第十二話 面白い自己紹介なんて不可能
あれから俺は幼女に案内されて、職員室に着いた。そこまでの行き道で幼女と話していてわかったんだが、この人が俺の担任らしい。二年二組だそうだ。俺の名前を知っていたのも担任だから当たり前と言っていた。
そのことを話すときの幼女の態度が少し誇らしげだったような気がしたので、とりあえずデコピンしてやった。またさっきみたいにぎゃあぎゃあ言っていたが、無視しないわけがない。
校舎の中は、外観からのイメージと同じように広々としていた。廊下の幅や天井の高さなど、すべてが普通よりも大きく通りやすいように作られている。
五メートルくらいの間隔で天井についている蛍光灯は、取り替えたばかりなのだろうか、通常よりも明るくフローリングの床を照りつけていた。壁は真っ白に塗られているが、黒い色の上履きの跡がついていて汚れているところもあった。その壁の延長線上にある教室側の窓は曇りガラスらしく、中の様子が覗けなかったのが残念だ。
職員室内で幼女になんだかよくわからない書類などを渡したとき、幼女が転入生は第一印象が大事ですよーとか自己紹介はちゃんと考えて発言するのですーとか言っていた気がするが、わかりきっていることなので軽く流しておいた。
「どんな自己紹介にしようか。爆笑必至のネタでいくか? いや、それだと今後の学校生活においてのキャラ付けが確定されてしまう。それに俺はもともとそういうのが得意なほうではないし、それは得策とは言えないな。じゃあ無難にいくか? いやいやそれも面白くはないか。そもそもこの時期の転校生はあまり目立たないよな。ただでさえクラス替えが行われて見知らぬ人同士が多いというのに、そこに自分が入っても転入生ということを知らない奴から見たら、ただの見たことない人だよな。やはりここは転入生という印象を付けるために、特別なことを言ってやつらの脳裏に俺のことを焼き付けてやろうか。いやしかし普通にいくという手も――――――」
「なにぶつぶつ言ってるんですかー、春日井君? もう教室に着いちゃいましたよー?」
はっとして周りを見渡すと、俺はすでに『2−2』というプレートを掲げた教室の目の前まで来ていた。教室の中からはどったんばったんと騒がしい音が大音量で聞こえる。
「ぎゃー!!」とかいう叫び声も時々聞こえるが気のせいだろう。もちろん「キャハハハ! 愚民共ひざまずくのよー!」という愉しそうな声も絶対に気のせいだ。
そして横には不思議そうに俺のことを覗き込む幼女の姿が。
……こんなに無垢な表情をした子が、俺より九年も多く生きているなんて……信じられないな。
「じゃあ先生が先に教室に入りますから、名前を呼んだらドアを開けて入ってきてくださいねー?」
「ああ、わかった」
幼女がガララとドアを開けて中に入っていくと、途端に静かになる教室。教師をぶっちぎりで無視して騒ぎたてる輩はどの学校にもいると思っていたが、それだけこの人は人望があるということだろうか。
『はーい、皆さん静かにするのですよー』
ぴしゃりと締め切られたドアから、ぐぐもった幼女の声が聞こえてくる。
『先生の自己紹介は先程しましたがー、まだ紹介しなければならない子がいます!』
ざわざわと騒ぎ始める声。
『かすみーん! それってもしかして転入生のことー?』
『はい、その通りです!』
またもやわいわい騒ぐ生徒の声が。
というか幼女。かすみんと言われて訂正しないということはもう諦めているってことか?
……ちょっとかわいそうになってきた。けど俺もかすみんと呼ぶことにしよう。
『女子の皆さん、大いに喜んでください! かっこいい男の子ですよー!』
キャーーという甲高い声とブウーーという低い唸り声。どっちが男でどっちが女の反応かは、一目瞭然だろう。見てないけど。
おい幼女――かすみん。何気にハードル上げてんじゃねえよ。これで俺が教室に入った途端ひそひそ声が始まったら、俺のガラスのハートはもうすさまじく傷つくぞ。
『春日井くーん! では入ってきてくださーい!』
どうでもいいけどテンション高いな、かすみん。それともそれがデフォルトか?
少しは年相応のしぐさを見せないから幼く見えるんだ、などと今は全く関係ないことを考えながら俺は教室のドアをガララと音を立てて開ける。
ざわついていた生徒たちがピタリと話すとことを止め、視線をこちらに向けてくる。
予想通りひそひそと小声で話し始める者。こっちに視線を向けたまま固まっている者。「あっ」と声を漏らしている者。「ひゅ〜」と今の時代それは古いだろと突っ込みたくなるような口笛を鳴らしている者。
三者三様の反応を見せてくれた二年二組の面々だが、今から自己紹介をしなければならない俺にとってそんなことはどうでもいいので、一人一人顔を確認している暇はない。
そのまま教卓の前まで行くと、にこにこ顔でチョークを渡してくるかすみん。無言で黒板をちょいちょいと指差している様子から推察するに、自分の名前を書けといっているのだろう。
カッカッと『春日井楼火』と名前を書いて、振り向く。そして、言ってやった。
「はじめまして、春日井楼火という。特技は拳法、趣味はエロ。一昨日この町に来たばかりでわからないことも多いから、色々と教えてくれたら嬉しい。今後ともよろしく頼む」
(うむ、無難だ)
これ以上ないくらい普通のことを言った俺のことを歓迎してくれているのか、パチパチパチパチと大きな拍手と歓声が聞こえる。その中に二、三人だけ固まっている人がいたが、俺は何かおかしいことでも言っただろうか。自分が考え得る限り最高の自己紹介文だったのだが。
ちらりと横を見ると、かすみんも口をヒクヒクと震わせて苦笑いの表情をしている。なぜだ。
「じ、じゃあ、春日井君の席はもう用意していますのでー、あそこに着いてくださいー」
何かを取り繕うような話し方で言い、かすみんが俺の席を指差す。
教室の黒板に向かって、左から二番目後ろから二番目のところ。横六×縦七の四二対という机の数からしてみると、割と良い場所だろう。かすみんも粋な計らいをしてくれる。後で一回だけ日野先生と呼んでやろう。
指示に従いコツコツと音を立てながら机と机の間を進んでいくと、先程のひそひそ声がいっそう強くなるのを感じる。
お前ら、そんなに俺は期待はずれだったのか。言いたい事ははっきりと言ってくれ。でないと、シャボン玉の薄膜並みに薄い俺のガラス細工のハートがパリンと逝ってしまいそうだ。いや、はっきり言われてもそれはそれで困るけど。
自分の席を見つけてトスンと座り込むと、それを見計らったように声を掛けてくるものが。
「春日井楼火、だったっけ? 俺は藤崎智也って言うんだ。ま、隣の席同士仲良くやろうや」
右側の席から話しかけてきたのはいかにも軽薄そうな男。その感想をより強くさせるのが、ツンツンに立っている金色の髪だ。かすみんよりは劣るとはいえ、なかなか鮮やかな色である。しかし染めてからだいぶ時間がたっているのか、髪の根元のほうから元来の色であろう黒い色がかすかに覗いている。『プリン野郎』と命名したかったが、先に名乗られては仕方ない。
「ああ、よろしく。お前のことはなんと呼べばいい? 藤崎か? 智也か? それともフルネームで呼んでやろうか」
「苗字で呼ぶなんて硬いこと言うよ。智也でいいって、智也。そのかわり俺もお前のこと名前で呼ばせてもらうからな! ははっ」
……第一印象で決めるのは良くないが、こいつの人格が少しわかったかもしれない。
それにしても会っていきなり名前で呼ぶとは図々しい奴だ。俺名前で呼ばれたことなんて両親以外一度もないぞ。あ、いや一人いるか。
……どうでもいい。
「ちょっと智也。あんた初対面の癖になれなれしいのよ」
男同士の会話に横槍を入れてくるのは、少し声の高い女の子。後ろの席から声がしたので、振り返って顔を確認したら、
朝に会ったツンデレ少女だった。
「うっせーな。桜坂高校を代表する万年遅刻魔には言われたかねーぜ」
「んな! それとこれとは関係ないでしょ!?」
「うん、関係ないなー。だけど今日も今日とて遅刻したことには変わりないなあ、緋向?」
「ぐぬぬぬー!!!」
俺が後ろを振り向いたままの変な状態で固まっているのもお構いなしに、二人は口げんかを始めていた。
……びっくりした。まさかここにいるとは。会ったときは冗談のように「同じクラスだったら反応に困る」みたいなことを思っていたが、本当にこうなるとは思わなかった。しかも同じ教室だけでなく後ろの席という事実。こうなることを予想できる人のほうが異常だ。
俺が考え事をしている数秒の間もがーがーと口げんかをしているツンデレ少女だが、俺のことは覚えてないように見える。落し物を拾うときに俺の顔を見せないようにしていたのは、効果的だったということか。
「バカ智也!」
「アホ緋向!」
もはや小学生のケンカにしか見えない。
このまま止めないでいるのもおもしろそうだな、などとこの不毛な争いを遠巻きに見つめることを決定した時、俺はまたしてもここでは聞くはずのない声を、聞いた。
「ディープさん」
ちょっとやそっとじゃ忘れることはできないこの声を、聞いた。
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