第二十四話 ボブカットの女
桜坂高校の建物は、一つ一つが無駄にでかい。二棟ある校舎も、パッと見た感じでは三棟分にも四棟分にも見えるし、この間行った武道場も、ただの部活動生が使うには勿体無いくらい広い。
他にも、地元の市民会館のような大きさの体育館や、運動公園のようなグラウンド。それに、俺には何が目的で作られたのかわからない多目的ホール。
あと忘れてはならないのが、校舎に隣接している食堂。ここは別段変わったところはないはずだが、俺の昼食は母さん特製の弁当だからなにぶん行ったことがないので、その詳細までは分からない。
「――ここが運動場デスが、体育倉庫はあの辺りに――」
俺はそんな学校の中を委員長と一緒に歩き回り、目に付いた校内のゴミを拾い集めながら、各場所の説明を聞いていた。委員長は建物の名称や使用目的だけでなく、ここには自動販売機があってよくゴミが溜まるとか、ここに武道場への抜け道があるとか、そんな豆知識も披露してくれた。流石委員長ということだろうか、この話はまだ学校の地理を把握していない俺にとってかなり貴重なものとなった。
委員長の声を聞きながら、それにしても――と思う。
(ああ……久しぶりに普通の人と出会えたなぁ……)
この女の子は、ツッコミで人を血まみれになんかしないし、何かにつけて女の話ばかりしないし、混乱しても淫靡になったりしないし、百合でもエロでも武道家でもない。
人よりちょっと控えめな、ただただ普通の女の子。
ああ、癒される。この子はマイナスイオンでも散布しているのかもしれない。
…………。
「――春日井サン?」
「……へ? あ、ああすまん、ぼーっとしてた」
委員長は少しオロオロして、俺の目の前で手をひらひらさせていた。俺が我に返ると慌てて手を引っ込め、恥ずかしそうに手をもじもじさせる。
超かわいい。
「あ、あの、えと、……ここを抜けると、体育館裏へと行くデス」
委員長は顔を赤らめ、建物同士の人が一人通れるくらいの細い隙間を指差す。
「へえー、こんなところからねえ……」
細い道に入り、俺はアスファルトの上を歩く。横幅から考えて一人が限界だったから、俺が先頭に立った。左右が無機質なコンクリートで、委員長はそこに手をつきながら慎重に歩いていた。
十メートルほど歩くと、体育館裏に出た。
「おー、確かにこれはいい時間短縮に――」
ふと、足が止まる。どこからか声が聞こえた。声のほうに目を向けると、数人の人影が。
「春日井サン? どうかしました――」
あとから続いてきた委員長もその声に気が付く。
そこには、
「おら、さっさと金出せ」
「君も殴られたくないっしょ? 金払ったら見逃してやんよ」
「それとも何? またイジメてほしいのぉ?」
「あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
「ぎゃはははははははははははははははは」
――気の弱そうな一人の少年に、五匹のうじ虫が湧いていた。
広々とした体育館裏の壁の、ある一角の陰。壁側に小さな男を追い詰め、それを五人が取り囲んでいた。五人全員がにやけた面をしていて吐き気がする。
(チッ……ゴミ共が……!)
思わず飛び出しそうになるのを必至になって堪え、これからの手順を考える。
相手は五人。一人で闘うには、正直、ギリギリなところだろう。いっその事一斉に飛び掛ってきたりしたら楽なのだが、頭を使われると厄介だ。集団でのケンカ慣れをしている奴らだったとしたら、逆に不意を付かれる可能性がある。
幸いあちらから俺たちのところは見えていないようだ。作戦を考える時間はある。
「――――」
ぼそ、と委員長が何かを呟いた気がした。
それはあまりにも小さすぎて聞き取れなかった。
どうした?
俺はそう聞こうと思ったが――――その答えを聞く前に、
「なぁにやっとんじゃこんのカス共があぁああああぁぁぁああぁあああぁぁああああぁぁあああぁあああ!!!!」
委員長の口から、とんでもない大きさの怒号が飛び出した。体育館と建物の間でハウリングし、ここにいるものすべての聴覚を襲う。
肌に突き刺すような小さな痛みを感じ、周囲の木々がざわめき始めた。
委員長を見ると、チャームポイントでもあった柔和な瞳が別人のように反り返り、見るものすべてを射殺さんばかりに殺気を放っている。口からは、食いしばった歯が牙のように見え隠れし、額には血管を浮かべて怒りをあらわにしている。
――吃驚なんて、次元じゃない。
委員長のあまりの変容ぶりに、思わず腰を抜かしそうになった。
あの優しそうで、面倒見がよさそうで、柔らかな印象を与えた目を持った委員長は――いったいどこにいったのデスカ……。
「あぁん?」
声に反応して五人全員がこちらを向き、俺達二人に気が付く。たかりに遭っていた少年はこちらを見て、明らかに安堵したような表情を見せる。
「何だテメエら、どっから来た? 見せもんじゃねーんだよ。とっとと失せな!」
「なあに? それとも俺らにいじめられに来たってわけ? ぎゃはは」
俺たちを追い払おうと、二人の男が近づいてくる。距離はそう遠くない。
――時間がない。
粗削りだが、早急に立てた戦略を頭の中で繰り返し、自分の行動をシミュレーションする。
(一人はとりあえず足払い。もう一人は顎を狙って立てなくして、他のメンバーが来る前に初めの一人を気絶させる。委員長を安全な場所にやって、残りの三人は――――)
二、三秒で動作を決定し、無駄な思考を止めて行動に移す、
――その前に。
ふっ、と横から委員長が消えた。
気が付いたら、委員長は二人の不良の前まで駆けていた。一瞬の出来事に、男共は何が起こったのかわかっていない。
(な、にを…………!!)
ざしゅ、と靴が擦り切れるほどに勢いよく止まり、その直後、委員長は身体を大きく捻る。右拳を握り締め、野球の投手のような構え。
あれは明らかに、
「おらあああああああああああああああああああああ!!!!」
――力に任せた、右ストレート。
どふ、と壁を叩いたような鈍い音が、ここまで聞こえる。
一人の男が腹を押さえて膝を突いた。そのまま抵抗することもなく、無言で前のめりに倒れる。
「て、てめ――」
もう一人が何かを言おうとしたが、それは途中で遮られた。
委員長は、右拳を振りかぶったそのモーションのまま、くるりと身体を左に捻る。
左腕を折り曲げ、相手を見ることなく、そのまま遠心力に任せて高く上げた肘を振り下ろす。
生々しい音を立てて、直撃したのはモロに顔面。すぐに鼻から血があふれ出した。
そこに追撃をかけるように、先程より勢いの増した回し蹴り。捻った身体をさらに回転させ、えぐるように胸を蹴った。
ぐ、といううめき声とともに、後方に倒れる。大の字に仰向けになって、すでに意識はないようだ。
「ひ、ひぃっ……!!」
離れた場にいた男達が危険を悟ったのか、後ずさりするのが見える。一人は腰を抜かし、あとの二人は走り出す体勢だ。
「逃がすかよごらあああああああああああああ!!!!」
委員長はすぐさま駆け出し、目にも止まらぬ速さで三人を追う。スピードの差は明らかで、瞬く間に三人に追いついてしまった。
走っている二人の間をすり抜け、またもやざざっと急ブレーキ。
振り返り、勢いをつけたまま二人の額を両手で掴むと、
「ちょっとばかし寝てろぉ!!」
息を付く間もなく、地面に叩きつけた。
後頭部への直撃。大丈夫なのか――などと俺が心配しているうちに、委員長は腰を抜かしていた最後の一人に手をかけていた。右手で首襟をつかみ、高々と持ち上げる。
余った左手はスカートのポケットの中。表情を見ると、委員長の怒りはまだ収まっていないようだ。
(ああ……あの制服のスカートにポケットってあったんだ……)
闘いが一段落ついて安心したのか、俺は全く場違いなことを考えていた。
いやしかし、あのポケットってスカートの折り目で隠れてるから、存在自体知らなかった。
「ぐ……がはっ……」
持ち上げられている男が辛うじて声を出す。宙に浮いたままジタバタともがき、息をするのも苦しそうだ。
(もうそろそろ止めてやらないと、まずいかもな)
俺は委員長に声を掛けるために、隠れていた陰から身体を出す。
「!? 誰だ!!」
がさ、という俺の足音に反応したのか、委員長が警戒して振り返る。
俺の視界の端で、被害者の少年が再び怯えるのが見えた。そいつに向かって右手を払い、目でどこかに行くように指示する。ぺこりとこちらに向かって頭を下げ、少年は早足でここから去る。
俺は降参のサインとして両手をあげ、茶化して呆れたように言った。
「委員長、俺だよ俺。だからそんなに殺気立つなって。……それにしても凄いな委員長。いくら二人と三人に分かれていたからって、まさか瞬殺とは――――」
「なんだぁ貴様は……。怪しい奴だなあ。おめェもこいつらの仲間か?」
俺が近づいても、委員長は警戒を解かなかった。
いやむしろ――
「……は? いやそんなわけな――」
「ふむ……。おめェはこいつ等とは違って、少しはやるようだなぁ?」
委員長は俺の身体を舐めるように見て、ニヤリと笑う。
「だが感心せんな。それだけの強さを持ちながら、何故このような愚行を犯す?」
「いやだから」
「いや、だからこそ、か。精神の弱いものが力を持つと、このように底に堕ちる者が出るという例は少なくない。感心せん。感心せんぞ」
「あのー……委員長さん?」
「しかし、それをアタイが更生してやるってのも、悪くないねェ……」
もう完全に独りの世界である。いったい委員長はどうしてしまったのか。
くく、と嫌な笑い方をして、委員長は手元の男を見る。
「ふん、まあどうでもいい」
手にしていた男を捨てるようにして投げ下ろし、ぱんぱんと手を叩く。
一息ついたかと思ったら、ぎろりと俺を睨みつけた。
「弱者に驕るクソどもは……、アタイがぶっ殺してやるよぉ!!」
「だから何でそうなるんだあああああああああああああああああ!?」
俺の叫び声が哀しく響くなか、委員長はまたもやあの足捌きで俺に肉薄する。
いつ目の前に来たのか、いつ構えたのか、そんなことを思う暇もなく、委員長の拳が俺を襲う。
「――っぶねえ!!」
これを避けられたのは、運が良かったと言う他ない。拳を放つ前の異常な殺気を感じ取り、無意識の内に逃げるモーションに入っていた。
すぐに次のパンチが飛んでくる。しかし今度はちゃんと意識を持って避けられた。
さっきは不意を付かれたが、集中すれば、そこまでの速さは感じられない。
俺はあまりにも――母さんの拳を見慣れすぎた。アレに比べればこのパンチなど、亀とチーターほどの差がある。
ああ……見慣れたというには語弊があるな。
見ることが出来たなんて、一度もない。
「おらぁ!! はあ! てやああああ!!」
委員長が息を付くまもなく立て続けに殴りかかってくる。しかし何故か、先ほど不良どもを倒したときのような、華麗と言っても過言ではない足技は使ってこない。
スカートが翻るのを期待したのに。
(さっきの縞パンはポイント高かったからな!)
二人目の不良を倒したときに、ばっちりと見えた。
こんなときでもエロ観察を忘れない男、春日井楼火なのであった。
(――っと、そんな場合ではなかった。この状況を何とかしなければ……)
委員長の攻撃を紙一重でかわしながら、この状態について考えた。
――そもそも何故、委員長は人が変わったようになったんだ?
敬語はなくなったし、目つきが鋭くなったし、控えめな態度に関しては皆無である。
それに、これが今一番分からないことなのだが――
(俺のことを、覚えていない……?)
というより、知らないのかもしれない。
「誰だ」だの「おめェ」だの、俺が誰であるかわかっていない発言が多々ある。
と、いうことは。
薄々感じてはいたことではあるが、もしかすると委員長は――
「二重人格か……?」
「――お?」
とめどなく拳を浴びせていた委員長がぴたりと止まる。
「なんでそのこと――」
委員長が警戒を緩め、腕を下ろそうとしたまさにそのとき。
「やめなさああああああああああああああああああああああい!!!!」
体育館の陰から、小学生の声が聞こえてきた。
いや、胸が大きいから、かすみんだ。
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