#3 困惑をもたらすもの・2
執務室、という呼び方は些か大仰なのではないか。新人がこの部屋に立ち入ったとき、最初に抱いた感想が、それだった。
部屋の中にあるもので家具と呼べるのは、棚が一つとスチール製のデスク、そしてジェズイットが座る、これも味気の無い、金属が剥き出しになった椅子のみ。キャスターすら付いていない。
余りの殺風景に暫し動くことを忘れた新人と美琴を手招きしながら、ジェズイットは立ち上がる。最後にワックスをかけたのがいつなのか、少なくともここ数年ではないことが一目で分かる床に椅子を引き摺る音が、狭い室内に大きく響いた。
「ご苦労。疲れているだろうが……ご覧の通り、座るところは無い。勘弁してくれ」
デスクの上には散乱する書類と、照明スタンド。それにコンピュータのディスプレイがある。技術の進歩とは素晴らしいな、と新人は思う。全ての機能を厚さ1センチ程のボードに集約したために、この狭い部屋の中でも十二分に利用できるのだから。そして最先端のデジタル機器が稼動しているすぐ隣で、極めて前時代的な紙媒体が幅を利かせている光景が、新人の眼にはなぜか滑稽に写った。
ジェズイットが腰を摩りながら椅子に座りなおす。頭上で回る換気扇の音が、妙に気に障る。デスクの上のペン立てには、不揃いな筆記具が無造作に押し込まれている。
「さて、先日のお前たちの失態についてだが……」彼は画面を軽く叩きながら言った。「ルーキー、特に若い、センスのある者にしばしば見られる錯乱症状、ということにしておいた。自他の境界線が分からなくなるという、あれだ。お前たちも、聞いたことくらいはあるだろう」
美琴と顔を見合わせ、そして同時に頷く。先日の出撃前に、松下が懸念として挙げていたことだ。
自分のもう一つの手足のように動く〈ストライクリザード〉。だが、あくまで『ように』であって、現実の手足は自分の目の前にある。若く、経験の浅い操縦兵は、時として――引っ切り無しに装甲を叩く弾丸の音が与える、戦場の精神的ストレスも相俟って――自分の肉体を認識できなくなる、自失的パニック症状に陥ることが報告されているのだという。
「自分を知ることができない、自身が確立していないこと、が若さの定義なのかも知れんな」
ジェズイットは、マグカップに入っていた飲み物を啜った。新人のいるところまで香りは届かない。冷たい物なのか、暖かかった物が冷めたのか。十中八九、後者だろう、と山積みになった書類の束を横目で見遣りながら、新人はぼんやりと思った。
「それはともかく」咳払いをし、彼は続ける。「幾ら特殊機甲中隊がその名の通り『特殊』だとしても、今回のような件が続くと、組織として成り立たん。整備などは、命令違反の馬鹿が作った傷を、何で自分達が整備しなければならない、と不満に思うことだろう。もっとも今はまだ、やんちゃな新人程度の認識で済んでいるが」
先程の整備兵の態度を思い出す。確かに、不満よりも、まだルーキーなのだから、という一種の諦めの方が勝っているように思える。
そこでだ、と区切りを入れ、彼は新人と美琴へ交互に視線を向けた。
「お前たちに、日頃の整備への礼を思い出させんとあんなことをやらせてみたのだが……実はもう一つ目的があってな」
「目的って、何ですか?」
間髪入れずに美琴が言う。勿体付けるな、早く言え、と彼女の瞳は主張している。
(らしいと言えば、美琴らしいんだけど)
気の短い彼女に配慮したのか、それとも新人の小さな溜め息を聞きつけたのか、ジェズイットはそれ以上勿体振ることもなく言った。
「報道が来る。フリーの、ジャーナリストだそうだ。何だってわざわざこんな何も無い場所に来るのか、そもそもどうやって頭の固い上の許可を取ったのかは、俺の知るところでは無い、が……」
確かに、戦場カメラマンの向かう先は、砲撃に潰された家屋や傷ついた兵士の多くいる激戦区――今ならば、北か南が正しいような印象を受ける。先日の新仙台での戦場に、報道が群がったという事実が、それを証明している。
「何でこんなところ撮るんでしょう。北の鉱床地区の攻防でも記事にした方が、値が付きそうな気がしますけど」
自分ならば、時折起こる戦闘以外は呑気なものなピル・ソアテの記事なんかよりも、そちらの方を読んでみたい、と新人は思った。
「疑問は尤もだが、とにかくそういう命令が来たのは事実だ。そして命令に従うのが、軍人の仕事だ。その意味まで考えてたら、日々生きることで一杯の頭がパンクする。だが……」一呼吸置こうとして、あからさまに美琴が苛立ったのに気付いたのか、ジェズイットはやや慌てて言葉を継いだ。「自分を知らないのが若さなら、そのために悩むことができるのも、また若さという物だ。そして悩むための材料なら、幾らでもこの俺が提供しよう。ヒントは、取材内容だ」
結局大げさでわざとらしい言い方になるのだな、と新人は隣の美琴を眼で宥めながら、ジェズイットの謎掛けを解こうと、腕を組んだ。
取材内容が違う、つまり、今さっき想像したような、戦場の痛みや破壊をカメラに収めることが目的ではない、ということだろう。他に無くて、ここにある物。兵士達の呑気な漫才と、スクランブルが滅多に掛からない〈ストライクリザード〉位だろうか。
「兵隊さん達の愉快な日常と、戦闘が滅多に無いおかげでいつも新品同様の〈ストライクリザード〉位しか、あたしは思いつかないです」と、新人の思考を代弁したかのように、美琴が言った。
「それだ。〈ストライクリザード〉。ジャーナリスト様の取材対象は、我らが人型強襲陸上戦闘機なのさ。軍にとっては兵器のPR、大衆にとっては謎の多い兵器の全貌が明らかになる。新聞は売れる。国威の掲揚にも繋がる。何とも魅惑に満ちた企画だとは思わないかね、二人とも」
「そうですね……」新人は、曖昧に返事をする。
自分が徴兵を受けていなかったら、どうだろう。戦場を自在に駆ける巨大人型ロボット。シャープなフォルムに生きている人間のようなしなやかな駆動。そこにどんな技術が用いられているのか、従来兵器と全く異なるHALは、どういう戦いをするのか。
(興味、あるな)
一時立場を忘れ、新人は思う。そして目の前で顔を顰めるジェズイットの姿に、意識を引き戻された。
「下手をすれば、この基地の写真が全国紙に載るかもしれない。少しは見栄えを良くしようと思ったのだよ。少なくとも、油塗れの工具の山や、ジャンクパーツに頭を突っ込んで漁り回る操縦兵の姿、勝手に規格外の色に塗られた最新兵器の写真など、撮られるわけにはいかない。共和国の恥晒しだ」
(恥晒しだそうですよ、シュミット兵長……)
今頃嬉々として愛機を砂漠迷彩に塗り替えているであろう彼の姿が眼に浮かび、新人は無駄になることが約束された彼の努力と、更に寒くなるであろう彼の懐を思って溜め息を吐いた。そして同時に、一瞬だけ見せた彼の冷たい視線を思い出す。
あの視線の理由を、ここで尋ねてみようか、とも思い付く。シュミットだけじゃない、ジェズイット自身の今にも、沸々と、瓶の底から立ち上る泡のように、様々な疑問が現れては消える。なぜ自身を人間の屑と呼んだのか。特殊兵器のテストまで任される人間が、なぜ〈ストライクリザード〉から離されあんな輸送中隊の指揮に甘んじていたのか。
知るには、彼の過去を暴かなければならない。そう思うとまた、まるで別人のように態度を変えた、シュミットの姿を思い出す。触れていいのか、訊いても許されるのか。
躊躇う新人が決断を下すよりも、ジェズイットが再び口を開く方が先だった。
「そこで、だ。上からの指令によれば、記者様相手に我々一六特機隊の人間が、〈ストライクリザード〉のプレゼンテーションを行えとある。更に、余裕があれば操縦席内に同乗させろ、とも」
「乗せるんですか? 民間人を?」
そう言った美琴は、今にも場所と階級を忘れ、「ふざけるな」と叫びだしそうな様子だった。だが、基地を一歩出ればそこはもう戦場であることは間違いない。民間人を乗せろ、という指令が下ること自体が、馬鹿げているのは事実だ。
「ああ、乗せる。流石に内部の撮影はご遠慮頂くが」
「具体的には、どうなるんですか?」新人は尋ねる。
「戦闘時のスペックなどよりも、用いられている先端技術の数々を、大衆に知らしめた方が受けが良いだろう。ライフルの初速度や破壊力よりも、ロボットが如何にして大地を駆けるのか、の方が、戦場から遠い人々には受ける」ジェズイットは、机の上のディスプレイを叩く。「コイツの利点、特徴くらいは説明できるようになっておけ。何を隠そうこのパネル、〈ストライクリザード〉の操縦席にある物と同一規格だ」
「なっておけ?」
「ああ、言っていなかったか。記者様の相手は、お前の任務だ」
一瞬膝の力が抜けかけたのを慌てて取り繕い、新人は問い返した。
「僕、ですか?」
「ああ。懲罰の一環だと思え。それに、自分が命を預けている物を知るのは、必要なことだ」
「整備の方とか、メカニックに詳しい方ではなく?」
「ヒロイックな少年兵士の方が、大衆受けが良いだろう」
完全に貧乏くじだ、と新人は項垂れる。適任は他に幾らでもいるだろうに。例えば――。
(松下伍長とか、何聞かれても無表情ですらすら答えそうだ)
とにかく、自分には向いていない。隣を見ると、美琴がほくそ笑んでいる。曰く、ざまあみろ、と。
「ああミスミ、勿論お前も一緒にだ」
「うげっ」と、彼女の口から無防備な声が漏れた。
「うげとはなんだ、うげ、とは」
ジェズイットは声を上げて笑う。彼女が一緒なら、あながち貧乏くじでも無いのかも知れない、と新人は、自分の頬が僅かに緩むのを感じた。
とはいえ、仮にも最新兵器、言うならば歩く軍事機密である〈ストライクリザード〉の中に、口に戸を立てる気すらない民間人を入れることが、果たして、広報、戦意高揚という利益と釣り合うのだろうか。
そんな新人の疑問を感じ取ったのか、ジェズイットは小さく笑って言った。その表情に、新人は何故か――反射的に、言いようの無い嫌悪感を覚えた。たった今までの、少しだけ明るい空気が、あっという間に掻き消されるのを、新人の全身の皮膚が感じ取る。『そういうこと』には敏感な自分に、改めて嫌気が差した。
「ああ……機密流出の危険なら、そこまで敏感になる必要は無い。アレに関して言えば、機密などあってないような物だからな」
見たことがある。この表情を知っている、と新人は思う。
「どういうことです?」美琴が言う。
「過去に帝国に強奪されているんだよ。HAL‐M01のテストタイプに当たる、P01〈リザード〉がな」
嫌な感じが増していく。これ以上訊いてはいけないと、新人の中で、何かが警告している。だが何故だ。どうしてこうも、他愛も無い話の一部にしか見えない会話と、ありふれた表情に、顔を背けたくなるような違和感が付きまとうのか。
もう一度、ジェズイットの表情を、狼のそれに似た琥珀色の瞳を見た新人は、一瞬でその理由を悟った。
(あの笑いだ……)
自らを人間の屑と評したときの、自身を痛めつける被虐趣味な笑い。いつもの、芝居が掛かった傲岸不遜な態度とは全く違う、影の落ちた、殻の中に閉じ篭った表情だ。影の名は自己嫌悪であり、殻の名は即ち過去。
立ち入ってはならない、と新人の本能が命じる。シュミットの殻が触れるものを傷つけるのなら、目の前の男のそれは、彼自身の中へと突き刺さり、傷つける。だが新人の思いをよそに、美琴は早口に言った。
「それじゃ、殆ど内部構造はバレちゃってるってことですか? 一体どうして、そんなことが……」
「俺の失態だよ」
「え?」
問い返す美琴の言葉が、酷く遠くに聞こえる。
立ち入ってはならない場所を覗き見られたなら、普通の人間は隠そうとする。凍て付いた言葉で新人を遠ざけた、シュミットのように。だがこの男は違う。覗かれたのなら、曝け出す。そして自分の無価値さを、相手に認めさせようとする――。
「俺がテストを担当していた部隊で、裏切り行為を働いた男がいた。そしてそいつの手によって、〈リザード〉は帝国にもたらされた」カーバネル・ジェズイットは、服の袖を捲って腕の傷跡を露にした。「この傷は、その時に付けられた物だ」
ふと、何かの気配を感じ、その男は窓の向こうに見える東の大地へ視線を向けた。煤けた窓に切り取られた風景は、大地の赤と、空のくすんだ青に二分されている。見れば嫌でも、ここが白亜と黄金の都からは遠く離れた、帝国の最果てであることを認識させられる。
基地内に居ついているらしい野良犬が一匹、彼の視線を受け止め、そしてすぐにどこかへと走り去っていく。毛並みも悪く、肥えるには程遠いがどこか、人を寄せ付けず、それでいて一人荒野を彷徨うこともしない――。既に薄汚れたプライドにしがみ付いているかのようなその様を見て、忘れようもないアンバー・グレイの瞳を持つ男の姿が、彼の心中に去来した。
貴方はあの野良犬と同じだ、と彼は呟く。泥に塗れて餌を漁り、下らない自分を見せ付ける。自分ならば、いっそ――。
「どこを見ている、ゼリア」
ゼリア・ロージェスト――即ち己の名を呼ばれ、彼は我に返った。二周りほども小さな体躯の声の主は、眼にかかる銀髪を指先で払う。彼の主、世界を統べるべき存在、帝国の第三皇子。ロイ、のミドルネームは、皇族にのみ名乗ることを許された名だ。
リィドウェルクタ=ロイ・エスカータ。貴方は私の全てなのだ、とゼリアは心中に呟く。
「思い出していたのです」
「何を?」
色素の具合か光の加減か、時折髪の色と同じ銀に輝く瞳を向けられ、彼は口篭った。
脳裏に過ぎるのは、かつて友であった、憧れた男の姿。野良犬の視線は、いつも彼に『あの男』のことを思い起こさせる。
「皇子!」ゼリアの思考は、騒ぎ立てた青年の声によって妨げられた。
「なんだい、エド?」
「何度でも申し上げます……やはり自分は、あのような男を取り立てるべきではないと考えます!」
拳を握り締めた青年、エドゥワーズ・ライガスの見事な金髪を眺め、彼は己の頭髪を掻く。三十半ばの容姿年齢に見合わず、白い物が目立つ。半年前より、明らかに増えたな、と窓ガラスに映り込んだ自分の姿を見て、彼は嘆息する。時は流れる。時代は変わる。故に自分も、変わらなければならない。
いつまでももがき続けて、無様な現状維持を続ける貴方とは違う――そう呟いて、ゼリアは煙った空を見上げた。横ではエドゥワーズが、引き下がることなくリィド=ロイに噛み付いている。
「あのような下賎な男を、何故!」
「何とかと鋏は使いよう、と言うだろう? アレはアレで、役に立つ」
「誤れば、御身を傷つけます」
「僕が誤ると?」
「あの男は余りに危険すぎます!」
「言うなよ。彼は有能だ。それに僕は、ああいう存在に興味がある……恐怖というものを、まるで知らない男にね」
「ですがっ!」
堪りかねて、ゼリアは口を開いた。
「ならば貴君は、まず私を弾劾するべきだとは思わないか?」途端にエドゥワーズの気勢が弱まったのを見て取り、彼は続ける。「重要なのは、帝国と我が君のために何を為すか。戦う力を持つか、否か。趣向も過去も、関係ない。現に私は……」
リィド=ロイの美しい顔が自分の方を向いたのを眼の端で捉えながら、彼は言った。
「半年前まで共和国の尉官だった」
即ち――裏切り。悔いてはいない。唾棄すべき過去と、美しき今。どちらが正しいか、今のゼリアにとっては、考えるまでもなかった。
「貴方は良いんだ! 貴方の忠節が本物なのは、良く知っている。下らない過去など、吹き飛ばすほどの。だがあの男……ジョニー・メイフェンは違う。自分が思うがままに戦いたいがために、皇子の温情を利用している!」
「奴の本心など分からん。人の本心など分からん」
本当にリィド=ロイに心酔しているのか、それとも、砂糖に群がる蟻のように、破壊することを許してくれるから付き従っているだけの幼稚な存在なのか。或いはそれとも、皇子を害そうとしているのか。本心は分かりそうにない、とジョニー・メイフェンの――今は既に聴取を終え、病棟に戻されている――目の落ち窪んだ不気味な顔を思い出し、ゼリアは腕を組んだ。
「だが……奴の持ち帰った情報には、価値がある」
「第一六特殊機甲中隊? あんな奴ら、気にするほどの相手では……」
〈スカルヘッド〉を倒した程度で、と高慢にせせら笑うエドゥワーズ。この男のプライドの高さは強さであり、弱点にもなり得る――。ゼリアがそう分析したとき、何かの物思いに耽るかのようにぼんやりしていたリィド=ロイが口を挟んだ。
「僕は気になるよ。ジョニー・メイフェンに打ち勝ったという少年のことが」
「何といいましたかな。確か……」
「シント・ミヤケ。傷跡の七番。話を聞く限りは、僕と年の程も近そうだ……」
唇が微笑みを作り、瞼が半眼に閉じられる。まるで、目の前で繰り広げられるオーケストラの演奏に聞き入るかのような表情に、ゼリアは、思わず言葉を飲み込んだ。
「会って見たいな、彼に。僕とは違う、僕に歩むことが叶わなかった道を歩んできて尚、戦う力を持っている……。凄く興味が湧くよ。僕のように、そうあるために生まれ、育てられたわけでもない存在が、なぜジョニー・メイフェンと比肩し得るほどの力を持つのか」
周りの音が一切消滅したかのような錯覚が、ゼリアを捕えた。リィド=ロイの呟きだけが、水面を掠め飛ぶ小鳥が立てる細波のように、無の中で脈打っている。震える鼓膜が、魂までもを震わせる。
これは、歓喜だ。何物をも寄せ付けぬ圧倒的陶酔、あらゆる物を包み込む超越的静謐。
「僕はね、僕をこの鳥籠から解き放ってくれる存在を、生まれてからずっと探し続けている。僕は血と、運命と、あの女の奴隷なんだ。そうさ……」リィド=ロイの指が、コートの襟を掴んだ。「同じ結果でも、違う過程を経てきた存在を、僕は知りたい。その少年を知れば、僕は……変わることができるかもしれない。鳥籠を破る力を、得ることができるかもしれない」
「力なら、我らの〈ペガサス〉が。組み上げも間も無く完了します」
エドゥワーズ・ライガスが言った。高慢さは消え、只の一人の従者へと、その姿は戻っている。リィド=ロイの前では、あらゆる物が意味を失う。下らぬ感傷も、どんな疑問も、忘れたい痛みも、全てがあの微笑の中に溶け込んでいく。あの女、という一言も、ゼリアは、気に留めることすら許されなかった。
「そう、そのことで、君に頼みがあるんだ、エド」
「何なりと」
「搭載予定の……例の武装のマイナーチェンジ・テストは、今日だったね?」
「はい。〈ベルキャット〉に試験的に搭載し、意図的に敵の監視網を刺激した上で、かの竜を引き摺り出し、威力と有効性をテストします」
「〈傷跡の七番〉を、殺さないで欲しい」
「は……畏まりました、我が君」
先刻まであれほど騒ぎ立てていたのが嘘のように、理由を問うこともなく素直に、エドゥワーズは応じる。問わせることさえ許さぬ――いや、問おうという意欲さえ失わせる魔力が、今のリィド=ロイの言葉にはあった。言葉だけではない。隣に立っているだけで、まるで母の腕に抱かれているかのような、途方もない安心感に全身が包まれるのだ。
この魔力の正体は何なのか、ゼリアには想像も付かなかった。生来の物なのか、体得した物なのか――これが、全てを統べるべく約束された者の力なのか。彼の存在そのものが、本来の故郷を離れたゼリアがここにいることを肯定しているようにも思えた。
そう、彼は貴方とは違う、とゼリアは呟く。
「どうした、ゼリア」
「思い出していたのです」
「何を……いや、誰を、かい?」
リィド=ロイは微かに笑う。この笑みは全てを――たとえそれがジョニー・メイフェンのような男であろうとも――許し、銀の瞳は全てを見通す。
「奴……ジョニー・メイフェンの話にあった指揮官機です。サムライソードを担いだ〈ストライクリザード〉乗りを、私は一人だけ知っている」
記憶のあらゆる場所に焼き付いて離れない、あの後姿。刀を使う人型強襲陸上戦闘機は、共和国広しと言えども『あの男』を置いて他にいない。
「ふぅん、誰だい?」
「カーバネル・A・ジェズイット。私の、元上官だった男です」
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