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#4 翼のある使者・1
 自分がこの世界に存在している必然は、一体どこにあるのだろう、と時々考える。
 世の中にはある一定の流れができていて、一人の人間がそれに逆らおうとしても、あっという間に押し流されてしまう。だから、流れには乗る以外の選択肢がない。そして厄介なことに、その流れというものは、自分が乗らずに横で佇んでいても、平然と流れていくのだ。機械ならば、歯車の一つが欠ければ途端に止まってしまう。〈ストライクリザード〉だってそうだ。一つのパーツの不具合が、一つの駆動の遅滞に繋がり、そして戦場で足を止めることは死と等号で結ばれる。だが、多くの人々で成り立っている世界、世の中、或いは社会というものは、放っておいても動いていくのだ。自分が動かなくとも、平然と、何事もなかったかのように。
(……違うな。そうじゃない)夜の街を見下ろしながら、新人は呟く。
 自分が社会を放っておいている――無視しているわけじゃない。社会が自分を無視するのだ。
(いや、それも違う)
 社会が自分を無視する? そんな利己主義が道理を得るはずがない。
 無視するには、相手の存在を少なくとも認識していなければならない。意識して意識の外へと追いやる行為のことを指して、無視というのだ。だから、違う。
(僕はそもそも認識されていない。少なくとも、認識されていなかった。だから、無視されていたわけじゃない。いてもいなくても同じだった。だった。今は、どうだろう。一つの塵以上にはなれたのか? 外れれば壊れる歯車の一つに、僕はなっているのか?)
 分からない。一人では分からない。だから人間は孤独を恐れるのかもしれない。誰かが隣にいなければ、自分がいる必然を確認することができない。孤独は自分の存在に対する確信を喪失させる。アイデンティティ。自分が自分であるという意識。歯車であるという自認、あるいは自惚れ。
 ガラスに映る自分の姿は、相変わらずの陰鬱な雰囲気だった。軍に入る時に刈った髪も少し伸びて、今では耳にかかるくらいの長さになっている。顔はいつも通り。だが服装は、いつもと違った。
 ネクタイがずれていることに気づき、新人は慣れない手つきで襟元を直した。色はえんじと焦げ茶を足して二で割ったような、中途半端な赤色。選べと言われて手が出たのは、慣れ親しんだ装甲板の色だった。
 まともなスーツを着るのは、ほとんど生まれて初めてだった。一度、着たことがあるとしたら、学校の入学式くらいだろうか。一応、入学式には出席していた。皮の靴も履き慣れず、踵が靴擦れを起こしていた。姿勢制御用杭が欲しいな、と新人は思う。スーツよりも、〈ストライクリザード〉の方が余程扱い易いのだ。それが幸せなことか不幸せなのかは、さて置くとして。
 見下ろす街では、無数の明かりが行き交っていた。当てもなく彷徨っているように見える光の粒たちにも、向かうべき、向かいたい場所が、きっとある。誰にでも居場所はある。待っている人がいる。孤独を消し去り、彼ら自身がこの世界に存在する必然を与えてくれる人の下へと、帰る。改めて言うまでもない、普通のことなのだ。新人は溜息を吐く。
 ここは、共和国中西部に位置する都市で、名をアゴルテという。ピル・ソアテよりはやや内陸――帝国との暫定国境から離れた、東の首都寄り――に位置し、古来より物流や交通の一大拠点となっている。
 このアゴルテという都市は、少し変わった成立過程を経ている。元々はアゴールとコルテという、二つの街だったのだ。新人は、部屋で一人読んだ歴史の教科書に記されていた内容を思い出しながら、ガラス張りの壁面へ指を添わせる。視線の先には、この街を中央で二つに割る大河、ミーカスト川がある。北西から東へやや蛇行し、そして南へと流れていく。そのうねりの部分に詰まった砂利のように、川を挟んで二つの都市が生まれたのだ。いわゆる、双子都市だ。大河に幾つもの橋が架かり、やがて陸続きの一つの都市も同然となり、その状況を追認するかのように、アゴルテという一つの都市が誕生した。
 西にピル・ソアテへと繋がる街道があり、北からは鉱床地帯由来の物流を司る鉄道網が集約する。東からは数多の人の流れを受け止め、南の港湾へと吐き出していく。都市規模は首都に次いで大きく、西部では最大。まさに西の要と呼ばれるに相応しい一大都市なのだ。西部の産業、経済は、この街を中心に回っていると言っても過言ではない。少なくとも、新人の昔いた新仙台や、西果ての地ピル・ソアテよりは余程重要で、よく知られた街だ。流れを生み出す、歯車。
 その上、ここは経済の中心であるばかりでなく、文化的にも重要な意味を持つ。共和国を構成する三民族の交差点――緩衝地帯としての役割も果たしているのだ。
 共和国は、北のアメリゴ、東のヒスティニコ。そして南部に陣取る倭族の、合わせて三民族からなる多民族国家だ。経済連合から発展した国家複合体が、より結びつきを強めた結果として今の形があるのだが、民族と民族が隣り合えば、当然衝突が起こる。メルティング・ポット化せずに国家の形を保っているのはある意味奇跡とも言えるが、勿論危うさが付きまとう。今は指導者が強力なリーダーシップを発揮しているから良いものの――或いは戦争という特殊な状況下にあるから――この体制がいつまでも続くとは思えないと、まるで他人事のように新人は考える。
 そこへきて、この都市、アゴルテだ。ここは、三民族それぞれが主に居住する地域の、地理的な中間地点に当たる。そのため、三つの文化が渾然一体とし、加えて経済の中心という要件も重なり、混沌とした繁栄を遂げてきた。その混沌から生まれた文化様式や建築、絵画等はどの地域とも違った独自のもので、結果として、アゴルテは観光都市としての側面も併せ持つこととなった。ミーカストの美しさを称えた歌が、音楽の教科書に指定唱歌として掲載されていたことを新人は思い出す。川は流れる。その岸辺にどんな都市が成立し、どんな人間が住まおうと。
 今、新人がいるこの場所は、その三民族の危うい融和を象徴するかのような建物、〈トリニティ・タワー〉である。地上五八〇メートルにも達する、共和国内一の高層ビルであり、恐らく大陸一でもある。北の謎めいた宗教国家である教国はともかく、帝国は一つの建物を豪奢にすることに長けてはいても、天に向かって矢鱈と高い建物を造ろうという発想は持たないだろう、というのが大勢の見方だ。この高さ――新人がいるのは八七階の、パーティ・スペースとしても用いられるカジノ・ダイニングだが――からだと、地上の光は天の星と同じくらいに見える。もっとも、地上の光は、星々のそれより遥かに慌しい。それぞれの光を生み出した者の性格が出ているのではないか、と新人は思いついた。神様はきっと気が長い。少なくとも、始終戦争ばかりの人間よりは。
 街のシンボルであると同時に国家のシンボル的役割も、その細長い炭素複合骨格で背負うことになった〈トリニティ・タワー〉は、建設の過程や運用にも、国家的意図が介在している。通常なら、この手の建物は莫大な建築費を回収するために、商業施設や大企業のオフィスとして活用されるのだろう。損をするのが分かりきっているのに巨大な建物を造るのは、共和国広しと言えども東の馬鹿だけだ。首都近縁の都市には何に使うのか分からない公共事業の成れの果てが幾つも転がっていると聴いたことがあるが、ここは西部、アゴルテだ。東の論理は通用しない――はず、なのだ。
 あろうことか、この〈トリニティ・タワー〉の中層階は、とても利益率が高いとは思えない文化施設が占拠している。文化と言っても、娯楽的なものではない。純粋な、三民族の古典文化や芸術、歴史の資料館だ。大衆にとってはおよそ需要がない。全国からやってくる観光客のお陰で辛うじて黒字の収支は出せているらしいが、莫大な維持費のために、その黒字も赤字へ転落する寸前を彷徨っているのだという。国の補助金があって、この有様だ。独立での採算は見込めないだろう。
 なぜそんな施設で金の生る木を潰しているのか、という理由に、政治的意図が介入してくる。即ち、民族の融和を象徴する『結果』を先に作ってしまうことで、国の安定を内外にアピールしているのだ。苦し紛れといえばそうかもしれない。昔々、どこかの島国にあったというとある博物館と違って、バックグラウンドとなる博物館そのものの歴史も、権威も薄い。とりあえず集めてとりあえず権威づけをしただけの代物だ。打算が透けて見える。略奪といった手段に訴えるわけにもいかず、集まった文化財は大人しい、大衆の耳目を惹きつけるにはインパクトが足りないものばかりだ。
 『彼』はどう思っているのだろう。新人は景色を眺めることを止め、室内へ眼を戻す。雲霞の如き大人たちの群れが、視界に立ち塞がった気がした。天井が高い、広々としたフロアだが、招待客も随分と多い。自分のような者まで招かれているのだから当然か、と新人は一人納得する。取り交わされる料理、食器の触れ合う音。グラスに注がれる酒、どこからともなく上がる笑い声。フロアの一部にはルーレット台やポーカー卓が設置されており、そこからも時折、歓声と入り混じって溜息が漏れている。
 彼――このパーティの主催者である一人の男へ、新人は眼を向けた。新人をこの場に招いた者であり、共和国の強権的指導者。名を、エイヴェッツ・ミネットという。短く刈り込んだ金髪に、透き通った碧眼が輝いている。金髪碧眼は希少価値なんだ、と兄貴分気取りのマイスト・リーズが自慢気に語っていたことを新人は思い出した。
 先の大統領選では、強硬右派な姿勢を明確に打ち出し、差し迫る帝国の脅威もあってかあらゆる層からの支持を集め、結果圧倒的な票数を獲得して当選した。就任二年目の今でも、支持率は七割を切ったことがない。政治家の支持率は落ち続けるのが自然の流れであることを鑑みれば、異常なことだ。化物染みている、という評さえある。
 確かに、何かの確信に憑かれて行動しているような印象を、その瞳からは受ける。確信犯的、と表現できるかもしれない。ただし、彼が帰依しているのは宗教ではなく、己の思想なのだろう。正義、愛国心、国威、自由。きっとそれは、共和国自体が依り代にしてきたものでもある。帝国という、力の流れを押し返すために。
「どこまで、信じられるんだ?」新人は呟く。喧騒の中、それを聞き留める者はいない。
 貴方にはできるというのか、この流れを差し止めることが。
 できる、と彼なら即答するだろう。それこそが指導者の――少なくとも、彼が考える理想としての――姿であり、国民の支持を集めてしまった者に課せられた義務だ。加えて、彼はやや行きすぎと思えるほど豪胆だ。
 そもそも、新人がわざわざ本来の配属先であるピル・ソアテを離れ、ここアゴルテにいるのも、情勢が不安定な西部への視察を強行すると言って聞かない大統領の護衛を命じられたためだ。ピル・ソアテも電撃訪問する予定がある、と小耳に挟んだ。まさに最前線だ。とはいえ、大統領一人やってきたからと言って、そう簡単に現場の士気が上がるものでもない、と前線で戦うものの一人である新人は思った。一説によると、あのジャーナリスト――確か、名前は、サラ・ウェインと言った――の撮った写真がたまたま大統領の目に留まったからなのだという。世の中は概して、広いようで狭い。
 加えて、わざわざ只でさえ駒の足りていないピル・ソアテの新人にまで召集がかけられたのは、数日前、南のテロ・グループ〈倭族開放同盟〉から、大統領を名指ししたテロ予告文が送りつけられたためだ。ゆえに、力でくるなら力を持って相対するのが共和国の流儀、と言わんばかりに、その力を象徴するものである〈ストライクリザード〉による仰々しい護衛が必要とされたのだ。そして、ピル・ソアテ周辺部は、一応最前線ではあるが、南や北と比較して、そう切迫しているわけではない――と上は判断したのだろう。
 第一六特殊機甲中隊からは、新人の他にマイスト・リーズと、巳澄美琴もこの地に送り込まれている。上からの要求は三機で、人選はカーバネル・ジェズイット大尉によるものだ。理由を尋ねると、気まぐれだよ、と彼は即答した。真偽の程はいざ知らず。二人の姿は、今は見えない。
 アタッカー、サポーター、指揮兼スナイパーで、一応最小機能単位(ユニット)として成り立ってはいる。羽を伸ばしてこい、と言って、傷の残る左腕で叩かれた肩の感触を新人は思い出す。むしろ、彼の方が楽しそうではあった。
「子供を追っ払って、何やってんだろうなあ」新人は溜息を吐く。
 また、大人たちが沸いた。怪訝に思って見ると、エイヴェッツ・ミネット大統領の隣に、先程まではいなかった、同じ金髪碧眼の少女が姿を現していた。最優先の護衛対象、として事前に渡されたファイルの写真と、そこに記されていた名前を新人は手繰り寄せる。確か――。
「アシュリー・ミネット」
 そんな名前だった。大統領の一人娘で、年齢は一六歳。自分と同じだったから、記憶に残っている。彼女の顔は、以前にも見たことがあった。勿論直接ではなく、テレビ放送を介してだ。その容姿のために何かとメディアへの露出も多く、ちょっとしたアイドル並の人気があるのだ。ある意味、父親の政権のマスコット的役割を果たしているとも言える。
 初めて間近に見た彼女は、画面を通じて見るより遥かに可愛かった。大人たち相手に全く動じもせず、笑顔を浮かべながら通りの良い声で何事か受け答えている。時折、サーモンピンクのカクテルドレスの胸元へ、無遠慮な視線が向けられていることに、新人は気づいた。当然、彼女だって気づいているだろう。それでも、苛立ちを表に出さないのは、つまり表の顔を使えている証拠――大人、ということなのかもしれない。或いは単に世間に慣れているだけかもしれないが、少なくとも、自分にはないものを彼女は持っている。
 自分のこの視線もまた無遠慮なものの一つだと気づき、新人は目を逸らした。山型にカットされた裾から時折覗く膝、腰元のコサージュ、露わな肩と、腰のライン。彼女の、きっと過渡期であろう身体は、目を逸らしても、焼きついて離れない。くそ、と一つ悪態を吐き、新人は再び窓の外へ顔を向けた。
 ハロー、プレジデント。ハロー、アシュリー。貴方たちをどこにいるかも分からない敵から守るために、僕はここにいる。だけどこうして、目を逸らしている。
 大きな笑い声が起こった。新人は舌打ちする。隣には誰もいない。中途半端な、孤独。


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