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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第二部
68/92

68 卒業旅行

 同日、昼休み。3Bの教室は妙にガラガラだ。

 

 廊下側の列の真ん中が佐々木の席だった。彼は壁に背中を預け、椅子の上で胡坐をかいていた。 殆どの場合、彼は椅子に正しく座らない。片膝立てたり、足が机からはみ出ていたり。まともに座るのはテストの時ぐらいだろうか。

 生真面目な横顔は、英単語帳に向けられている。そうしていると、凛々しく見えるのだから不思議だ。口ではぶつぶつと発音しているらしい。机上の弁当には箸を突き立てたままだ。

 彼が昼休みに教室に居るのは珍しい。いつもは、みなと一緒にサッカーやバスケをしているものだ。

 

「俊。久しぶり」薫は努めて平常心だった。


 佐々木は英単語帳を膝に叩き付ける様にして視界を開き、犬のようにころっと笑う。もしもその赤茶けた頭に犬の耳が生えていたなら、パタパタと上下していただろう。


「薫ちゃん! 久しぶり! 珍しいな、薫ちゃんから会いに来てくれるなんてなぁ!」


 今はその陽気さが気に障った。薫はすぐに話題を切り出す。


「お前、正月……三日は暇?」


 佐々木は笑ったままの口を、決まり悪く閉じた。


「あー……。俺、勉強ヤバイから篭ってるけどな、え、何、何かあるの?」

「大崎が、合格祈願してこようぜ、って誘ってる。小野山神社で、初詣」


 佐々木は豪快に膝を打った。


「ええ! 俺も行きてー!」

「じゃあ来ればいいだろ。すぐそこだし」


 顎をくいっと振って、「すぐそこ」を表す。しかし、佐々木は煮え切らない表情だ。


「そんなこと言ってもよ、会ったら遊びたくなるだろ。じゃあ、俺の分も参ってきてくれよ」

「いいけど。……どこだよ」

「え?」佐々木は薫の質問の意図を取り損ねた。

「どこの大学に受かるように神様に頼んだら良いんだよ」


 佐々木は躊躇わずに言う。「小野山大学!」と、地元の国立大学の名を即答する。薫は少し面食らう。気まずくするものと思ったからだ。


「小野山は国立……だろ。お前、私立志望じゃなかったか」


 薫は、佐々木の後ろの席に座り、肘をつく。佐々木は英単語帳をぱらぱらめくり、風をおこして自分の前髪を揺らす。


「ウチ金無いし、兄弟多いしな。東京の私立はやめて、地元の国立にしたんだ」


 にわかには信じられない話だ。第一高校では、三学年に進級する際に「国公立志望」か「それ以外」でカリキュラムが変わってくる。(国公立でも更に、一級大学志望者は特別扱いだ。)なので、二年の終わりの時点である程度の進路は固めていなければいけない。当然、三者面談などを通じて親とも協議をしたはずだ。

 つまり、佐々木の親は私立でもいいと思っている。にもかかわらず、あえて地元国立を選んだ。しかも、急に。

 恐らく、九割は家庭の問題だ。自分が首を突っ込む問題ではない、と薫は結論付ける。


 佐々木は、球技大会が終わるまでは碌に勉強をしていなかった。第一高校と言えどもその底辺層は、平均以下の高校の底辺層と変わらない。ほぼ十割が進学だが、学力ヒエラルキーはどこの高校にも存在する。おそらく、学力がそのままだとしたら、私立も名も無い大学にしか受からないだろう。それが悪いとは思えなかったが、信念と志望が無ければ、ただ通過するだけになる。

 素質は並以上とは言え、そこから中堅の国立大学に合格するのは酷く難しいはずだ。寝る間も「祈る間」も惜しんで勉強するのも当然だ。

 

「……じゃあ、絵馬に書いておくよ『佐々木俊が小野山大学に合格しますように』ってな」

「うわ! それマジで効きそう!」


 佐々木はこちらに顔をむけて笑った。薫もようやく、笑った。相手の「話す・話さない」が問題なのではなかった。こちらの「聞く・聞かない」が問題だったらしい。


「薫ちゃん、」


 声の質が急に変わった。この声を聞くのは、酷く久しかった。

 佐々木が薫の頬に手を伸ばす。その手のひらの節は切ないほどに固かった。柔い薫の頬とは対照的だ。


「ん?」

「好き!」

「解ってるよ……」

「ほんとに、好きだよ」

「……ハイハイ」


 ――逆に、聞かれなければ話さなくて良いのではないか? 

 佐々木は薫に「好きな人は居るの?」とも「付き合ってくれる?」とも聞かなかった。故に薫は、自分の恋愛事情を彼には伝えなかった。言おうが言うまいが、吹っ切れた彼はきっと変わらない。  

 そんな佐々木にとっては、「薫の」が付属する物事はどうでもいいことだった。彼はただ、「薫」が好きなだけだ。「薫の」想い人も、「薫の」恋人も、どんな存在も、もはや彼を妨げない。


 佐々木の手が滑り落ちて手首を捻る。痛かった。彼の目が自分を射る。途端、心臓が妙な具合に跳ねる。

 ――佐々木に対して、苛立っているのだろうか。それとも嫌悪感か。


(……違う)


 夜の公園がフラッシュバックする。佐々木の口元に目が行く。途端に、体中の毛穴から油が沸くような感覚が襲う。


「なあ、みんな見てねえし、チューしよ?」

「バ、バカ言うな!」なぜか小声だ。

「なんだよ。いつもしてるだろ、」

「昼休みの教室ではしてない!」


 彼のもう一本の手は薫の肩口を捕らえる。椅子には肩膝を立てままで、上半身だけを伸ばして近づいてくる佐々木を押し返す。


 ――そこに咳払い一つ。二人は力を緩めて上方に顔を向ける。


「盛り上がってるところ悪いんだけど。ちょっといいか」

「「皆川、」」


 3Fの皆川が、隣の机の上に腰を降ろした。皆川には妙なところばかり見られている気がした。佐々木が軽く睨みつける。


「おい、直哉! お前って奴は、なんでいつも邪魔なタイミングで現れるんだよ! 見張ってるのかよ」

「ふざけんな。俺は、薫なんか襲いたいとは思わない」と笑う。

「襲ってねえよ! 誘ってんだよ!」

「お前の場合、一緒だよアホ」と薫。


 皆川は、手のひらを向け「まあまあ」と場を落ち着かせる仕草をする。


「薫、俊。春休みさぁ、卒業旅行に行かないか?」

「「春……休み?」」


 薫と佐々木は顔を見合わせた。少なくとも、目下は冬休みだ。


「……まあ、覚えとけよ。また近くなったらパンフレットとか渡すしな。計画は俺に任せておけ! 一般入試のお前らが落ち着くまで待っててやるよ」


 あっけらかんと笑う皆川。薫はぎょっとする。まだまだ先が長い勉強に身をやつしている人間の神経を逆撫でするタブーな話題だ。推薦入試の人間が口にしてはいけないことだ。


「調子乗んな!」佐々木は間髪入れず、皆川の二の腕を拳で殴る。しかし、すぐにニマっと笑う。


「そうやっていい気になってられるのも今のうちだぞ、直哉! 大学行って、東北の田舎で女に飢えてろ!」

「……知ってるか。仙台には地下鉄があるんだぞ?」

「マジで!? 俺、完全敗北じゃねーか!」


 互いに小突いて笑い合っている二人。

 きわどい冗談も通じる二人の関係が少しだけ羨ましかった。悪意と取れてしまいそうな言葉も、彼らの間だとジョークになる。

 三人でひとしきり笑いあったあと、皆川は薫と佐々木の肩を力強く叩く。


「……頑張れよ」 


 皆川は、ひらりと手を振って3Bを後にする。薫と佐々木は顔を見合わせて照れたように笑う。

 

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