第一話 夢からの生還
闇の中にいる――
暗くて深い、誰もいない奈落の底――
そこに自分だけが立っている。
いや、立っていると言うのは語弊かもしれない。
ただ存在している、だけ。
というのも、五体の感覚がない。
それどころか、五感さえもない。
無音で、無色。
手足を動かしても動かしても微動だにしないことに驚く。
――さて、どうしたものか。
この状況に、そう考えずにはいられない。
すると考えただけなのに、先ほどの自分の言葉が音となってぐわんぐわんと周りに反響する。
まるで永遠と続くトンネルに向かって話しているようだ。
――すげえなこれ。どうなってるんだ?
その現象に対しての疑問さえも音として形を作る。
――なんだここは、思考が丸聞こえだな。エロいことなんかおちおち考えてられないぜ。
この雰囲気を取り払おうと軽めの冗談を言ってみたが、誰の反応もなし。それはそれで悲しいものだ。
――……まあ考えても仕方がない。どうせ何もできないのなら、寝るだけだ。
基本的に能天気な自分は特に何も考えずにこの状況を受け入れる。寝ている間に消えているんじゃないかなー、などという楽観的な思考は誰に似たのか。
うん、間違いなく父さんだな。
……!! …………!
今まさに眠りに付こうとしていたところに何かが叫ぶような声を聞いた。
――ん……、なんだ?
……にぃ! …………!
――俺を呼んでいる……?
はや……お……! ち…………うよ!
――よく……聞こえない……
……も……! …………ちゃ……!
――んー……別にいいや……
……………………………
――もう何も……聞こえないし……ゆっくり休―――――
「起きろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「ぬおお!!! なんだなんだぁ!?!?」
なんだなんだなんだなんだ!? 何が起きた!! 地震か雷か火事か親父か!?!? それとも天地が引っくり返ったか!!!!
「もう! 早く起きてよね、おにぃ!!」
激しく混乱しているところに誰かの怒ったような声が聞こえるが、今の俺にその内容を理解できるはずもない。
「どうした何があった!? 盗っ人でも入ったか!? それとも強盗か!! おのれ小癪な!! ここをどこだと思っている! 泣く子もさらに大泣きする春日井家にあらせられるぞ!! え、何知らないの? あちゃー、あんた大変なことしたなあ……。ここにはな、天使っぽい悪魔と言う完璧に矛盾した名前だがそれがとてつもなく似合っているという春日井加代子がいるんだ……。あんた、皮剥いで殺され――――って、あれ?」
俺は何してるんだ? ていうか何言ってるんだ? うちに強盗なんて入るわけないじゃないか。母さんがいたら泥棒は玄関先で撃退どころか家の半径一キロメートルで察知及び瞬殺だぞ……。
「お、おにぃ…………?」
蚊の鳴くような音で俺を呼ぶ声がしたので振り向いてみると、そこには地べたに座り込んで、怯えたような表情でこちらを見ている美少女、もとい女の子がいた。
一目見てまず目に入るのは、二つ左右に縛っていて少しだけ赤みがかっている髪の毛。これがもっとも可愛らしさに拍車をかけている。手入れには気を使っているのか、先の先まで綺麗にまとまっている。きちんと左右対称になっているのもこいつの几帳面な性格からきているのだろうか。
次に目がいくのが――人によってはこっちが一番かもな――中学二年とは思えないほどの胸。残念ながら――俺は全く残念でないが――『中学二年とは思えない』というのは、悪い意味で。つまりは貧乳。超絶までに貧乳だ。あの巨乳の持ち主の母親から生まれたとは到底思えない。そこだけに注目すると『え、幼稚園児? もしくは生まれたて?』と言ってしまうくらいだ。ABCなどのカップを無理矢理つけるとするならば、Aマイナス。今時ありえないが、ブラジャーなど中二になってでも付けた事がないらしい。見栄くらい張ってくれ。
ここまで言えばわかると思うが、こいつはわが妹、春日井奈々だ。
どうやらお寝坊さんな俺を起こしに来てくれたらしい。世話をかけるな、妹よ。
「ああ、すまない。ちょっと寝ぼけてただけだ、すぐ起きる」
俺が妹の容姿についてまとめている間中、ずっと奇異の目線を向けてくる奈々に向かって言う。
奈々の目にはどうやら俺がイタイ人のように写っているようだったが、俺が声をかけたことで正常に戻ったと判断したらしい。元の怒り顔に戻って言う。
「もう、ずっとうなされてて奈々心配したんだからね! 揺すっても起きないからどうかしちゃったかと思ったじゃない」
「うなされてた……?」
俺が、か? ……むう、どんな夢を見たのか記憶にない。
「うん。『もうエロいこと考えられないじゃないかー……』みたいなこと言ってたよ」
「どんな夢だそれは」
というかそんな状況耐えられないぞ。夢でよかった。
「ほら、今日は明日の学校とかこれからの準備のためにみんなでお買い物行く予定だったでしょ? 早く早く早くー!」
最後のセリフが幼いぞ、奈々。……ああそうだった。色々と買わないと、この部屋何もないもんな。
ちらりと部屋の中を見渡しても、若干の荷物と少数のエロ本しかない。しかもそれらがすべてダンボールの中に入っているから、余計に寂しく見える。
それにエロ本も、これだけの冊数じゃまったく足りな――――ゲフンゲフン。
「おにぃ?」
「なんでもない。さあ、一階に降りよう」
「う、うん……」
腹減った。母さん飯くれー、早く早く早くー。
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