#4 翼のある使者・3
誰かが自分を欺こうとするのなら、それを見破る精神力を。誰かが自分を罠に陥れようと企むなら、それを打ち破る力を。自らが強くあれば、この世の悪しきもの全て、悪しきものではなくなる。何かを悪と決めるのは、つまるところそれを悪と見なさなければならない自分自身の力のなさであり、真なる悪とは、人の心の中には存在し得ない――そう、松下肇は考えていた。
南に伝わる思想の亜種、と言えるかもしれない。生まれついての悪人などどこにも存在せず、人を悪に走らせるのは周りの環境であり、悪を為した人間が悪いのではない。だから救済しなければならない、という考え方だが、肝心のどうやって救済するか、の部分は永き時を受け伝えられた末に曖昧になり、消えてしまった。不要だからなのかもしれない。許さなければならない、という主旨さえあれば、他の部分はどうでもいいと、この教えを耳にした人々が考えた結果なのだろう。
だが、一つの悪を目の前にして、それを許すことができるだろうか? 答えは否だ。できないからこそ争いは起こるし、今自分は、こうして兵士として戦場に立っている。だからせめて自分だけは、自分だけは人を許せる人間であろう、と松下肇は考える。何者をも悪と断ずることなく、ひたすらに己を磨き上げることで。
力を持てば、それは叶う。そして、力があれば、やむを得ず誰かを討つことさえも許される――。だから、自分は禁欲的な生活を好むのかもしれない、と彼は思った。身体を鍛え、操縦技術を磨く。反撃を受ければ死は免れないほど愛機の装甲を削り、一撃離脱のスタイルを貫く。自らを『私』と呼び表し、男として生きることさえも拒絶する。兵士は兵士であり、性の違いは関係ない。強くあれ、強くあれと、何度繰り返したことか。
一六特機隊に新たなメンバーが加わってからというもの、松下は自らに課した『強くあれ』という言葉を、より強く意識することが多くなった。
今の世の中は最低と言ってもいい。本来守るべき存在である少年少女が戦場に送り込まれ、その意味を確かに知るより早く、行動として人を殺すことを求められる。彼らが何を思うのか、想像するのは容易だ。即ち、絶望感。自分一人が何をしようとも世の中は変わらず、少しでも楯突こうとすれば、容赦のない力によって押し潰され、千々に裂かれて流されるのだ。そんななかで、一体誰が、自らの意思を確固として持ち、一人の自分が存在している必然を知ることができるだろう。
だから、周りの人間が『強く』あらなければならないのだ。特に、あの三宅新人のような、ブランクな少年に対しては。行く道を誰かが強く示さなければ、彼は、いや、彼らの世代は生きながらにして失われてしまう。
だが、一六特機隊の人間はどうだ? ジェズイットのような男に、迷う少年を導くことができるのか? 飄々としている、といえば聞こえはいいが、それは歴とした意志を示すことから逃げているだけだ。彼の離婚歴のせいかもしれないが、子供にとって、そんな事情など関係ない。目の前にあるものだけが真実なのだ。彼が感じているであろう中途半端な孤独を埋め合わせなければ、いつか、彼は壊れてしまう。強くあれ、と明確に道を示さなければ。
警告の電子音に、松下は我に返った。
「……熱量過多。そろそろ限界、か」
アラートを発したのは、機体状態をモニタするセンサだった。駆動音と廃熱を限界まで抑えつけているため、各部に異常が発生する寸前なのだ。今は我慢の時。まだ、我慢するべき。
市街戦仕様の制動尾を巧みに操り、松下の水色に染まった〈ストライクリザード〉が摺り足で移動する。彼にとって最も効率的な移動方法を追求した結果だが、共和国広しと言えどもこれを真似できる人間はいないだろう、と彼は自負していた。市街戦仕様は只でさえ操縦に難がある上に、勢いを限界まで殺し、重心のコントロールを一瞬でも間違えたら転倒する移動法なのだ。
暗闇の中を目視走査。シュミットの手によると思われる砲撃が、近い。つまり、敵はすぐ近くにいる。大まかな砲撃だが、それで余裕をなくしたところに忍び寄り、一撃で仕留めるのが松下の役目だ。
レーダーが死んでいる。何らかの欺瞞手段を使ったのか、と訝しんだが、その程度は障害にはならない、と彼はほくそ笑む。
外部観測を赤外線メインに切り替える。サブを光学、暗視スコープに。敵がどこかへ身を隠すとして、砲撃源のほうを窺うこともできてかつ、シュミットの執拗な射撃に耐えられる場所。相当限られるはずだ。両腕に大型セラミック製模擬ナイフをセット。ダブル・グラップリング・モード、アクティブ。両腕で格闘戦を目一杯行うための、松下独自の機動プログラムだ。
丁度、シュミットの砲撃方向に対し、七五度程度の角度になっている岩場を、松下は発見した。もし自分が敵なら。ここで様子を見つつ突撃するときを見極めるだろう――。
「敵機、捕捉」
赤外線センサが、おぼろげな影を捉えた。廃熱を抑え、駆動を静音にし、防御に徹している〈ストライクリザード〉の姿。
どちらだ、と松下は画面を睨む。ヒールレイスか、ジェズイットか。緊急廃熱、パワーレベルを上昇。一手の間合いだ。たとえ廃熱や駆動音で向こうがこちらに気づいたとしても、逃れるより一瞬だけ早く、必殺の一撃を加えればいい。この一呼吸にも満たない間で、どこまで踏み込めるのか、松下には正確に分かった。幾度となく、鍛錬を繰り返したことだ。この間合い、このタイミングなら、勝てる。
「鋭っ!」
浅黄の〈ストライクリザード〉が跳躍した。限界まで重量を削った機体が、風を受ける木の葉のように舞う。右上方から一閃。松下の脳が描き出す双刀の軌跡をB2システムが拾い上げ、両腕のリングが検知した肉体の動きを補正する。
敵機が動いた。アサルト・ライフル、シェード・アイ仕様。ヒールレイス・リヴェッサだ。彼は無意識のうちに小さく舌打ちする。戦いたいのは、彼女ではない。邪魔だ、と呟き大型ナイフを振るった――その時だった。赤外線センサが、一瞬にして鮮やかな赤に染まった。全て、スクリーン一面の赤。その中に埋もれて、何かがこちらを引き摺り込もうと蠢いている。
思わず防御姿勢を取って着地する。赤外線をサブに、暗視をメインに復帰。見失った〈ストライクリザード〉の姿を再び捉えると、今度は目の眩む閃光が、松下の両目を襲った。暗視スコープのために、少量の光が過大に出力されたのだ。
「炸裂ダガーに……狙い澄ましての緊急廃熱?」
『その通りっ! 待ってたわよ、あんたが来てくれるのを!』
接触通信回線が起動している。松下は奥歯を噛み締める。両肩を掴まれたのだ、と気づいた次の瞬間、全身に後方から突き上げる衝撃が襲った。シートベルトに身体が減り込む。岩盤に叩きつけられたのだ。
『ほらほら、敬語はどうした伍長殿っ!』
「模擬戦は無礼講でお願いします」
『そいつは宴会だけにしな! 酒の席なら、あたしが許す!』
「冗談めかして……っ!」
そう、冗談めかしていながらも、彼女は本気だ。こちらの動きを完全に読んでいたのだ。赤外線と暗視スコープの併用で走査を行うと完全に読んだ上で、絶妙のタイミングで一斉廃熱、炸裂ダガーの発動。フラッシュ・グレネード程の威力はないにせよ、並の操縦兵相手ならば抵抗力を奪うには十分だった。
両肩関節部からのアラート。装甲が歪み、積層構造内の光ファイバーが曲がって内部を通る光の屈折率が変化したのを、センサが感知したのだ。だが、まだ戦えないわけではない。むしろ、チャンスだ、と松下は直感する。近接戦は自分の間合い。そこにわざわざ飛び込んできてくれたのだから。
右脚を、自機と敵機の間に滑り込ませる。装甲の薄い脚部は、通常よりもクリアランスが広く設定されている。有体に言うなら、関節が柔らかい。だから、一般仕様の機体ならば不可能な動きもできる。抑えつける姿勢なので、上体のパワーだけでは適わない。だが、蹴りならば十分対抗できる。
形状記憶カーボン・ファイバーの力と、非晶体金属の関節が唸りを上げる。松下は膝パネルとペダルに連結された右脚を思い切り蹴り出し、応えて浅黄の〈ストライクリザード〉が、圧し掛かるヒールレイス機を蹴り飛ばした。目の奥が痛む。閃光のダメージから回復するには、今しばらく時間が必要なようだ。だが、敵は待ってくれない。そして、ヒールレイス・リヴェッサの辞書に容赦の二文字は存在しない。
彼女愛用の、三九ミリアサルト・ライフルの銃口がこちらを向いた。咄嗟に跳躍し、大袈裟な動作で射線から逃れる。速射性に秀でた機種だ。相手に大きな運動量を強いるという点では、制式の四三ミリより優れている。
ダブル・グラップリング・モードを解除。通常制御に復帰する。メインに設定した右手の大型ナイフはそのままに、オートで左手のナイフが大腿部の武装ラックへ収まった。同時に、脇の下のラックを開放、対装甲炸裂ダガーを取り出し、膝丈ほどの岩場を飛び越えながらの投擲。着地、衝撃吸収剤が気化し、圧熱転換機構が熱量を噴き出すに任せ、体勢を限界まで低くしての突進。ダガーの回避で、ヒールレイス機は体勢を乱している。即ち弾幕が途切れ、接近できる。
一息に懐、ライフルの内側へ飛び込み、首筋目掛けて逆手のナイフを振るう。舞い散る火花、だが、手応えはない。頭部の、人間でいう眼窩上隆起を掠めただけだった。この間合いで、この呼吸で。やはり、手強い。
「だが、しかし!」
踏み込んだ右脚を軸に、体を捌いて半回転、左踵で回し蹴りを見舞う。咄嗟に腕で防御されるも、華奢な〈ストライクリザード〉のバランスを崩させ、仰向けに転倒させるには十分な威力だった。
倒れながらも、ヒールレイス機はこちらへライフルを向ける。だがその発砲よりも、松下の浅黄色の機体が体勢を立て直し、赤い右腕を踏みつける方が早かった。取った、と呟き、再びのダブル・グラップリング・モードを起動。左大腿部の武装ラックから大型ナイフを取り出し、両手に一振りずつ正手に構え、振りかぶる。
振り下ろし、撃墜判定で、いずこかのジェズイット機を走査する――はず、だった。
『ほぉう……隊長の俺を差し置いて女を先につけ狙うとは、お前も意外とつまらない男じゃないか、ハジメ・マツシタ伍長?』
聞こえたのは、強化セラミックス同士が衝突する、金属より軟らかい衝突音と、貼りつかせた笑顔が目に浮かぶ、カーバネル・A・ジェズイットの声だった。
渾身の力を込めた二振りの大型ナイフが、空中で易々と受け止められていた。訓練用の、三.五五メートル模造刀だ。咄嗟の動作で飛び退る。長大な刀を操るために両腕が肥大した、荒地戦仕様・剣撃戦用〈ストライクリザード〉の双眼が、松下を睨み据えていた。
『再教育が必要か、な?』
「このインクだな」剣の切っ先で地面に撒き散らされたペイントを示し、カーバネル・ジェズイットは外部拡声器へ向け言った。「通常の訓練用ペイントではない。中身が、HAL塗装用の代物に入れ替わってる。熱硬化性樹脂に炭素繊維の格子構造を織り込んだ複合材が、HAL装甲の最外装だ。こいつの塗装には少々面倒で高価な、光触媒塗料を使う必要がある。触媒、即ち金属だ。そんなものを撒き散らせばそりゃあ、通信が途絶するわけさ。お前なら分かるだろう、伍長?」
『ええ。シュミットの悪戯ですか。後ほど、自分が叱責しておきます』
意外だった。彼ならば、滑稽なほど怒り出すだろうと踏んでいただけに、ジェズイットは拍子抜けする。要するに、シュミットが、マツシタの私物である金属塗料を勝手に持ち出したのだ。特殊機甲部隊においては、訓練弾はハンドメイドが基本だ。ペイントの中身を入れ替えることだってできる。恐らく、工兵とも親しいシュミットが、彼らを巻き込んで悪ふざけを決行した、それだけの話なのだろうが――。
「構わん、これも一興だ。イレギュラー要因はいつ降って湧くか分からんのが世の常だ……。それはともかく、伍長」
『はっ』浅黄の〈ストライクリザード〉が、両手に持ったナイフを構え直す。
「何か、言いたいことがありそうだが?」
『特に、何も』
「ほぅ……。それにしては、凄い敵意じゃあないか。俺が憎いのか? ああ、刀が短いのが不満か。ハンディがついているのが?」
『いいえ。それなら自分も目を傷めておりますので、好都合です』
「好都合?」
『ええ。貴方とは……』マツシタの機体が、風に揺らいだ。『一度本気で戦ってみたかった!』
旋風、いや、暴風。襲いくるその〈ストライクリザード〉を形容する言葉は、より激しいものが相応しかった。初撃は二刀。続いて右、左。圧される、とジェズイットは冷や汗を流す。存在そのものに圧力があるのだ。突破力ならば荒地戦仕様脚のこちらのほうが上なはずなのに、むしろ小回りの効かなさが仇になっている。つまり、一撃離脱型として、マツシタの方が完成している――?
認めるわけにはいかない。だから、俺を認めさせなければならない。ジェズイットは奥歯を噛み締める。正面、交差した二刀。舌打ちし、三.五五メートル模造刀を振るって正面から受け止める。火花が散り、互いの頭部が触れんばかりに接近する。鍔迫り合いだ。だが、いつ以来だろう。こうも精神が灼き切れるような激しい闘争は。頭の中を、身体の中を、火花が駆け巡って戦え、と叫ぶ。
「やるようになったじゃないか、伍長!」腰背部スラスターに点火。送り込まれた推進剤が爆発し、〈ストライクリザード〉が時速二〇〇キロメートルを目指して加速する。無論、刀と刀は組み合ったまま。「耐えられるか、これに!」
『まだっ!』
刀身が僅かに滑る。次の瞬間、マツシタ機は身体ごと左に投げ出し速さの戒めを逃れた。逃がさん、と呟き高速ターン。砂埃を巻き上げ、時速一五〇キロメートル。刀を構える。浅黄の機体が起き上がる。すれ違い様、一閃。手応えはある。
刀が切れていた。ジェズイットは息を呑む。訓練用と訓練用だ。本来ならばありえない。だが、現実に手元の模造刀は、二メートルほどを残して鮮やかに切断されていた。驚きの余り、機動が鈍る。そして、それを見逃すマツシタではない――と、いうことを忘れるほど、ジェズイットの驚きは激しかった。
「まさか……」
『言ったはずです、本気だと』
再びターンしたときには既に、目の前に〈ストライクリザード〉の姿があった。刀を投棄、全兵装カット、B2システムのリンクを強化。刀が無くとも、この腕はある。距離、ゼロ。前方ディスプレイが水色に染まる。
格闘戦における攻撃には、必ず『線』がある。そして防御の方法には二通りあり、一つは面、一つは線だ。例えば、振り上げられたナイフを盾で受け止める。これは面防御だ。確実ではあるが咄嗟の動作には向かず、簡単ではあるが防御に専従する必要がある。
線を見極めることだ、とジェズイットは呟く。マツシタ機の繰り出す二本の腕、逆手に装備された二振りの大型ナイフ。その作用線に対し正確に合致した防御を行えば、盾など必要ない。ただし、ほんの僅かでも作用線を外せば、押し切られて斬られる。ゆえにB2システムのリンク係数を上げ、追従性を限界まで向上させた。
『鋭!』
「応っ!」
気合声と共に交錯。両腕にエラー・メッセージ。だが、長刀を振るために強化された豪腕にとっては意に介するほどのダメージではない。ジェズイットは息を吐く。自らの愛機の肥大した両腕が、ナイフを持つマツシタ機の両手首を掴んで受け止めていた。
内心の動揺を抑え、ジェズイットは言った。
「俺の機体の主武装は刀だ。だが、俺は一度たりとも刀に頼ったことはない。なぁに、何にでもバックアップというものは必須だよ、マツシタ。何か一つを極めるのも悪くないかもしれないが、融通が利かないのはもっと悪い。武装も、思想も。あまり一つの考えに囚われすぎない方がいい。人生の先達としてのアドバイスと思っておけ」
『丸腰で、何をっ!』
「お前の考えは大体分かる。似たようなことを言っていた奴がいて、な。それはともかくとしても、お前に一つ言っておきたいことがある。いいか、伍長。強さとは、力ではない。それと、丸腰なのは……」腕部の増設した廃熱機構が高温蒸気を吐き出し、腕に篭る力が一層強まる。「お前の方だ」
マツシタ機の、両手に構えたナイフが、二本とも柄を残して地面に落ちた。滑らかな断面が見える。絶句するマツシタの息遣いに、ジェズイットは唇を歪める。
「その昔……とある国に剣の達人がいた。ある時道場で稽古をつけることを求められた彼は、木刀で応じた。そして気合一閃、相手の木刀を同じ木刀で切断したのだそうだ。そして、更に凄まじいことに、振り下ろした木刀が切断したというのに、切れた先端の方は、道場の天井に突き刺さっていた、らしい」
掴んだ両腕を力任せに引き、地面に叩きつける。左腕で敵機右腕を、右脚で左腕を抑え、右腕に標準装備の訓練用ナイフを装備する。喉元に突きつけ、撃墜判定。
「つまり、強さが力とは限らないが、悲しいことに、力は強さだ。どちらを取るかは、お前次第。そして、今の俺もまた、本気だ」
「男の世界ってやつなのかしら。あー、下らない」
広域索敵をオフ、シュミット機との相対位置を見定めながら、ヒールレイス・リヴェッサは大きく一つ息を吐いた。
ジェズイットは、何かマツシタに伝えたいことがあるのではないか、と彼女は睨んでいた。それが何なのかは判然としない。だが、上手く伝わらないだろう、ということだけははっきりと分かった。ジェズイットは余りにも不器用だ。ああいう指導者は、味方に勢いがあるときは良い。だが、そうでないときは、曖昧さと強引さが、逆に反発を招く。マツシタの中に何かのわだかまりがあることを、ジェズイットは見抜いたのだろうか。彼女には分からない。時として、性差は思考の決定的な差になる。だから分かろうとしても決して理解できない。そして、そういう場合のたった一つの対処法を理解している程度には、ヒールレイス・リヴェッサは年齢を重ねていた。
「勝手にやってれば良いのよ、馬鹿野郎共。あたしの知ったこっちゃない」
今は、眼前の敵だ。当初の予定とは逆だが、シュミットを落とすことが、今の彼女の役割だ。勝手にやっていろ、と言う以上は、言えるだけの仕事はしなければならない。火器管制、残存武装をチェック。三九ミリライフルの残弾は十分にある。だが、それだけだ。対装甲炸裂ダガーは既に使い切った。ナイフは、マツシタ機との交錯時に取り落としたらしく、画面には投棄済みの赤表示が点滅していた。
跳躍、照準レティクルが〈シュミット・スペシャル〉を捉える。同時に被ロックオン警報。二段、三段と機体を躍らせながら、右手のトリガーを引く。同時に、正面から機関砲の一斉掃射が降り注いだ。反転、後退、前進。常に視界は正面に砂漠迷彩の〈ストライクリザード〉――趣味が悪い、とヒールレイスは毒づく――を捉え続ける。間髪入れずに応射。
この撃ち合いは、一歩でも退いたら負けだ。四三ミリと比べて、ベッカード社製三九ミリは、威力では劣るが速射集弾性に優れる。よりスマートで、エレガントだと彼女自身は思っていた。敵のいい加減な射撃を確実に回避し、確実な反撃で潰す。中距離射撃戦での性能を比較すれば、こちらの方が優れている。採用されなかったのは整備性の問題と、あとは上の問題だ。金やら、利権やら。あたしには関係ないけどね、と彼女は舌打ちし、空中で機体を一回転させながらトリガーを引く。パネルの隅に表示された数字が桁を減らし、残弾、ゼロ。
「ええいっ、弾の減りが早いのも問題!?」
実際装弾数は多目なので、問題があるわけではないのだが、目の前のゼロ表示を見るとそう思ってしまう。空弾倉を破棄。オートの動作で再装填――。
「ちっ! 鬱陶しいタイミングで撃ってくる!」
直撃がくる、と咄嗟の判断で回避を選択。自動のモーションはキャンセルされ、左手にマガジン、右手に弾切れのライフルを抱えたヒールレイスの〈ストライクリザード〉は、地面を転がり、立ち上がって再び跳躍する。
シュミットの機体には、近接戦用の機関砲が内臓されている。どう冷却機構や給弾路を確保したのかは本人しか知らないが、胸部に二門、両腕部に一門ずつだ。だが、攻撃よりは防御の側面が強いために、一つの目標を狙い撃つことには長けていない。集弾性が低い、まさに弾幕だ。そこが、ヒールレイスにとってはつけ込む隙になる。
精密機動。B2システムのリンク係数を上昇させる。耳鳴りと、頭の中を掻き回される違和感と不快感。その苛立ちを、彼女は機動に叩きつけた。最大効率でのアプローチ、即ち、正面からの突撃。慌てふためいたシュミット機の銃口が向く。急減速、側方へ跳躍。急激な動作に脚部がアラート・メッセージの悲鳴を上げる。知ったこっちゃない、と彼女は呟く。
「オート装填なんて、素人臭い。マニュアルで十分よ、こんなもの!」
射線を避け、体を丸めての前転。そのシーケンスに、両腕でのマガジン装填を割り込ませる。するり、と、マガジンがライフルへと飲み込まれる、心地良い感触が伝わってくる。残弾表示がグリーンに復帰、立ち上がって前を向く。即座に、扇を描いて一斉射。〈シュミット・スペシャル〉がたじろぐ。
「そこっ!」
一歩、二歩、三歩。一瞬の隙を突いて、懐へ飛び込む。応射は遅い。集弾性もない。僅かな間を縫えば、近づける。
零距離で反撃しようと向けられた両腕を蹴り上げる。背後へ回り込み、首を掴んで引き倒す。超重量の機体が倒れて上がった砂埃を掻き分け、コックピットへ三九ミリの銃口を突きつけた。
撃墜判定。これで、ヒールレイス・ジェズイット組の勝利が確定した。装甲磨き以外に何をやらせてやろうか、と思案しつつ、開放された通信回線に向かって彼女は叫んだ。
「どうだっ! あたしの、勝ち!」
『よ、容赦ないっすね、姐さん』シュミットの情けない声が返る。いつからだろう、この男が姐さん、などと彼女を呼ぶようになったのは。『あーあ、来たと思ったんだけどなあ……』
「何が?」
『時代の風が』
「何言ってんの」
『ははっ、姐さんには分からないでしょう。これは男の世界ですから』
知ったこっちゃない、と彼女は呟く。誰でも、他の誰とも共有できない自分の世界は持っているものだ。男であろうと女であろうと、大人であれば、誰でも。それをわざわざ男の世界と名づけ、理解されないことを誇る心理は、彼女には今一つ分からなかった。どうでもいいとも思う。
きっと、その誰でもない、自分だけの世界を作るための時間が、思春期というものなのだろう、とヒールレイスは過ぎた日々を思い返す。自然と、その真っ只中にある二人の姿が目に浮かんだ。巳澄美琴と、三宅新人。
「何やってんのかな……」
前に置かれる言葉は今頃であり、今更であり。そして後ろに継がれる言葉はあいつらであり、あたし、であった。西の空には、星が瞬いている。
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