#3 困惑をもたらすもの・1
誰かに敗北を喫したのはいつ以来のことだろう、と男は記憶を呼び起こそうとした。だが、傷の痛みが、考えることを妨げる。
彼は気の長い人間ではない。いつまでも考えるよりは身体を動かすことを好む――むしろ、身体が勝手に動いている。彼にとって、考えることは、力を振るえぬ者の逃げの手段であり、彼は自分自身がその力の振るえぬ者、即ち弱い存在だとは思っていない。
故に、彼は思考を止めた。今の自分は、ある敵を打ち倒すことができずに、機体に大損害を被って撤退を余儀なくされた――。忌々しいこの事実だけが、揺るぐことの無い真実だった。
眼を閉じれば、あの光景がすぐに蘇る。どんなに弾丸を撃ち込んでも、棍棒で打ち据えても向かってきて、遂には自分に敗北者のレッテルを貼った、あの敵の姿が。
「〈ストライクリザード〉……!」
口に出せば出すほどに、憎しみが募る。できるなら今すぐにでも再び出撃し、かの機械蜥蜴を粉々に破壊したいと、男は願った。
だが、彼の身体も彼の機体も、それを許さない。〈ベルキャット〉は頭部を焼かれ、無数の傷跡を穿たれ、栄光の髑髏は黒く汚れている。噛み締めた唇から赤い血が伝い、全身の打撲傷と顔に負った火傷が痛んだ。
幸か不幸か命に別状は無く、今こうして、男――ジョニー・メイフェンはベッドに縛り付けられることも無く、満身創痍の愛機を見上げることが叶っている。左頬にガーゼを当てられ、身体のあちらこちらには、薬臭い湿布が貼られている。落ち窪んだ目には影が差していたが、その瞳は爛々と輝き、大きく裂けた唇を開いて高笑いを上げた彼の姿は、この世に生を受け直した骸骨のようにも見えた。近寄れば、黄泉の国へと引き摺り込まれそうな。
だが、見れば誰もが恐れるだろうその背中に、声を投げかける人影があった。
「楽しいかい、ジョニー・メイフェン」
「ああ、アンタか」聴き覚えのある声に、彼は、人影の方を振り返った。「最高だよ。こんなに、心の底から壊したいと思う相手は、二人目だ」
「一人目は僕、かな?」
そう言って笑ったのは、一人の少年だった。見た目は一五、六歳に見える。黒いスーツの上にブルーグレーのロング・コート。足元は赤い紐のショート・ブーツ。襟元は、これも赤いタイで結ばれている。帝国の前線基地であるこの地の気候にも、彼の見かけの年齢にも見合っていない服装は、それでいて何故か、奇妙な統一感と安心感を見るものに与える。そしてそれは、ジョニー・メイフェンとて例外ではない。
少年が、肩に掛かるほどの銀色の髪を煩そうに払う。その姿にしばし目を凝らしていた彼は、赤い唇を再び大きく歪めて言った。
「勿論。俺様はアンタが大好きだからなあ」そう言って、頭一つほども背丈の低い少年の顔を覗きこむ。「いつかアンタを壊せるなら、俺はどんな奴だって壊してやる。南の分からず屋みたいに俺の戦いを邪魔することもしない。〈ベルキャット〉を奪うこともしない。代わりに俺は、アンタに忠誠を誓う。そういう約束だろう?」
「ああ、そうだ。僕は君の力を認めている。君の存在は帝国に不可欠だと思っている。だから……」少年は、自身の後ろに控えた二人の男へ向け言った。「そんなに怖い顔をするなよ。ゼリア、エド」
一人は、白髪の混じった壮年。もう一人は、まるで女性のように長く伸ばした金髪を、後ろに束ねた青年。いずれもスーツ姿だが、シャツの上のボタンは開け放たれている。彼らの両手を包むグローブが、MAI操縦服に付属するものと同一規格であることに、ジョニーは気が付いた。
作業服姿の人々が忙しなく動き回る、前線基地の機動装甲歩兵格納庫という中で、少年を中心とした整った身なりの三人は、明らかに異様だった。だが、誰も咎めようとはしない。それどころか、彼らを遠巻きに――まるで、見えない壁が存在するかのように見詰めることしかしない。
「ですが、余りに無礼が過ぎる!」男の一方、金髪の青年が言った。表面上の年齢は若く、二〇の半ばくらいに見える。「ジョニー・メイフェン。お前は、自分が誰に向かって話をしているか、分かっているのか?」
「分かってるさ。俺様のご主人様だろ? そんでアンタは……」若者の方を指差し、ジョニー・メイフェンは言った。「エドゥワーズ・ライガス。近衛騎士団の名門の三男坊だ」
若者、エドゥワーズの眉がぴくり、と動く。自分の言葉が十分彼を苛立たせたことを認めると、ジョニー・メイフェンはくぐもった笑いを上げた。
「おっかねえなあ。そう構えるなよ。俺もアンタも、同じ帝国軍だろ?」
「貴様のような者と……!」
本来、近衛騎士団の任務は帝都の護衛にある。代々その要職を務め、モビリティ・アーマード・インファントリの開発を主導したのがライガス家だ。だが、エドゥワーズは本来いるべき西の灯火を離れ、この東方の辺境の地にいる。その理由が、喜ばしいものであるはずが無い。
家という名の温室を立ち去り、敢えて風雨に身を晒す。それは、見る人にとっては尊いものかもしれない。だが、戦士階級であるジョニーにとっては、世間知らずな騎士階級の道楽にしか見えない。まるで女のような容姿も相俟って、鬱陶しいという感情だけが、口を突いた。
「『三男坊』って言われてイラつく理由が、俺様には分からねえがな」
貴様、と気色ばむエドゥワーズに、図星か、とジョニーはほくそ笑む。誰も生まれを選ぶことはできない。三男に生まれ、一族内の権力闘争に敗れ、帝都内でのポストにありつくこともできずに、前線で戦うことを余儀なくされる――。よくあるシナリオだ、と彼は思う。
「薄汚い戦士風情が、人を愚弄するのも大概にしてもらおうか。これ以上貴様がその涎に塗れた唇を開くのなら……」彼は左手のグローブに手を掛けた。「自分にも、考えがある」
「はははっ! 決闘か? 面白えじゃねえか! だけどよ……」ジョニーは両手を広げ、自分の身体を示した。「手負いの薄汚い戦士風情に手袋を投げるのが、騎士様の誇りとやらなのか?」
「何なら、今すぐここで、貴様を死体にしてやっても構わんが? 本来なら貴様なぞ、形式に則ることにすら値しない」
狂気を秘めた瞳と、流麗な切れ長の瞳が睨みあう。地獄の底から這い出してきたかのような男と、絵画の中から脱け出してきたかのような青年。神と悪魔の遣い同士が睨み合っているかのような光景に終止符を打ったのは、少年の一言だった。
「そこまでだ、二人とも。目的を忘れるな、エド」
「ですが!」
「僕は彼を認めていると言った。同じことを何度も言わせるな、エドゥワーズ=ヴィン・ライガス」
ヴィン――その個人が騎士階級の人間であることを示すために、ファーストネームに等号で付記されるミドルネームを殊更に強調され、エドゥワーズは不承不承といった体であろうと、黙る他なかった。自身がどんな場所にいようと騎士であり、決闘などと容易に口にすべきではない、という自覚を思い起こされたのは言うまでもないだろう。だが、それ以上に――。
(あんな眼で見られたら、誰だって黙るさ)
エドゥワーズを睨んだ少年の瞳に、ジョニーは、感じ方すら当の昔に忘れたはずの恐怖を思い起こされた。見るものを奈落の底へと引き摺り込む、海の底から空を仰いだかのような、天上の輝きを包み込んだ深い藍色。美しさとは、行き過ぎれば恐怖の対象となるのか、とジョニーは自分の目線までもがその瞳に吸い込まれるのを感じた。
エドゥワーズの、女性的美しさとはまるで違う。生きているのか死んでいるのか、手を伸ばせば触れることができるのか、そこに本当に存在しているのか――そんな神に対する畏怖にも似た感情を、少年の美しさは呼び覚ます。例えそれが、あらゆる物を破壊することにしか生き甲斐を見出せぬ、ジョニー・メイフェンのような男であろうとも。
南――新仙台青葉区での戦闘は、ジョニーが独断で起こした物だと言っても過言ではない。戦争など遠い世界の出来事だと思っている人々に対する義憤にも似た怒り、作戦行動に縛られ、自由に戦うことが許されない軍という組織。まるで自身の肉体の延長のように動く〈ベルキャット〉を持ちながら、自分の望みが何一つ叶わないことに積もり積もっていた彼のフラストレーションが爆発したのが、あの日の戦闘だった。
彼の望みは果たされた。唐突な戦闘に報道は興奮し、疾駆するジョニー・メイフェンの機体と〈スカルヘッド〉の名は瞬く間に広がり、共和国の兵士ならば一度はどこかで耳にしたことがあるほどの存在になった。そして彼の破壊衝動はかつて無いほどに満たされ、足元で泣く一人の少女の姿など眼に入らぬほどの歓喜と興奮が、彼の肢体を震わせた。土は土に、灰は灰に、塵は塵に。古より伝わる文句こそが真理であると、自らを包む粉塵と黒煙の中、彼は確信した。
だが、彼にとっての天よりもたらされた神託は、他の者にとっても同じく神の言葉では、あり得なかった。そして己の常識・尺度を以って理解し得ない物を差して、人は狂気と呼ぶ。
「〈ベルキャット〉に乗ることを許されず、激戦地から離され、東の辺境に左遷され……折角知った破壊の喜びを、二度と得られないんじゃねえかと震えていた俺様を、救ってくれたのは、アンタだった」
ジョニー・メイフェンは、少年の瞳を見る――或いは、見入られる。現世の物とは思えぬそれに、囚われる。
「そうだよ。君は有能だ。人々は君の才を理解しようとしない。君が力を発揮できる術を知らない。だが僕は、知っている」少年は、紅色に染まる口元を、僅かに綻ばせた。「だから、教えてくれないか?」
「何をだ?」
「君と互角以上の戦いをした敵のことを」
「いいぜ」ジョニーは即答し、不気味な笑みを浮かべた。「ただし、条件がある」
「条件?」
問い返す少年に、彼は傷だらけになった自身の愛機を、顎で示して言った。
「新しい機体を、くれよ。この俺様に相応しい、スペシャルな代物をよ」
「そんなことか……。それなら既に、組み立てに入る所だよ。少し、テストが要るからもうしばらく時間が掛かるが……見れば、きっと気に入る。君にこそ相応しい機体に仕上がることは、この僕が保障しよう」
「流石アンタだ。分かってる」
「ああ。話してくれるかい?」
柔らかい、埋もれてしまいそうな少年の笑顔に、ジョニー・メイフェンは一瞬我を忘れ――そして大きく頷いた。
「勿論だよ……帝国第三皇子、リィド=ロイ・エスカータ殿」
「世の中には絶対に自分と波長が合わない、どう考えてもどう妥協しても気に食わない相手ってのがいるものよね。そりゃ少し考えてみれば当然のことなんであって……。自分と関わり合いのある人間を好きと嫌いに二分したら、あんたはどっちの方が多くなる?」
「うーん、好きな方が多いかな」と、新人は応える。
「それはあんたが人に興味を持たないからよ」美琴が、新人の目を覗き込むようにして言った。「寛大でもできた人間でも何でも無い。普通、誰かが誰かを知れば、その人間が許せるようになって、好きになる。だけどあんたはそうじゃない。表層だけを知って嫌うことすらできないほど、あんたは他人に触れようとしない。嫌いになるのが嫌なのか、そもそも知りたいという、人間の当然の欲求って奴があんたの中から欠如してるのかどうかは、知らないし知りたくも無いけど」
「ふぅん……僕は、そうなのか。それで、君は?」
「え?」
「好きな人と嫌いな人、どちらが多い?」
「そうね、あたしは……」彼女は工具を置いて腕を組む。「嫌いな方が多い。嫌いになってしまった人の数が、余りにも多すぎるのよ。自分でも、把握しきれないくらいにね。気が短いから、誰かをちゃんと見ることが苦手なの」
「ちゃんと見る?」
「知る、ってことかな。それをしないから、表の感情で人を嫌う。人が何考えてるのかを見ようともしないで、行動だけで判断しちゃう」
「うーん、何ていうか、それって凄く男性的なような気がするな」
美琴は眉を顰め、手に持ったスパナを新人へ向けた。
「死んどく?」
表情は笑顔だ。だが、顔の筋肉が痙攣している。新人は苦笑いを返し、目線を泳がせた。
「まあ、言ってることは分からないでもないわよ。相手の行動を見て人間を判断し、自分の行動を否定されると怒るのが、男って生き物だって、ヒールレイスさんが言ってた。女は相手の感情を見て、自分の感情を否定されると怒る」
「……つまり、どういうこと?」
彼女は呆れたように一つ息を吐き、こめかみに指を当てて少しの間、何かを考え、そしておもむろに口を開いた。
「あの時……何であたしを助けにきた。あたしには助けなんか要らなかった。大人しく味方機の後方に下がっておけば、機体にこんな損傷を負うことも無かった。馬鹿を通り越して、愚かね。別にあんたみたいなルーキーが、あのジョニー・メイフェンと、無理して戦う必然はどこにも無かった」
「それは……!」
気色ばむ新人を制し、彼女はスパナを掌の上で一回転させた。
「ほら、怒った」
「あ、成程」
遊ばれた、と嘆息する新人の前で、得意顔の美琴の指の隙間から、捉え損ねたスパナが落ちる。緩やかな回転が掛かったまま落下し、彼女の足の先へと衝突。
「痛っ!」
「そんなに痛くも無いでしょ。靴履いてるし」
「あたしにとっては痛いの。んで今のそれ、感情の否定。あんた、女の子に嫌われるわよ」
「あ、成程」
そんなもんなのかな、と新人は溜め息を吐く。感情を否定することと、行動を否定すること。理性的に、世間一般で言う大人の考え方をすれば、感情の否定に苛立つのは独り善がりに過ぎず、たとえ感情が是としなくとも、行動自体は肯定するべきだ、と新人は考える。
(嫌いな奴でも仕事はできるから評価する……? 比喩になってるのかな、これ)
そう考えてみると、女性という存在が酷く子供染みたものに見える。精神が未成熟で、身勝手で、自己中心な人間。だが、それは、自分自身が男だからなのだろう、と新人は自分を納得させた。きっと女性の眼から見れば、男性という存在は、馬鹿げた、大人になれないものと映るのだろう。
「まあ、そんなことはどうでもいいのよ。心の底からどうでもいい。今は……」美琴は、目の前に積み上がった工具――スパナあり、レンチあり、ドライバーあり――を見遣った。「これを片付けないと」
「そうだね……」
新人はまた、溜め息を吐く。一息ごとに、肩に、金属の重りを乗せられているような怠さが加わっていくような気がして、思わず全身が項垂れた。
前回の出撃の結果、新人と美琴の〈ストライクリザード〉は、機体骨格部にまで及ぶ、大破寸前の状態に至るほどの損傷を受けた。その理由は、偏に命令無視だ。積極的な交戦は避けろ、という指示を受けていたのにも関わらず、美琴は自失の余り、新人はそんな彼女を制止せず、結果として、隊を危険に晒し自機に重篤な損害を与えた。
新人とて、戦時下の簡易なものとはいえ訓練を受けてきている身。軍とはどういう組織か、理解しているつもりだ。それなりの罰があることは、覚悟した上での行動であった――実際のところ、そんなことを考えている余裕が無かっただけの話なのだが。
兎にも角にも、軍の最新鋭兵器を私情で使用したのだ。営倉入りや始末書では済まないだろう、と肝を括ってジェズイットの執務室へ出向いた新人と美琴が命じられたのが、この気の遠くなるような作業だった。
「工兵の皆さん愛用の整備器具の整備……」凝った肩を回し解しながら、新人は呟く。
目の前には、堆く積まれた整備用具の山がある。普段は専用のボックスに、最も効率の良い配列で整理されているそれらは今、一つの巨大な金属の塊となって、磨かれる時を待っている。手持ちの物から、装甲の補修時に、飛沫から目を守るために用いる保護グラス――果ては超音波振動ブレード研磨用の大型グラインダーまである。
これらを片っ端から磨き上げろ、というのが彼らに科せられた作業だった。整備の苦労を、少しは身をもって味わえ、という意味なのだろうか、と小首をかしげた新人に、美琴が言った。
「並びにゴチャゴチャの格納庫の整理ね。まあ確かに、装甲板の使い物にならなくなったのとか、壊れた機体の指関節とか、あっちこっちに放置されてる現状は、あたしも如何なものかと思うけど」
彼女の言う通り、格納区画は整然と言うには程遠い――雑然、という言葉を体現したかのような空間が広がっている。常に改造を加え続けるのが〈ストライクリザード〉であり、そのためのパーツは、ヒューマノイド・アサルト・ランドファイターの普及率がさして高くない状況を考えれば、一片までもが貴重品だ、ということは理解できるのだが――。
「あれかな。僕の機体のハンガーの、丁度真ん前に黒焦げの残骸が放置してあるのは、やっぱり当て付けなのかな。この間発進させるとき、躓きかけたんだけど」
Scar7、新人に割り当てられたハンガーは、格納区画の中でも一番隅に当たる。そして目の前には、新人自身が初回出撃で敵に撃破された〈ストライクリザード〉の残骸が、これ見よがしに放置されていた。使えるパーツは悉く抜き取られ、最早文字通りの骸と化している。
「そいつぁ違うぜ、坊主」と、すぐ側で作業をしていた整備兵から答えが返ってくる。「お前さんへの戒めになれば、という俺たち整備組一同からの熱いメッセージだぜ? ありがたく受け取れよ」
「はあ、そうなんですか」
「まあ邪魔だからそこに放り出してるだけなんだけどな! 捨てるのも勿体無いだろ?」親指を立て、彼は豪快に笑う。「お前が一回でも無傷で帰ってきたら退かしてやるよ。仕事が減って暇ができるからな!」
「無傷で、か……」笑い声を残し、早速次の作業場へと立ち去っていく彼の背中を見送りながら、新人は呟く。「なるべく早くが良いな」
「ちなみに、統計データ上だと、一〇パーセントに満たないわよ」工具磨きの手は止めずに、美琴が言った。
「何が?」
「HALが出撃して、戦闘して、無傷で帰ってくる確率」
「へえ……」
六〜一〇機で構成される、一特殊機甲中隊が全機出撃して、一機いるかいないか。意外に低いのだな、と新人は思う。先日の戦闘など、松下もシュミットも、そしてジェズイットも、機体に傷一つ付けずに帰還した。砲戦、遠距離支援を主とするシュミットはともかく、近接格闘戦仕様の松下や、あんな長物――専用のラックで壁に固定された、四.三二メートル超音波振動刀を視界の端に捉えつつ――を担いだジェズイットまで、只の一度の被弾も無しに戦闘を勝利へ導いた。
(それだけ、彼らの技量が凄まじい、ってことなのかな?)
確率で見れば、一割未満の偉業を、こうも容易く達成してみせる人々。戦慄にも似た震えが自分の奥底から湧き上がるのを、新人は感じた。
「こら、手を休めるな」
「痛い」
レンチで頭を小突かれ、新人は手元の作業に戻る。磨き終わったものから、整備士の七つ道具入れとも呼ばれるケース内の定位置へと放り込む。蓋の部分に、『使ったら戻せ! 借りたら返せ!』という文字が、黄色地に黒で書かれている。
並んだケースを見て、ふと浮かんだ疑問を、新人は口にした。
「ねえ美琴、一六特機隊の、HAL整備担当の人って、何人位か覚えてる?」
「えーっと……何人だったっけ。細かい数字は忘れちゃった」
じゃあ、と応じながら、新人はボード状の端末を取り出し、計算を始めた。
「理想とされるのが、HAL一体に付き六〜七人。一六特機隊の場合は慢性的に不足してるから、五人で計算しよう。五掛ける七で、三五人。それに加えて小火器専門担当の人が……」
「小火器って言っても、殆ど大砲みたいなものだけどね」
「三人だっけ?」新人は美琴の冗談を無視して尋ねる。
「四人。制式のH・Sのなら良いけど、ベッカード社製のには現場が対応しきれないから、東の本社から出向してきてる人がいるはずよ。一応、扱いは軍属だったと思ったけど」
H・Sとは、ヘーゲル・シュミット社の略称だ。主にHAL用の銃火器を製造・販売するメーカーで、一社だけで国内シェアの実に四割を占める。手持ち火器として最も一般に用いられる四三ミリアサルト・ライフルは、このH・S社の主力商品の一つである。戦時特需の勢いに乗り、競合他社の買収にも乗り出している、とも噂されているが、真偽の程は定かではない。
その競合他社の最たるものが、ベッカード社だ。HAL自体が産まれて間もない兵器である関係上、火器の規格も未だ統一の過程上にあり、ベッカード社のアサルト・ライフルが三九ミリという規格を採用していることからも、それは見て取れる。
企業体力も資本もH・S社の方が一枚上手だが、ベッカード社の火器を好んで用いて離さない物好きも中にはいる。ヒールレイス・リヴェッサ、そして巳澄美琴は、その好例だ。彼女ら曰く、口径が小さくとも発射速度や集弾性に優れているとか、乱暴な扱いにも耐える、とか。
「じゃあ四足して、三九。後はブレード、格闘兵装担当の人が三人、で合ってるよね?」
「そうね、ジェズイット大尉自身を、数に数えないのなら」
「ああ、そうか……」
先日の戦闘で自分を救った一振りを、新人は思い出す。あの四.三二メートル超音波振動刀は、北東部に本社のある企業、クリサンセマム鋼業から提供された、試作兵器なのだという。
一般に、三メートルを越えると超音波振動ブレードの製造は極端に困難になると言われている。そこで、現代の技術の限界点を測るために作られたのが、あの刀だ。ジェズイットの古い友人が会社の役員を務めているために、やや灰色な手続きを経て、この一六特機隊へやってきたらしい――と、新人は耳にしていた。
「あの人、刀の整備は自分でやってるもんね」
試作兵器だからなのか、他に理由があるのか、忙しい合間を縫っては、あの男は刀に研磨機を当て、切れ味を確かめている。今は、左腕に傷を持つ彼の姿は見えない。
どうも、謎の多い人だな、と新人は思う。
「どういうことなんだろう」
「何が?」
問い返されて初めて、考えが口に出てしまったことに気付く。そして、隠す必要も無かった、と思い直して新人は言った。
「あの刀、埃を被っていたのを引っ張り出してきた、って言ってた。つまり、あの人が、何があったのかは分からないけど、HALを降ろされる前から、あの武器を使ってたってことだ。でもそれって、おかしくない?」
「おかしいって、何が」
「時間だよ。〈ストライクリザード〉の初実戦投入は、公式には三ヶ月少し前……あの新仙台市街を強襲された時だ。僕の初戦の件もあるから、公式発表が全てだとは思えないけど、僕があの壊滅した輸送中隊に配属された時、大尉は少なくとも半年はあの場での任務をこなしていたはずだ」確証は無いが、あの場にあった空気は、一ヶ月やそこらで生まれる軟な連帯感ではなかった。「そうすると、まともに考えて、大尉が以前乗っていたのは、同じHALでも〈ストライクリザード〉じゃなく、テストタイプの〈リザード〉だ。そうだ、確か、開発に関わっていたって、言ってた……」
「んー、なんかあたしには話が見えないんだけど」
「つまり、過去に乗っていた機体で、あんな刀を扱える筈が無いんだ。制式量産されたHAL‐M01でさえ、あれだけの改造を施せなければ使えない刀を、試験型の機体が振り回せるわけがない。大尉の機体も、元はつい最近ロールアウトした、M01B、後期生産型なんだよ?」
新人が今乗っている物、ジェズイット機のベースになった物、そして焦げた残骸となった物の三機が、一六特機隊では後期生産型、と呼ばれる仕様だ。基本スペックの上昇と、コクピットの居住性の向上が主な変更点として挙げられる。
「普通に、〈ストライクリザード〉と一緒に持ってきたんじゃないの? 埃被ったてのは、只の比喩でさ」
「それは絶対に無いよ」新人は断言した。「あの〈ストライクリザード〉は、僕の機体と一緒のトレーラーに乗っていた物だ。僕の初めての戦闘の時にね。あの場に残っていた物資の中に、刀も、それらしい包みも無かった」
「気になるんなら、本人に訊けば?」素っ気無い、いつもの調子で美琴は言った。「どうでもいいけど、作業、全然進んでないんだけど」
「そうだね。日が暮れちゃうよ?」不意に、頭上から声が聞こえた。
「あれ、シュミット兵長。どうしたんですか?」
頭の後ろで手を組み、口笛を吹きながら現れたのはエール・シュミット兵長だった。彼には待機も出撃の命令も下っていないはずなのに、なぜこのHAL格納庫にいるのだろう、と新人が訝しんだ矢先、彼が口を開いた。
「いや、ちょっと制御システムにバグが出ちゃってさ。火器の積み過ぎで、管制・切り替えがどうも上手く行かなくなったのだよ。ほら、出撃のたびに色々火砲を変えてるからさ。前回までのデータと今のとを、ミスって処理してるみたい」
「でも、全く動かないわけではないんですよね?」美琴が、器具手入れの手を止めずに言った。「確か、発令所の表示はイエローでしたけど」
「いやー、できれば動かしたくないんだよね……。ちょっと、それ以外にも色々弄ってるから」
あれ以上どこを改造するのだろう、と新人は考える。背中に超大口径の迫撃砲が二門、両肩には多連装ロケット、そして機体の各部に内蔵式の機関砲まで搭載しているのが、彼の重砲撃戦仕様機、通称〈シュミット・スペシャル〉である。〈ストライクリザード〉の最大積載重量を知りたければ、彼の機体を見ろと言われるほど、その改造具合は極端だ。
「それ以外って、何ですか?」
小首を傾げながら尋ねた新人に、シュミットは即答した。
「塗装」
「塗装ですか?」
「うん、塗装。ダークレッドが悪いとは言わないけど、オリジナリティって奴が欲しくてさ」
「どんな色にするんです?」
「それは出来上がってからのお楽しみ。いやー、基本的に〈ストライクリザード〉の改修費は経費だけど、塗料は自腹なんだよね。ああ、金が無い金が無い」
確かに、勝手気ままに様々な色に塗り替えられては、部隊としての統一性、ひいては軍の威厳にも関わってくる。自腹でなら容認、というのが釈然としないが――そうまでして塗り替えようとする人間はまずいないためにルールが作られていないのだろう、と考えれば納得がいく。
「砂漠迷彩」不意に、美琴が手元に向けていた顔を上げて言った。「ですよね、兵長」
「え、何で分かった? テレパシーとか、超能力とか?」
ぴくり、と震え、うろたえて言うシュミットに、美琴は一点を指差して示した。〈シュミット・スペシャル〉の足元だ。新人も、釣られて目を向ける。先程から全く減っていない工具の山が目に入ったが、見なかったことにした。
「……凄い量だ」
そこには、まるで工務店の一角を丸ごと切り取ってきたかのようなペンキの山が築かれていた。整然と積み重ねられた様は、著名人のパーティで見かけるシャンパン・タワーを髣髴とさせる。尤もこちらは味わうことが出来ない――むしろ、飯の種を削って生み出されたものなのだが。
ラベルや、はみ出たペンキから色が分かる。グレー、イエロー、オレンジ。上手く混合すれば、成程、見事な砂漠迷彩が出来上がりそうだ。
「でも、この辺の地形だったら、かえって目立つような気がするんですけど」新人は、出撃するたびに目にする、ピル・ソアテ郊外の荒涼とした大地を思い出す。「確かに砂漠、って呼ばれてはいますけど、この辺は土壌に鉄分多いから真っ赤じゃないですか。かなりごつごつした岩場もありますし。そりゃ、もうちょい北西の、遺跡群のあたりまで行けば、それこそ東の人たちが思い浮かべるような砂漠に近いですから、こういう砂漠迷彩も効果ありそうですけど。寧ろ元のダークレッドの方が……」
「いいじゃないの。塗装はロマンだよ。自分仕様の象徴ってやつさ」
「趣味と実益を兼ねたわけでは……?」
「最初は兼ねてたつもりなんだけど、いつの間にか趣味が圧勝してた」
なぜか得意げに笑って言うシュミットに、新人は嘆息する。そして――彼が戦場に相応しくないという確信が、一層強くなる。彼は、なぜ軍人であることを選んだのか。正義感でも復讐心でも、まして徴兵でもないのに、何が彼をして銃を取らしめたのか。
(銃……?)
銃、という単語を思い浮かべたとき、何かが引っかかった。すぐそこにあるのに掴めない、目隠しをされているような感覚が湧き上がる。目の前の青年と、銃。エール・シュミットと――。
「あ」
思わず声が出た。答えは極めて簡単だ。今まで気付かなかったことが驚きに値するほどに。
HAL用銃火器メーカー、H・S、ヘーゲル・シュミット社だ。偶然に過ぎないのだろうが、シュミット、という名が共通している。
「ひょっとして、兵長、H・Sに縁のある人ですか?」
冗談めかして新人は言う。「まさか、たまたまだよ」と言ってこちらの肩を叩くか、「その通り……よく分かったな」とおどけて見せるか。彼ならば、まずこのどちらかの反応が返ってくるだろう。
だが、彼の答えはまるで違った。
「関係ねえよ。俺は、あんな会社と何の繋がりも無い。H・Sなんざ、どうでもいい」
聞いたことも無いほど冷たい、触れれば切れそうな声でシュミットは言った。だから触るな、それ以上追求するなと、彼の茶色い瞳が語っている。まるでロック・オンされたかのような緊張感が新人の中を突き抜け、冷汗が背中を伝った。
「ああ、そういえばここに来た用事を忘れてたよ。大尉から伝言。作業終わったら報告に来いってさ」
そう言って笑い、立ち去って行く彼の姿は、既にいつもと同じ、エール・シュミットだった。
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