疲労の原因と看病の恩
「おい、ラズ!」
ゆさゆさと揺さぶられ、ラズは重たい瞼を一生懸命持ち上げた。
「……リング?」
そこには、見慣れた友の姿があった。
「おい、ラズ。あの女、知らねーか?」
「あの女?」
リングの口から女の子の話が出るなんて珍しい。
そう思いながら体を起したラズは、昨日の事を思い出しハッとして一気に目を覚ました。
「ミホナ、いないの?!」
決して広くない小屋の中を見渡すが、美穂奈の姿は見えない。
「俺もさっき起きたばっかなんだよ。」
リングもぐるっと小屋の中を見渡し、溜息を吐いた。
「つか、いつの間にか朝だしな。マジ久しぶりに死んだ様に寝た。」
「そんな事言ってる場合じゃないだろう!ミホナはどこに行ったの?」
「俺が知る訳ないだろう。」
全く役に立たない友人にラズは痺れを切らした様に、小屋の外に美穂奈を探しに行こうと立ち上がる。
「どこ行く気だよ、ラズ。」
「ミホナを探すんだよ、決まってるだろ。」
「ほっとけって。やっぱり異世界とかただの虚言で、俺等が寝てる間に逃げたのかも知れねーだろ。」
まだそんな事を言ってるのかとラズはリングを睨んだ。
「あの本。リングだって、ミホナの言う事全部が全部嘘じゃないってわかっただろう。」
あの赤い本の秘密。
それは、あの本に魔力を注いだリングが一番理解しているはずだ。
「わーってるっつの。だったら尚更、あの女が言ってる事が本当なら、最終的に頼れるのは俺等だけだろ。あの女は頭が悪い訳じゃなかったし、ちゃんとその辺りは理解してるだろ。無謀にも1人で街に行って、異世界から来たとか吹聴する様な感じじゃなかったし、すぐに戻ってくるだろ。」
リングの言葉に、ラズはストンとソファーに座りなおした。
たしかに、美穂奈はどちらかと言うと頭の良い女の子だった。
リングが言った様な無茶はしないだろう。
もしかしたら、その辺を散歩してるだけかもしれないし。
「そう、だね。少し待ってみようか。」
そこで、ラズは枕元に置かれた水を見つけ、少しだけ頬を緩めた。
きっと、美穂奈が置いてくれたのだろう。
ラズはその水に手を伸ばし、口を付ける。
重くて仕方がない体が、少しだけだけど軽くなった気がした。
「……こんな風に、魔力がからっぽになるまで使い切ったのは初めてだな。」
ポツリと呟く様に言われたリングの言葉に、ラズは顔を上げ苦笑した。
「僕もだよ。緑の本を読む時だって、ちゃんとある程度の余力を残して終わってるし。こんな風にからっぽになるのは初めてだよ。魔力を使い切ると、疲労感で倒れるんだって始めて知ったよ。」
「だな。つか、倒れるぐらいで済んで良かったよな。下手したら、死んでた。」
リングの言葉に、ラズも硬い表情で頷いた。
「だね。僕も、緑の本を読み終わった後で魔力がほとんど残ってなかったら、本当に危なかった。咄嗟に防御魔法を発動させて良かった。」
防御魔法はラズの一番得意な魔法だった。
それ故に、ギリギリ持ち堪えられたのだと思う。
「俺は、一番得意な攻撃魔法使って相殺したんだけどな…。驚くべき事に、完全に相殺しきれなかったんだよな。大分押されてた。」
ラズが赤い本を見る。
リングの言葉が本当なら、やはりあの本は……。
「信じらんねーけど、あの赤い本はSS級だ。」
リングは、優秀な魔法使いだ。
この世界でも一握りの人間しか使えないとされているS級の魔法をいくつも使える。
特に、攻撃魔法に関しては天才的だ。
S級の中でも、凄く上質な魔法を使う。
なのに、そのリングの攻撃魔法をもってしても相殺出来ないとなると、答えは1つしかない。
あの赤い本が放った攻撃魔法の級がSS級なのだ。
それはすなわち、あの赤い本の級自体が、SS級だという事。
「エルドの作った本じゃないな。たしかにエルドは若い頃SS級を使えたが、緑の本と比べると大分魔法の性質が違う。」
「それは僕も思った。曾祖父の魔法と比べて、もっと強力で凶暴な感じがした。それに、あの赤い光……。」
ラズの言葉に、リングは頷いた。
「あぁ、あれは原色の色だ。」
美穂奈には、作った人間の色が絶対に魔法道具に定着する訳ではないと説明したが、原色は別だ。
原色の色、赤、青、緑、黄の4色は絶対に魔法道具に定着する事はない。
そう、原色持ち以外の人間が作った物以外には絶対に。
「ただの赤系統の色を持つ魔法道具ならまだしも、赤の原色の色を持つ魔法道具とか、有り得ないだろ。」
「赤の原色持ちが作った魔法道具。それが、何故異世界の人間であるミホナに引き寄せられたのか。ますます謎が深まったね。」
「ったく、また面倒な女拾いやがって。」
その言葉には、ラズは苦笑するしかなかった。
何故なら、自分でも結構面倒だと思っているから。
でも、だからと言って、放り出す気はないけども。
リングも、今はきっと美穂奈に興味を持っているだろう。
何故なら、彼も自分と一緒で、魔法馬鹿だから。
女の子っていうのもあるけれど、それよりも何よりも、あんなに現代魔法の不思議や秘密の塊を、手放すのは惜しいから。
「……それにしても、あの女遅いな。」
「そう言えば…。本当にどこ行ったんだろう?」
この小屋の周りはただの森だ。
何か目新しいものがある訳でも、楽しい場所もない。
「そろそろ探しに行った方が良いかな。」
そう言って立ち上がった瞬間、出入り口の扉が開かれた。
そこには、毛布を頭からすっぽりと被った美穂奈が立っていた。
「ミホナ。どこ行ってたの?」
少しホッとしながらラズが呼べば、美穂奈は何だか赤い顔でモジモジとこっちを見る。
どうしたのだろうとラズが首を傾げれば、美穂奈は蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
「お、おトイレって、どこかしら……。」
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最悪だわ。
ラズに教えてもらい、小屋の外にあるトイレを教えてもらった美穂奈はその後2人に昨日の事について説明をされたが、あまり頭に入ってはこなかった。
朝起きて、最初に聞く事がトイレとか…。
大丈夫?とか、何か食べる?とかもっと気の利いた言葉があっただろうに。
よりにもよって、トイレ。
生理現象なのだから仕方がないが、恥ずかしい。
1人反省会をしていると、ラズの心配そうな顔が美穂奈の顔を覗き込んで来た。
「……ミホナ、聞いてる?」
その声に、ハッと顔を上げた美穂奈はコクコクと頷いた。
「え、ええ。あの赤い本がSS級の魔法道具だったのよね。で、ラズもリングもあの本からの攻撃を防ぐ為に魔力を使い果たしてしまい、倒れた。」
「そうだ。魔力ってのは、生命エネルギーみたいなものだからな。それが空になると、俺等は身動きが取れなくなるんだ。」
電池切れのオモチャの様なものかと思うと、なんとなくリングも少しだけ可愛く思えた。
「でも。そうすると、ラズの曾おじい様の本とは何の関係もないのよね。だったら何であんなに似ているのかしら。偶然?それにしては出来過ぎじゃない?」
美穂奈の持つ本とラズが持つ本は本当に良く似ている。
色が違うだけで、デザインは全く一緒だ。
偶然にしては出来過ぎている。
「それなんだが、考えてみたんだが似ているのは偶然じゃなくて、故意の結果じゃないかって思うんだ。推測だが、エルドはこの赤い本の存在を知っていて、これを模して緑の本を作ったんじゃないか?」
「何の為に?」
ラズの言葉に、リングは首を振る。
「俺が知る訳ないだろ。それに言ったが推測だ。根拠も何もねーよ。ただ、似過ぎてる。だから模造品なんじゃないかって思ったんだ。」
リングの言葉に、美穂奈も頷いた。
「たしかに、可能性としてはない事もないわね。ラズの曾おじい様はとても強い魔法使いだったのでしょう?そういう人は、更に強くと強いものを求める傾向にあるわ。しかも、SS級の魔法を使える人間は自分だけ、自分は選ばれた人間だ、特別だと思っていたのなら、こういう強力なものに惹かれてもおかしくない。」
美穂奈の言葉に、ラズは1つ頷く。
「たしかに曾祖父は、少し傲慢なところがあったと聞く。自分の魔法を過信していると。」
「なら、やっぱりエルドがこの赤い本を模して緑の本を作った可能性が高いな。」
リングはそう言って、ラズの本を指差した。
「ラズ、おまえの本は何が書いてあったんだ?」
リングの言葉に、ラズは首を振る。
「特に何って事はないよ。普通の小説。1人の女の子の一生が書かれた普通のね。」
「……それって、魔法でロックをかけなきゃいけないような内容なの?」
エッチィ感じのかと思い、美穂奈がラズをジト目で睨むと、ラズは慌てて首を振った。
「違う、違う!本当に、普通の内容だから!!」
「だとすると、何でこんなご大層な制約がついてるのかって事だよな。何か他の意味が隠されているのか……。ラズ、何か気付かなかったのか?」
ラズは首をゆっくりと振る。
「暗号が隠されてる感じもなかったし、特に不審な点はなかったよ。」
3人は同時に溜息を吐いた。
「結局、何もわからないのね。」
「むしろ、謎は深まったよね。どうする、リング。」
「どうするって言われてもな……。」
リングはチラリと美穂奈を見た。
「とりあえず、こいつをどうにかしないとだろ。この本の謎を解こうと思ったら、それこそスゲー時間がかかる。その間、こいつをどこに置いておくかだろ。」
その言葉に、美穂奈は少し驚いた顔でリングを見た。
「どうしたの?大嫌いな女の心配するなんて。」
「うるせー。一応この本はおまえの物だろ。所有者のおまえから借りるなら、それ相応の対価を支払ってやるって言ってんだよ。」
「そうなの?でも、有り難いわ。ありがとう。」
迷惑極まりない本のおかげでこの世界での生活を約束されるなら凄く得した気分だ。
「まぁ、どこに置いておくかなんて、ほとんど選択肢ないけどな。この小屋の中はまず無理だろ。俺は野宿でも構わないが、それだとラズが納得しねーし。」
面倒臭そうに溜息を吐くリングに、別に野宿でも構わないと言おうとして美穂奈はラズに睨まれ、慌てて口を噤んだ。
今下手に口論すれば、昨日の夜野宿した事がラズにばれて怒られそうだ。
今のところ何だか知らないが、変に誤解してくれているのだ。
そのまま誤魔化しておきたい。
難しい顔をしたままのリングを考えを、美穂奈は黙って待った。
「……街の宿の一室を借りるか。とりあえず、しばらくはそれで繋ごうぜ。」
しばらくして、そう提案したリングに美穂奈はそっと手を上げる。
「でも、私お金ないわよ。宿になんて泊まれないわ。」
その質問に、リングは苦々しい表情で美穂奈を睨んだ。
「俺が払うっつってんだよ。黙っておまえはおとなしく宿にひきこもってろ。」
そんな事、今までの会話で一言も言ってないじゃないかと思いながらも、ありがたい提案である事にかわりはないので、美穂奈は頷いた。
「ありがとう。」
「別に。……看病の礼だよ。女に貸し作ったままとか嫌だからな。これでチャラにしろよ。」
そんなつもりで看病をしたのではないが、何か理由がある方がリングもやりやすいのかもしれないと思い、美穂奈は頷く。
「そうね。それくらいの恩は感じてもらって当然よね。」
「ッチィ!これだから女は!!」
力いっぱい舌打ちするリングに失敗したかな?と首を傾げれば、ラズが笑って頷いてくれたのを見て、美穂奈は自分の考えが間違ってなかったのだと確信した。
リングはこういう性格の人なんだと思って付き合っていこう。
「……ん?ちょっと待って、そう言えば私、自己紹介してないし、されてないわよね?」
そう、国からの使者かと思ってビクついて口論してと、美穂奈とリングの出会いは凄くめまぐるしいもので、挨拶らしい挨拶なんてしていない。
「あ?別にいらねーよ。おまえの名前を呼ぶ気ねーし。」
ある意味腹が立つ返答に対してはスルーして、美穂奈はリングに向き直る。
「私の名前は、美穂奈。美穂奈って呼んでくれて良いわ。」
「だから、人の話を聞け!つか、何でそう上からなんだよ、おまえは!」
「だって、あなたに対して下手に出るの、何だか腹が立つじゃない?あなたがそういう態度なんだから、私だってそれ相応の態度でお返しするわ。」
ヒクヒクと怒りに引きつった顔のリングと、何だか笑いを堪えているラズの顔を交互に見比べ、美穂奈はとびきりの笑顔を返すのだった。
「これからお世話になります。」
美穂奈の人生は、16歳の誕生日を境に、クソつまんない婚約者様との結婚という地獄の様な人生から、異世界で見知らぬお人好しに拾われ1からやり直すという人生に路線変更した。
あの赤い本は何なのか、自分の色って何なのか、色々な不安はあるけれども、きっと自分で 切り開いていける分、前よりももっとずっと楽しくて幸せな人生であるはずだと、美穂奈は確信しているのだった。