ストーリーでは省略されがちな教員の本業
授業だってする。
大学時代に先生が言ってたっけ。何年経っても、初めてのクラスで授業する前、緊張しない先生はいない、と。
ましてや私はたかだか三年目。専任として四六時中生徒と向かい合い働くのは初年。学年はクセモノぞろい。
緊張しない方がおかしいんだ。だからこの緊張は正しいんだ。
そう自分を慰めながら、気持ち悪くなってきている胸をねじ伏せ、高1Bの教室に入る。
内部進学はクラスの約半数を占める。教卓から眺める顔ぶれには、何人か見たことのあるのがいた。彼らは私の顔を見て少し頬を緩ませてくれた。自然私の顔も緩む。
「古典を担当する黒瀬百合です。高校1年の学年付になったから、私の顔を知っているのがいるかもしれない。これから一年間、よろしくお願いします」
教員の本業は授業だ。授業一発目、ここが肝心だ。
といっても、私は、基本的にはここではオリエンテーションらしいものをするようにしている。
高校に入ってきたばかりで、高校デビューに余念がなかったり、己のキャラづけや教室内のカースト位置を模索したり、基本生徒の心は忙しい。
加えて、ほとんどの外部進学者が、初めて本格的な古典の授業を、高校で受けるーー中学時代でノートを使わないところもあり、使い方教えてくれと聞いてくるものも数人いるーーまずは、授業の方針を説明して、心構えを作る。
と、「めんどくせえな」と声が上がった。外部受験だった男子生徒だ。
悪ぶっている風を装っているのか、制服を第二ボタンまではずし、ゆるく着崩している。拗ねたような、小ばかにしたように、唇をとんがらせて言った。
「なあんで古典なんかしなくちゃならねえんだよ。あんた気に入らねえな」
デジャヴ。
同じことが、教員1年目の時なかったっけ。
教室の半分も固まった。だよね、あったよね。赤宗とあの男子生徒のことは、学年で有名になったから。
そう、黒瀬先生の中でもっぱらの噂の、「赤宗真輝・男子生徒への「声かけ」事件」に、流れが似ている。
よくないと思う。
それなりに苦労して入学したのだろうに。なぜこの学校で、不良キャラになろうとするんだろう。ちょい悪とか、無理するな。ステレオタイプの格好、様子から、さては高校デビューだな。
やめておけ、不良キャラはもうお腹いっぱいだ、なぜなら、もう強烈なのがいるから。
そう、とんでもなく面倒なのだ。
「古典をする必要性については、授業を通して伝えていこう。なんならこれから説明してもいい、だが」
外面だけはにこやかに、内心恐る恐る、視線を落とす。
「…紫垣、授業中に何してるのかな?」
サボり常習の紫垣が、高1初っ端の授業から出ているのは喜ばしい。これが成長というものか。
だが、授業中スマホを堂々いじるとは、不良が過ぎる。
いや以上に。
紫垣はスマホをもてあそびながら。
「赤宗真輝に連絡をだな」
「授業中スマホ・ダメ、絶対! はい復唱!」
「「「「スマホダメ、絶対!」」」」
教室の半分が復唱した。大変ノリがよろしい。満点。
外部からの進学者はぽかんとした。何事かわかっていない。
私は平静を装いながら、口から腹から冷や汗をかいている。
はく。これは吐く。新学年早々皇帝陛下の「声かけ」とか。件の男子も不審そうだ。男子生徒よ……座席表によると安村という若人よ。後で君も分かるだろう、どんな危機にいたのかを。
紫垣は不満顔で腕組みをしていた。
紫垣 琉晟と書いて、しがきりゅうせい。
黒の短髪に、平均より高めの身長、三白眼。
荒々しいが、固く精悍に整った強面。今にも爆発しそうなエネルギーが、しなやかな筋肉に詰まっているのが、着崩したシャツ越しでもよくわかる………セクハラではなく。
学園のヒエラルキーのトップにある青年。通称レインボーズの一人。
深いため息。
これだから、レインボーズのいるクラスの授業担当は油断ならない。
紫垣くんのイメージは、小学校の頃脱衣所に飛び込んできたオニヤンマ。
ええ、オニヤンマです。
2019.12.11 改訂
2019.12.12 改訂