第十七話 扉はノックがマナーです
さっきも言った通り、ここの武道場は小学校の体育館くらいの大きさがある。江戸時代の長屋のような造りで、木造らしい。入り口は両開き戸で、開けるときには蝶番を中心に弧を描くように開いた。
扉を開くと何故かまたさらに引き戸の扉があり、横を見ると、同じような扉が三つあった。何故三つもあるのか不思議だったが、ここは武道場なので一つの部活だけではないんだと言うことを思い出して納得した。
おそらく、この三つの扉の奥では、三種類の部活動生たちが汗をほとばしらせながら青い春を過ごし、日々自分自身の技を磨き上げているのだろう。そういえば、武道場では剣道部と柔道部と空手部が共存して使っていると春奈が言っていた気がする。
みんな強いのかなー俺なんか歯も立たないやつらばかりかもなーあでも意外と美咲ならこの筋肉隆々のゴツイ人たちに勝てるかもなーさっきのシャイニングウィザードは見事だったもんなー後で智也を実験台にもっと他のプロレス技やってほしーなー!!
ん? 俺か? 現在俺は、絶賛現実逃避中だ。
「な、なななにやってんのよアンタアアアァァァアァァアァァアァ!!!!」
美咲が大絶叫にも似たツッコミを春奈に入れる。
「ん? 私はただ、借金取りの怖いお兄さん風に、本来ならば水平方向にスライドされるはずの引き戸を垂直方向に蹴り破っただけだ」
「なに自分がやったことを冷静にスラスラと述べているのよー!?」
「なかなか滑舌が良いだろう? 私の得意なことはオセロと早口言葉なのだ」
「そういうことじゃない!!」
目の前の状況を見たら誰だって現実逃避くらいしたくなるってもんだろう。本当なら軽く小一時間ほど実行したいところだが、今の俺には一分より多い時間は与えてくれないようだ。春奈が蹴り破った戸はそれの上部と下部だけをかすかに残し、真ん中だけをくり抜くようにしてぽっかりと穴が開いていた。ここの扉も初めの入り口と同じように開き戸だったら、壊れずにバタンと開いて、音が少しうるさいくらいの被害だけですんだのに、よりによってスライド式とは。
しかしこの戸は上下に溝があり、少なくとも常人がただの蹴りをかましたところでビクともしないはずなんだが……どうなってるんだ?
春奈の攻撃の被害にあった箇所の断面を見てみると、割り箸を横に叩き折ったときのような、不規則な木の尖がりが剥き出ている。少し手が触れただけで刺さってしまいそうだ。
蹴りによって壊された扉は前方に大きく吹き飛び、埃をまき散らかして横たわっている。その埃と、パラパラと音を立てる木屑とが混ざって俺たちの視界を覆う。ケホケホと皆がそれでむせている中、春奈は平然と突き立って悠然と前方を見据えていた。
その目線の先は――俺たちと同じく呆然としていた、ここの部員たち。
まだ練習が始まったばかりなのだろう、準備運動をしている状態のままで固まっている者もいれば、正拳突きのような格好のまま石化している者もいる。人数はパッと見た限りでは二十数人。その誰一人として例外なくすべての人がこちらを見ている。一人ひとりが白い道着を着ている。
遠目では良くわからないが、着ている道着の薄さと袖の短さから、空手着だと判断する。
(なんてことをしてくれたんだこの小娘……!!)
のど元まで出かかったそんな叫び声をを何とかして耐える。もう突っ込みはいい。美咲がしてくれた。
美咲と春奈の言葉の往来があったあと、辺りにはしばらく、水を打ったような沈黙が訪れた。
それに耐え切れず、俺が春奈にその行動の真意を問いただそうとしたとき、
「おいそこの女ああああああああ!!! なにやってんだああああああああ!!!」
いち早く石化を融解した空手部員の一人が、美咲以上の大声でもってこの場の沈黙を打ち破った。それで我に返ったほかの部員がはっとしたように改めてこちらを向く。事態を把握したようで、その形相は扉を壊されたために怒りをあらわにしている。
「なにやってんだ、などと言っているが、あの者たちは見てわからないのだろうか? なあ楼火先パイ」
春奈はわざと部員たちにも聞こえるような大きな声で言った。
頼むから俺に振らないでくれ。
「貴様ぁ!! ふざけんな!! 自分が何やったかわかってんのか!!」
先程とは違う人の怒号が武道場に響き渡る。それに対して春奈は、全く動じる様子が見えない。
うるさいな、こいつ。大声で叫ぶのはやめてくれ。奈々が怯えるじゃないか。
「ここをどこだと思っている! ただでは帰さんぞ!!」
これがファンタジーだったら「生きては帰さんぞ!」になるんだろうなあ、などとこの場に似つかわしくない思考を口に出そうとすると、俺の両腕に軽い圧迫感が。
見ると、奈々と姫奈ががっしりと俺にしがみついていた。二人とも顔面蒼白だ。やはり怒号に続く怒号で恐怖感を覚えたのだろう。震えているのも左右から伝わってくる。
両手に花。今日一番の幸せ。まさに羽化登仙の心地である。少し残念なのは、女性特有のふくよかでマシュマロのような双頭のモノの感触が全く無いことくらいか。残念だ。
しかしこれでは動けないな。いきなりあいつらが襲って来たらどうしよう。
(まあいいか、春奈が何とかしてくれるだろ)
とりあえず今はこの感触を堪能しよう。
ふと思ったが、美咲は大丈夫なのだろうか。智也を殴るところを見る限り強いということは明白なのだが、そうは言っても中身は女。こんな男の集団に睨まれたら、今の奈々と姫奈のような状態になっても仕方ないのだが――――
「ち、ちょっと。ただでは帰さないって言ってるわよ? どうすんのよ!?」
「何円ぐらいで帰してくれるだろうか」
「お金の問題じゃないわよ!」
「五円?」
「少なっ! 確かに御縁はあるけど!」
「おお、流石美咲先パイ。上手いことを言うな」
「うんちょっと自分で言って恥ずかしかったわ!」
――ツッコミに忙しいようだった。
「は、春奈ちゃんは何がしたいんでしょう……?」
不安で不安で仕方ないような顔をしながら姫奈が言う。
(確か、部長がどうとか言ってなかったか?)
ここの扉を蹴り破ったときに、春奈はそのようなことを叫んでいた気がする。はっきりとはわからないが、それがここに乗り込んできた理由なのだろう。
「おにぃおにぃおにぃおにぃあのヒト大丈夫かな? 大丈夫かな?」
小型犬のように小刻みにプルプル震えながら奈々も言う。
「自信満々に見えるし、大丈夫だろ。何か策があるんじゃないか?」
怖がる妹の手前で言えなかったが、実を言うと俺も激しく不安だ。
意味も無く物を壊したらそれなりの罰を受けなければならないのは、幼い頃から嫌と言うほど理解させられた。俺と奈々は特に。特に。
……思い出したくもナイゼ!
『聞いとんのかゴルァァアア!!』
美咲と春奈の会話を聞いて無視されたと思ったのか、空手部員はシンクロして叫びだす。
ビリビリと空気を揺るがすような大声に、やはり春奈は泰然自若の構えだ。
ツッコミという使命を終えた美咲は改めて今の修羅の場を理解し、ビクッと一気に怯えた表情になる。
どうでもいいけど、ツンデレ少女が怯えた表情って激しくそそるな。俺ってばSなのかしら。
「ああ、私は聞いているぞ。貴様らの汚くて醜い口元から発せられる、低くてしゃがれた聞くに堪えない声なら、否が応でも私の耳に入ってしまう」
滅茶苦茶挑発してるー!
「んだとゴルァ!!」
「『んだとゴルァ』とはまるでそこら辺の町の隅に吹き溜まっている、社会のゴミどものような口調だな。というかもう少し静かにはできんのか。姫奈嬢が怯えてしまったらどうするのだ」
もう十分怯えてしまっていて手遅れですが。
ものすごい勢いで言葉をまくし立てていく春奈に対して、空手部員は怒りで顔を真っ赤にしながらブルブルと震えていた。両手の拳は、自分の指の爪で血が出てしまいそうなほど握り締められている。あと一言バカとか言ったりしたら爆発しそうだ。
「ばかはバカらしく黙っていろ、この大馬鹿野郎共が」
三回も言っちゃったー!!
「てめえええええええええええ!!!」
とうとう我慢の限界が訪れたのか、空手部員の一人が春奈に向かって両手を広げながら襲い掛かる。二人の距離は十メートルほど。ぶつかり合うまで数秒とかからないだろう。
あいつは腐っても部活動生。学校内だし、どんなアホでも、女に暴力を振るうようなクズではないと思っていたが、認識が甘かった。怒りは理性を吹き飛ばすなんてことは常識なのに……!
(――チィ! 間に合うか――!?)
俺が急いで春奈と部員の間に飛び出ようとするが、動けない。
見ると、両手には綺麗な花が。
じゃなかった、奈々と姫奈が。
俺が動けない状態だってことをすっかり失念していた。早くこいつらの手を離さないと!
まずは奈々。そう思い振り払おうとすると、腕に余計にかかる負担。奈々が必至になって俺に抱きついていた。自然と上目遣いになり、目が合った。瞳には涙がたまっている。
……超かわいい。
…………。
…………。
じゃない! 春奈は!?
ボーっとしている間に確実に数秒たった。急いで春奈のほうを見ると、今まさに部員が春奈の胸元に掴みかかろうとしていた。
(春奈!!)
俺がそう叫ぶ前に、部員の右手が首襟を――――掴めなかった。
一瞬前には仁王立ちのようにして立っていたはずの春奈は、いつの間にか左肩を大きく引き、右足を出して仰け反る様な体勢になっていた。それにより相手の右手は虚空を掴む形に。最小限と思われる動きで回避した春奈は、左手は後ろにぶらんと力を抜いてたらしているが、右手は身体の中心より少し上――鳩尾に掌の形で添えられていた。
目標を失った部員は自分の右手の勢いを殺すことができない。自分自身の重心を容赦なく崩し、右前方に倒れこむような体勢になる。しかし今の春奈がそんなことを許すはずはない。掌の形のままの右手が、そのまま――鳩尾に衝撃を与える。
「ふぼおぁ!!!」
口から体中の空気がすべて吐き出されてしまったような音を出しながら、部員は白目を剥く。
その瞬間後に、さっきまで用無しだった春奈の左手がにゅっと伸びて、突き出ている部員の右手を掴む。手前にぐっと持ってきて、自分の右手もそこに添える。そのまま倒れてくる勢いを利用し、くるっと回転させ――――叩きつける!
ダンッッ!!!
柔道の一本背負いのような形の投げを受けた部員は、大きな音と共にタイルの上に叩きつけられた。背中を打ちつけて呼吸が困難なのか、がはっと空気を吐き出すように息継ぎをし、そしてそれを最後にぐったりとして静かになる。意識を手放したのだろう。
「けしからんヤツだ」
飛び付いて来たヤツに悪態をつきながらも、春奈の左手は今だに部員の右手を掴んだまま。つまりは、相手の身を案じているということ。余計なダメージがいかないように、かばったのだろう。
(――流れるようだった……)
掴まれるところだけを予想しての回避。
相手の死角へと潜り込むときの動作。
右手の掌での攻撃及び重心崩し。
相手の勢いを利用しての投げ。
一連の動作が、何度も繰り返してシュミレーションされたかのような正確さで動いていた。
(…………コイツ本当は滅茶苦茶強いんじゃ――――)
「胸を掴むなんぞけしからん! 私の乳房に触っていいのは姫奈嬢だけだッッッ!!!!」
突っ込みどころ満載だネ☆
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