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#3 困惑をもたらすもの・5
「少々出力が強すぎたか」
 砲身冷却、最充填までの所要時間表示を睨み、エドゥワーズ=ヴィン・ライガスは呟いた。
 愛機の〈ベルキャット〉は匍匐狙撃姿勢を取り、剥き出しの岩盤からなる丘陵と崖の上に、溶け込むようにして狙いを定めている。四つの眼は絶え間なく動き、岩陰へ逃れた二体の敵機に動きが無いか、淡々と監視を続けていた。
 ジョニー・メイフェンを倒した部隊。かの男を認めるつもりは無いが、それなりの評価はしなければならない、と彼は思う。現に、こちらの第一射は命中しなかったのだ。二機、何れも頭部の使用が通常とも異なるタイプだが、一方の機体が特に動きが良い。肩に爪痕と、算用数字で三のマーキングを施された方だ。もう一方の六番を振られた方が無防備に接近しようとするのを押し止め、結果、予測位置をずらされ命中しなかった。
 全ては敢えて、だ。別の二機の〈ベルキャット〉を差し向け、激しい交戦はさせずにこちらへ引き込み、車両群や多数の仮設テントを見せることで、只ならぬ雰囲気と、今すぐこちらを潰さなければならないという焦りを与える。発見されるのが、都合の悪いことだという演出。そして敵をおびき寄せ、攻撃する。
 だが、この敵は安易に接近しようとしなかった。一方は未熟だが、一方はかなりの熟達者。
「第一六特殊機甲中隊……相手にとっては、不足無い」
 充填はまだ終わらない。興奮と、苛立ちを同時に抱きながら、エドゥワーズは愛機が抱える砲へと視線を向けた。
 性能試験用レールガン・ライフル。本来新型に搭載する予定だったものを、切り離して〈ベルキャット〉での運用も可能なように改修したものだ。
 弾体加速に必要な莫大な電力は、制式型では弾丸と一つにパッケージング、カートリッジ化される。だが今回は、外部から電力供給を受けている。連なっているのは、そのための車両だ。加えて、本体の動力炉とも接続し、電力を送り込んでいる。そのため、今の彼の〈ベルキャット〉は、身動きが取れない。
 だが、動く必要など無い、とエドゥワーズは呟く。レールガン・ライフルでなくとも、敵の一機や二機、発見されるより早く狙撃で仕留める自身が、彼にはある。なぜならば彼は、帝国近衛騎士団一の狙撃手として、名を馳せる男であるからだ。
 国内でも指折りの名門であるライガスの家に生まれ、幼い頃から自分は騎士になるのだと、信じ、信じ込まされて彼は育った。皇家のために剣を振るい、帝国のために死ぬことこそが、自らの存在意義なのだ、と。二人の兄と共に剣技を競い、学に勤しみ、そしていつかは、絢爛たる近衛騎士団の紅衣を纏い、国と主君のために剣と命を捧げる日が来るのだ、と。
 だがその一方で、自分は三男なのだ、という思いも、彼を苛んだ。常に兄らと比べられること、兄らは越えられないということ。血や家に対する責任など、自分が負わなくとも兄が追ってくれる、だから自分はもっと他の生き方を探してもいいんじゃないか、という欲望が、思春期に差し掛かるにつれ、彼の心を支配していった。
 しかし、自分の生まれは変えられない。たった一人の小さな力では、望まない今を追認することしかできず、違う未来など、得ることができない。そして彼は絶望し、やがては変わりたいと思う心さえも、失われてしまうのではないかと脅えた。
 そんな彼を変えたのが、子供と呼んでも差し支えないほどに幼い、一人の少年との出会いだった。時に、エドゥワーズ・ライガス一六歳の誕生日――一度目の階級選択を迫られる、即ち、どうにもならない力の渦に、巻き込まれる日のことだ。
『なあ、君。僕の騎士にならないかい?』少年は言った。
『騎士?』
『ああ、そうだ。君は、自分の生き方を変えたいんだろう? 何物にも縛られぬ、自由な翼が欲しいんだ。今を否定したいだけのために、逃げ出すために飛びたいんじゃない。高い空のに舞い上がって、地面に這いつくばっていては見えない物が見たいんだ。たとえその結果、元の枝に戻るのだとしてもね。
 大人は誰でも、僕らが、単に今に満たされていないが故の下らない反抗をしているだけだって、決め付ける。だけど、選択の権利を……選択しようという意志すらも奪っておいて、そんなことを言うのは傲慢でしか無いんだ。僕はこれに憤りを覚えている。そしていつしか、飛びたいという意志までもが消えてしまうんじゃないか、僕が憤る大人と同じになってしまうんじゃないかって、恐れてる。君はどうだい、エドゥワーズ・ライガス』
『どうして俺の名前を知っている?』
『君の姓は君が思っている以上に有名だということさ』
『そうだな……お前の言う通り、ライガスは名門だ。だが、有名だろうが無名だろうが、俺は俺なんだ。国家は選ぶことを許しちゃいるが、人も、家も、血も、常識も、何もかもが俺が騎士以外を選ぶことを許さないんだ。騎士が嫌なわけじゃない。騎士しかないのが嫌なんだ。俺の未来は、俺以外の誰の物でもないはずなのに!』
『その通りだよ。君の未来は君だけの物だ。忘れちゃいけないんだ』
『偉そうに! お前みたいなガキに、何が分かる! 俺の心なんて、分かるはずが無い!』
『分かるさ』
『分からないね』
『いいや、分かる。恐らく、この地上で誰よりも……。僕の名前を教えてあげよう』少年は優しく微笑み、苦悶するエドゥワーズへ視線を向けた。『リィドウェルクタ=ロイ・エスカータ。僕は、一六に満たなくてもミドルネームを名乗ることを強要される、唯一の階級……皇族の人間なのだからね』
 そのときの戦慄を、五年経った今でも、エドゥワーズは鮮明に思い出すことができる。紅の夕陽に染まる、銀色の髪。皇族に対しての礼儀を失していた、ということさえ忘れさせるほどの、圧倒的な美貌。神か、天使か――醜い自分と同じ人間であるなどという考えが、馬鹿げていると思ってしまう彼の姿は、存在しているだけで既に、どんな絵画よりも彫刻よりも優れた、一つの芸術であるように、エドゥワーズには思えた。
『もう一度お願いしようかな。僕と君は同じものを求めている。自分自身の、他の誰かに定められた部分を変革することだ。だから、僕の騎士にならないか? 僕と君となら、やれるような気がするんだ……僕ら自身を、柵から解き放つことが』
 身体が動くのを、最早止められなかった。五歳も年下の相手であろうと、躊躇いなど無かった。エドゥワーズは首を垂れ、少年の前に跪いた。
 剣の代わりにその小さな掌が肩に当てられた瞬間を――こここそが自分の場所だと、人生で味わったことの無い充足と幸福に包まれた時を、忘れることはできない。リィド=ロイのために生きたい、リィド=ロイのために死にたいと、彼は心の奥底から願った。誰のためでも、誰に定められたわけでもなく、リィド=ロイの騎士に――。
「新手か……?」
 唐突に鳴った警報に、彼は我に返った。索敵範囲内に新たな敵機、数は一。先刻の二機と、場所は程近い。レールガン・ライフルの、あれだけの威力を見せ付けられて尚、しかも単機で向かってくる敵。面白い、とエドゥワーズは呟く。
 普通ならば、釘付けにされている味方はそのままに、後退して救援を呼ぶか、発煙弾の類でこちらの視界を潰して撤退する。だが、あの新たに現れた一体は、岩陰から周囲を窺いながらも、後退支援を行う様子は無い――こちらを、潰しに来ている。
 照準レティクルの中央に、双眼の機体を捉える。その左肩に記されたマーキングに、エドゥワーズは思わず、頬が緩んだ。
「傷跡の七番……!」
 ジョニー・メイフェンを倒した相手、リィド=ロイが『殺すな』とわざわざ言及するまでに執着する敵。よもやこの状況で、よりにもよって傷跡の七番が向かってくるとは。余りの喜びに笑い声を上げそうになるのを堪え、エドゥワーズは照準を今一度定め直す。
「面白い。実に面白い! 貴様の力を見せてみろ。果たして貴様は、リィド=ロイの騎士であるこのエドゥワーズ=ヴィン・ライガスに、相応しい敵か?」
 敵は三体。いや、実質一体。索敵範囲を絞り、出力も連射が可能なまでダウン。わざわざ姿を晒し、挑んでくるというのなら、それに応えるのが騎士。殺すな、と命じられた。だが――。
「手加減はしない。我が主君に、『殺すな』と言わしめるだけの価値があるのなら、それを証明して見せろ!」
 途切れた円と十字の、緑色の電子表示が、ロックオンを示すオレンジ色に変わる。今一度唇を歪め、エドゥワーズは寸分の躊躇いも無く、引き金を引いた。

 目の前に二つに分かれた道があるとする。自分は旅人で、ここは見知らぬ暗闇の山道。どちらを進めばどこに着くのか、全く分からない。右の道を進めば街に出られるかもしれないし、左の道を進めば、そこに道が続いていないことにも気付かず奈落へと堕ちていくかもしれない。勿論その逆も有り得るし、どちらの道も街へ通じているかもしれない。ひょっとしたら、どちらも奈落かもしれない。
 普通、選択肢は三つある。右へ進むか左へ進むか、引き返すか。だが、徴兵前の新人に尋ねたら、答えは違っていただろう。進みもせず、引き返しもせず、その場に立ち止まって朝を待つことだってできる、と答えたに違いない。闇の恐怖に眼を閉じ、風の過ぎる音に耳を塞ぎ、そしていつしか蹲り――どうなるのか。
 朝を待たずに狼の餌になっているのがオチだろうな、と新人は嘲り笑った。今の自分なら笑い飛ばせる、笑い飛ばさなければならないと思う。
 圧倒的な威力を持つ、姿の見えぬ敵砲にどこかから睨まれ、身動きの取れなくなった味方機。さあ、どうする、と新人は呟く。行くのか、引き返すのか、立ち止まるのか。
 まず、立ち止まる、という選択肢を消去する。幸運は、太陽が毎朝昇るようにはやってこないう。ここで座して見ていたって、状況は何も変わらない。ならば引き返し、選択から逃げるか――それでは間に合わない。敵の第二射がいつかは分からない。威力によっては、ヒールレイスと美琴が遮蔽物にしている地形ごと吹き飛ばされることだってありえる。
 ならば、選択肢は一つしか残らない。
「進むしか、無いだろう……!」
 位置情報を更新、完全マニュアル走行へシステム移行。同時に、電波妨害が掛かったのか、前方の二機との通信が途絶する。パワー・レベルを上昇、戦闘時コンバットへ。
「何、戦闘? マズイ状況?」後ろで、サラのうろたえた声が聴こえる。
「ええ、かなり。打開するために、僕が敵陣地に突撃を掛けます」
『勝手に決めんな』
 肩に軽い衝撃が走ると同時に接触通信回線が起動。いつの間に接近していたのか、首を捻れば直ぐ目の前に、マイスト機の、額にセンサ部が追加された特徴的な頭部があった。
『民間人乗せてるってこと、忘れたのか?』
「まさか。無策に突っ込むわけじゃありません。ちゃんと、考えはありますよ」
『何ぃ?』
「現在の不利は、敵兵器のスペック……連射性能や命中精度等が全く分からないからです。おまけに、敵の位置さえハッキリしない。でも、逆に言えば、それらが全部分かれば打開できます。ならば、どうすればいいのか、答えは一つしかありませんよ」
 そう、選択肢は一つしかない。敵にいつ何時撃たれるかも分からない先行二機は動くわけにはいかない。そして、敵位置を知り、敵射撃の性能を知るには――。
『お前が囮になって、敵に無駄弾を撃たせる。そして位置を割り出した上で、俺が敵の予測索敵範囲外から狙撃して、仕留める。こういうことか?』
「そうです」
『バカ言うな!』マイストが、いつに無く語気を荒げた。『自分の立場を、技量を、キャリアを考えろ。お前は、本格的な戦闘はまだ三度目……HALに乗り始めてからだって、殆ど時間が経っていないだろう?』
「時間が問題なんですか?」
『自分の能力を……自分自身を知らない奴が、偉そうな口を聞くな!』
 そう怒鳴ったマイストの声に、新人は一瞬、身体を硬直させた。同じ言葉、同じフレーズ。ジェズイットが語った物と全く同じ理念を、彼は説こうとしている。即ち、お前がそう思うのは若さのせいだ、青臭い理想論に過ぎないのだと。
「じゃあ、他にどうしろって言うんですか!?」
『そんなに死にてえのか?』
 だがそのために悩むことができるのもまた若さだと、ジェズイットは言っていた。青臭いと言って投げ捨てず、若さだと言って諦めるな、と。
 悩むことすらせず、扉の中に身体も心も閉じ込めていた自分自身を思い返す。理想論も、自分を犠牲にしてでも何かをしたいという気持ちが、あの時の自分にあっただろうか。勿論、無かった。
(だから、僕は今のこの衝動を、否定したくない)
 掠っただけでも命の危険がある砲に敢えて身を晒してでも戦うことを選び、一番良い結果を掴み取ること。できないと繰り返す自分を、ここに置いておくわけにはいかない。
「自分を知らないのは若さかもしれない。だけど、愚かさだって、誰が決めたんです? 勝手に限界決めて、できないって自分に言い聞かせる生き方なんて、もう御免だ!」
『自分の犠牲にそんなに価値があると、本気で思っているのか?』
「思ってません。だけど選択肢が無いなら、やるしかないでしょう?」
 通常の外部観測機と狙撃用スコープ、三つの眼が新人を睨む。
 止められることは、初めから覚悟の上だった。面白い、と言って多少の無茶でもやってしまうような人間なように見えて、本当の彼はそうではない。戦う自分を肯定しているわけでも、戦争を楽しんでいるのでもない。逃げ続けて、たまたま辿り着いた先がここだっただけの、本当に普通の、小さな男に過ぎないのだから。
 だが彼には技術がある。経験がある。新人にはできないことができる、力がある。
(僕と彼との違いは、そこだ)
 新人にも、マイストにも、戦う理由なんて無い――戦場なんか、似合わない。だから彼は、戦うことに理由を付けた。
『限界を決めちゃ駄目だとか、可能性を試すだとか、英雄みたいに戦うとか……俺だって、そうやって自分を納得させて戦争やってる時もあった。丁度今のお前みたいにな』
「僕は!」
『違うって言うのか? だからお前は少年なんだよ。そんな綺麗な見てくれに、酔うんじゃねえよ。それじゃあお前自身がズタズタに傷つくだけだ』
 英雄的でありたいという願望なのだろうか。理由も無く戦うために、理想という見た目の良い概念にしがみつき、自分自身を痛めつけているだけなのだろうか。
 違う、と新人の中で誰かが答えた。理由ならある。凝集していないだけ。まだ、はっきりと形を取っていないだけ。きっとそれは、新人も、マイストも同じなのだ。
「僕が少年ですらなかったように、あなたは酔いから醒めたのかもしれない。だけどね、そんなの……格好悪いですよ、マイストさん。僕は、あなたのそんな背中は見たくない! 自分を騙して、理由を付けて、何が悪いんです? 騙して騙して、騙し続ければ、いつか本当になる。未来を覗き見ることのできる人間なんていないんだ。騙さなきゃ生きていけないんだ。それさえせずに、何もできない今をそのまま受け入れることが、大人なんですか!? あなたも大人なら、僕に……」肩に置かれたマイスト機の腕を振り払い、新人は叫んだ。「男の背中ってやつを、見せてくださいよ!」
 接触通信回線が途絶。同時に、最大出力で機体を駆動させる。一歩、二歩、三歩。マイストは追ってこない。最高速度で、景色が後ろへ流れていく。
「言うじゃない、少年のくせに」シートのすぐ後ろ、殆ど耳元で囁くように、サラ・ウェインが言った。
「少年だから、言うんです。それに……」
「それに?」
「彼女を見捨てるわけにはいかないんです」
 自分を駆り立てるのは、結局のところ彼女なのかもしれない、と新人は嘆息する。隣にいてもいなくても、美琴の存在に行動を常に後押しされているのは間違いない。なぜ、どうして?
 潅木を踏み潰し、膝ほどの高さの岩場を飛び越え、〈ストライクリザード〉が疾駆する。向かう先も、狙うべき標的も見えない。だが走るのを止めたら、狙い撃たれて地獄行き。もう天国には行けないだろうな、と新人は呟く。何機の〈ベルキャット〉を落としたのか、何人殺したのか、もう思い出せない。
「マイスト、大丈夫かしら」
「彼の援護が無かったら、大丈夫じゃなくなるのは僕らのほうなんですけど。まあ、なんだかんだ言っても彼はやってくれると思います。彼、男ですから」そして僕は少年だ、と呟く。
「そうね。あいつは口ではダメ男を演じるけど、いざとなったらちゃんとやってみせる。そうじゃなきゃ、私も付き合ったりしなかったもの」
「話はそこまでにしましょうか」
 大まかな敵予測位置から算出される射角、射程圏ギリギリのところで、新人は機を停止させた。メイン兵装、七二ミリ榴弾・散弾砲をアクティブに。背丈より少し大きい位の岩陰から、頭部観測機群と銃口を恐る恐る突き出す。すぐ目の前に、第一射でできたらしいクレーターがある。
 やや離れた場所から、銃声が聴こえる。ベッカード社製の三九ミリアサルト・ライフルに特徴的な、タイプライターを叩くのに似た発射音だ。女性陣二人は彼女達で交戦中、つまり、直接援護は期待できない。
 センサからの情報がモニタに表示される。風速、気温、熱反応――。
「ちっ……地面からの熱放射が!」
 時間は、朝の八時になろうとしていた。東の空の太陽は、ちょうど朝焼けの時間を終え、いつもと代わらぬ灼熱へと転じるところだ。
 乾燥地帯は一般に、昼夜の気温差が大きい。地面から熱が奪われるのを防ぐ物も、太陽光が地面を熱するのを阻む物も存在しないためなのだが、この影響で、昼夜が逆転してすぐの時間帯は、熱センサが余り役に立たない。温度差を持った空気の局地的対流が激しすぎるために、HAL、あるいはMAIの発する熱量が、有意差として検出されないのだ。
 同時に、狙撃の難易度も否応無しに上がる。温度も密度も異なる空気の渦が、天然のレンズとなって光を屈折させ、狙いを逸らさせるためだ。
 だがそんな不安をよそに、サラがあっけらかんと言った。
「マイストなら、大丈夫じゃない?」
「そうですね」
 口元を緩めながら、新人は応じる。マイストには技術がある。力がある。きっと、信念もある。背にする存在だって、あるのだろう。だから彼は、引き金を引けるのだ。
 いつか、自分もマイストのように戦えるのだろうか。そう思って計器類を操作し――そしてその姿勢のまま、全身の動きが凍り付いた。
(何だ、これ……)
 何かが変わる瞬間の、あの言い様の無い感覚。剥き出しの舌が神経を撫でるような、胃の中で小人が暴れているような。このままここにいては駄目だと、呑まれてはならないと、新人の直感が警告する。
 流れ、だ。この世界にある、確かな流れ。新人が、いつも自分を同調させてきた物。従えば、一番楽に生きていくことができる、得体の知れない力。何かの現象が起こり、何かが転換するとき、この流れは必ず変わる。そして新人はそれを察知することで、今まで生き抜いてきた。
 こうすればいいと、漠然と分かるときがある。母が奇声を上げる一瞬前に、彼女の視界から消える。父の視線に貫かれる前に、扉を閉ざす。ナチュラルの手がこちらに揃うとき。次の一枚が二一を生むとき。二枚交換でツー・ペアがフルハウスに変わるとき。弾かれた玉が、00に収まるとき。
 だが今は、この流れに乗っては駄目だ、と新人の中で、誰かが叫ぶ。それは少年である自分なのか、少年ですらない自分なのか、それとも他の誰かなのか。首筋から背中まで、噴出した冷汗が肌を伝い、操縦服の衝撃吸収素材に吸い込まれる。そして新人は――。
「歯、食い縛ってください」
「え?」
「跳びます」
 両脚のSMCFを最大駆動。生み出された力が超非晶体金属のフレームを動かし、バネのように全身が屈曲して〈ストライクリザード〉が物陰から躍り出す。そして一瞬、まさに刹那の間を置いて、背後に莫大な運動量が爆着した。
 後方から突き刺さる熱風、石片が装甲を叩き、円形に削り取られた岩盤を見て舌打ちする。さすがの威力。だが――。
「外したな……」
 ややあってから、新人はほくそ笑んだ。
 訓練の最中に聞いた、ファーストアプローチは確実に、という言葉を思い出す。裏を返せば、初手を躱すことができれば、こちらの大きな有利になる。
 完全なランダム、自分自身でも予測できない、本能が生み出すアルゴリズムで〈ストライクリザード〉が大地を蹴る。両足のスパイクが削った岩盤が一メートルほども跳ね上がり、まるで遠方からの射撃が追いかけているかのようだ。それほどまでのパワー、それほどまでの速さ。高速機動戦闘において、市街戦仕様の右に出るものは無い。
 前へ、前へ、前へ。そして爪を減り込ませて急停止、制動尾が撓って重心補正、転倒しそうな慣性を打ち消す。そして右へと跳ねる。敵第三射、着弾。HALの全身を呑み込むほどの火柱が上がり、再び巨大なクレーターが穿たれる。
 敵位置算出――その余裕は無い。意識は全て駆動へ。それでも尚直感のままに銃口を向け、発砲。標的を知らぬ榴弾は、崖の中腹に着弾し炎を上げた。
「外れたっていい……!」
 撃てば相手へのプレッシャーになる。プレッシャーは、射手の集中を妨げる。そして今、敵に弾丸を命中させるのは、新人の役割ではない。
 来る、と呟き〈ストライクリザード〉の両脚へ全力の力を込め、重心をやや後ろへ。イメージするのは、自在に大地を駆ける、自分自身。荒地戦仕様よりも、より人の形に近い機械蜥蜴は、手元の操作だけでなく、B2システムによる補正を強く受ける。
(市街戦仕様は、僕に向いている!)
 なだらかな衝撃と共に、視界が逆転する。そして爆炎。だが、〈ストライクリザード〉を着弾の衝撃が襲うことは無い。
 八.二メートルの巨体が、後方へ鮮やかな宙返りを決めていた。そして爆風を受けながら制動尾を振り、空中で体勢を移行する。関節負荷が最小限の、しなやかな――猫のような動物にも似た機動で着地。即座に、左方へ再度の跳躍。
(まだか……)
 敵位置特定は。こちらからの砲撃は。マイストは、まだ動かないのか。
 敵の射撃がこちらの動きを読み切るかもしれない。加えて、いつまでもこんな無茶な機動を続けられるものではない。敵砲撃による損傷は皆無だが、ダメージコントロール画面には、着実に積み重なる各部への負担が赤文字の警告となって発せられている。
「耐久性は問題ないけど、過熱と電気容量が!」
 熱排出機構にも、限界はある。主に脚において、SMCFの性状変化や電子回路の破損を防ぐために、圧熱転換機構が一定時間以上連続駆動し、単位時間当たりの発熱がある一定の許容量を越えると、安全機構が働き駆動が停止してしまう。前述の熱限界は、フレームの耐久限界にも数値が接近しており、そのため、熟練の操縦兵ほど、機体に負担を掛けないために、排熱効率を強く意識した戦いをする傾向にある。
 だが今の新人は、そんなことを考えている余裕は無い。とにかく全力で回避することしかできない。
 残弾数を眼の端で確認しながら、少しでも確からしい方へ銃口を向けてトリガーを引く。見えない標的に的中することは無い、文字通りの無駄弾。だがそれでも、撃つことには意義がある。
 後方へ跳躍したところへ、再び着弾。一秒でも動作が遅れていたら、あの炎の渦の中に巻き込まれていた、と新人は思わず身震いする。着地と同時に脚部のあらゆる関節から、緩衝剤と高温蒸気の入り混じった白い煙が一斉に噴き出す。そしてまた、全スペックの限りを尽くした跳躍を行おうとして――後ろから聞こえた小さな呻き声に、新人は踏み込みかけた足を止めた。
「サラさん!?」
 大声で怒鳴ったが、返事は無い。シートの後ろを振り返ると、繰り返される高速機動に耐えかねたのか、力なくハーネスに凭れかかったサラ・ウェインの姿があった。
 しかし、彼女に構っている余裕は新人には無い。心の中で小さく詫び、無理矢理に回避運動を取ろうとした。右、膝パネルと足ペダルの角度調整、両腕は大きく振って姿勢制御、進む先と今いる位置の明確なイメージ、補正を経て〈ストライクリザード〉が大きく足を踏み出す――はずだった。
 機体は動かなかった。二度、三度と繰り返しても、結果は変わらない。
「何だ!?」
 一瞬遅れて、エラー・メッセージ。赤い文字の表示に続いて全身の模式図が表示される。
 右脚の蓄電量が、完全に底を付いていた。
 動力炉は八〇時間以上の連続稼動が可能だが、常に無尽蔵の電力を使用できるわけでは無い。激しい戦闘を繰り返し、形状記憶カーボン・ファイバーの駆動に多量の電力を喰われれば、一時的に容量が追いつかなくなることもある。今が、正しくその状態だ。
 足下の岩に、右足が躓く。制動尾のみでの復帰は不可能。左膝を着き、両手で機体を支えてどうにか転倒は免れるものの、再充填までの一〇秒にも満たない間は、強力な砲に常に狙われ続けている今、即ち死を意味すると言っても過言ではなかった。
 やれる限りはやった、と呟く。最善の策で、最善の行動で、自分の力の及ぶ限りのことはやった。ならば後は、待つしかない。
「必ず誰かが認めてくれるとか、神様はいつでも見ているだなんて、現実とかけ離れたメルヘンを信じるつもりは無い。だけどね、どうすれば良いのか、どうなれば良いのかは分かってるんだ。未来が見えていれば、自分を傷つけた痛みなんて、感じないんだ。今のあなたはそうなんでしょう、マイストさん? あなたは大人なんだ。だから僕らはあなたを信じられるんだ」
 〈ストライクリザード〉の頭部が動き、予測敵位置のほうをランダムにフォーカスする。揺らぐ空気、降り注ぐ日差しの中――何かが、光を反射して煌いた。即ち、敵はそこにいる。動きを止めたこちらを仕留めようとしている。見つけた、と新人は呟く。
 巨躯を揺らしてライフルを照準する〈ベルキャット〉、コクピットに座る何者かの瞳にロックオンの表示が反射する様、そしてトリガーに掛かった指。遠く離れた――こちらの射撃が届かぬほどの位置なのに、その全てが手に取るように、まるで目の前で繰り広げられている光景のように、新人の頭の中を過ぎった。
 来る、という予感。何もなければ数秒後には死んでいるという確信。一方で、何かがあるかもしれないという小さな期待。向けられた銃口に対し、信じるという言葉も行為も、こんなにも儚く弱い。
 そして一瞬、全てが静止した。呼吸も、〈ストライクリザード〉の全ての駆動も、吹く風も流れる雲も、突き刺さる日差しさえも。
 あるのは光。空を裂き、全てを貫く一筋の弾丸。それが、ここへ向かえば――これに着いて行けばいいという導きのようにも見えて、新人は小さく笑った。
「やっぱりあなたは最高だ、マイストさん」
 対物スナイパー・ライフルの発射音が耳を劈き、入り組んだ崖や岩場の一角に、小さな炎が上がった。同時に、流れが変わる。歩みを押し戻す方向から、前を見る者の背中を押す軽やかな物へ。命中、これ以上無い完璧な狙撃だ。
 不意に通信が入り、スイッチをオンに。途端に、歓声――自らの力を示した男の雄叫びが聴こえた。
『どうだ! 少しは俺を見直したか?』
「あなたなら、やってくれると信じてました」
『俺は、信じるに足る大人かい?』
「僕はそう思います……あなた自身が、どう思っていようとも」
『……そうかい』
 そう言って、マイストは口を噤む。音声のみの通信でも、彼がやれやれ、と肩を竦める姿が目に浮かんだ。女と向き合うことすらできない男、生身で人を撃ったことすらない曹長、こうやって相手に尋ねなければ、自分が大人であると認めることすらできない大人。そんな自分に呆れて、彼はやれやれ、と言うのだろう。
 ならば彼を認めれば良い。彼の才や技術ではなく、存在を。子供が認めることで大人は大人であることができ、女が認めることで、男は男になる。きっと、そういうことなのだろう、と新人は溜め息を吐いた。
『撤退する。お嬢様方に通信、頼んだぜ』
「僕がですか?」
『俺は疲れた。きっとあの娘は、お前の言葉を待ってるぜ……少年』
 そのちょっとの皮肉と、僅かばかりの嫉妬と、大きな優しさを包み込んだ『少年』という言葉に――新人は、安らぎを覚えた。肩に張っている力が抜けたのが、自分でもはっきりと分かった。やっぱりあなたは大人だ、と呟く。
「待ってるって……あなたも、そうなんじゃないですか?」
 シートの後ろで失神しているサラ・ウェインの方へ眼を遣る。目立った外傷も、どこかにぶつかったような痕も無いことに安堵しながら、新人はマイストの「やれやれ」という声を聞いた。
『違うんだよ。俺達はもう終わってる。お前には、まだ分からないだろうけどな』
 どんな生き方をしてこようと、やはり自分は、どうしようもないほどに少年なのだ――。朝の日差しに身を晒し、新人は、何かの転換と始まりを思った。
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