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#1 始まりをもたらすもの・3
 人型強襲陸戦戦闘機、その第一世代量産モデル、HAL‐M01〈ストライクリザード〉。名に相応しく、各部は折れそうなほど細い。二手二足――人の形をしてはいるが、地を這いずり回る蜥蜴が、そのまま二本足で立ち上がったかのようだ。二つのカメラ・アイは、爬虫類の鋭い眼を思わせる。無機質だが、射止められるような視線だ。
「ほう、仕様が随分と変わっている。初期生産型とはエラい違いだ。産まれたばかりの兵器は、進化も早い」
 竜の鱗を思わせる赤い装甲を軽く叩きながら、ジェズイットは、外の喧騒などまるで別の世界のことのように言う。
 前に倒れた頭部と背中の間にできた隙間から、新人は操縦席へと潜り込む。人二人、どうにか入りそうなほどの空間だ。正面と両サイドの壁には大型のディスプレイがはめ込まれ、手元にも小型の画面が複数ある。
 シートは樹脂でコーティングされている。アームレストなどは無い。代わりに、足元にペダル――靴のように履く物が一つづつ、両手元にコの字型のグリップが、そして両肘両膝の当たる部分にパネルの付いたリングがある。
「そこに身体を通せ。基本の操作はそいつで行う」後から乗り込んできたジェズイットが、席内を物珍しげに見回して言う。「ここも広くなった……動力炉の小型化だな。以前のままなら、到底二人乗りなど不可能だったものを」
 言われるままに、新人は輪に四肢を通し、シートへ身体を収めた。まるで、雁字搦めの拘束を受けているかのようだ。自分から入り、いつでも抜けられるというのに。
「そして肝心要のコイツだ」
 シートの後ろからジェズイットの手が伸び、新人の頭部にヘッドギアを取り付けた。ウレタンか、類する素材が入っているらしく、衝撃を和らげる効果もありそうだ。沈黙する大型パネルに映る自分の姿を見ると、ヘッドギア――頭から、ケーブルが数本延びていることに気付く。先を辿ると、シートの後方だ。
「ブレイン・バイパス・システム。くっ付けるだけで、お前さんの頭の中を覗き見る機械だよ」
「……余り、いい気分ではないですね」
「直に気分は最悪になる」
 彼の声に呼応するように、足元からの震え、唸りがボリュームを増す。既に火の入っていた主動力、疑似核融合炉の拍動だ。そして電力供給が一定値に達すると、モニタに一斉に光が点った。ブルー一色の、初期起動画面。ジェズイットの指が、キーボードの上を疾駆する。
「緊急時だ。手順は俺の方でスキップさせてもらう。B2システム起動、対象を三宅新人二等兵と登録……。開発に関わっていたのでな。こういう非正規なやり方にも通じている」
 幾瞬の間を経、了承を示す表示が画面に踊る。同時に、頭に鈍い、とらえどころの無い痛みが湧き上がる。誰もいないのに、誰かが見ているような、視線を感じる状況に似ている。痛み、とは少し違うのかもしれない。言うならば、不快感だ。または、落ち着かない。身体が、動くことへと駆り立てられる。
「回路接続、センシング開始」
 ジェズイットが操作パネルを叩く。
 不快感が、溶けた。消えていないのに、頭の奥へと流れ込み、まるで初めからそこにあったかのように、もやもやとした感覚が頭の全体へと拡散していく。知っている感じだと、新人は思う。
「係数は……〇・六でいいな。よし、後は任せる。教えたな?」
「はい。多分、大丈夫です」
 緊急時用の簡易セットアップを終えたジェズイットにそう答え、新人はパネルを操作しようと腕を動かす。同時に、『CLEARD』の表示が流れ――両腕両膝に鈍痛が走った。
「ああ、操縦服がないから、少し痛いか」人事のように、ジェズイットが言う。
 リングが、身体に食い込んでいた。同時に、頭上のハッチが閉鎖。そして、ブルーだった画面も切り替わり、外部の鮮明な映像が表示される。薄暗い、トレーラーの内部。遠くで爆発音がする。
「だが、これでもう〈ストライクリザード〉はお前のものだ」
「僕のもの……」
 呟き、輪に通した両腕を動かす。壁の画面を通して見える〈ストライクリザード〉の両腕も、呼応してぎこちなく動く。腕部と膝の屈伸は、ここでの操作に対応している。だが、これだけでまともな――戦闘に耐える機動が行えるはずはない。
 新人は、両手のグリップの、中指から下を軽く握る。軽い反発とともに、B2システムがアクティブになる。
 ブレイン・バイパス・システムは、操縦者の意思を汲み取る機構、としばしば形容される。非接触式に操縦者の脳をモニタリングし、どのような行動を望んでいるのかを類推することで、簡単な操作を発展させて複雑な動きを生み出す。新人が同じように右腕を動かすと、先ほどまでのようなぎこちなさは消えた、自然な動きで肘が曲がり、手首が回り、掌は拳を握っては開く動作を繰り返す。B2システムによって、動作が望む形に最適化された結果だ。
 ジェズイットはその過程を、『頭の中を覗き見る』と言った。人によっては、慮るとも言う。優しさを持った機械と絶賛する者まで、世の中にはいる。気分が悪いと、新人は思う。
「索敵範囲、周囲五〇〇メートルでロック……大丈夫ですか、隊長?」
「人の心配はいい。今のお前は、自分のことだけ考えていればいい」
 新人は頷き、足元に広がる血溜りを無視した。
「パワーレベル、戦闘時コンバットへ。いつでも行けます」
 動力炉は、常にフル稼働するわけではない。戦闘などは行わない、メンテナンスや出撃準備のときの平時ユージュアル、交戦地域への移動時など、直接戦闘は行わないが警戒態勢を取る巡航時クルーズ、そして敵と相対したときの戦闘コンバットの三種に、動力モードは大別される。
「よし。いいか、コイツの装備は荒地での高速機動戦闘用だ。フルドライブなら三秒で最高速度、時速二二〇キロに達する。性能の差に任せてひたすら逃げ回れ。奴らの〈ベルキャット〉では、絶対にコイツに追いつけない。この地形でなら、負ける要素は無い……操縦兵の技量を除けば、だがな」
 新人は曖昧に頷く。
 頭頂高七・六メートルの巨体は、その特徴的脚部形状によって高速戦闘を実現している。今装備しているのは、全長およそ三・五メートルに及ぶ長大な『足』だ。それがジェット・スキーの役割を果たし、脚は中腰の状態で半固定してバネとしての役割に特化。人型兵器ならではの柔軟で素早い重心移動による機動性と、高速時安定性とをを両立させているのである。外見は、スキーを履いているというよりもむしろ、足の甲から先が異常に肥大化したかのように見える。
 この脚装備は『荒地戦仕様』と一般に呼称されている。主要な物には他に完全な二脚の『市街戦仕様』があり、ごく一部、非常に限られた地域でのみ、それ以外の多脚仕様なども運用されている。
 後ろで計器を操作していたジェズイットが身を乗り出す。
「一〇分後に味方のHAL部隊が着く。それまで保たせれば充分だ」
「……一〇分」
「ああ。運の良いことに、信頼の置ける連中だ」
「知り合いなんですか?」
「いいから、行くぞ。乗り込んだままトレーラーごと吹っ飛ばされるのは御免だろう」
 笑って頷き、床――元々は壁面だった場所に固定されているライフルへ手を伸ばす。だが、届かない。二度目も三度目も、遠すぎるのではなく、操作のミスで腕が空振る。
「落ち着け。コツがあるんだ」焦る新人に、ジェズイットは落ち着いて言う。「自分を、いないものと考えろ」
「いないもの?」
「そうだ。意識を拡散させろ。自分を広げるんだ」
「ああ、それなら……」
 得意だ。ネットワークに呑まれるとき。現実感を消し去るとき。自分を薄め、自分を守るとき。いつだって、新人はそうしてきた。だが、それは手段として良いことなのだろうか。まるで、自分の存在を自分で否定するかのような行為は。
 もう一度手を伸ばすと、易々と届く。口径四三ミリ、装弾数六〇のアサルト・ライフルだ。国を問わず、大型の二足歩行兵器では、仕様の違いは多々あれど、突撃銃は至極一般に用いられている。続けて予備弾倉を四つ、滑らかな動作でを腰の両サイドに二つづつ固定する。本来なら腰背部にもラッチがあるのだが、荒地戦仕様の場合はそこに推進機が取り付けられるため、使用できない。
「簡単だろう?」
「そう……ですね。意外に」
「それでいい。お前の心は大きい。肉体は、器に小さすぎる」
「ロボットこそが、僕の身体だとでも?」
 答えの代わりに、轟音が聞こえた。そして衝撃。先刻より、明らかに近い。
「行け、ミヤケ! この車両が砲撃を受けてる!」
 自己の喪失、現実との乖離。痛みを知ること、同じ自分でい続けないこと。何が良くて、何が悪いのか。何を信じればいいのか。何のために、生きればいいのか。今はまだ分からない。ならば、どうするのか。
「……行きます」
 立ち止まらずに、立ち向かう。今はそれでいい。空っぽの自分の中に、縋れる何かが生まれるまでは。
 新人は、両足のペダルを一気に踏み込んだ。
 推進剤に点火、スラスターが火を吹く。シートに押し付けられる方向の加速度が生じ、一瞬、息が詰まる。元は天井だった壁面に突っ込み、爪先――荒地戦仕様のジェット・スキーで突き破る。正面に、敵一機。
 ロック・オンするよりも早く、右手の親指が動く。コの字型グリップの上面に埋め込まれているボールを微細に操作し、照準。ヘッドギアが目線の動きと、照準したい対象を認識する。人差し指を引き、発砲。すれ違い様に弾丸を叩き込む。
 撃墜、とはいかない。だが、戦闘能力は削れた。そのまま加速し、ものの数秒でトップスピードへ達する。土煙を飛ばし、ターン。頬の肉が歪むのが、ありありと分かる。
「どうだミヤケェ! これがヒューマノイド・アサルト・ランドファイターだ! 最強の陸戦兵器だ!」
「乗り心地は、最っ悪ですね……!」直に最悪になる、というのはこのことだったのか、と新人は納得する。
「その意気だ……左六〇度ターン! 回り込んで撃ちまくれ!」
 敵群の混乱が伝わってくる。気を取られて足元の瓦礫に突っ込む者、左腕部に取り付けられた対人用機関砲を慌てて投棄し、アサルト・ライフルへ持ち変える者。
 残りは六機。戦力差は歴然としている。だが、それは正面から戦おうとしたときの話だ。プライドも、フェアプレイも、新人には関係ない。立ち向かい、今を生きること――今の新人を動かすのは、ただそれだけ。
 爪の先端が、緑の薄い潅木を押し潰す。時速二〇〇キロメートルで疾駆する八トンを越える巨体が、乾燥して赤茶けた土を宙へと舞わせる。
 一〇分、一〇分と呟きながら適当に照準を付け、トリガーを引く。標的を捉え切れなかった弾丸は都市の残骸に命中。均衡を崩壊側に振られた建物が瓦礫に変わり、また砂埃が視界を奪う。
 凪いでいる。空になった弾倉を捨て、右腰から新しいものを取り出しセット。ケースレス仕様なので、フルオートで乱射しても薬莢は排出されない。画面の片隅で、『0』だった表示が『60』に変わる。
 高速走行を止めぬまま射撃。数字が、あっという間に減少する。左膝を微妙に屈してリングと、パネルの角度を変化させる。ブレイン・バイパス・システムの自動最適化を経て、左へターン。各部冷却・廃熱正常の表示が、ふと目に留まる。ライフルにも冷却機構があるのか、と新人は場違いに感心する。
 視界が悪い。本来なら、岩盤にしても放棄都市にしても、三〜四メートル程度の高さが精々で、八メートル弱の体高を持つロボットたちの目線ならば、見晴らしは良い。だが今は違う。新人は、トレーラーを中心にした数十メートルの円内を縦横無尽に高速走行している。そのため、巻き上げられた――巻き上げた粉塵は天然のスモークと化している。襲撃者にとっては都合が悪く、新人にとっては都合が良いことに。加えて今は、風が無い。
 撃墜する必要は無い。時間を稼ぐだけ。自分に言い聞かせ、できる限りの速さでマガジンを交換。間髪いれずに射撃。おぼろげに見える影が、大きく揺らめいた。
「当たった!?」
 煙を割り、現れたのは、胸部に四三ミリ弾の直撃を受けて沈黙した機動装甲歩兵だった。ペット・ネームは〈ベルキャット〉。型式番号はMAI‐03G。共和国側では〈ゴリアテ〉と呼称されている。本名が知れているのに、なぜわざわざ違う呼称を用いるのか、新人には理解できない。
「お見事、コクピット直撃だ」口笛交じりに、ジェズイットが言う。
 死んだのかな、という曖昧模糊とした思いが浮かぶが、すぐに押し込める。死んだから何だ。殺したから何だ。殺すことが善とも思わない。必要悪とも思わない。考えるのは、後でもできる。今は人のことなど、考えていられない。
 弾倉を入れ換え、再び四三ミリライフルが火を噴く。伸びる火線は楕円弧を描き、見えない標的へと向かう。
「次が最後の一弾倉です!」
 スキーを立て、スピードを殺しながらも加速は止めない。結果、スライディングした状態のまま走行する姿勢になり、振り返ると砂のカーテンを引いているようにも見える。そのまま空になった弾倉を投棄し、新しい物をセット。これで、最後の一つ、最後の六〇発だ。
 敵陣の混乱は解けていない。向ける相手を失った四つの銃口から発せられるマズル・フラッシュは、花火のように瞬いている。綺麗だ、と新人は思う。そして、自分の感覚が、戦場にあって尚日常と全く変わらないことに、そら恐ろしい気持ちになった。ただの延長線。自分を埋没させれば、生きていける。
「ようし、勝負どころだ、ミヤケ。いいか、最初に照準した一機に全弾叩き込め。それから超音波振動ブレードをセット」
「了解」
 短く応え、火器・武装管制画面をアクティブに。ヘッドギアが感知する視線・頭部の向きと、B2システムを介して伝わる意識の収束点を総合し、前方ディスプレイの一部に機体の概略図と、武装の概要が立ち上がる。右手に四三ミリアサルト・ライフル、残弾六〇。胸部に機関砲、脇下に投擲式のダガー。そして左大腿部の武装ラックには、ブランクのゲージと短刀の図が表示されている。
「超音波振動ナイフ……ですか?」
「そう、それだ。充填しろ」
 了解、とまた応え、左手の親指でボールを操作し、ナイフを選択してトリガーを引く。すると、空だったゲージが上昇を始め、同時にそのすぐ横に充填終了までの残り時間を示すコンマ刻みの表示が現れる。
 緊急時や作業時はこの限りではないが、一般に戦闘時は、右手の操作は機体本体の、左手は内部システムの操作に対応している。ここでも、B2システムは操縦者の目的に合わせ自動で巧みなアシストをする。
 先程ジェズイットが言った、増援到着までの時間は後二分強ある。保たせられるか、と不安が過ぎり、保たせる、と自分自身でそれを振り払う。数字が回転し、残り充填時間が減少する。
「三、二、一、チャージ完了です!」
 コクピットが震えている。次の加速はまだか、早く走らせろ。〈ストライクリザード〉の叫びが聴こえた気がした。新人は赤外線センサも併用し、標的を捜す。
 煙の中に、薄ぼんやりと蠢く影が一つ。頂点の光が、こちらを向く。ターゲット、ロック。
「射程内だ、行ける!」
 思わずそう口に出したときには既に、両脚は機体を横滑りさせ、右手はトリガーを引いていた。〈ストライク・リザード〉の右手も、巨大な突撃銃のトリガーを引き、閃光と轟音と共に、主力戦車の複合装甲をも易々と貫通する弾丸が迸る。一瞬遅れて、着弾。確かな手応えがある。装甲と、駆動系を撃ち抜く生々しい音。
 やった、と新人は思う。だが、またしてもジェズイットの答えは違った。
「やられた……退け、ミヤケ! 道理で動きが鈍いわけだ」
 現れた機動装甲歩兵――MAI、〈ベルキャット〉。その異様さに気付いた時には、手遅れだった。
 体躯が一回り大きい。それは、撃墜された――新人が撃墜した僚機の残骸を、楯代わりに抱えているためだ。弾丸は、命中はすれども届かない。なぜ気付かなかった、と臍を噛み、視界が悪いためだ、と納得する。こちらが向こうから見えないということは、向こうがこちらから見えないことと同義だ。見たければ、見せなければならない。
 緊急回避――間に合わない。致命傷を防いぎつつ肉迫した〈ベルキャット〉が、もはやスクラップでしかないMAIの成れの果てを、狼狽する新人と〈ストライクリザード〉へ向け思い切り叩き付ける。衝撃に一瞬、身体がシートから浮く。
「うわああっ!」
 視界が暗転、仰向けに転倒。セーフティ機構が働き、推進器がストップする。痛む身体を叱り付け、モニタで周囲を確認――するまでもない。目の前には、手斧を構えた別の機体が立ちはだかっていた。軌跡は恐らく胸部のコクピット一直線だろう。無表情な頭部の四つの瞳が、獲物を捉えて危険に輝く。
 動かなくてはやられる、と思う。だが、立ち上がれない。
 脚部の形状上の問題だ。高速時ならば抜群の安定性をもつ三・五メートルの巨大な足だが、倒れてしまうと復帰するまで時間が掛かりすぎる。一撃離脱を旨とする〈ストライクリザード〉荒地戦仕様が、離脱できなかったらどうなるか。答えは一つ、死、だ。
 立ち上がらないわけではない。動きたくないわけではない。動こうという思考が働かないわけではない。この戦場に、新人を縛る物は何もない。先刻とは違う。だったらこの脚は何だ? 邪魔だ。要らない。顕在化した、枷だ。
 左手がグリップから離れ、壁の一箇所を叩く。意識下と無意識下の間で、何を、どうすれば良いか、脳が全身に指令を送っている。その、プラスチックパネルで覆われた拳半分大のスイッチを叩くとどうなるか、新人は知らなかった。だが、叩けば良いと――動ける、戦えると理解していた。
 知識は無い。乗ったのも初めて。なのに、なぜ分かるのか。そもそも、なぜ戦えるのか。システムをたまたま上手く扱えると、ただそれだけか。具体化された行動まで、『上手く扱える』の範疇に入るのか。
 〈ストライクリザード〉のことを、新人は知らない。テレビの映像で見たか、ジェズイットの話を聞いたか、それだけだ。ならば、この既視感は何だ。
 違う、既視感ではない。見たのではなく、見られている。この得体の知れない居心地の悪さを、新人は知っている。どこで知ったのかは、分からない。解けたはずの違和感が、頭の底に再び蘇る。
 考えるな、と新人は自分に言い聞かせた。考えるのは、後でもできる。
 左手が動く。安全機構のブロックを強制解除。スラスター、アクティブ。火器管制、兵装切り換え。両足のペダルを、一気に踏み込む。背中から、突き上げるG。
 衝撃吸収用の緩衝材が一気に気化し、関節ボルトが接続を解く。足首から下――ジェット・スキー部を切り離し。後腰部スラスター、全開。機体が弓なりにしなり、無理矢理に体勢復帰。関節が悲鳴を上げ、アラートが絶叫する。左大腿部武装ラック解放。飛び出したナイフの柄を、右手で掴む。振動機構を始動。微かな唸りだけが耳に届く。
 うろたえる敵機へ、半ば殴りつけるようにナイフを突き刺す。同時に、想定していない荷重に耐えかねた足首――足が切り離され、内部機構が露出している――が、断末魔の音を立てて圧壊した。
 鋼鉄を裂く刃は、胸部、コクピットに食い込んでいる。中の操縦兵は恐らく即死だろう。高周波振動する特殊加工されたブレードに身体を潰され、血肉の塊と化したに違いない。〈ベルキャット〉の右手から、手斧が落ちる。そして全身が力を失い、砂の上へ崩れた。同時に〈ストライクリザード〉も、膝を屈して両手を地面に着く。
 やった、と呟く。だが、新人に許された反撃は、そこまでだった。
 身動きが取れない。ライフルは衝突の再に手放し、挙句弾切れ。ナイフは深く刺さりすぎ、敵の身体から抜き取れない。そして残った投擲用の短刀を取り出すよりも、無傷の敵性体三機の攻撃の方が、遥かに早かった。
 膝立ちになった〈ストライクリザード〉に、容赦の無い攻撃が襲い掛かる。ショット・キャノンが右腕を、アサルト・ライフルが脚部を、そして手斧が頭部を潰した。衝撃に全身の感覚が一瞬麻痺し、肺の空気が残らず抜ける。コクピットの天井が陥没し、金属板が新人の頭を殴りつける。だが幸いにして、意識が混濁するほどでは無かった。
 主映像と感覚器を失い、視界がブラックアウト。暗闇の中で、胸のサブカメラからの、解像度が低い映像だけが煌々と光る。一つ咳き込み、反吐を吐く。正面に、霞んだ青空が見えた。
「まだ……戦えないか!?」
 残っている左手を伸ばし、脇の下のラックを探る。だが、その腕も鋼鉄の足に踏みにじられる。ダークグレーの装甲が視界を塞ぎ、マニピュレータがブレード・ローラーで砕かれた。警報音が、耳を劈く。胸部機関砲――使用不能。先刻の衝突で、撃発機構に異常が発生している。
 何も見えない。立ちはだかる巨大な壁が、全てを覆い隠す。全ての武器を奪われ、全ての力を壊され、できることは、もう何も残っていない。
『やったって、頑張ったって、どうにもならないことが多すぎるんだよ』
 自分の言葉が、頭の中を渦巻く。
(だから、どうする……?)
 全てを放棄し、部屋の中で蹲るか? それとも、何か違う道を行くか? 後ろで荒い呼吸を繰り返す男のように。
 頭の中で大鐘が鳴っている。鈍い痛みを感じて額に手をやると、ぬるり、と生暖かい感触が指先に走る。ディスプレイの明かりに照らし出されたそれは、鈍い赤色だった。
「痛い……。痛い」
「クソッ……動くか、ミヤケ?」
「ダメです。うんともすんともいわないですよ」
「制御系をやられたか。不味いな……脱出機構は?」
「やってますよ、さっきから!」
 頭部が完全に圧壊しているため、頭を吹き飛す脱出機構は死んでいる。両腕をどんなに動かしても、B2システムをアクティブにしても、しなくても、機体は何も反応しない。
 血と汗に塗れた手をズボンで拭うと、砂がべったりとこびり付く。敵機は眼前に迫り、銃口がゆっくりとこちらに向き、止まった。
(終わりか……?)
 何かしなければならない。どうにもならない大きな力に流されても、もがくことを止めてはならない。だが、ならば今どうしたらいいかと思うと、何もできない。壁を押し返すには、力が足りない。限界は確かに存在する。
「痛い」
 目の前の現実に、どうにもならないと嘆き悲しむか。どうでもいいと目を背け、自分をいない物とするか。
「違う、僕は!」
 何もできなくとも、力が無くとも、できることはある。
 額から流れる血が、右目に入る。鋭い痛みに、思わず顔を顰め、右手で押さえる。
 そして新人は残った左目で、眼前の機動装甲歩兵を睨み付けた。


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