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#2 戦いをもたらすもの・5
「何だこの様は、三宅新人! お前なんかが偉そうに、彼女を救えるとでも思ったのか!? 愚かだ、愚の骨頂だよ! こうやって自分を、自分で無いみたいに、高いところから見下ろさないと、自分の馬鹿さ加減にすら向き合うことができない! そうだよ、僕は馬鹿だ、人間の屑だ! その証拠に……」
 砂塵と弾丸、鋼鉄の巨体が交叉する戦場を越え、〈ストライクリザード〉が見えない背中を求めて咆える。拳は、機能不全を起こす寸前まで強く握られ、双眼の視線は、捉えることが叶わぬ彼女へと注がれていた。
「僕は、彼女一人、振り向かせることができないんだ!」
 できないのだと、認めてしまうと、諦めが鎌首を擡げる。それが現実なのだと、どうしようもないことなのだと、心の一部が主張する。「お前はそれで良いのか」というジェズイットの言葉が反芻され、良くない、と即座に答えを返しても、ならばお前に何ができる、とその心の一部は捲くし立てる。
 できないではないか、彼女に手を取らせることも、群がる敵を討つことも――彼女を、振り向かせることさえも。
 正面からの接近警報に、我に返る。目の前に、武装を納め、身体を丸めた〈ベルキャット〉が一機。体当たり、と気付いたときには既に、空間ごと揺さぶられたかのような衝撃に、シートに固定されたはずの身体が鞭打っていた。
 そのまま、機体が横転し、カーテンが張られたかのような砂煙が上がる。両腕が操作アームのリングに喰い込み、頭を、左側面を表示するモニタへしたたかに打ち付ける。
「くそっ……ダメージは?」
 悪態が口を突いて出る。たとえ何もできない、と絶望しようと、身体はここ数週間の訓練で染み付いた動作で、機体の損傷度をチェックする。ヘッドギアに詰まっている緩衝材のお陰で、鐘を打っているかのような断続的痛みはあるが、意識は明瞭だった。
「お前はどこまでも中途半端だよ」新人は呟く。「何かをやり遂げる力も無いのに望みだけは持ち、結局何もできない。それでも、諦めて運命に身を委ねることもできず、こうして惨めに足掻いている」
 左腕の関節が完全に死んでいた。格闘戦はおろか、砲を支えることすらそのままではできない程、深部にまで損傷が及んでいる。転倒してしまった機体を復帰させようと、まだ動く右腕を、乾ききった大地に着く。ふと目を上げると、縦になった地平線が見える。
「どうしてだろうね。なぜ僕は足掻くんだろう。無駄でも、無理でも、動いているんだろう。止めれば良いのに。何もできないんだから、何もしなければ良いのに……」左腕の操作を完全にシステム操作のみに限定させながら、新人は、そこに誰かがいるかのように呟く。「昔みたいに、さ」
 関節が、装甲が、軋む音がやけに大きく聞こえる。それはまるで、誰かが慟哭に咽び泣くかのように。
「泣いているのは誰? 僕じゃない。何もできないのは当然なんだ。力が無いんだから。それに苦しむ理由も、悔しいと思う必要も無い」
「諦められるはずがないって言ったのはお前だろう! どっちつかずからでも何かの道を見つければいいと、偉そうに彼女に言ったのはお前だろう!」
「だけど、そうすることを、状況は許してくれない!」
 目の前に、手斧を振り上げた〈ベルキャット〉の姿があった。シルエットが、他の機体と少し違う。頭部が大きく、背中にまで張り出した何かのユニットが、一種異様な形を生み出している。まるで小さな円盤を据え付けたかのようだ。
 レドームか、と新人は直感する。通信を――言葉を交わすことを阻んだ敵。お前のせいで、彼女は遠くへ行ってしまった、と新人は毒づく。
「いいや、違うね。彼女を繋ぎ留められなかったのは、お前自身の無力さだ。責任転嫁して、勝手に気持ちよくなるなよ。彼女を彼女としか呼ばない……名前を呼ぶことすら怖がるお前の弱さが、彼女を遠ざけた。状況のせいか? 〈スカルヘッド〉のせいか?」
「僕のせいだ! 分かってるよ!」
「分かっているなら……」
 どうすれば良いのか、の答えが、分からない。超音波振動する刃は、止まらない。
 眼前で、光が爆ぜた。終わったと、無意味だと思いながらも衝撃に身構えた新人に降りかかったのは――誰よりも力強い、誰よりも確かで、そして誰よりも新人が信じる、男の声だった。
『強くあれ。言葉に逃げるな』
 分かっているならどうするのか、の答えを、こうも簡単に言ってのける男。この声を、誰が聞き間違えようか。あの日――初めて〈ストライクリザード〉に乗ったときも、自分を叱咤し、目覚めさせ、奮い立たせてくれたこの声を。
「……隊長?」
 〈ベルキャット〉が、袈裟懸けに両断されていた。真っ二つになり、力を失った灰色の巨体が崩れ、電波妨害が消滅する。途端にクリアになった通信回線に映し出されたカーバネル・A・ジェズイットの顔は、見たことが無いほどに険しく――だが、どこか安心を覚える、不可思議な表情だった。
 陽光の下に立つ〈ストライクリザード〉が眩しい。彼の機体は純然たる二脚――両足に姿勢固定用のスパイクを備え、二脚故に難しい重心・姿勢制御を補助するための制動尾が付いた『市街戦仕様』だ。それだけでも新人にとっては見慣れないのに加え、過剰にも見える改造を受けて肥大した腕に握られた武器を見て、新人は驚愕を禁じえなかった。
「それ……刀、ですか?」
『四.三二メートル超音波振動刀。俺以外に誰も使う者が無くて埃を被っていたのを、引っ張り出してきたのさ……俺のような埃を被った男には、相応しい代物だよ』
 片刃の、僅かに反りの入った形状は、古代のサムライ・ソードを髣髴とさせる。そしてそれを背負った〈ストライクリザード〉の姿は――髑髏などより、余程恐ろしい。中に乗る者の気迫が、まるでそのまま剥き出しの戦意、即ち刃となって空間を震わせているような、不気味な威圧感が、錯覚ではなく確かに存在している。
 だが、味方にあって、これほど頼もしい存在があろうか? いない、という答えの代わりに――腕の改造は刀を振るためだったのかと納得しつつ――新人は安堵の溜め息を漏らした。
「死ぬかと思った……」
『死が怖いか?』
「怖い、ですよ」
『ならば死ぬまで戦え。言い訳は、地獄でだってできる。重要なのは、戦い続けることだ……』刀に残った形状記憶カーボン・ファイバーの砕片を払い、ジェズイットは言う。『お前を突き動かす衝動……生きたいという意志がある限り』
 それだけ言い残し、ジェズイットを乗せた、刀を担いだ〈ストライクリザード〉は、弾丸飛び交う中へと身を投じる。
「僕を突き動かす衝動……」
 どんなに駄目だと思っても、できないと理解しても、足掻き続けるその理由は、何だ。生きたいという意志か?
「違う。違いますよ、隊長。そうじゃないんだ。生きたいという意志は勿論ある。だけど今の僕は、それだけじゃないんだ。僕は……」脳裏に、『彼女』の顔が浮かぶ。笑顔を作ることすら忘れるほどの絶望に、一人耐えてきた姿が。「彼女の、いや、巳澄美琴の、笑った顔が見たい。隣を歩きたい。友達でありたい!」
『分かっているなら、簡単だ』
 未だ地に伏せたままの新人の上に、新たな〈ストライクリザード〉から手が差し伸べられる。通信画面に映ったのは、余計な肉など一切無いのではないか、と疑いたくなるほどの精悍な顔付きをした、実直そのものの軍人、松下肇伍長の姿だった。
『目指す場所へ、只管に突き進めばいい。脇目も振らず、邪魔するものは全て蹴散らして、お前の心が、導くままに』
 高速機動格闘戦仕様の機体は、彼のストイックな精神を反映したのか、装甲が異常に薄い。それでも、告げられる言葉は重く、差し伸べられた手には、吸い寄せられるような力がある。信じて、掴みたくなる力が。だからこそ、新人は掴むことを躊躇う。自分に、同じことができるのか――一度失敗している自分が、もう一度彼女に手を差し伸べることが、許されるのか。
『君にならできるさ、ミヤケ君』今度は、また他方からの声。『一六特機隊の皆が付いてる。今の君は一人じゃない。だからあの娘を一人じゃなくすることだって、できるはずさ。このエール・シュミット兵長様が、保障するよ』
 映ったのは、重砲撃戦仕様のカスタム機を駆る、シュミット兵長の姿だ。先程見かけたのと同じ悪戯な笑みは――心配無用、と力強く語っている。
 君は一人じゃない――同じ言葉でも、こんなにも違う。自分が発するのと、彼の口からとでは。
『決めるなら急いでよ。ジャミングが消えて分かったけど、西北西の方向に伏兵がいる。四機だ』
 唾を飲み込み、新人は思う。最早迷う理由など、どこにある? やれるだけやってみる――いや、違う。
「やってみせます! 絶対に!」美琴が、振り向いてくれるまで。
 松下の〈ストライクリザード〉が差し出した手を、今度は迷い無く掴み、横転した機体が一気に立ち上がる。途端に、太陽が近くなる。眩しさに目を細め――新人は、両手のグリップに篭もる力が我知らず強まるのを感じた。
『よっしゃ。そうと決まれば、背中は任せて、君は突っ込め』 画面の向こうで、シュミットは愛嬌のある顔を綻ばせる。
『新手の足を止めろ、シュミット兵長!』アサルト・ライフル装備の〈ベルキャット〉を葬ったジェズイットが、自身の専用剣撃戦仕様機の双眼を西北西――索敵画面が四つの敵影を感知し警報を鳴らしている方角へと向ける。『俺が仕掛ける! 四体……試し切りには、丁度良い』
『敵の砲手は私に任せてもらおう』自信に満ち溢れた声で告げるのは、松下だ。『九〇秒で仕留める』
 今一度、新人は自機の損傷をチェックする。左腕の損傷甚大、加えて全身に細かい損傷が及んでおり、無傷の装甲板など一枚も存在しないのではないか、と疑いたくなるほど、ダメージ・コントロール画面は赤黄色に染まっている。主兵装の残弾、推進剤も残り僅か――後一度の戦闘が限度だろう。だが、しかし。
「そんなの、やり方仕第だ……」
 呟き、加速体勢に入る。自動で落とされていたパワー・レベルを戦闘時にまで上昇。歪んだ装甲が上げる金切り声も、廃熱風の轟音も、全てが、敵を求める〈ストライクリザード〉の武者震い――あるいは、まるで「戦えないなどと、勝手に決め付けるな」と叫んでいるかのように聞こえる。
『急ぎなよ。きっとあの娘は、君を待ってる』
 言うが早いが自分は砲撃姿勢を取って測距を開始したシュミットに「了解」と返し、新人は両足下のフットペダルを、一気に床に着くまで踏み込む。一呼吸の間も無く加速。腹に沈むような大口径の砲撃音が、あっという間に遠ざかる。速度メータが、時速二〇〇キロメートルを指す。
 上空を飛び交う砲弾が、流星のようにも見える。あれがもし本物なら、何を願おうか――と考えながら、新人は深手を負った自機の左腕を、騙し騙し動かしていく。そして、丁度射撃時に支えになる位置で固定。腕時計を確かめているようだ、と新人は苦笑する。
 形状記憶カーボン・ファイバーは、その三次元構造内にパッケージされた希少金属粒子の作用により、通電パターンに反応する形状記憶性を獲得したが、代償として、炭素繊維に見られる凄まじい剛性は、幾分低下している。電流による指示があって初めて、SMCFは人間の筋組織にも似た柔軟な振る舞いを見せることを可能にしている。
 では、あえてその電荷による指示をシャットアウトしたら、どうなるか。一切の通電を行わず、一度決めた形状を維持させ続ければ――SMCFは即ち、HALの多機能複層装甲の一部にも用いられている、炭素繊維複合材の塊と化す。アルミよりも軽く、鋼鉄よりも強固な材料へと変貌を遂げるのだ。
 大地から生えてきたかのような岩場の隙間を縫い、僅かに残る家屋の跡を、超音波振動する爪先が打ち砕く。六〇〇メートル先に感あり。一方は敵、一方は味方。断続的なアサルト・ライフルの発射音が、耳を劈く。
 逸る気持ちのままに走り、岩場の少ない、開けた場所へ出る。新人の目に飛び込んできたのは、あちらこちらに傷を負い、白い色の汚れた髑髏――〈スカルヘッド〉と、右腕、右脚を失い地面に倒れた美琴の〈ストライクリザード〉の姿だった。
「ジョニー・メイフェン!」
 叫ぶと同時に、照準、射撃。完全に固定され、動かぬ左腕を添えただけでは正確さは到底望めないが――それでも、撃つ。激しい反動に、今度は右腕の関節までもが蝕まれていく。
 髑髏を胸に描いた〈ベルキャット〉が機敏な動作で飛び退き、左手に構えたアサルト・ライフルで応射してくる。砂を巻き上げながら、回避運動。両脚が悲鳴を上げ、股下のプロペラントが自動で投棄される。
『さっきの小僧か! 逃げれば良いものを、甲斐甲斐しくも、やられた仲間を助けに来たか?』
「逃げるのはもう飽き飽きなんだ! 敵からも、美琴からも、生きることからも! だから……」
 生への衝動、自分自身を肯定したいという意志――そしてそれが生み出す力。何もできないと否定し続けてきた、無駄だと絶望してばかりいた自分の一部を打ち払うように、新人は引き金を引く。このトリガーが、満身創痍の傷跡が無駄な足掻きだと言うのなら――。
「お前を倒して、全てを証明してやる!」
 バック・ショットへ切り替え、当てにならない照準レティクルを無視して完全な目算で射撃。三発で、散弾の残弾が切れる。再び、スラッグ・ショットへと切り替え。
『んなもんが、この俺様に当たるものか!』
「当たらなくったって!」
 標的を逸れた無数の弾丸は、正しく鋼鉄の雨となって――背後の卓状大地を抉り取った。
 メサ、とも呼ばれるこの、地面から突き出た奇異な岩盤は、乾燥地帯にはよく見られる地形だ。隆起、褶曲を繰り返した地盤が、遮るものなど何も無いままに自然の侵食に晒された結果として、元々は硬い層だった場所のみが、砂漠の中に点々と顔を覗かせているのだ。更にこれが侵食を受けると、孤立丘、ビュートとも呼ばれる、岩盤でできた尖塔のような地形を生み出す。何れも、HALの背丈より少し高い程度だ。
 その、何億年にも渡る大自然の作用を耐え抜いた強固な岩盤が砕片となって、〈ベルキャット〉の上へと降り注ぐ。装甲を破壊するには至らなくても、判断を鈍らせ、高速機動用に踵に装備されているブレード・ローラーの動作を妨げるには、十分だった。
「貰った!」
『まだまだぁっ!』
 体勢を乱しながらも、〈スカルヘッド〉の左手に構えたアサルト・ライフルの放った弾丸が、こちらの脚部を捉える。命中したのは関節でも装甲板でもない――荒地戦仕様脚に最も特徴的な足のスキー、爪先部だ。
 右脚の、簡易なブレード機能も持つそれの先端が砕け、足元が乱れる。自然、七二ミリ弾は命中することなく、遥か後方の岩盤へ着弾して爆炎を上げる。舌打ちを一つ。そしてもう一度照準しなおし、今度こそ、と呟きながら引き金に右手の人差し指を掛けた、その時。
『そこまでだ、小僧!』ジョニー・メイフェンの、外部スピーカ越しの叫びが聞こえた。
「何!?」
『動くんじゃねえ。動いたら……』
 〈ベルキャット〉の、銃を構えた灰色の左腕が、ある一点を照準している。そこへ目を遣り、新人は――。
「卑怯なっ!」と、こちらも外部スピーカを入れ、呼吸も忘れ、叫んでいた。
『そうだ。見えるか? 俺様の左腕は今、身動きの取れないあの……クソ生意気な小娘が乗ったトカゲちゃんをロック・オンしている。どういう意味か、テメェにも分かるよな? 分かるよな! テメェがわざわざ命張って助けに来たあの小娘の、ドブネズミよりもちっぽけな命は、このジョニー・メイフェン様に握られてるってことだ!』
 美琴の〈ストライクリザード〉は、右腕と右脚が、強引に捻じ切られたかのように根元から欠損していた。シェード・アイは砕けてセンサが露出し、左腕にはスタン・トンファが握られたままだが、微動だにしていない。中の彼女は無事なのだろうか、と新人が奥歯を噛み締めると――。
『……新人?』
 スピーカ越しに、ノイズに呑み込まれそうな、弱々しい声が聞こえた。通信回線に切り替えることすら、していない。
「そうだ、僕だ! 無事なんだね? 怪我は?」
『さあ! 感動のご対面が死体相手の涙になるかは、テメェ次第だ、小僧!』ジョニー・メイフェンが、高笑いしながら言い、〈ベルキャット〉が、赤茶色の大地に倒れ伏す〈ストライクリザード〉へと歩み寄る。『まずは、この俺様に不遜にも突きつけてやがる、そのクソみてえな銃を棄てな!』
『駄目、新人!』途端に、半ば泣き喚くような美琴の声が聞こえた。『あたしは死んだっていいって、言ったでしょ!』
 彼女は確かに言っていた――あいつに復讐できるなら、今ここで、死んだっていい、と。そして新人は、そう言って走り去る彼女を止めることはおろか、声を掛けることさえ、できなかった。
 だが、新人は、彼女の言葉に頷かず――右手に構えた七二ミリ榴弾・散弾砲を、地面へと投げ捨てた。そしてゆっくりと、口を開く。
「君は、それで良いのか?」
『馬鹿! 何で棄てた! あたしになんか、構わないでよ!』
「もう一度言うよ。君は、それで良いのか?」
『うるさい、馬鹿!』
「良いだなんて、思えるはずが無いんだ」
『うるさい!』
「だって君は、優しすぎるから。人を……僕を憎む、自分自身を憎んでしまう程に」
『うるさいって、言ってんのよ!』
「君は分かってるはずだ……人の手は、戦うためだけにあるんじゃない!」
『ゴチャゴチャやってんじゃねぞ、ガキ共が!』
 新人の言葉はジョニー・メイフェンの怒鳴り声に遮られる。そして〈ベルキャット〉の脚が、身動きできぬ美琴の〈ストライクリザード〉を踏みつける。だが新人は、それに構わず言葉を継ぐ。
「君が手にしている物を見ろ! 分かるだろう、僕の言いたいことが! それこそが、君の優しさ……君の強さなんだ! だから惑わされるな。心向くままに進め。それで何かが立ち塞がったときは、僕が君を助けるから! 一人でいようだなんて、思っちゃ駄目なんだ。それで閉じ篭って、自分の中心さえ見失ってしまったら、昔の僕と同じなんだ。閉ざされた世界の中からじゃ、何も見えないんだ!」
 一気に吐き出し、新人は独りでに荒くなっていた息を整える。彼女は、沈黙している。ジョニー・メイフェンが何事か叫んでいるのだけが、酷く遠くの場所で聞こえる。今はただ、自分自身の呼吸音しか聞こえない。何か、迷うかのように身じろぎする、倒れ踏みつけられた〈ストライクリザード〉しか、見えない。
『まぁ何を騒ごうがテメェはここで終わりだ、小僧。砲を棄てたってことは……』
 美琴の機体の頭部、シェード・アイ――影、と名付けられた、センサ保護用の樹脂プレートの一部が、砕けている。そこから見える内部機構、剥き出しの映像機器や対地・熱センサが、新人をフォーカスし――そして、動く。
『テメェがそこから、俺様に手出しする手段は無いってことだよなぁっ!』
 〈スカルヘッド〉の左腕が、倒れている〈ストライクリザード〉から、新人のほうへ向く。銃口の鈍い輝きに眉を顰め、新人は、両足のペダルを力の限り踏み込んだ。即ち、加速。向かう先は只一つ。真正面の、銃口目掛けて。
『馬鹿が! 猛進するしか知らねえのか、クソガキッ!』
「そうだ!」
『なら、死ねよ!』
 右足の先端が破壊されているせいで、スピードが出ない。〈ベルキャット〉は、照準を確実に定めている。そして情けも容赦も無く、引き金が――絞られることは、無かった。
 グレーに彩られた足の先端に、赤い腕が伸びている。それ即ち美琴の〈ストライクリザード〉の左腕が、スタン・トンファを突き付けていた。優しい武装とも称される、彼女の力を。
「そうだ、それでいいんだ!」
『クソ野郎が!』
 新人の〈ストライクリザード〉が、出し得る限りのスピードで、〈スカルヘッド〉に正面から衝突する。世界がひっくり返ったかのような衝撃に耐え、力の限り、前へ。推進剤が尽きたことを知らせるアラートが鳴り、即座に、電気駆動のサブシステム、振動推進機構を全開に。砕けた右脚から、空気を切り裂く不協和音が鳴り響く。
 スタン・トンファの攻撃は確かに命中したが、浅い。全身の駆動を完全に停止させるには程遠い。恐らく一瞬の硬直の後、すぐに復帰するだろう。
(だから……多少無理をしてでも、ここで決める!)
 周囲を取り囲む卓状大地の一つに、縺れ合いながら突っ込む。轟音、そして粉塵と砕けた岩盤が瀑布のように雪崩れ落ちる下で、動かず、肘を直角に曲げて身体の前で水平に固定していた左腕を突き出し、〈ベルキャット〉の首筋を抑え付ける。
「これで終わりだ、ジョニー・メイフェン!」
『そんな腕で、この俺様をやれると思ったかよ!』
 アサルト・ライフルを手放した〈ベルキャット〉の左腕が、動かないこちらの左腕を、無理矢理に押し上げる。暗赤の塗装が剥げかかった装甲板が、掌の握力に潰されていく。やはり、電撃で得られたのは一瞬の硬直のみ。強風で煽られた鉄塔の下にいるかのような不気味な音が、新人の耳に届く。
『力勝負なら、こちらの方が上だ!』
「くそっ!」
 既に限界値に達している動力変換効率のメータを睨み、こめかみを伝う汗の感触に苛立つ。もう何度目になるか分からない舌打ちをし、不調を訴える脚部対地センサを黙らせた時、西の空に、光の球が上がった。
 照明弾――恐らくは、帝国側の撤退信号。ジェズイットら三人の戦いは、既に勝利という形で決着が付いたのか、と新人は推測する。
『撤退なんかするかよ……』光を浴びた〈ベルキャット〉の腹中から、ジョニー・メイフェンの声がする。『俺様の辞書に、敗北の二文字はねえ! 〈スカルヘッド〉と恐れられ、帝国第三皇子に認められた、この俺様にはなぁ!』
 皇子、という単語に新人が反応する間も無く、左腕が力任せに押し退けられ、跳ねるように、〈ストライクリザード〉の全身が仰け反る。緊急の姿勢制御プログラムが働き、どうにか踏み止まるも、右足の先が更に砕ける。左のスキーにも、ひび割れが走る。脚部の圧熱転換機構が、オーバーヒート寸前の警報を鳴らす。
 そして、目の前には――。
『壊れちまいな、〈ドラゴン〉!』
 立ち上がった〈ベルキャット〉が、右腕を振り上げる。その手には、破砕柱――ジョニー・メイフェンの象徴たる武装が、これ以上無いほど確かに把持されていた。
 剥き出しの頭部目掛けて振り下ろされる棍棒、遅すぎる接近警報。歯噛みしながらも新人は、傷だらけの脚を動かし一歩、前へと踏み込む。半分は直感で、半分は確信を持って。そして左肩の固定を部分解除し、押し上げる。
「ええい!」
『ちぃ、無駄な足掻きを!』
「無駄なんかじゃない!」
 襲いくる衝撃に、思わず息が漏れる。踏み込んだために、頭部に直撃するはずだった破砕柱は、左腕に減り込んでいた。通常ならば、そのまま吹き飛ばされても不思議ではないが、通電を一切止め、柔軟性を排除した左腕のSMCFは、鋼よりも硬い。ジョニー・メイフェン渾身の一撃をもってしても、破壊しきれぬ程に。
 だがそれでも、左腕の軋む音は、不吉に響く。
「まだだ、まだ踏ん張ってくれ、〈ストライクリザード〉!」新人は叫ぶ。己が操る木偶へ向けてか、或いは己自身へ向けて。「お前はやれるはずだ、できるはずだ! 無駄なんかじゃないって、証明して見せろ!」
 右腕を動かし、脇の下の武装ラックへ伸ばす。同時に、肩口から左腕が千切れ飛び、振り抜かれた棍棒が、大地を穿つ。
「これで……」最後に残った武装、対装甲炸裂ダガーを、右手の指の間に挟んで三本引き出す。「終わりだっ!」
 どうすればいいのか、どうすれば勝てるのか。そんな疑問や観念論は、どこかへ消えた。超至近距離、気付いた時には雄叫びを上げながら、新人は渾身のショート・フックを、〈スカルヘッド〉の左側頭部目掛けて叩き込んでいた。
 衝撃に反応して超音波振動し、対象の装甲内部へと貫入した上でグリップに仕込まれた炸薬を炸裂させ、内部機構ごと対象を破壊するのがこの対装甲炸裂ダガーだ。本来は中〜近距離戦において、投擲して使用するものだが、使い方次第では必殺の武器になり得る。
 〈ベルキャット〉の腕が、ガードに動く。〈ストライクリザード〉の拳が、ボクシングの要領で組まれたそのガードに触れる。三本のうち、二本のダガーが阻まれ、拳の半分が多機能複層装甲に衝突して、指の跡を刻みながら砕ける。
 それでも尚、新人は拳を伸ばす。幾度と無く見せつけられ、睨まれ、見下ろされた、あの四つ目へと。
「届け!」
 薬指と小指を失った拳。人差し指と中指の間に辛うじて挟まれたダガーは、新人の叫びと共に、〈ベルキャット〉の左頬へと突き立つ。その衝撃に呼応し、ブレード部の振動機構が始動し、手を離すと同時に貫入を開始。手を引き、全身が悲鳴を上げる機体に鞭打って後退するのと同時に、グリップ部に仕込まれた成型炸薬が弾け、小爆発を起こした。
 ジョニー・メイフェンの、悲鳴とも嬌声とも罵声とも付かぬ声が響く。コクピットに届かなかったことに、新人は歯噛みする。だが、これで頭部の主映像機、センサ群は全て黒焦げになり、機能していないはず。
「どうだ……」
 声が止んだ。〈ベルキャット〉は倒れない。構えた棍棒が下ろされ、先端が地面に着く。同時に、〈ストライクリザード〉の右腕も、想定上限を越えた衝撃に内部骨格が破損し、力を失う。
 〈ベルキャット〉の煤に塗れ、焼け爛れた頭部が、小刻みに動いている。左手首はダガーにより破壊され、胸の髑髏は白い塗装が殆ど剥がれ落ちている。脚周りに目を遣ると、高速移動時用のブレード・ローラーが砕けている。
 対する新人の〈ストライクリザード〉は、左腕が肩から捻じ切れ、両足スキー部は先端が喪失。右手のマニピュレータも、ナイフ一つ満足に握れない程の損傷を被っている。全身の装甲は弾痕だらけ。SMCF束の黒色が露出している箇所さえある。
 最早互いに、戦闘不能。遠くに爆発音だけが聞こえる。この状態では何もできない。味方と合流するのが得策だが、後ろに全く身動きが取れない美琴の機体がある以上、退くわけには行かない――。そう思って、健在な頭部のカメラを黒煙を上げる〈ベルキャット〉の頭部にフォーカスした時、先刻までとは打って変わって落ち着いたジョニー・メイフェンの声が、砂に霞んだ大気を震わせた。
『名乗れよ、小僧』
 唐突な要求に戸惑いながらも、新人は確信を持って応える。
「共和国陸軍、第一六特殊機甲中隊……スカー7、シント・ミヤケ一等兵だ」
『……覚えた』短く言うと、〈ベルキャット〉がややぎこちない足取りで踵を返す。『次に会った時が、テメェの死ぬときだ』
「……どうかな」
 副映像機だけでよくやる、と思いながら、新人は、立ち去っていく灰色の後姿を見詰める。未だ輝き続ける照明弾が目に眩しい。
(勝った……?)
 敵が撤退しようとしている。そして自分は生きて、その姿を見送っている。これを勝利と呼んでも良いのだろうかと、現実感を半ば喪失しながら新人は思う。
『調子に乗るなよ。テメェの勝ちじゃねえ』こちらを向くこともせずに――もっとも向いても意味はないのだが――ジョニー・メイフェンは叫び、そして自身に言い聞かせるかのように呟く。『だが、俺様の勝ちでもねえ』
「そうだ。僕の負けじゃない」新人は言い、傾き始めた陽に目を細める。
『俺様の負けでもねえんだよ』
 〈ベルキャット〉が跳躍し、よろめきながらも卓状大地の上に飛び乗り、こちらを向き直る。散弾の射程外、と新人は呟く。
『あばよ、〈ストライクリザード〉』煙を吹いている頭を、まるで笑っているかのように小刻みに震わせながら、〈ベルキャット〉の外部スピーカが唸る。『また壊しにきてやるよ、一等兵!』
 それだけ言い残し、再跳躍。視界の外へと、遠ざかっていく。紅に色づき始めた陽光に、〈スカルヘッド〉は、途方も無く小さい、取るに足らない一つの影へと姿を変えた。
「勝てなかった」
 でも、負けなかった。
 事実を噛み締めるほどに、心臓の鼓動が独りでに高鳴る。眼を閉じれば、たった今までの戦闘の光景が、古い映画のフィルムを見ているかのように、瞼の裏の暗闇に浮かび上がる。
 不意に、通信音が鳴った。我に返り発信源を見ると――美琴からだ。慌てて、通信をオンに。彼女の姿が、スクリーンの一部に映し出される。
『新人……』
「良かった、怪我は無い? 損傷酷いけど、爆発の危険は? 脱出装置は生きてる? いや、補助があれば機体は持ち帰れるか。今、大尉達に連絡を……」
 何を言ったら良いのか分からず、早口でとにかく思い付いたことをまくし立てる。倒れた彼女の機体に慎重に歩み寄り、肩を貸そうとして、「噛み合わないな」と新人は呟いた。右脚が壊れた相手に肩を貸そうにも、こちらには左腕が無い。
 とにかく右腕で立ち上がらせながら、さっき自分は彼女に何を言ったか、思い出そうとする。何か言わなければならないと無我夢中で、色々なことを言ってしまった気がする。
 また殴られるようなことを言ってはいないだろうか、それとも、何かとんでもないことを――と、恥ずかしさ半分の冷や汗が体を伝った。
『新人』
「な、何?」
 思わず上ずる声。それを聞いてか聞かずか、彼女は小声で、消え入りそうな声で言う。伏せられた目線は、左腕の先の操作卓辺りを彷徨っているのだろう、と新人は思う。
『ごめんね、新人』
「あ……うん」
 違う、と思わず叫びそうになる。言いたいのは、曖昧な相槌なんかじゃないのに。
『ごめんね。あんたは、こんなにあたしのことを思ってくれてたのに、あたしは……』
「いいよ、言わなくて。分かるよ。全部、分かるから。やっと僕は君のことが分かった。だけど今まではそうじゃなかった。君が何を考えてるのか、君は何を思っているのか、君がどうしたいのか、まるで分かってなかったんだ。だから、美琴」新人は、一度深呼吸して、言った。「ごめん、だなんて、言わないで。謝るのは僕のほうだ。それに、君にそんな言葉は似合わない」
 こちらを向いた美琴の目を真っ直ぐ見返し、新人は、どもりそうになるのを必死で堪えて言った。
「『うるさい』って怒鳴って僕を小突く君の方が……僕は、好きだな」
 そしてすぐさま、前方ディスプレイに映る、空を流れる雲へと、視線を逸らす。馬鹿なことを言った、と新人は即座に後悔する。だが、嘘は無い。
 後で殴られるかも知れないな、と思いながら、画面に映る彼女の姿を横目で見た。目線が一瞬、交叉する。
『……うっさい、馬鹿』
 そう言って、明後日の方向を向いてしまった美琴の瞳は――今にも涙が零れそうなほど、潤んでいた。差し込む陽の光が、漆黒の瞳孔を、宝石のように輝かせる。結ばれた唇、水滴を乗せた黒い睫毛。彼女の横顔に、新人は一時、呼吸を忘れた。
『でも、ありがとう』
 彼女は笑う。ぎこちなく、不器用に、凍り付いた感情を融き解すように。だがその目は確かに、新人へ向けられている。今、彼女の瞳には、自分しか映っていない――その事実に、心臓が跳ねる。身体が熱くなる。
 今なら、この砂漠に吹く熱風さえも心地よいかもしれない――紅色に染まり始めた空を見上げ、新人は、いつの間にか微笑んでいた自分に気付いた。


That`s the end of #2,"Arms,The Bringer of Encounter".


簡易設定資料〈ベルキャット〉

制式名称 MAI‐03G
呼称 ベルキャット(Bell Cat)
生産形態 量産型
動力源 疑似核融合炉
全高(頭頂高) 七.九メートル
重量 九.三トン
最大連続駆動時間 約七〇時間
最高速度 時速一四〇キロメートル

 帝国の大型二足歩行兵器、機動装甲歩兵(Mobility Armored Infantry)の主力量産モデル。圧倒的な火力と装甲をもって帝国の敵を纖滅するというコンセプトで開発された。
 帝国が戦いの大義に掲げる世界国家政策において、帝国とは即ち、全てを統べる存在である。国家そのものが肥大化するにつれ、統治には皇帝という絶対者が必要となり、戦場にもまた、帝国を象徴する存在が要求された。立っているだけで『ここは帝国の主権内である』と主張できる兵器が、求められたのだ。
 そんな中で登場したのがMAIと呼ばれる兵器群である。開発には皇族と、皇家に近しい騎士階級の家門が深く関わり、戦士然としたこの〈ベルキャット〉以外にも、示威、象徴的なデザインを持つ機体も存在すると噂されている。
 実戦投入当初は、戦士階級の一部等からは存在を疑問視する声もあったが、陸の如何なる地形にも対応する汎用性に加え、巨人であるが故の威圧感。まさに帝国の理念を体現した機体は共和国の兵士たちに恐怖の対象とされ、『力を持つ象徴』という当初のコンセプトは、鮮やかに達成された。
 重厚な装甲と太い手足に見合わず、駆動系のSMCFの柔軟性の寄与により、敏捷性は高い。最高自走速度のカタログスペックは時速一四〇キロメートルとあり共和国の〈ストライクリザード〉に劣るも、最終的にはパイロットの技量に依るところが大きい。人と同じように動く兵器に、限られた特徴である。
 印象的な四つの眼のうち、二つは光学映像を、残り二つが各種センサーとなっている。また特筆すべき点として、推進に燃料の類を一切用いない。全身の駆動は、融合炉と熱電素子が生み出す電力のみによってなされる。走行は、脚による自走と踵に取り付けられたブレード・ローラーによって行われる。これはその名が示すとおり、超音波振動ブレードの技術が用いられた振動推進と、旧来の車輪駆動のハイブリッド方式である。
 形式番号のMAIは、モビリティ・アーマード・インファントリというこの兵器のカテゴリを、Gはグラウンド、即ち陸戦型であることを示す。
 装甲は灰白、ダークグレー等のモノトーンで統一され、居並ぶ姿は正しく、帝国の尖兵に相応しい。
 共和国でのコード・ネームは〈ゴリアテ〉。だが〈ベルキャット〉という本来の名称で呼称されることが、現場サイドの個人単位では増えつつある。


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