第十三話 上目遣いってのはリアルでもアリ
「また会いましたね、ディープさん」
ぎゃあぎゃあと俺の右横で騒ぐ奴らがいる中、その透き通るような声は俺の頭の中にすっと入り込んできた。
振り返ると目に付くのはさらりと流れるような黒髪。光の反射の具合によっては青みがかったようにも見えるその髪も、忘れることができない。昨日と同じそれだ。ただ違うところといえば、あの真っ白なワンピースを着ていないということくらい。
俺はツンデレ少女のときよりも、はるかに超えた驚きをもって目の前を見つめる。
俺の左側の席で机を真っ直ぐ向かせたまま横を向いているその人は、清楚さん。ニッコリと微笑むその笑顔もまた昨日と変わらないのだが、今はそれがどこか得意顔に見える。俺の驚き顔を見られたことがよほど嬉しかったのだろうか。
「………………ああ、また会ったな」
周りからしたら全くそんなことはないのだろうが、俺が固まってから復活するまでの間は、俺にとって十分にも一時間にも思えた。
言葉を発するのがやっとだった俺は思わず投げやりな言い方になってしまったが、清楚さんはそんなことを気にした様子は微塵も見せず言う。
「いつかまた、必ず会いたいとは思っていましたが、こんなに早く会えるとは思いませんでしたよ」
「……俺もだ」
「また会えて嬉しいです」
「……俺もだ」
さっきから相づちを打つだけの返答になっているが、それ以上の言葉が思い浮かばない。柄にもなく、俺は混乱しているらしい。
初めて会ったときからこいつには頭をかき乱される。出会い方が出会い方だからドキドキするのは当たり前かと思ったんだが、これはどうやら――――
「きっと――恋の神様が私たちを引き合わせてくれたんですね」
違うだろ何をおっしゃるかこのお嬢さんは。あまーい! とでも俺が言うのを待っているのか? 突っ込み待ちか、突っ込み待ちなんだな?
まったく。今の発言の所為で十数時間ぶりの感動の再会シーンが台無しになったじゃないか。それに思考も中断させられた。まあ、だいぶ混乱からも覚めてきたが。
「ふふ、それとも私達は赤い糸で結ばれているのでしょうか。……ああもっと現実的に言わなければなりませんね。あの時、私たちはもうすでに唾液という名の透明の糸で繋がれて――――」
「あれ? 楼火、もう四法院と仲良くなったのか?」
清楚さんが空虚を見つめて、聞き取れないほどの小さな声でぶつぶつと独り言を言っていると、それを遮るように智也が後ろからにょきっと顔を出して言った。会話の流れからして、四法院とは清楚さんのことなのだろう。
ツンデレ少女との口論から殴り合いまでに発展したのか、顔はあちこちが腫れており髪もボサボサだった。その横のツンデレ少女は平然とすました顔をしているので、その力の差は歴然としている。智也、情けないぞ。
「いや、この子とは昨日もうすでに会っていてな」
「へー、どこで?」
「何とか百貨店。名前は忘れたが、かなりでかかったな」
「ほうほう、あそこのデパートですな。いやー! 奇妙な偶然もあったもんだ」
「……奇妙?」
確かに、転入生が学校に行く前日にデパートでその学校の生徒と会ってここで再会、みたいな偶然に偶然を重ねたような状況は滅多にないことだとは思うが、別に奇妙ではないと思う。
「そうそう。普通は四法院が一人で外を出歩くなんてことはありえないからな。珍しいときに四法院に会ったから奇妙って言ったんだ」
清楚さんの風貌。振る舞い。話し方。名前。一人で出歩くことはない。
これらのことからある程度予想はついたが、一応なぜありえないのかと聞く。
「なんだ、知らないのか? 四法院つったらこの辺では有名な財閥なんだぜ?」
「……そうなのか」
やはりか。聞いたことはないがここに住んでいるものが言っているのだから間違いないだろう。
それにしても、本物のお嬢様ってのは雰囲気がにじみ出てるものなんだな。初対面の時から高貴な感じはしていたんだ。着ていたワンピースも高そうだったし。――過剰なまでにロマンチストなのも箱入り娘だから、か? それとも世間をあまり知らないとか。
……いや、ただの天然さんなんだろう。
「ふふ、あの時唾液を拭いたハンカチはまだ持っています……。繋がれています繋がれています……」
さっきよりも小さくなった声でぶつぶつ言っている清楚さんは異常なまでに不気味な雰囲気を漂わせていた。言っていることは聞き取れないが、それが逆に呪いの魔法を詠唱しているように聞こえてくる。先程までの天使の微笑みはどこへやら、いまでは魔女の嗤いに近くなっている。
……こんなキャラだったのか、あんた。
「……あー、今の四法院のことは気にするな。こいつ喜怒哀楽のどれかの感情が強くなったり混乱したりすると、トリップしてどっか行くんだ」
「……そのようだな」
どうりで何かおかしいと思った。――いや、おかしくはないか。昨日俺がキスしようとしたときもかなりテンパってたしな。
(――そういえば、まだこの子からちゃんと名前聞いてないな)
ふと、お互いにきちんと自己紹介をしていないことに気が付く。もう名前は知ったけど、こういうのは形が大事だよな。うん。
「おいそこの四法院のご令嬢」
「ふふふ、またあの感覚です……。あの下腹部の熱っぽさは忘れられ――――」
「四法院」
「――っひゃい!?」
びっくぅ! といった感じで身体を跳ね上がらせ現実世界に舞い戻ってきた清楚さん。虚ろだった目がしだいに光を取り戻して行き、半開きだった口もしゃきっとしてきた。
……乙女の表情とは思えませんネ。
「なななななんでしょうかぁ!?」
「とりあえず落ち着け」
さっきのだらしない格好から一変、慌ててぴしぃっと背筋を伸ばす。椅子の上に正座をしているのは突っ込んでもいいのだろうか。さらに言うならひっひっふーという呼吸法は落ち着くときに使うものじゃないぞ。
「――ふう。どうしました、ディープさん?」
どうやら数十秒で完璧に落ち着いたらしい清楚さんは、座り方を元に戻し呼吸法も正しくなっていた。さっきまで危ない表情していたなんて微塵も感じさせない。
……二重人格に近くないか?
「いや、俺達まだちゃんと自己紹介をしていないだろう? お前の名前だって知らないし、俺はディープインパクトなんて名前じゃない。確かに俺のアレは馬よりも映画の中の隕石よりも猛々しいが――――」
「ディープインパクトじゃなくて、ディープキスのディープです。ハードキスです。フレンチキスです」
「…………まあ由来なんてのはどうでもいい。俺には春日井楼火という名がある。これからはそう呼べ」
「……わかりましたー」
むー、と唸りながら不承不承といった感じでゆっくり頷く。清楚さん、ずっとそのあだ名で呼ぶつもりだったのか。
それでは、と清楚さんはまた姿勢を正し両手をひざの上に置き、お辞儀をしながら言う。
「私は四法院姫奈と申します。以後、姫奈とお呼びください」
こういう形式ばったところはきちんと教育がなされているのか、先程よりもより丁寧な言い方で名乗る。
「い、いや四法院でいいだろ」
智也といいこいつといい、初対面で名前を呼ぶって馴れ馴れしくないか?
「……え? 智也さんはいいのに私はいけないのですか……?」
……いや、呼び方から親しくなるっていうのもアリなのかもしれないな。うん。
いや別に目の前の人物の涙目が可愛いとか、蚊の鳴くような声に弱いとか、見上げるような上目遣いがキタ―とかじゃないから。常識的に考えてね、名前で呼び合える友人っていいだろ? そうそうそれだよそれ。
「いいぞいいぞバッチコーイ」
「ありがとうございます、楼火さん!」
満面の笑顔で礼を言う姫奈。輝くような顔はまるで太陽のようだ。超かわいい。
……あれ? 俺も名前で呼ばれてないか?
「はーい! じゃあ今日はこれで終わりですー! 皆さん寄り道しないで帰るんですよー?」
俺達が適当なことを話している間にかすみんのHRはもう終わったらしく、解散の合図が出された。
教卓の前に立っているかすみんは顔だけがひょっこりと出ているだけだった。ちょっとプルプル震えているのは、背伸びをしているからだろう。……背伸びをしないと届かないのか。
(なんだ今日は午前中だけだったのか。なら昼飯は帰ってから――)
『お昼ご飯一緒に食べよーねー、おにぃ!』
――と思ったが、奈々と一緒に食べると言っていたことを思い出し、考え直す。
(まあ約束だし、仕方ないか)
昼飯は決めていた通りに、奈々とあのでかい木の下で食べることにした。
俺はポケットから携帯を取り出して、奈々に今から行くことをメールで伝える。あいつの性格からしておそらく先に行っているだろうから、急がないとな。それに待たせるのは悪い――なんて事を少しだけ思いながら俺は教室から出るために立ち上がる。
「なあ楼火」
智也たちにお別れを言おうと思い振り返ると、あっちから話しかけてきた。
「なんだ?」
「お前、昼飯はどうするんだ? 予定がないなら一緒に食おうぜー! 軽い親睦会もかねてさ!」
嬉しいことを言ってくれるじゃないか。しかし残念、俺には先約が。
「すまんな、昼飯は妹と食べると約束してしまったのだ。だからまたの機会によろしく」
「おっ楼火、妹いんのか?」
「ああ、中二だ」
「へー……この美少年の妹となると相当の……うんうん。……いやしかし、中二ってことは十三歳か?さすがにまずいか……いやいやそれでも捨てがたい……」
急に小さな声でぶつぶつ言い出す智也。姫奈といいお前といい、呟くのが好きなのか?
「どうした?」
「い、いやなんでもない!!――そうだ! んじゃあさ、妹さんも入れてみんなで昼飯食おうぜ! 親睦会ってのならその子も入れるのが普通だしな」
今世紀最大の名案だとでも言いたげに、智也が明るい顔をして提案する。でも親指を立てた拳を突き出すのはもう古いからやめとけ。
しかし、それならいいかもしれない。知らない人を連れてきたら奈々がぶーぶー言うかもしれないが、こいつの性格と奈々の性格からしてすぐに打ち解けるだろう。
「……俺たちは弁当だが、それでもいいなら」
「っしゃあ! そうと決まったらさっそく行こう、緋向と四法院も!」
智也がグルンと腰と首をひねって後ろにいる姫奈とツンデレ少女に言う。
その格好、気持ち悪いからやめろ。
「えええええ!? あ、アタシも!?」
「私もよろしいんですか?」
「もちろんだ! ご近所付き合いは大事だからな!」
何か違うと思ったが、そのお二人さんは納得したらしい。姫奈は天然キャラだからいいとして、ツンデレ少女はなぜそれで納得する? まさかこいつも天然か? 勘弁してくれ。
三人がいそいそと準備をするのを見ながら俺は、そういえばまだツンデレ少女の名前聞いてないななどと考えるのだった。
|