#3 困惑をもたらすもの・4
三宅新人の朝は、憂鬱だった。
大概の人間の例に漏れず、新人もまた、朝に弱い。毎朝爽快な目覚めを味わう人間は、どんな魔法を使っているのか、願わくば呪文の一つも教えて欲しいと、何の実も無い愚痴を零してばかりの人間だ。だが今日の憂鬱は、いつもよりも遥かに大きい――人間の感情という量りようの無いものを、あえて比較しようと試みるのならば。
「〈ストライクリザード〉の装甲は、基本的には五層構造になっています」
黒地に、操縦席の構造にフィットする部分だけが灰色に色分けされた操縦服姿で、新人は言う。相手は、訓練用の、身動きすら難しい対衝撃服で膨れ上がり、少々滑稽にも見える姿のサラ・ウェインだ。
結局紆余曲折を経て、新人が彼女を同乗させることになった。美琴と二人で、どちらが乗せるのかを争い、争いにならずに決定。マイストに頼もうとも思ったが、昨日の会話を聞いてしまっただけに、彼に何かを頼むことは躊躇われた。
「それにしてもこの服、動きにくいわねー。もうちょいどうにかならないの? これじゃカメラも構えられない」
「〈ストライクリザード〉は、基本的に単座仕様です。僕のM01B、後期生産型はスペースに余裕があるのでどうにかもう一人なら乗せられますけど、乗せるためにスペースがあるわけじゃありません。どんな衝撃が掛かるか分からないですし、一応簡易なものとは言え身体を固定する器具はありますが、危険なことには変わりありません。どうせ写真を撮らせる訳にもいかないですし、我慢してください」
一方的に捲くし立て、新人は、肩膝を付いて頭部を前に倒し、コクピット内部を露出させている自身の〈ストライクリザード〉へよじ登った。
脚は二足の、市街戦仕様に換装されている。荒地戦仕様よりも、二脚という特性を存分に生かせる一方で、操作にはより一層の繊細さが要求される。操縦兵の中にはこの市街戦仕様を上手く扱えない者も多く、ともすれば不恰好にも見える荒地戦仕様の方が、一般には多く普及している。とはいえ、最大速度では荒地戦仕様に分があるのだが。
太腿の上に立ち、新人は暗い赤色に塗られた装甲を拳で軽く叩く。
「最外層は炭素繊維複合材です。熱硬化性樹脂の内部に格子状の炭素繊維構造を織り込んで積層し、軽量性と強度を両立しています。第二層が、超軽量発泡金属層です。その名の通りで、金属粒子の間にミクロン単位の間隙を、規則的に、最密構造に配置することで、衝撃吸収の役割を担います。言うならば、鋼鉄製のスポンジですね。ちなみに、泡の配置を拡大して見ると、黒鉛みたいな、キレイなハニカム構造の連続体になってるそうです。ここまでが表層、喩えるなら皮膚ですね。
そして第三層が形状記憶合金層です。これは、表層にダメージが発生したときに効果を発揮します。衝撃と、表層の侵襲を感知して収縮することで、損傷の拡大を防ぐ働きをします。合金が筋肉のように縮んで、傷を埋めるんです。続いてその下にあるのが第四層、極細光ファイバーセンサ層です。これも三層目と同じく損傷に対応するための機構で、損傷を受け、センサ部位の屈折率が変化すると、対応する電気信号が機体中枢に送られ、ダメージとして認識されます。言わば、神経ですね。そして第五層には再び炭素繊維複合材。サンドイッチ構造です。更に、肩や掌の部分にはもう一層の追加構造が……」
「成程、何だかよく分からないけど分かったから、後でレポート提出してくれない? 評価には色を付けてあげる」
「僕は不登校でしたから、宿題なんて出したこと無いです。それに、自分の命を預ける機械のこと位、知っておけと隊長が」
「へえ……HAL乗りって、意外と大変なのね。私には務まらないわ」
「大丈夫です」登るのに難儀するサラの手を掴んで引き上げながら、新人は言った。「僕も半分も理解してませんから。それに……」
「それに?」
彼女は早くも息を切らしている。そして新人は、依然完全に整ったままの自分の呼吸を発見する。
「本当に大変なのはこれからです」
マンホールよりは少し大きい位の開閉部に身体を滑り込ませ、そして後からつっかえながら降りてくるサラの身体を受け止め座らせ、シート後部に設置されたハーネスを締める。きつい、という文句を無視し、新人は、両腕をリングに通してグリップを握り、両膝をパネルに固定。ペダルの具合を確かめると、操作系を起動させた。
動力系は既に始動している。全身に十分な電力が行き渡り、いつでも戦いへ赴ける状態で待機している。パワー・レベルを巡航時にまで上昇。膝を床に着いていた機体がオートで立ち上がる。前方、後方、両側方を映し出すモニタ上の景色がスライドし、誘導員の姿が遥か下方へと流れていく。
「意外と、高いでしょう? これで外見上は、頭頂高八.二メートルです」
「あれ、でも〈ストライクリザード〉の基本姿勢は、膝を曲げた爪先立ちみたいな前傾姿勢じゃなかった?」
「はい。その姿勢で、八.二メートルです。ですから、整備の時とか、関節を伸ばしきった状態だともう少し高くなりますね。だから全高じゃなくて、頭頂高って表記されるんです」
軽くペダルを踏み込み、膝パネルの角度を調整。ペースと、一歩の踏み込みの深さと方向がこれで決定される。同時に、腕を振って重心バランスを保つ。操縦は、B2システムのサポートがあるためにそこまで神経質になる必要は無いものの、荒地戦仕様と比較すれば遥かに繊細さが要求される。
ブルーのベストを身に着けた誘導員が、指示棒を振っている。それに従い、もう数歩、開きっぱなしの扉の方へ進んだ矢先に、足元から衝撃が走った。
右下。咄嗟にモニタを見る。大地を割って進むための爪が、黒焦げになった〈ストライクリザード〉の残骸に引っ掛かっている。
「ちっ!」
つまり、躓いたのだ。スキーのお陰で安定性の高い荒地戦仕様ではない、極めて不安定な市街戦仕様で。
身体中が揺れる。左脚を踏み出しても間に合わないと直感。ならば甘んじて倒れるかというと――。
「そうもいかないんだね、これが」
〈ストライクリザード〉の、制動尾が唸った。その名の通り、腰の後ろから四メートル程伸びているこの機械の尾は、中枢が重心の乱れを感知すると自動で駆動し、鞭のようにしなって遠心力で機体を立て直す役割を担っている。楔形のパーツが多数連結した外見は脆弱で軽そうに見えるが、内部には細い形状記憶カーボン・ファイバーの束が通されており、強度は十分にある。先端も比重の高い希少金属を用いた特殊素材で構成されており、十分な運動量を生み出すことができる。
首根っこを掴んで起き上がらされたような感覚と共に、正常位置へ復帰。足元から、誘導員の怒号が聞こえる。彼が指差す方を見ると、コンクリートの壁面が、勢い余った制動尾の衝突によって抉り取られていた。
「す、すいません!」外部スピーカーをオンにして新人は言う。同時に、〈ストライクリザード〉が両手を合わせる。
『馬鹿野郎、許さん! 帰ってきたら格納庫要員全員に飯奢れ!』
「破産するので勘弁してください……ちゃんと帰ってきますから」
壁面の武装ラッチから七二ミリ榴弾・散弾砲〈クロスファイア〉を掴み取り、腰背面に接続して固定。荒地戦仕様のときは、加速用のスラスターが配置されていた場所だ。固定武装の積載能は荒地戦仕様の方が上だが、携行火器の場合は二脚の市街戦仕様の方が何かと都合が良い。格闘戦用のナイフと、投擲ダガーは既に格納されている。
格納庫の建物外に出ると、まだ昇り切っていない太陽の弱々しい光が降り注ぐ。丁度交代の時間だったのか、数人の歩哨がこちらを見上げて手を振っている。
『女性陣二人が先行してる。急ぐ必要は無いから、時速一〇〇位の自動走行で行け』後方からマイストの声。『お客が乗ってる上に、お前自身もまだ市街戦仕様には慣れてねえ。一つ一つ、手順を確認しながらだ。実機の感覚を掴むのがより重視されるのが、市街戦仕様だからな』
「了解……行きますよ、サラさん。かなり揺れるんで、舌噛まないように注意してください」
返事を待たずに跳躍。基地敷地内では、〈ストライクリザード〉の制限速度は時速三〇キロメートルだ。だが、一歩外へ出れば、ルールも法律も存在しない。HALの運行に関する法など、まだ整備されていないのだ。ひょっとすると近い将来には、自動車優先が定められたお陰で交差点で立ち往生するHALの姿が見られるかも知れない――。
着地、再び進行。一歩ごとに、敵に体当たりされたかのような激しい衝撃が、足元から突き上げてくる。運歩のリズムが取れたところで、オートメーションへ移行。先行している美琴とヒールレイスの機体の予測位置から最適ルートを入力し、新人は、一つ息を吐いた。
「これ……きっついわね!」
訓練を受けた新人でさえ、歯を食い縛って耐えることしかできない状態でも、彼女は何か言おうとしている。これが世に言う報道人の根性か、と感嘆し――新人は、起動時のシーケンスに漏れがあったことを思い出した。
すぐさま左手でシステム操作。直後、コクピットの衝撃が半減し、新人は溜め息を吐く。
「すいません、サラさん……衝撃吸収機構を動かすの忘れてました」
「忘れてたって……殺す気!? それとも新手の報道に対する圧力?」
「あ、いえ。死ぬときはどうせ僕も一緒です。一蓮托生です。ちなみにこれ、コクピット周りに敷き詰められた、ナノスケールのカーボン・スプリングによるもので、原理的には列車の騒音を打ち消す機構と似てるんですよ。中枢が感知したコクピット周辺へのGに対応して、スーツの耐G機能とも連携が……」
「ああもう、そういうことも取材対象だったんだけど……まあいいや。もうちょっと、違う角度から考えてみようかしら」
「何を記事にされても構いませんけど、大人しくしててくださいね。いつ戦闘になるかも分かりませんから」
新人は少しだけペダルを強く踏み込み、巡航速度を上げた。
先日、ジョニー・メイフェンと戦った場所より、やや南方だ。この辺りまで来ると、放棄建造物もかなり少なくなり、見渡す限りが荒れ地と岩場の、味気ない風景が広がっている。文明の痕跡に乏しく、自然風景にしても、日頃から見ているものなので新鮮味に欠ける。
だが、新人にとっては取るに足らない景色でも、他の人間にとってはそうではない。現に、操縦席の後ろのごく小さなスペースに収まったサラ・ウェインは、新しい孤立丘や高所を飛ぶ鳶の姿を見出す度に、感嘆の声を上げていた。
「自然のダイナミズムって、凄いものがあるわね。岩を見ているだけで、吹いている風を直接見てるみたいな気分になる」
「そんな大層な物ですかね。僕は見飽きましたよ」
「大層な物よ。ここの風景撮りまくって適当に哲学してるタイトル付ければ、もう立派な写真集の出来上がり」
「それはそれでどうかと思うんですけど。手抜き、って言いません?」
「写真の力はそれだけ強いってことよ。手を入れなくたって、強いメッセージを相手に伝えることができる」
「映像とは違うんですか?」
「写真屋として言わせて貰うなら、違うわね。テレビカメラで見られる映像は、所詮狭いカメラ内のもの。その場にいるのと同じ視点を見るものに与えることは不可能よ。その場にいるかのような錯覚を与えることになら、長けているけどね。だから、戦場の映像はエンターテイメントになる。先日の新仙台市の戦闘が良い例でしょう。
だけど、写真は違う。情報量は確かに少ないかもしれない。だけど、シャッターが降りる一瞬に切り取られるのは、高々メガバイト単位のドットの集まりだけじゃない。何て言うのかな……その場所の空気、人の心みたいなものまでもが、時として写り込む。そして写真は、写っていない部分を見るものに『想像』させる。映像を見れば、それで終わり。カメラの前以外の光景を、思い浮かべることはしない。でも、一枚の写真は、フォーカス対象の背後にあるありとあらゆる物を想像させる。
映像配信によるニュースがこれほど増えても尚、写真を使った新聞は滅んでいない。媒体が、紙から電子に代わりはしたけれどね。それはきっと、この写真の力のためだと、私は思っている」
「カメラを持つ者のプライド、って奴ですか?」
「そうとも言えるかもね」
サラは肩を竦める。その仕草に、何故かどこかで見たような感じを覚え、そして直ぐに、マイストに似ているのだ、と新人は気付いた。妙にウィットを効かせた口調もそうだ。彼女の言動は、マイストの残滓を感じさせる。或いは面影、或いは――。
(恋人同士、だったんだよな)
昨夜盗み見た二人を思い出す。只の友人にしては近すぎるのに、間に横たわる、二人を隔てる無限にも思える距離。終わってしまった恋とはああいうものなのだ、と漠然と理解することはできても、それ以上のことは分からない。恋など、新人は知らない。
マイストは、自分が彼女を道具としてしか見ていなかったことに気付いたから、彼女から離れた、と言った。ならば、彼女――サラはどうなのか。今の彼女は、マイストをどう思っている?
「マイストさんのこと、好きなんですか?」
「な、何を言い出すのよ、急に」
「いや、ちょっと気になったんです。何ていうか……別れた元恋人同士って、初めて見たので」
数百メートル後方のマイスト機と通信が繋がっていないことを確認する。
元恋人だけじゃない。愛し合っている存在を、新人は知らない。恋人同士は勿論、最も身近にいるはずの、互いを認め合い、愛し合う夫婦さえも。半ば気が違えてヒステリックに喚き散らすだけの母と、そんな母をペットか何かのように扱い、息子である新人へは、実験動物へ向けるのにも似た視線を浴びせ続けた父。愛とは何なのか、愛されるとは何なのか。そして愛するとは何なのか。もし彼女がマイストのことを、今でも愛しているのなら――。
(二人が離れなきゃならない理由が、どこにある?)
求めても得られない物が目の前にあるのに、何故それを取ろうとしないのか。
〈ストライクリザード〉の両脚がリズミカルに大地を蹴る音が聴こえる中で、彼女は暫し沈黙し――やがてゆっくりと口を開いた。
「二十歳位の時からだったかなあ……いや、一八過ぎた辺りからだったかも知れない。そういう状態が何時から始まったのかは分からないけど、とにかく私は、のめりこめなくなったのよ」
「何にですか?」
「恋、って物にね。恋だけじゃない。好きも嫌いも、ありとあらゆる感情に、浸れなくなったのよね。色んな人と付き合いはしたけど、どこかずれているような気がして。自分の心を、もう一人の誰かが監視してるのよ。誰かを好きになっても、お前は本当にその男が好きなのかって問われ続けて、段々自分の気持ちが分からなくなっていく。それでゴチャゴチャになった思いだけが切り取られて、私の中に重なっていくの。それこそアルバムみたいに、自分の心が移ろい、訳分かんなくなった一瞬が保存されて、降り積もっていく。時々そのアルバムのページが開いて、お前に素直な感情なんか無いんだ、って訴えかけてくる。
月並みなフレーズで悪いけど、恋に恋をしていた、ってことなのかも知れない。或いは私が大人になったってことかな……昔話をできる程度には。純粋な物が自分の中から消えていくことが、大人になることだと認めたくは無いんだけど、ね」
「じゃあ、好きってことでいいじゃないですか」
「いいかもしれないし、駄目かもしれない。とにかく私は大人になってしまって、一六歳には永遠に戻れない。だからあなたのような考えはもう持てないのよ。悲しいと思う?」
「そうですね……」
新人は両腕をリングから外し、腕を組んだ。自動走行システムは順調に稼動し、定められたルートを正確に走っている。
時間が巻き戻せないのは確かだ。故に誰もが過去を羨み、若さに憧れる。こんな下らない一六歳の時を過ごしていようとも、一〇年後の自分はきっと今を羨むんだろう――それだけは、新人にもはっきりと分かった。
『自分を知らないことが若さ』だと、ジェズイットは言った。なら若さを失うとは、知って絶望することなのだろうか。思いのままに突き進むことを止め、その思い自体を疑うこと。
成長とは、マイナスなのだろうか。知らないほうが幸せな、自分自身への疑いを知ってしまうことが――。
「悲しいんでしょうか。でも、良く分からないです。時間が経てば、あらゆるものは劣化します。だけど、劣化が、必ずしもマイナスとは限らない。風の浸食が、美しい風景を作り出すようなものです。だったら、悲しいことなんかじゃない。でも……」
新人は〈ストライクリザード〉の自動走行を止め、手近な孤立丘へと歩み寄る。大自然の力を受けて、在るだけで芸術的何かを思わせる岩盤の尖塔。その先端へ照準を定め、牽制用の胸部機関砲を発射する。当然、脆い孤立丘は、一瞬で砕け散る。
「こんなにも簡単に壊れてしまう。とても、悲しいです。この砕けた破片と、砕ける前の姿と、どっちが本当なんでしょうか」
「哲学ね」
「写真集になるでしょうか」
「さぁね。どうかしら」彼女はまた、肩を竦める。「写真集はともかく……あなたも大人になれば、きっと分かるわ」
「そんなもんなんですかね」
今は分からなくても良い、ということか。ならば、いつ分かれば良いのか。いつになったら、理解することができるのか。決まった境界線など存在しないのだろうが――存在しないからこそ、言いようの無い不安が湧き上がる。無知であること、無知故に悩むこと、猛進することが許されるのは、後数年。戦いの中で何度も繰り返した、考えることは後でもできると言う文句で、先送りを続けることも、今だけ許された特権なのか。
再び機を自動走行に復帰させる。そして規則正しい走行音。それが、止まることの無い時の刻まれる音のように思えて、新人は身震いした。
「あなたは今、好きな人がいる?」
「え?」余りにも唐突なサラの言葉に、新人は自分の耳を疑う。「どういう意味です?」
「私が喋るだけじゃ不公平じゃない。若いんだし、何かあるでしょ。ほら、常に命の危機に晒されると恋愛感情が芽生えやすくなるとか、話に聞いたことがあるし」
「僕は……」
誰かを好きになったことなんて無い。その代わり、嫌いにもならない。何故なら、人のことを知りたいという根源的欲求が、欠如しているから。だが、失われたそれが、少しづつ蘇りつつあることも、新人は感じていた。
扉の内に閉じ篭り、自分を希薄化し続けることで周りに対応してきた生き方が許されなくなって、一六特機隊の人々に出会った。周囲と自分を一体化させるだけでは、生と死が交錯する戦場で戦うことはできない。それでいいのかと自分に問い続け、現在に対するなし崩し的肯定を否定しなければ、生き残ることはできないと学んだ。
嫌いな、苛立たしい敵にも出会った。信頼できる相手も得た。ならば誰かを、好きになることもあるのだろうか。例えば――。
脳裏に、一人の少女の横顔が浮かんだ。負の感情のままに戦うことしかできなかった彼女が見せた、あの時の笑顔。以来、自分に向けられる真っ直ぐな眼差し。新人にとっては、初めての友達でもある彼女。
「馬鹿馬鹿しい! そんなの寝言だ、世迷言だ! 僕には、そんなものありはしませんよ」
「あら、残念。だけどね、一応人生の先輩として言っておくわ」憮然とする新人にウインクを向け、彼女は言った。「自分の感情を信じなさい。大人になって、後悔したくないのなら」
つまり、彼女は後悔しているのか。自分の感情を信じられなくなったことに。分からない方が幸せだったと、後ろ向きな自己否定――。大人になることがそんな悲しいことだなんて、新人は思いたくなかった。
(じゃあ僕は、どうありたいんだ?)
どんな成長をしたいのか、どんな大人になりたいのか。なりたくない形は即ち親の姿としてはっきりしていたが、自分がどんな人間を理想としているのか、考えても、簡単に答えは出そうになかった。
もしも、違う親の元で育てられていたら、理想を導くことができたのだろうか。今こうして、戦場に身を置くという結果は同じでも、違う過程を経ていれば、三宅新人は新人で無い誰かだったのだろうか。望む未来を持てない人間に、未来は、あるのだろうか――。
コクピット内に、断続する電子音が鳴った。自動走行を止め、通信回線を開く。モニタの一角にウィンドウが立ち上がり、白黒の砂嵐が酷い映像の中に、美琴の姿が見えた。
「何かあったの?」
一瞬前までの思考を全て追い出し、新人は尋ねる。彼女は、数キロ先を先行し、民間人を乗せている後方の新人機に、安全を確保するために入念な索敵を行っているはずだ。何もなければ、わざわざ通信など送ってこないのが、美琴のスタイルだ。ならば彼女が、わざわざこちらにコンタクトを取ったということは――。
『後退して、新人!』
「え?」
いつに無く切羽詰った様に困惑する間も無く、もう一つ通信ウィンドウが立ち上がり、これも先行しているヒールレイスの顔が映し出された。
『ヤバイのがいる……。今、こっちの観測機で取れたデータを送るよ』
『ヤバイのって、どういうことだよ、ヒールレイス!』
マイストの声が通信に割り込み、三つ目のウィンドウが立ち上がる。距離が近いせいか、黒の操縦服に映える金髪の映像は、先行している二人のそれより遥かにクリアだ。
受信完了の表示が踊り、データが次々と展開される。遠距離からの敵砲撃、速度、熱量、計測不能。周辺の地形・気候情報。立体地図に重なる、予測敵位置の赤い表示。そこから導き出される、敵射撃の到達可能範囲。美琴とヒールレイスの機体の現在位置と、新人とマイストの現在地の関係図。そして――。
「何だ、これ……」
転送されてきた静止画像に、新人は息を呑んだ。
何かの着弾痕であることは間違いない。赤茶けた地面に、歪んだ円形のクレーターが穿たれており、外延部や表面の土は焦げ爛れている。それだけなら、良くある榴弾の着弾痕だが、異常なのは、その大きさだ。瞥見するだけでも、優に直径五メートルはある。HAL用火器でできるようなサイズでは無い。
『なんだあ、こりゃあ……。何を撃ったら、こんなもんが?』マイストも驚嘆の声を上げる。
『これが敵の第一射。お陰であたしらは身動きとれずに岩に張り付いてる。だけど、あの威力なら、岩盤くらい貫通するかもしれない……』
「今、救援に!」
『バカ、来るな!』通信画面を叩きながら、美琴が叫んだ。『ノコノコ出てきて、狙い撃たれたら一巻の終わりよ! HALの装甲でも、あんなの喰らったら保たない!』
一歩踏み出した姿勢のまま〈ストライクリザード〉を静止させ、新人は呟く。どうする、と。どうすればいいのだ、と。彼女らが何もできぬままに撃たれるのをここで座して見るか、二人の下へと進むべきか。
「くそっ!」
叫んでも、状況は何も変わらない。着弾クレーターの画像をもう一度睨み、唇を噛むことしか、新人にはできなかった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。