ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
#1 始まりをもたらすもの・2
 横倒しになった、鉄筋コンクリートのビルの影から向こう側を窺うと、これまた横倒しになった友軍の大型輸送トレーラーが、無様に腹を晒している。そして、聞きたくない音が淀む空気を切り裂いている。何かが弾ける、軽い音。
 隊長の檄が飛び、兵士たちは岩、瓦礫の影、窪地などに身を伏せ、小銃を敵兵のいるであろう場所目掛けて撃つ。新人もまた、倒壊した建物の影に身を伏せ、辺りを見回す。ターゲットがどこか分からない。教科書通りの射撃なんて、出来るわけがない。照準、トリガーを引く。けたたましい声と共に新人の銃からフルオートで飛び出した弾丸は空しく砂を散らし、大地を抉った。
 すでに友軍部隊は統率を失っていた。残った僅かの兵士が、倒壊した家屋に突っ込んで倒れたトレーラーを盾に必死の応戦を繰り返すのみ。
「うくっ」
 隣でくぐもった声。同時に一人の兵士が胸から血肉を散らして倒れる。新人と同期の、新兵の一人だった。
 死体に変わった彼を見下ろし、新人は考える。目の前で人が死んだ。それを悲しむ自分、淡々と見つめる自分、悲しもうとする自分。一つの目線を、バラバラな意識が共有しているかのような錯覚を感じる。本心がどこにあるのか、自分がどこにいるのか、分からない。
 料理人に憧れていた彼の名を呼ぼうとしたが、砂にまみれた口からは乾いた音が僅かに漏れるだけだった。心のどこかが、呼ぶことを拒絶しているかのように。出来るのは、呆然として、生きることを止めさせられた彼の身体を眺めることだけだった。
 どこからか、今までとは明らかに違う銃声が響いている。深く、重く――砲声と呼ぶ方が正しいほどの轟音だ。その発音源は、次第次第に大きくなり、近づいてくる。だが、危機が音の形で幾度警告を飛ばしても、新人は、足に見えない楔を打ち込まれたかのようにその場を離れることができない。彼と過ごしたほんの数週間ほどの時間、彼と交わした言葉の全て、新人の中に残る彼が、楔だった。
 新人には、友達がいなかった。信頼できる人間も、一人もいなかった。一人になり、一人の自分を広げ、自分の存在を薄めていくことが、新人の存在の仕方だった。だから、同期の彼が残したものは、新人にとっては途方もなく大きく、重い。薄かった新人の中に溶け込んだ存在の喪失は、弾丸の飛び交う場所で、生きるために行動することを忘れさせるほどに、巨大なものだった。
 重厚な鉄の塊が岩盤を破砕する音が、一定のリズムを刻んで周囲を巡る。腹の底から突き上てくる衝撃は即ち、巨大なモノの足音。何もかもを踏み潰し破壊する、争いの権化たる機械の巨人。新人が身を隠す瓦礫の前に達したそれは、八メートルの上方から緑に光る四ツ目をこちらに向けた。
 帝国のロボット兵器、『機動装甲歩兵(モビリティ・アーマード・インファントリ。略称M.A.I.)』だ。マッシヴなプロポーションにブレード・ローラー装備の脚部、左腕に外付けされた小口径の機関砲、腰のラッチに固定されたままのアサルト・ライフル、硝煙を上げる胸部バルカン砲。荒地での対人制圧戦装備であることは一目でわかる。つまり、一介の歩兵の――新人の敵う相手ではなかった。
 先刻の、あの兵士の言葉が頭の中で何度も反芻される。
 『逃げろ』『敵わない』『どうにもならない』『生き延びさせる』。
 だが、新人の足は、沈黙する戦友の隣を離れなかった。走ること――行動することを、身体が忘却していた。動こうとすら、思えなかった。
 ロボット兵器の頭部、カメラ・アイのレンズが小刻みに動く。自分にフォーカスを合わせているのだと、極めて冷静な頭が認識する。死への恐怖、生への執着――そんなものは感じなかった。ただ目の前にある事実を認識し、処理することしか出来ない。思考の演算容量は、既に目盛を振り切れていた。
 その時、機体の装甲に火花が散った。自動小銃の、火薬が爆ぜる射撃音に、金属を打つ着弾音が重なる。
「こっち向けやデカブツがァアァッ!」
 あの若い先輩兵士だった。新人が彼を見ると、彼もまた新人を見る。早く離れろ、死にたいのか、と彼の眼が叫んでいる。だが、新人は動けない。あの先輩は、きっと死ぬ、と彼は思う。そして、何故だ、と考える。隊長が、カーバネル・ジェズイットが言ったからか。その言葉のために、一つしかない自分の命を、自分の存在を薄めることで生きてきた人間、しかも他人の命のために捨てるのか。
 命の価値には、人によって絶対的な違いがある。幾ら誰かが平等を叫ぼうと、人間は違う。新人の価値は、限りなく低い。
 小銃の五.五六ミリ弾が、鋼鉄の装甲を叩く。弾倉一つ分を撃ち尽くしても、まるで効いていない。こっち向けという叫びに応えた訳ではないのだろう。鬱陶しいハエを追う人間のように、MAIは四ツ目を彼、兵士の方に向けた。胸部の機関砲が、虚しい抵抗を続ける彼を照準する。即座に、彼は弾切れになった小銃を捨て、鋼鉄の長筒を――対戦車バズーカを構えた。
「喰らえ!」
 引き金を引いたのは同時だった。すれ違う火線が、互いの身体に達する。
 だが、水分を繋ぎとめたタンパク質の塊であるところの人間は、鋼鉄の装甲に覆われた機械兵に比べて、余りにも脆弱過ぎる。毎分一五〇〇発、一秒に換算して二五発の一五ミリ機関砲が、彼を只の肉塊に変えるのは一瞬だった。対して、MAIの方は装甲板を一枚飛ばしてよろめくに留まる。一人の命の対価としては、余りにも軽すぎる。だが、意義はあった。
 旋風の如く飛び出す男が一人。体勢の整わない巨人はその接近を容易に許してしまう。
「無駄にはしない……!」
 男は手にした手榴弾のピンを引き抜き、機動装甲歩兵の股下に潜り込む。そして、股関節目掛けて放り投げる。
 人の形をし、駆動する以上関節部というのは絶対的な弱点となり得る。構造上、駆動に必須な部位が装甲で防御出来ないためだ。関節が関節として機能するには、必ず面構成に遊び――隙間が出来る。それが一番大きいのが、股関節なのだ。
 爆炎とともに、テルミット反応で焼かれた関節が弾け飛び、左脚部の外れたロボットが荒野に倒れ伏す。乾燥した砂塵が、巨体の衝撃で舞い上がり、飛び込んだ男の姿を隠した。
 歩兵が大型二足歩行兵器と戦う術は、全く無い訳ではない。兵士が、機動装甲歩兵を知り尽くしていれば――弱点や死角など、操縦兵としてロボット兵器を知り尽くした人間であれば、戦い方は自ずと見えてくる。逆に言えば、知り尽くした人間でなければ、戦うことは出来ない。己の命を、無駄に散らすだけだ。
 どう動けば照準されないか、どう接近すれば懐に潜れるか、どう攻撃すれば人の脆弱な力で、MAIを無力化出来るか。針の穴を通すような思考と行動があって初めて、戦える。
 新人は息を呑む。彼にそれを教えたのは、誰だったか。自分を埋め、生き残る――一つの駒として機能するためには、要らないと決め付けたことを、教えてくれたのは誰だったか。
「た……い……ちょう」
「生きてるな、二等兵君」
 少しずつ晴れる砂埃の中から姿を現した男――カーバネル・A・ジェズイットは、いつものようににやり、と笑う。
 膝の力が抜けた。どうしてかは、分からない。安堵ではない。恐怖でもない。怪我もしていない。只、もう立っている必要は無いと、新人の脚が主張していた。目の前では、片足を失った巨大ロボットが、ジタバタともがいている。男が、呻き声を上げる。
「隊長、その脚……」
 ジェズイットの左脚は、夥しい量の血に塗れていた。太い血管を切ったのか、醜い赤い染みが、見る見るうちに広がっていく。鋭く千切れた鋼板が深々と突き立ち、傷口からはどす黒いが湧水のごとく溢れ出していた。コーヒーフィルタに似ているのだなと、新人は思う。
「奴さんの破片みたいだな。刺さったのが首じゃなくて良かった」
 一つ肩を竦め、彼は新人の肩を借りて立ち上がる。無理に笑顔を作っているが、左脚を踏みしめる度に唸り声が漏れた。唇を歪めるのが、彼にとっては歯を食い縛る代わりになるのだ、と新人は理解する。彼は笑い、重すぎる苦痛に耐えている。今も、いつでも。
「行くぞ、ミヤケ」ジェズイットは言った。
「え……どこへ?」
「敵は一機だけじゃない。補給物資の中に人型強襲陸上戦闘機がある。そいつを動かして、他を蹴散らす」
 彼の顔からいつの間にか笑いが消えていた。只一点に視線を固定、あらゆる痛みに耐える、憤怒の形相。
 返そうとした無茶だ、の一言を新人は思わず飲み込んだ。
 一体、何が無茶なのか。無茶だから、何がいけないのか。どうせ新人には帰りたい場所なんて存在しない。生きることは作業であり、作業を継続することが唯一の存在意義だ。薄まった自分に核は無い。空っぽだ。
 だったら一度くらい、死ぬ気になってみるのも良いじゃないか、と思う。もっと――膝だけじゃなく、全身が動くことを拒絶するような状況に自分を追い込めば、空ろな中にも何かが生まれるかもしれない。生きる理由として、縋れるものが。目の前の男は血まみれになりながらも、笑って耐えることを捨ててまで、死ぬ気で生きる気でいる。
 付いて行こう、例えそれが奈落への道であろうとも。理由の無い戦いの果てに、見えるものがあるかも知れない。
 いつか打たれた左頬にそっと触れると、新人はジェズイットの杖となって歩き出す。理由があることは、きっと幸せなのだ。或いは、幸せだったのだ。彼女は。理由を持たない新人には理解できずとも、理由の否定が存在の否定であることだけは、理解できた。
 足が何かに躓く。奇妙な重量を感じたそれは、あの先輩兵士の頭部だった。
「後ろを見るな。過去には、背中を見せろ。死んだ奴らに、笑われたくないのなら、な」
「……はい」
 ジェズイットは笑い、新人は曖昧に頷く。新人が支える彼の肉体は、自分の心を支えることを彼に委ねても尚、重い。支えあうことは苦痛なのかそうでないのか、分からない。今は歩くしかない。
 トレーラーに辿り着くのにさして時間も手間も掛からなかった。残された僅かの兵士が決死の覚悟で反撃を始めたため、却って手薄になっていたのだ。ロボットたちは、至上目標であろう補給物資の破壊を忘れ、携帯火器による必死の抵抗を試みる足元の兵士達に意識を持っていかれていた。「敵の指揮官は戦力差に奢り、反撃される可能性を露ほども考えない凡将だ。付け込む隙は幾らでもある」と言って、ジェズイットはまた無理な笑いを浮かべた。
 トレーラー脇に付いている小さな扉を開き、這うようにして中へ入る。外から見た荷台は、内部で悠々生活が遅れそうな大きさがあるようだったが、内部は、乾燥地帯の日差しに慣れた眼では何も見えない程暗く、様子は分からない。
 ジェズイットが慣れた手つきで壁をまさぐり、照明を付ける。
「まだ電源は生きていたか」
「……これが」
「そう、我らが共和国の切り札さ」
 そこには三機のHAL――ヒューマノイド・アサルト・ランドファイターが片膝を着き、頭を垂れた待機姿勢のままトレーラーの慣性に従って横転していた。赤い塗装には剥げ落ちの一つも無い。パーツの欠損も、装甲の歪みも無い。工廠から出たての紛うことなき新品だ。生まれたての、穢れを知らない赤。
 新人は呆然としていた。変化する戦場の申し子――メディアに露出し、プロパカンダの役割も担うそれが、目の前に存在しているという事実が、彼を圧倒していた。同時に、知っている、と思った。機械の塊に、言い知れない親近感さえ覚えた。映像で見ている、ジェズイットの話に聞いている。知らないはずなのに、知っている。有名過ぎる観光地を自分の眼で見たときの感覚に似ているのだろう、と彼は思う。或いは、小さな子供の頃に見て、それきり忘れた光景を目の前にした感覚。記憶の奥底に刷り込まれた、経験を超越した一つの事実だ。
 不意に、ジェズイットがさも当然のような口振りで言った。
「動かすのは、お前だ」
「え?」思わず、立場も忘れて問い返す。
「俺には無理だ。さっきの爆発の破片のおかげで左腕が上がらない。他にもあちこち、な」身体のあちらこちらを大振りなジェスチャーで指し示しながら、唖然とする新人を無視して彼は続ける。「安心しろ、俺も乗ってやる。少し狭いがな」
「で……出来ませんよ! 車だって運転したこと無いのに、いきなりロボットなんて……」
「お前、俺の話を聴いてなかったな……まあいい。二足歩行兵器は従来の兵器とはあまりにもその操縦ノウハウ、要するに戦闘に要する慣熟度が違いすぎた。何らかのインターフェースが無ければ、まともに動かせるのは開発者のみ、という状況だ。そのため、搭乗者の脳波を非接触的にモニタリングすることで直感的かつ簡易な操縦を可能にする『B2システム』が例外なく搭載されている。思い出したか?」
 何故か忌々しげに、ジェズイットは言う。新人の思考を、鉄板の向こうの轟音が妨げる。
 確かに……そんな話も確かに、あった。乗り手の人間に合わせてセルフ・フォーマッティングを行い、最小の動作で最大の機動を行う、言わば人機間の最適化装置、言語――コミュニケーション・ツール。それがB2、ブレイン・バイパス・システムだ。
 新人の記憶は、全て忘れるか全て覚えているかのオール・オア・ナッシングだ。忘れようと務めれば、どんなことでも完全に封印できる。だが、一度その封印が解かれれば、詰まりの取れた排水パイプのように、記憶はスムーズに流れ、溢れ出す。それは、彼の生きるための防衛衝動が生み出した功罪に他ならない。
 新人は語る。
「思い出しました。そのB2システムを扱えるか否かは純粋に個人の才能に依るところが大きい。そしてデータ上は明らかに若年層、それも一〇代の適合度が高い、でしたね」
 同時に、それを語ったときのジェズイットの顔が、まるで苦すぎるコーヒーを口にしたときのように複雑で、曖昧に歪んでいたことまで、新人は思い出した。
「そうだ。お前がいたのは幸運だった。俺の勘だが、お前ならきっとシステムに適合する。うまくやれる。どの道、選択肢は無い。死にたくないのならな」
 選択肢は無い、という一言が突き刺さる。人生には無限の選択肢があるという幻想を、新人は既に捨てて久しい。抗し難い、どうしようもない力――社会であり、親であり、大人であり――に流されて生きることしか、矮小な一個人にはできない。しようとも思わない。
 だが、無限の選択肢がどんなに狭められようとも、二つの道は残る。向かうか、立ち止まるかの二つだ。
 立ち向かえる人間は、抗し難い力の中にあっても一個人であり続ける。たとえ社会の歯車と蔑まれようとも、歯車が無ければ機械は動かないことを知り、その苦痛に耐えることができる。しかし、そうでない人間もいる。惰性で立ち向かうこと――悪し様な意味での歯車にすらなれず、ジャンク・パーツの一つとして目立たずに転がっていることしかできない、新人のような人間が。そして彼のような存在は、誰にも顧みられることなく、流れの中で忘れ去られていく。
「知った風なこと言わないで下さい」
「何だと?」
 忘れる側の人間に、忘れられる人間の考えが理解できるはずが無い。虚ろな――何も無い人間の心を、知ることはできない。できないものはできないのだと、骨の髄まで思い知らされた上で、新人はここにいる。
「僕にはできませんよ。死ぬだけです」
「このままここにいても間違いなく殺される。だったら戦って……」
 自らを死へ追い込めば、虚ろでなくなるかもしれない、とも思う。燃え尽きる間際に一際輝く蝋燭のように。だが、追い込むのと追い落とすのとは違う。自暴自棄に動くくらいなら、いっそ立ち止まっていた方がいい。
「戦って、死ぬんですか?」
「さあな。そいつはお前さんのやり方一つだ」
「できないって、言ってるでしょう」
「生存の可能性があるなら、賭けてみる価値はあると思わないか、二等兵君?」
 そう言って、ジェズイットはまた笑う。歪む唇が、新人を苛立たせる。リターン率が極めて低いことを理解しきっている、諦念の笑みだ。
「できないものはできないんだって、どうして分かってくれないんだ!」目の前への苛立ちは叫びとなって、新人の口を衝いた。「人間はね、不公平なんだ! 世の中はそうできている。努力? 頑張り? 認めてもらえる? そんなの嘘だ。嘘っぱちだ。確かに、認めてもらえる世界だってあるのかもしれない。だけど、僕は……少なくとも僕はそうじゃなった! やったって、頑張ったって、どうにもならないことが多すぎるんだよ。まして僕には、助けてくれる人もいなかった。いつも一人だった。だから僕には何も無い。凡庸で低能で根暗で、傲慢で間抜けで…ようやく出来た友達が、守ってやると言ってくれた人が、死んでいくのを横で見ていることしか、逃げ出すことすらできない僕は……。僕はっ!」
 不意に気が抜け、新人は膝を折り、言葉を切ってその場に崩れる。両手を地に着いた姿を、ジェズイットは淡々と見下ろしている。
「何も、できないんだ。だから、何も、しなくていいんだ! なのにどうして、あなたはできるだなんて言うんですか!」
 トレーラーの空間内に、新人の声が反響する。遠くで爆発音が時々起こり、鉄の壁面が震える音が混じる。着いた掌を握り拳に変え、新人は床の継ぎ目を睨む。ジェズイットが答えを返すまで、決して上を向いてやるものか、と彼は奥歯を噛み締めて思う。
 立ち向かえる人間の、驕りなど微塵も混じっていない言葉ほど、新人のような人間に苦痛を与える物はない。責めることも、憎むこともできない。彼らはただ、別種の、決して理解しあえぬ存在がいるということを知らない、分からないだけなのだ。故に彼らは憐れむ。それがどれほどの苦痛を生むのかも分からずに。
 ジェズイットはしばらく無言のまま、何も言わなかった。新人は下を見、砲弾の炸裂する音だけが遠くで響く。
 果てしなく長く感じられた間を経て、男はそっとその口を開く。
「格好悪いな、お前」
 憐れみの言葉ではなかった。罵倒か批評家気取りか――どちらにせよ果てしなく遠い場所からの言葉。憐れむくらいなら突き放した方がいいと、知った風な口を利く人間はどこの世界にもいる。偽善の優しさだ。
「そうですね」
「情けないな」
「そうですね!」
「だがな、一つ教えてやる」
 ジェズイットの声色が変わった。思わず新人は口を真一文字に結んだまま、上を見る。
 ニヤリと笑った彼の表情からは、さっきまでのような方便的感情は読み取れなかった。こんな笑いは、初めて見る。
「俺はもっと格好悪い。俺ほど多くの部下を失った人間を、俺は他に知らない。傷を負っても自分だけは生き延び、今も部下に全部任せて自分はこのザマだ。俺は信じるに足る人間ではない。裏切られ、後ろ指差され、泥と血に塗れるのが相応しい、人間の屑だ。そんな俺が、お前に言う」
 口元をだらしなく歪めてマゾヒスティックな笑みを漂わせ、彼は腰掛けていた鉄箱から立ち上る。そして次の瞬間、新人は胸倉を掴まれ、無理矢理に立ち上がらされた。
「何……するんですか!」
「戦友を失った? 先輩が死んだ? それがどうした……。甘ったれるな、糞餓鬼!」
「甘えて何が悪いんです!? 僕にとって、彼らは……!」
「貴様の今までなど知ったことではない! 大切な人を失う苦しさを知らぬ者は、守られたまま死んだ腰抜けだけだ。何も背負っていない人間などいない。そんな程度で知った風な口を利くんじゃない」
「それでも、僕は!」
「それでも戦うことを拒絶し、いつまでも逃げ続けるのか? できないできないと言い続けるのか? 自分を守ることは心地良い。閉じ篭るのは容易い。立ち止まるのは誰にだってできる。自分の価値を貶めることは、本当に簡単だ。お前はこれまで、そうやって生きてきたんだろう?」
「そうですよ。だけど、その何が悪いっていうんだ! 誰もが目の前の何かに立ち向かえるわけじゃない。立ち向かえば痛いだけだって、僕は知っているんだ! あなたとは、違うんだ!」
「違わないさ。俺もお前も、人間の屑だ。屑に甘んじているか、そうでないかの違いはあるがな。お前は、屑でいいと思っている。俺は、そうではない」
「そうですよ! 僕は屑でいいんだ! 何がどうなろうと知ったことじゃない。裏切られるのも、失くすのも、悲しむのも、悲しませるのも、嫌なんだ!」
「だから糞餓鬼と言った!」
 何か言い返す間も無く、胸倉を掴んでいたジェズイットの手が、新人の身体を突き飛ばした。そのまま尻餅をつく。骨が鋼板に当たり、鈍い痛みが胃の辺りまで突き上げた。
「ミヤケよ。人の魂が育つのは、どんな時だと思う?」
「……知ったときです。環境や、人を」
 少しだけ迷い、新人は答えた。周囲に何があるのかを知ったとき、手を伸ばすことを――そして、伸ばしても届かぬ場所があることを理解する。人の心を知ったとき、決して分かり合えないと理解する。自分はそうだった、と彼は思う。
 だが、ジェズイットの答えはそうではなかった。
「違うな。やはりお前は只の糞餓鬼だ、ミヤケ。いいか、人の魂が育つのは、傷ついたときだ。傷つき擦り切れ、それが癒える過程にこそ、成長というものがある。人間は、前に進む」
「痛みに耐えられない人は、どうすればいいんですか。僕は耐えられないから、閉じ篭ったんだ」
「痛みを知らぬ者に人の痛みは分からない。お前は既に、理解しているだろう?」ジェズイットはまた笑う。「お前は赤紙によって招集され、無理矢理にでも人と関わった。逃げ道を断たれた。ならば既に、知っているはずだ。お前には、人の痛みが……何を大切にしているのかが、分からない。違うか?」
 左頬が脈打った。癒えたはずの、彼女に――美澄美琴に殴られた疼痛が、まるでたった今もう一度殴られたかのように蘇る。
「お前はそれでいいのか? お前自身は、それを許せるのか?」
「僕は自分を傷つけなきゃならない、ってことですか?」
「傷つく覚悟をしろ、ということだ。生きるとはそういうことだと、俺は思っている」
「どうすればいいんですか?」
「決まっている」
 即座に言ってジェズイットは立ち上がり、何かの操作パネルに触れる。同時に、横転したロボット――人型強襲陸上戦闘機の頭部が倒れ、操縦席が露わになった。
「乗れ。そして戦え。今日を生きねば、明日は来ない」
 超然とするジェズイットを見上げ、新人は拳を握り締める。
 傷が癒えるとき人は成長するというのなら、今までの新人は、只生きていただけだ。目的も持たず、成長することも無く、全てが静止した中で、時の流れを漫然と彷徨っているだけだ。そしてそれが良い選択でないことは、彼自身も理解していた。動くことを恐れ、立ち止まり、届かぬ場所へ手を伸ばすことを止めることは、何も生み出さない。
 だが、それは必ずしも悪ではない。変わらない、進歩の無い自分自身であり続けることを肯定するか否か。問題は、そこだ。目の前の男は、否定した。
(僕は……?)
 彼のように、痛みに耐えられるのか。血を流しても、涙は流さずにいられるのか。
「安心しろ」こちらの心を見透かしたかのように、ジェズイットが言う。「耐えられなくなったら、俺がお前を助けてやる。今のお前は、一人じゃない」
 そして差し出された無骨な掌を、新人は少しだけ迷い、しっかりと掴んだ。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。