#3 困惑をもたらすもの・3
軍と言う組織には、基本的に男が多い。それは、社会的性差という概念が、既に歴史の教科書の一ページと化した今日においても、変わることは無い。スポーツの男女の記録が限りなく近づいた今であっても、軍隊が、古典的とも取れる女性少数な職場であり続けているのは、一種の本能のようなものが働いているのかも知れない。戦いに行くのは男、銃後の守りは女。先日の感情と行動の話に、何か共通するところは無いか、と探っても何も見出せず、新人は溜め息を吐いた。
「やっぱりさ、『全ての男は馬鹿であり、女に使役される存在である』っていうあたしの理論、間違ってないと思わない?」
頭に手を当て、呆れ果てながら言うヒールレイス・リヴェッサに、新人は適当な相槌を打った。先日まで黒だった、ベリーショートの髪の色が、アッシュ・グレーに染まっている。
「間違ってないと思います。絶対に正しいと思います。真理です。宇宙の法則です」
早口で捲くし立てる美琴。彼女は、というと、相変わらずのセミロングだ。女の子の髪はどれくらいの速さで伸びるのだろう、と思考が下らない枝を伸ばす。
「あんたもそう思うよね、新人?」
「そうだね……」
弱々しくそう答える以外の選択肢は、新人には無かった。左をヒールレイスに、右を美琴に挟まれ両側から睨まれていては、どうしようもない。
(それもこれも……)
やってくるジャーナリストが女性で、しかも美人だという噂を聞いたと途端に大騒ぎを始めた整備、格納庫保守点検要員の面々――そしてそこに混じって妄想の花を咲かせ始めたマイスト・リーズとエール・シュミットが悪いのだ。
当然、応接を一手に任された新人には少しの嫉妬と、そして山のような期待が課せられる。曰く、彼の整備は機械でも身体相手でも天下一品だと伝えてくれ、彼の誘導なら滑走路でも人生でも安泰だ、書類整理で鍛えたペン捌きは君との婚約届けを書くために、磨き上げた複層装甲で一生君を守ります、成型炸薬よりも熱い愛を贈ります、エトセトラ、エトセトラ。
「間違ってないかもしれない……」
「お、分かってるね、少年。将来良い婿になるよー!」ヒールレイスは声を上げて笑い、「んじゃ、また後でね」と言ってどこなりへと立ち去っていく。
今日の格納区画は、明らかにいつもの緊張感に欠けている。仕事をこなしていないわけではないのだが、誰もが楽しげな気分なために、頭の中に眠気の弾丸を撃ち込まれたような散漫さがあった。
(気持ちは分からないでもないんだけど)
男性の幻想する女性像を打ち壊すことにかけては一流の、ヒールレイス・リヴェッサの背中を見送りながら、新人は一人ごちた。馬鹿と、奴隷とまで言われて喜ぶ男がいるか。南の古い言葉で言うところの手弱女振りが足りない。いや、世間は広いから喜ぶ男も――?
「痛てっ」
風が巻き上げた砂埃が眼に刺さり、新人は眼を瞬かせた。
作業スペースから一歩外へ出たところで、新人と美琴は来訪者を待っていた。ぼけた色のアスファルトとコンクリートの中に僅かに植えられた木々や芝生、外延部を一周して覆う金網、そしていつもと変わらぬ青い空。ピル・ソアテの風景は、昨日をコピーしたかのように変わり映えがしない。吹いては止みを繰り返す風で砂が口の中に入り、新人は唾を吐いた。
「来た」
美琴がぼそり、と呟く。敵が来たかのような言い方をしなくても良いものを、と思いながら目線を向けると、丁度一台の軍用車両がブレーキ音を上げて停止したところだった。
(記者一人に、わざわざ迎えを出したのか?)
ジャーナリストとは、そんなに優遇される職業だったか。それとも、知る権利を楯に取り、存在するかも怪しい大衆の意思を代弁しているかのように振舞うマスメディアが、増長し切っている現場が即ち、今見ている光景なのか。
後部座席で畏まっているであろう女の姿を想像する。高慢、それもヒールレイスのような気さくなものではなく、相手を徹底的に下に見なければ気が済まない類の女。メディア、大衆の意思を味方に付け、国家の広報までも今の自分が担っているのだという、現場から乖離した虚栄――。嫌いなタイプだな、と新人は呟いた。自分の足で歩くこともしないで、真実が伝えられるものか。
スモークガラスで見えない後部座席へ眼を凝らす。だが真っ先に開いたのは予想に反し、運転席だった。
「ああんもう、どうして西はこんなに暑いのよ!」姿を見せるなり、女は大声を上げた。「気候のせいでカメラが壊れても、神様は弁償してくれないのよね」
グリーンのカーディガンに白いスラックス。瞳は、澄んだ青色だ。縮れた金髪はショートに整えられ、首から提げた、年季の入った一眼レフをおもむろにこちらに向けた彼女は、歯を見せて笑ってシャッターを切った。
「サラ・ウェイン。ご覧の通りの写真屋よ。よろしく」
「はぁ……よろしく、お願いします」
差し出された手に、新人はぎこちなく握手を返す。続いて美琴とも。彼女もまた、サラの雰囲気に圧倒されているのか、動作にいつもの機敏さが無い。
「ああ、ちなみにこの車、塗装でそれっぽく見せてるけど私の仕事用だから。驚いた?」
「はぁ……」
「雰囲気に呑まれたらまともな取材はできない。常に相手を圧倒するのが私のポリシー。相手を呑めば、見えないものも見えてくる。例えば……」彼女はまた、新人と美琴へ向けシャッターを切る。「驚いた君らの見せた、内地にいる子供と何ら変わらない表情」
青い両目が、呆ける二人へウインクを送り、新人は慌てて表情を取り繕った。
「ええと……それじゃあご案内します」
憮然とする美琴を急き立て、新人は先に立って歩き出す。向かう先は格納区画、〈ストライクリザード〉の下だ。
「一通りの撮影許可は降りてるはずなので、気兼ねなくどうぞ」
「遠慮なんて、遥か昔に落っことしちゃったわよ」
「じゃあ警察に届いてるかもしれませんね。一応〈ストライクリザード〉の、規制線内での撮影は控えてくださいね。警察どころか、軍に捕まってスパイ容疑掛けられるかも知れないですから」
振り向いた新人に、再び向いたレンズ。シャッターの降りる音がする。
(やり辛いな……)
確かに顔立ちは整っているが、いや、文句なしに美人だからこそやり辛い。今頃上の空で作業をこなしているだろう男達の姿が眼に浮かび、新人は苦笑した。彼女には、ファインダー越しの眼しか存在しない。レンズの中には納まっても、きっと眼中には入らないのだろう。
「うーん、さすがに軍にしょっ引かれるのは御免被りたいかな」
じゃあ、気を付けて下さい、と返して、格納庫の開け放たれた扉を潜る。途端に、男達の間に流れる空気の波が変わったのを、新人は感じ取った。妙に火花の勢いが強い溶接、いつに無いスピードで行われる物理的損傷チェック。資材運搬用の屋内電気自動車は、倍位の速度で、何故かいつもよりも広い格納庫内を疾駆している。
(ああ、整理されて物が減ったから広いんだ……)
やはりヒールレイスの理論は間違っていないかもしれない、と新人は溜め息を吐いた。
「あれは、何?」
サラ・ウェインが隅の一角を指差して言う。格納庫の最奥、七番、即ち新人に割り当てられたハンガー――の、正面。放置されたままの、黒焦げになった〈ストライクリザード〉の残骸だった。
「ある一人のバカな兵士がおりまして」黙っていた美琴が急に口を開いた。「訓練も無しにその場の勢いでHAL動かして戦闘をやるという暴挙を犯したバカがおりまして。その結果です。バカなので自分のバカさ加減を整備・出撃の度に理解させようと黒焦げのまま放置しているのです。無茶ばかりやるバカなので」
「へぇ……撃墜されたときの機体なんて、縁起の悪いものを置いておくのは嫌うと思っていたけれど。南の人は、特にそういうこと気にするんじゃなかったかしら?」
サラの目線が、新人と美琴の全身を撫でた。
黒い髪に殆ど黒に近い茶色の虹彩は、共和国南部に主に居住する倭人、と呼ばれる人種に特徴的なものだ。新人もこれに属している。言語体系も用いる文字も違うため、こういうちょっとした誤解はしばしば起こるのだ。
「いえ、必ずしも縁起が悪いってわけでも無いですよ。そもそも、縁起云々なんて解釈一つですし、そういうルーズなのが許されるのが倭系の特色でもありますし。柔軟性、って言い換えられるかもしれません」バカ、と連呼されたことはさて置いて、新人は言う。「例えば今回なら、自分の失敗を毎回見返すことで、同じ徹を踏まないという思いを強くすることだってできます。それに、あれに乗っていたバカは僕だから言うんですが、あそこまで破壊されても軽症で済んだんです。むしろ、ラッキーです。あれに躓いてから出撃したら、無傷で帰ってこれるような気がします」
「成程ねー。他に何か、ゲンを担いでやってることってあるかしら?」
新人は腕を組む。乗り始めて日が浅い分、ジンクスのようなものにも縁遠い。出動は何度かこなしたものの、本格的な戦闘は、未だに二回――初出撃と、ジョニー・メイフェンと戦った時の二回だ。挙句どちらも機体をボロボロにして帰ってきたのだ。ゲンを担ごうにも、比較できるラッキーが無い。ある意味では自分らしいのかもしれない、と新人は嘆息する。
「僕は特に無いですね……」
「あたしも無いです。ちなみにこれ、あなたの取材ですか?」
「ええ。私個人の、かな。公の目的は〈ストライクリザード〉を世に知らしめること。人のジンクスを聞いて回るのは、私の趣味。こういうことがあったらこうする、っていう何の根拠も無いルールは、誰しも一つくらいは持っている物なのよ。正しいか否かは別にしてね」
「訊いて、面白かったルールは何かありますか?」
腕組みを解いて尋ねた新人に、彼女はカメラを降ろして応えた。
「面白かった、というか、最低なのが一つあるわよ……。『金髪で青い眼の女の子を見かけたら、俺は例外無く声を掛けることにしている』っていうのが」
「何ですか、それ」と、美琴が唇を引き攣らせる。
「読んで字の如くよ。その男自身も金髪の青い眼で、ちょっと振り向いてしまうかも知れない位の良い男なのよ。顔はね。あくまで顔だけはね! そいつ曰く、『金髪碧眼は遺伝的に弱い。だから俺と交配して種の多様性を守らなければならない。人類の未来のために、俺は君を愛さなければならない。俺と付き合ってくれ』って。最低だと思わない? 本当に、男の屑よ、あいつは!」
「最低ですね」頷く美琴は、ヒールレイス理論を肯定する材料を得て、何だか満足げだった。
「恋人だったんですか、その人?」鈍い勘を存分に働かせて、新人は尋ねる。
「ええ! 人生の汚点だけどね。全く、あのバカは。お節介なくせに、人の言うことは聞かない。何が『自分の可能性を試す』よ! 大学休学して、何思ったかいきなり軍に入るとか言い出して、スナイパーだなんて気取って、英雄になったつもりで……」深く溜め息を吐き、サラは言う。「今頃、何してんだか」
再び、新人の勘が働いた。スナイパー、金髪碧眼、軽佻浮薄。お節介で、気取るのが大好きで、それでいて技量でもって見れば右に出るものはいない狙撃手が、この部隊にいなかったか?
まさか、と呟く。そのとき、新人の視線の向こう、サラの背後から、渦中の青年が姿を現した。
「おぉい、シント。あれ知らねえか? 照準補正用の……」
ボード型の端末を小脇に抱えたマイスト・リーズは片手を軽く振りながら歩み寄り――そして、靴底が床に張り付いたかのように動きを止めた。
「……サラ?」
「マイスト?」
彼らは暫し見詰め合う。いつの間にか、格納庫中の音が止んでいる。全ての人間が、ありとあらゆる作業の手を止め、二人を注視していた。先日の整備兵も、エール・シュミットも、いつの間に現れたのかヒールレイス・リヴェッサも。だが、広い空間で全てが静止した中でも、松下肇だけは呑気にジャンク・パーツ漁りを続けている。
どれほど時が経っただろうか。永遠にも思える一瞬の後、再び時間は何事も無かったかのように流れ出す。
「マイスト……」
サラ・ウェインが何故か顔面蒼白なマイストにパンプスの靴音を鳴らして近づき、右手を高く振り上げ――。
「つまり修羅場だね」と新人。
「うっさい、バカ」と美琴。
「色男は辛いのさ……」マイストの言葉は、読点を刻むことは無く。
爽快な平手打ちの音が、乾いた空気を突き抜けた。
人がいて、街があれば夜は華やかになるものだ。太陽の光というカモフラージュを失い、闇を纏った街は、いつもとまるで違った顔を見せる。だが昼と夜、真の姿がどちらなのかは、街並みを歩く人間が決めることだ。
そして、この街の場合は夜なのかもしれない――。ピル・ソアテ市の西側に位置する繁華街の灯りを窓越しに眺めながら、新人は呟く。明滅するネオン・サインに怪しげなスモッグ。西果ての街の夜は、己の渇きを酒で癒そうとする男達の領域だった。
「まあさすがに、売春婦の類はいないけどね。最近この街も規制が厳しくなったみたいでさ」
半分ほどに中身の減ったグラスを揺らし、テーブルの反対側に座るヒールレイス・リヴェッサは言った。空いている右手には、吸いかけの煙草。染み出すように立ち上る煙が、薄暗い照明の中で白く光っている。
「昔はいたんですか?」
「さあ? 昔のこの街は知らないから」
「そんなことよりっ!」隣で、音を立ててグラスを置いた美琴が言った。「いいんですか、こんなことして?」
「いいのいいの。興味あるでしょ、彼らの話」
ヒールレイスは、火の点いた煙草で店の一角を指す。その先に見えるのは、カウンター席に並んだ二つの背中だ。二人とも金髪、男は項を覆うほどに長く、女の方は地なのかパーマなのか、強いウェーブが掛かっている。マイスト・リーズとサラ・ウェインだ。互いに押し黙ったまま、口を開こうとしない。
この店は、運営しているのがかつて勇名を馳せた退役軍人だとかで、軍関係者の溜まり場になっている。いつ何時でも、見回せば、そこかしこにどこかで見たような顔を見出せる。ジェズイットが酒を奢ると言えば、ここに来ることと同義だ。一六特機隊の人々もまた、しばしばここに現れることは同じであり――。
「いやー、来るかと思って張ってたら本当に来るとはね。全く、マイストの考えは読みやすいわ」
つまり、待ち伏せて彼らの話を盗み聞こう、というヒールレイスの目論見が、見事に成功してしまったのだ。尤も、新人と美琴は、半ば無理矢理に共犯者にされたのだが。とは言え、かつて恋人同士だった二人が再会し、酒を酌み交わして何を語るのか――。新人にも、全く興味が無い訳ではなかった。それ以上に、マイスト・リーズという男について。
言葉や行動の端々に覚える、彼への違和感。彼には戦場は似合わない、と新人は度々、どこかでピースを嵌め違えたジグソーパズルを見ているかのような気分になっていた。彼の動機を――軍に身を置く理由を知ることができるなら、少々の後ろめたさは無視しても良いかも知れない、と新人は自分を納得させる。
相手を知ること――今まで新人は、そんなことを考えたことも無かった。『嫌いになるのが嫌なのか、そもそも知りたいという、人間の当然の欲求って奴があんたの中から欠如してるのかどうか』という美琴の言葉を分類に借りるなら、明らかに、新人は後者だ。誰とも関係を作らず、一人でいるうちに、誰かと関わりたいという欲望が失われていった。能動的に消したのではなく、川面に落ちた血の雫がやがて見えなくなるように、失われたのだ。
何が自分をそうさせたのか。なぜ欲求が消えてしまったのか。明確に答えを出すことはできない。だが、理由を突き詰めようとすると、忘れようの無い両親の、卑しい物を見るような視線が、閃光の中に蘇ってくる。光、フラッシュ、ストロボ。どうあっても、逃れることはできない。一滴の雫が流れの内に消えても、この身体には、幾億滴の血液が鼓動している。
知りたいという欲求は、抵抗だ、と思う。流されたものは取り戻せるのか。いや、そもそも自分は本当に、知ることを望んでいるのか――。
「新人?」
美琴の黒い瞳に覗き込まれ、新人は我に返った。いつの間にか、グラスを握り締めていた。カクテルに使うための物を無理を言って分けてもらった牛乳の表面が、手の震えに合わせて波紋を刻んでいる。
「いい年なんだから、しっかりしろっての、クソガキ」煙を吐き出し、ヒールレイスが言う。
「いい年で、クソガキなんですか」
「そんなのはどうでもいい。大体、酒飲むところでミルクって、女子供かカウボーイかっつーの」
「その中なら、僕は子供です」
「ああ、ちなみにあたしはレディだから」
彼女はグラスに残っていた液体を一気に飲み干す。ウィスキーの類なのだろうが、銘柄は知識が無いので分からない。そして、脈絡の無い言いがかりを付けることがレディの定義なら――という一言を、新人は飲み込んだ。
「あちらさんは、まだだんまりなのかしらん?」
声を低くし、ヒールレイスは、金髪の男女の方を顎で示して言う。それとほぼ同時にサラの方が身動ぎし、思わず新人は、見付かったのかと身体を強張らせた。
「大丈夫、まだバレてない」何故か楽しそうに、声を弾ませて美琴が言う。「始まるみたいよ」
狭い店内には、緩やかなジャズが流れている。大きすぎず、小さすぎない、即ち隣の人間の声は良く聞こえるが、違うテーブルの声だと掻き消される程度の絶妙な音量だ。だがそれでも、少し意識して耳を澄ませば人の話し声位、簡単に聴き取れる。扉を閉じたままコンピュータの画面に向かい、居間で交わされる両親の会話に、脅えながら聞き耳を立てていたことを思い出し――直ぐに、記憶の湖底へと沈めた。
先に口を開いたのは、マイストの方だった。
「何で……ジャーナリストなんてやってるんだよ。アナウンサー志望じゃなかったのか?」
「あなたを追いかけるため、って言ったら?」
「信じねえよ。お前はそんな、男みたいな未練がましい女じゃねえだろ?」
「そうね。あなたと私は、二年前に終わってる」
「じゃあ何で、こうして酒を飲んでいる?」
「思い出に浸れる程度には、私も大人になったってこと」
二人はグラスを重ねる。軽やかな音が、新人の耳まではっきりと届いた。
「もう二年になるのよね……あなたが、天に与えられた二物を捨ててから」
「そんな、大した物じゃねえよ」
「一八歳で大学の理学部を出て、違う視角から物を見たいと言って法学部に入り直した男の言うことかしら?」
「若かったんだよ。力の使い方を知らなかった。目の前のものに全力で使うことしかできなかった」
「挙句クレー射撃の学生チャンピオンだもんね。天才ってのは、あなたみたいな人のためにあるのかも知れないって、初めてあなたに会ったとき、私は本気で思った」
「止めてくれ、お願いだから」マイストはグラスを呷る。「褒められるのは嫌いなんだ。知ってるだろ?」
「そうね。あなたは、常に凄いと言われ続けて……褒められ煽てられ期待されて生きてきた」
バーテンダーが、マイストの前に無言で新しいグラスを置いた。すぐに口を付け、マイストは言う。
「そうだよ。俺は、誰かに叱って欲しかった。期待とか、羨望とか、要らねえんだよ。俺は、俺の手綱を締めてくれる人が欲しかっただけなんだ」
「だから私と付き合った」
「ああ。お前も俺を褒めはした。だけど、お前は俺を叱ってくれた」
「青い眼の話でしょう? あんなもん、私でなくたって怒鳴りつけてやりたくなる。色んな人のジンクス・ルールを訊いて回ったけど、初対面の人間にあんなこと言う男は、あなた以外にいなかったわよ? どんな才能があったって、関係ない。あなたは只の馬鹿よ」
「いや、でも青い眼が劣性遺伝ってのは事実なんだぜ? 過去には白人の半数以上が青い眼を持っていたのに、今じゃ一割にも満たない。数字が証明してる」マイストは、グラスを暖色のランプに翳す。「だけど、それだけじゃねえんだ。お前は俺に、馬鹿って言ってくれる。俺に何も負わせない。だから俺は、お前に依存できた」
マイストの背中が、妙に小さく見える。申し分ない実力なのに、頼り甲斐のある男のはずなのに、常にどこか危うい、という自分の分析が的外れでは無かったことに、新人は頷き、だが一方で納得できなかった。彼に、依存したいと思ってしまう。
どんな標的でも直撃させる技量、ふとした時に、肩を押してくれる存在。マイスト・リーズを見ていると、この男なら頼れる、頼りたいと思ってしまう。そして彼自身も期待されれば応えようとし――そして、容易く応えてしまう。
ふと、目の前に座るヒールレイスが眼に留まる。空のグラスを弄びながら、彼女は、呆れとも、驚きとも、哀れみともとれそうな視線を、矮小な男の背中に向けていた。彼の過去を、ヒールレイスは知っていたのだろうか。
「だけどさ、それって違うんだなって気付いたんだよ。俺はお前が好きな訳でも、愛していたのでも無い。叱ってくれるから、居心地が良くてお前にしがみ付いていただけだったんだよ。俺にとって、お前は只の記号……道具だった」
「だから何もかも捨てて、軍の誘いを受けたの?」
「ああ。その時丁度、軍は新型兵器の試験を行う人間を探していたんだ。今のHALの原型さ。当時は何かと制約の多かったブレイン・バイパス・システムを扱えてかつ、移動目標への狙撃能力を買われてな。運良く俺はB2に馴染めたし、クレー射撃は役に立った。尤も初めは、ロボットなんて呼べるような代物じゃなかったけどな。
結局、俺は逃げたかったんだ。今までの俺を作っていた全部から。全く新しい場所に行きたかった。そうやって俺自身をギリギリまで追い込めば、誰かが俺を叱ってくれる。俺自身を傷つければ、誰もが俺から眼を背ける。『自分の可能性を試す』とか『自分を追い込んでこそ男』とか、気持ちのいい題目で、英雄になったつもりで、俺自身を騙しながらな」
マイストの背中が、風に吹かれた炎のように揺れる。そして寸時の沈黙を飲み込んだサラが言った。
「今も、そうなの?」
「さぁな。俺自身が何考えてるのか、分かんなくなっちまった」
それだけ言い切り、マイストは口を噤んだ。後には沈黙が残る。ヒールレイスは、彼の背中をじっと見詰めている。
気まずさを誤魔化したくて、新人は温いミルクに口を付ける。そして、全く同じタイミングで炭酸水のグラスを傾けた美琴と眼が合い、溜め息を吐いた。
マイストが何故、軍という場を選んだのか。知りたかった理由は全て分かった。だが、知ったからと言って何ができるわけでも無い。彼の問題を解決する手段を、新人は持っていない。いや、新人だけじゃなく、誰も持っていないのかもしれない。彼を騙しているのは、彼自身なのだから。そして次第に、どす黒い罪悪感が、新人の心を侵食し始める。
何もできないのなら、何故知ろうとした。知る必要などなかったのに、何故。
結局は、エゴイズムに満ちた、下らない好奇心だ。秘密を持たれることへの不寛容。そしてもう一度、自分に問う。
(本当に知りたいと思っているのか……?)
肯定して、自分の醜い感情を認めるか、否定して、全て無かったことにするか。どちらが正しいのか、どちらを選ぶべきなのか、分からない。誰でもない、自分自身の感情だというのに、自分がどうしたいのか分からない。
店内が俄かに騒がしくなった。扉の方を見ると、一〇人程の軍人と思しきグループが入店してきた所だった。中にはどこかで見たような顔も混じっている。一六特機隊の人間なのか、と新人は考えあぐねる。整備の人間だって――先日の議論は中断されたが、五〇人近い人員が存在するのだ。その全てを記憶しきれるはずが無い。
「行くよ、二人とも」
唐突にヒールレイスが立ち上がる。既にグラスとテーブルの間に数枚の紙幣が挟まれている。支払いを済ませても、優に釣りが返ってくる額だ。言うが早いが、喧騒に紛れて扉の方へと歩いていく彼女に付いて、新人と美琴も顔を見合わせ、席を立つ。
店の扉を潜る瞬間、新人は、カウンター席に座るマイストの方へ視線を向ける。店内の騒がしさも耳に入れず、横顔が新人の方を振り返ることもなく、ただ中途半端に残ったグラスの中身を、青い瞳は呆然と見詰めていた。
ストリートへ出れば、直ぐにネオン・サインの洪水が襲い掛かってくる。金を掛けているらしい一部の店先には、立体映像の看板が躍っている。
「あいつは、生身の人間を撃ったことが無いんだよ。軍人で、曹長なんて階級を貰ってるくせにね」
汚れたペーブメントを一定のリズムで踏み付けながら歩いていたヒールレイスが、急に立ち止まって言った。車が一台脇を通り過ぎ、彼女はそれに舌打ちしながらライターで煙草に火を点ける。
「民間から、ヒューマノイド・アサルト・ランドファイターの開発協力って形式で軍に入ったから、あいつはまともな訓練も受けていない。小銃の分解清掃くらいはできるだろうけど、本気で喧嘩したら、曲がりなりにも訓練受けてきてるあんたたちの方が強いだろうね」
こちらには背を向けたまま、彼女は煙を吐き出す。ライトに照らし出された微粒子は、ものの数秒で拡散して見えなくなる。
「共和国は、形も振りも構わず、帝国に対抗するためだけにHALを作った。国内に存在するありとあらゆる技術の粋を集め、人の形を作った。それで今はどうにか、性能で上回る〈ストライクリザード〉を配備させることに成功し、ギリギリのところで戦力の均衡を保っている」
煙草の先端から、灰が落ちた。眉を顰め、黙ったままの美琴に変わり、新人は言う。
「形振りの塊が、国家ってものじゃないんですか?」
「ええ。だから今の共和国は、ある意味破綻してるのかも知れない。戦場での死人は減っても、犠牲になる人は山程いる。徴兵されたり、家族を失って軍なんて場所を選んでしまったあんたらも、逃げ続けて、気が付いたら戦場で人殺しになっていたマイストも。生身の兵士を撃って、生と死を知る過程すら吹き飛ばされてね」
「知ってたんですか? 今の話」
「勿論。付き合い長いからね……。あいつは運が悪かったのよ。こんな世界じゃなければ、あいつは戦う必要なんて無かった。たとえロボットというカーテン越しでも、人を殺さなくて良かった。ただ運が悪くて、一六特機隊の副長なんて務めてるけど、本当のマイストはそんな器じゃない。あいつには、戦場なんて似合わないのよ」
だからなのか――と新人は得心した。マイストが、少し過剰に思えるまでに、自分のことを気に掛けるのは。自身が副長でなければならない、上官なんだという責任感。そして、生身の人間を撃ったことが無いという劣等感。自分の薄さを隠すために、彼は無理をして、自分を傷付ける。
「だから、二人とも……」ヒールレイスは煙草を踏み消し、新人と美琴の方を振り返った。「あいつを責めないで。あいつは優秀で器用だけど、それ以上に馬鹿で間抜けで不器用だから。あいつは本来戦場にいちゃいけないタイプの人間なのよ」
彼女は、ネオン・サインの一つを見上げる。そして再び新しい煙草に火を点け、光の向こうの、どこか遠くを見通すように目を細めた。
「戦うのは、あたしみたいな人間だけでいい」
その呟きは、誰に向けたものなのか。新人には、分からなかった。
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