかしがらずに!」
(――ああ、さようなら、現世)
俺がこの世の様々なものに別れを告げた瞬間、この世のものとは思えない衝撃により、俺の視界はブラックアウトした。
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