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#1 始まりをもたらすもの・1
 遠くから、母の声が聞こえる。
「何をしているの」
「何でここにいるの」
「あんたなんか引き裂いてやりたい」
「あんたのせい、全部あんたのせい」
「あんたなんか要らない」
「いなければよかったのに」
 ヒステリックな叫びを無視し、少年はテーブルに着いた。薄暗い間接照明に、煙のコロイドが光を反射する。卓は緑に張られ、その上ではプラスチックの円盤が、小気味良い音を立てて衝突を繰り返していた。
 波が来ている、と思った。幸運かもしれないし、不運かもしれない。だが、確実な波だ。少年には、ありありと感じ取れる。
 波を感じるには、全てを閉じることだ、と彼は思う。全ての感覚を断ち、意識を半ば乖離させた状態のまま、流れ込んでくる情報を汲み上げるのだ。すると、そこに何かが見えてくる。光か闇か、過去か未来か。全ての過去を知れば、全ての未来が見えると言った人間が、どこかの世界にいた。その感覚に似ているのだろうと、彼は思う。
「8のナチュラルで、プレイヤーの勝ち」
 少年は呟く。プレイヤー・サイドがスペードの3と、ダイヤの5。バンカー・サイドが1と3の四点。結果は、その通りに動く。二・〇倍の配当が、少年の下に還る。途端に、場がざわめく。
「あいつだ」
「奴が」
「あれが」
「まるで予知」
「newman」
「誰だ」
「何者だ」
「newman」
 誰もが彼を知っている。だが誰も、彼を知らない。
「巨万の富」
「王者」
「newman」
「化け物」
「暇人」
「いつもいる。いつも賭けている」
「負けない」
「newmanは負けない」
 ざわめきの中、少年は呟く。
「バンカーが三枚目で8。勝つ」
 1と2を引いたプレイヤーに、流されたカードはハートの4。計七点。そして五点のバンカーが引いたのは、スペードの3。結果は、少年の言った通りに動く。
 時折、自分が世界を動かしているかのような錯覚に陥る。当たっているのは結果だけで、仮定には無限の分岐があるのだということを、時には忘れる。しかし、錯覚でも心地よい。知り尽くすことは即ち、支配欲を満たす。
 波が来た、と彼は思う。そして、タイへ手持ちの全額を振る。ざわめきが、ディーラーの挙動が、目に映る全てが、一つの結果を雄弁に語っている。
「タイ」
「九倍」
「俺も乗るか」
「newmanは負けない」
「乗らない」
「鬱陶しい」
「早く消えろ」
「newmanを潰す」
 途端、掛け金が跳ね上がる。少年の行動は、多くの人間を動かす。
 従えばいいのに、と少年は思う。何も知らないなら、従えば、幸福になれるのに。
 カードは九対九、引き分け。巨額の配当が、デジタル表示のカウンターを回す。ブラック・アウト。扉越しに、叫びが聞こえる。
 少年は、ネットワーク・カジノのウィンドウを閉じた。
 真っ暗な部屋の中、パソコンのディスプレイだけが煌々と光を垂れ流している。彼は、その画面をじっと、じっと見詰めている。部屋の中には彼一人しかいない。窓にはカーテンが引かれ、外の様子さえ分からない。
 画面に映るのは二足歩行のロボット兵器。見ているのは、報道番組だ。八メートルはあろうかという巨体から放たれる弾丸が街を、人を蹂躙する。少年の二つの眼は、液晶画面の、決して越えられぬ障壁の反対側から、その場所へと向けられている。
 並木を潰し、瓦礫を乗り越えて戦車が突き進み、破壊を続ける巨人に砲の照準を定め、撃つ。当たらない。
 巨躯に見合わぬ鮮やかなサイド・ステップで建物の影に逃れてはあちらこちらから手持ちのマシンガンで反撃、確実に戦車の数を減らしていく。
 最後の一台は、ロボットの持つ斧に貫かれて沈黙。
 やがて形の違うロボットが現れ、ロボット同士が戦い、争い、殺し合う。
 最後に残ったのは後から現れた細身のロボットと、燃え盛り、廃墟と化した街だった。
 そこで映像は途絶える。凄惨な戦場の映像からスタジオのニュース・キャスターへと変わった画面から眼を離さぬまま、少年は考える。
 自分は今ロボットに踏みつぶされた書店を知っている。すでに黒こげになった喫茶店を知っている。帝国の軍隊が居座っていた学校を知っている。隣町にある、彼自身が通っていた学校だ。
 通っているのではない。通っていた。そこに思い出と呼ばれるものを、彼は残してきていない。だが、彼は考える。
 どうして、こんなことに?
 政治家はよく解らないことをまくし立てている。飛び交う弾丸は今日も人類の数を減らしていく。今こうしている間にも、戦火は一歩一歩着実に近づいてくる。
 彼は呟く。
「世の中狂ってるんだ。人も社会も国も、みんなマリオネットみたいだ。解らない、解れない。そんな世の中知ったことじゃない。だから僕はこの扉を閉ざしたんだ。僕は間違っていない。僕のせいじゃない」
 部屋は暗闇に閉ざされている。彼が学校へ通うのを、外の世界に触れることを止めた日からずっとこの部屋は暗闇で、扉は閉じたままだった。
「だって僕の両親だって何も言ってこなくなったじゃないか。僕は間違っていないんだ。仕方ないんだ。僕はここに……」
 始まりをもたらす、呼び鈴が鳴った。

 届いたのは『赤紙』だった。自分が徴兵された証、さながら戦場へのプラチナチケットといったところだろうか。
 徴兵制度の施行は既に一般に周知されていた。国家を守るため、侵略を許さぬため、共和国の自由と独立のため。政治家の主張は、繰り返し少年の耳を通り過ぎていた。
 少年は一人、耳を傾ける者もいない空間へ向け呟く。
「やっぱり狂ってる。戦う?僕が? そんなの真っ平御免だ。死にに行けっていうのか? こんな、僕をこの部屋に閉じ込め、両親から心を奪い、殺し合うしか能がない世間のために殉じろっての?
 でもさ、分かってはいるんだ。何を言っても逃れられるものでは無いことはね。国家権力ってやつ? イカれてるとしか思えない。
 父さんと母さん、なんて言うだろう。一人息子が戦地に赴くんだ。さすがに生きて帰ってこい、くらいは言ってくれるだろうか? でも、あの両親だ。死んでくれば? とかいうに違いない。そうさ、そうに決まってる」
 少年の親は、徹底して無関心だった。故に、愛の反対は無関心であることを、彼は既に学んでいた。
 だが、少年は両親を憎んでいた。無関心にはなれなかった。
「僕、徴兵された」少年は言った。
「ふぅん、そうか」父親は応えた。
「西部戦線だって」
「早めに届いて良かった。お前みたいな馬鹿は死ななきゃ治らないからな」父親が言った。
「もう会えないかも」
「徴兵制度様々だ」父親の言葉に、母親が笑い声を上げる。
「さようなら、坊や! もう会わなくていいのね!」
「そうだよ、母さん」
「まるで夢のようだわ! ああ、坊や、可愛い私の坊や、早くいなくなって! いなくなれ、いなくなれ、いなくなれ!」
 それが、少年が両親と数ヶ月振りに交わした、相槌以上の会話の全てだった。名前さえ、呼ばれない。
 訓練所へ向かう日の朝は、あっという間に訪れた。両親の態度は相変わらず、少年にとって余りにも他人だった。テレビの向こうで起こっている戦争を安全な所で見る人間のように、両親は平然としていた。
 少年は考える。
 彼らは自分の血を分けた息子が死んでも悲しまないのだろうか。たとえ何処かの戦場で野垂れ死のうが構わないのだろうか。
 構わないのだ。
 ここにある親子とは、書類・儀礼的意味でしかない。情もない。愛など、存在し得ない。少年はただここにいるというだけであって、家族ではない。
 家の玄関口に立ち、父親を前にし、少年は一人呟く。
「だったら、ここをあえて出るのも悪くないかもしれない。どうでもいいんだ、こんなところ。執着する理由なんて無いんだ。あなた達を憎む理由も無いんだ」
 父親が何か言いかけようとする。それを制し、少年は言った。
「もうあなたの言うことなんか、耳に入れる必要は無い。僕はあなた達を憎むことを止めた。僕は自由だ」
 静かに、自分自身に語りかけるように言い、少年は玄関の扉を閉めた。
 振り返り、少年は呟く。
「ごめんなさい」
 拳を握り締め、父親は呻く。
「お前に、謝りたかった」
 彼らの言葉も、眼に浮かぶ涙も、互いを隔てる閉ざされた扉の向こうには届かなかった。

 事務手続き、身体検査、思想検査……諸々のデスクワーク的作業の後、乗り心地など考えもしない軍隊の車両に分乗して、少年や他の新兵たちは山合いの訓練キャンプへと移送される。共和国北東部。比較的、安定な地域だ。南西部出身の彼には、少し温暖な気候が肌に合わない。鬱蒼と生い茂る木々の圧迫感が、神経を蝕んでいく。
 戦況は我らが共和国に劣勢。そんなことは誰もが多種メディアを通じて程度の違いはあれ知っている。だから目の前の教官ががなり立てる愛国演説が鬱陶しくて仕方なかった。掲げられる理想、描かれる夢。そのどれほどが、現実世界へ降りてこられるのだろう。
 頭の中で、必要な内容だけを素早く要約する。新兵は徴兵、志願の別を問わず歩兵として一ヶ月半、簡易な訓練を受け、絶対的に戦力の不足する前線へ早急に送り込まれる。つまり西部、帝国との国境付近。体の良い使い捨て戦力だ。
 圧されていることなど認めない。いい加減な訓練しか行えないのではなく、行わない。戦力の補充ではなく、拡充……。
 憂鬱を通り越して、滑稽な演説だと、その場にいる誰もが感じていた。
 斯くして訓練が始まる。滑稽でも、憂鬱でも。
 簡易なものとはいえ、それは少年にとっては苛烈を極めていた。月曜から土曜まで、起床は五時半。就寝は二十一時半。生活リズムは決して乱れない。全ては連帯行動、連帯責任。一人の乱れは、全体に影響を及ぼす。
 この環境は自分に向いている、と少年は思う。個というものが存在しないから、誰も互いを憎まない。ひたすらに一人であり、全体である。何か一つのミスをすれば、誰でも教官から容赦の無い罵声を受ける。過去など関係ない。
 走る。軍規を学ぶ。走る。共和国の歴史を学ぶ。走る。小銃の扱いを学ぶ。限界まで走る。走り続ける。泥に塗れ、汗を滴らせ、少年は一人になる。
 基礎教練を終えると、射撃訓練になる。冷静に、平静に、冷徹に、狙い射撃し当てる。それをひたすら反復する。少年の射撃は優秀だった。制服が乱れていた。初めて懲罰を受ける。
 訓練は続く。水泳、格闘訓練。二回り程も体躯の大きな相手にいとも簡単に倒される。腕立て伏せ、ランニング。六週間の訓練期間も、終わりが近い。
 朦朧とした意識を叩き起こしてその日も点呼を受ける。ペアを作るように言われる。明日から新兵同士でコンビを組んで行う訓練らしい。
 二人組を作れといわれて、嫌な記憶が頭をよぎる。学校ではいつも必ず、少年は一人、相手を見つけられず余っていた。例えクラスの人数が偶数でも。家族というコミュニティ内ですら孤立する彼が学校の中でも孤立するのは自明のことだった。少年は誰にも好かれない。誰にも憎まれない。いつも一人でいた。
 少年の好きな昔の歌にこんな一節がある。
『友情なんて必要ない。友情は苦痛を呼ぶ』
 彼はそれを座右の銘にしていた。ふと気付いた時に口ずさむフレーズ。遥か昔に奏でられたものでも、色褪せない。
「ねぇ」
 この歌を歌うのは親友同士の二人組、というのは実に皮肉だ。挙句、麗しき友情を歌った曲を発表した直後に解散してしまう。その理由は二人の仲違いなのだ。
「ねぇねぇ」
 ふと気付く。無駄な思考に気を取られ、指示を全く聴いていなかった。
「ねぇ! 聞いてんの!?」
「あ……ごめんなさい」
 耳元で大声を上げられ、反射で謝る。
 彼を盛大に怒鳴りつけたのは同い年か、少し年上位の少女だった。身にまとった階級章抜きの陸軍用迷彩服から察するに、同じ訓練中の新兵のようだった。
 ヘルメットを外すと後ろで束ねた、下ろせば肩に少しかかるくらいの黒髪が露になる。土埃と汗で薄汚れてしまっているのが勿体無いと、少年は素直に思った。
「二○六番、三宅新人……ニート?」
「間違っちゃいないけど、違う。ミヤケシントって読むんだ」
 少年にも名前がある。誰にも呼ばれず、使われず、本人さえも時に忘れかけていたが、三宅新人という名前がある。
 一人なら、名前は要らない。
「ふぅん…あたしは巳澄美琴、二○五番よ。よろしく」
 そう言うと、彼女は右手を差し出した。握手のつもりだろうか。
「どうして?」
「……話聞いてなかったの?」
「ごめんなさい」
 少年――新人は、また反射で謝っていた。
 二人一組での山間部の踏破訓練らしい。しかも歩兵のフル装備、足掛け三日間、ほぼ不眠不休で。訓練課程最後の関門だった。これを終えた者には等しく二等兵の階級章が授けられ、前線へと送られていく。
「勘弁してよ……」
 思わず新人の口から溜め息が漏れる。そしてそれを聞きつけた教官に、小一時間怒鳴られることとなる。二度目のミスだった。
「国、人をを守る兵士としての自覚うんぬんかんぬん長々とさ」
「同情するけど自業自得ね」
 腕組みして言う彼女、巳澄美琴の口調は憐れみでも嘲りでもない、不思議な調子だった。
「僕は徴兵なのにさ、なんか納得いかない。」
 そう新人が言うと、美琴は意外そうな顔をした。訊くと、彼女は志願兵なのだと言う。理由は答えてくれなかった。訊かなければ良かったかもしれない。
 それから罵倒するときの語彙はなぜか異常に増えることについて話して、その日は別れた。
 夜半、彼は思う。
 同年代の人間とまともに話したのはいつ以来か、思い出せなかった。ましてや女の子と。ひょっとしたら初等学校以来かも知れない。
 そこで思考を打ち切る。いいや、もう寝よう。踏破訓練は数時間後に迫っている。
 新人は固いベッドに全身を委ねる。上段の訓練兵の寝言は三秒で聞こえなくなった。

 翌朝だかその日の深夜だか分からないような時間に彼らは点呼を受け、物資、装備の支給を受ける。そして三々五々、それぞれが定められたルートへと散っていく。
 地図とコンパスを頼りに歩き出す。なぜ衛星位置情報システムを使わないのかとぼやくと、また怒鳴られたいのかと巳澄に窘められた。
 砂利道が獣道に、そして道無き道へと変わっていく。初めは周囲にちらほらと見えた他の組の人も、三六〇度見回しても気配すらない。広葉樹の森と腰ほどもある下草、名前も分からぬ羽虫が踊る。
 そうして何時間歩いただろう、体内時計が電池切れを起こす位経った時、急に目の前が開けた。数少ない小休止点だ。
「ほら、間違ってなかったでしょ?」
 得意げに言う彼女に反論するより休息したかった。もっとも、コンパスも地図も彼女が占有していたから反論の余地はないのだが。
 規定量の水を飲み終えた僕は、最後の一口を飲むのを躊躇っている彼女に訊ねる。
「そういえば、美琴はどこ出身なの?」
 ファーストネームで呼ぶことに躊躇いはない。彼女のことを知ったからでも、距離が近づいたからでもない。それが、二〇五号、二〇六号と呼ばれることへのささやかな抵抗だったのだ。
 だからこそ新人は、彼女のことが知りたかった。
「新仙台の、青葉区。あなたは?」
「ああ! 僕は若林区なんだ。川向こうだったんだね」
「もうあの並木道は、無くなっちゃったけどね」
 目抜き通りに沿って何処までも続く欅の並木道は、それを目当てに観光客が訪れる程有名で、美しい景観だった。一人になった少年とは、もう何の関係の無い場所。
「僕もあそこはよく通ったよ。破壊されるところ、テレビで見てた。君の実家は……」
「もう無い。両親も死んじゃった」
 吐き捨てるように言うと、美琴は最後の一口を飲み干し、立ち上がって歩き出す。新人はその後を慌てて追いかけた。
 再びループする風景が視界を支配した。その中を黙々と足を動かす。射撃や武器の取り扱いならともかく、こんなことに何の意味があるのかという余計な疑問も、もう捨てた。
 唐突に彼女が言った。
「奴らにどんな理由、大義があるのか知らないけど、私の帰る場所を壊した奴らは許せない。だから軍に志願して、自分も帝国と戦うことを決めたの。何かしないと、おかしくなってしまいそうだったから」
「何故?」新人は応えて言う。
 彼女はぽかんとした顔だった。彼は構わずに続ける。
「僕は徴兵で半強制的に連れてこられたけど、故郷へ帰りたいのか帰りたくないのか分からない。帰る場所を命を懸けて守りたいか分からない。ましてや残っているならばともかく、戻っては来ないのに、そこは君にとって、まだ帰る場所なの?」
 美琴は立ち止まる。合わせて新人も立ち止まる。
「君は一人になったんだ。故郷なんてもう、君とは何の関係も無い。違う? だったら、命を懸ける価値が何処にある?」
 その言葉が終わるより早く、美琴の拳が、新人の頬を打っていた。彼女には何か、自分と違うところがある。それが何なのか、彼には分からなかった。

 痛みは引いても、殴られた拳の感触が消えることはない。
 左頬に触れながら、またあの憂鬱で滑稽な演説を聞いている。あれ以来彼女とはロクに口を聞かないまま、訓練期間は終わりの時を迎えた。踏破訓練を終えた組は、泥と汗に塗れながらも、皆一様に晴れやかな顔をしていた。新人と美琴の組を除いては。
 形ばかりの卒業式を終えると、直ぐに各々の配属先が決まる。彼女とも、ここで別れる。
「第二三輸送中隊……ですか?」
「そうだ。君らの任務は常に命を懸けて戦う最前線に物資、人員を確実に送り届けることだ。中でも、二三中隊はH.A.L.の輸送任務が中心となる」
 新人の目の前では、割と細面の軍人が淡々と説明を続けていた。
「重要な任務であるがもちろん、敵に狙われる可能性も高い。H.A.L.はこれからの戦争の行く末を占う上で、欠かせない存在になるだろう」
 何故そのような重要な任務に、短縮版の訓練しか受けていない新兵が配属されるのか、という疑問が浮かぶ。
「共和国軍人としての誇りをもって、任務に邁進したまえ」
 一瞬で理解する。死んでも直ぐに代えが利くからだ、と。

 送り込まれた西部戦線は、激戦区という前評判に拍子抜けするほど静かだった。赤茶けた礫砂漠に点々と生える生気の無い潅木、強い日差し、乾いた風。卓状大地の作る影は、やけに濃く、黒い。
「ようこそ、我が第二三輸送中隊へ」
 部隊長だという男は新人と、同期の九人の新兵を前にやたら大仰なジェスチャーで歓迎の意を示した。まぁ寛げ、堅くなるなと彼は言うが、容赦なく砂の吹き込む使い古しの野戦用テントの中で寛げという方がおかしいと、新人は思う。
 彼の容貌は、いかにも叩き上げの軍人という風な厳つい顔に、手入れを怠っていそうな顎髭がしまりのない口の周りを囲っている、三〇を少し過ぎた位の年齢に見える。笑顔――楽しさという感情から生まれた物とは異質の笑顔を常に浮かべているが、そのくせ眼光だけは妙に鋭い。東部系の人種に見えた。たくしあげた袖から覗く筋肉質な左腕には、灼けた金属で抉られたような、一筋の傷跡があった。
 彼はカーバネル・A・ジェズイットと名乗った。階級は大尉。
 部隊員からはカーバ隊長だのジェズさんだの傷跡のジェズだの、エトセトラ、エトセトラ。数多くの仇名で呼ばれていた。それだけ親しまれている証拠だろうと、新人は思う。仇名で呼ばれたことなど、彼には無い。
 第二三輸送中隊での日々は至って平穏だった。
 あの新仙台青葉区での戦闘で、マスコミが見守る中、新たに投入された共和国の人型強襲陸上戦闘機(ヒューマノイド・アサルト・ランドファイター。略称H.A.L.)が敵方のロボット部隊に完腐なきまでの勝利を収めて以来、戦況は賭博師同士の腹の探り合いのような膠着状態に陥っていたのだ。新人が見ていた映像の、後から現れた細身のロボットこそが共和国の切り札だった。
 同期の九人とも自分の昔話を語り合う程に打ち解けた。彼が、彼で無くなったかのようだった。戦場の空気が、足音がそうさせるのかもしれない。変わったのは、訓練を潜り抜けた肉体だけではない。戦場では、一人ではいられない。
「僕にとって、何か一つのことを最後まで成し遂げた経験は初めてに等しいんだ。いつもいい加減で…中途半端だったから」
 彼は呟く。
「僕は、僕たちは、曲がりなりにも軍隊の訓練を最後までやり通したんだよ? 僕は変われた。そんな気がするんだ。良いことなのかどうかは、分からないけれど」
「その考えは間違ってないと思う」
「何か一つのことをやり通すって、簡単なようでとても大変なことだもの」
「世の中、それができねー奴らばっかだしな」
 生まれも育ちも様々な、徴兵されたという共通点だけを持つ皆の口々から出る同意の言葉が、新人には途方もなく嬉しかった。
 だが、一人だ。あくまでも一人だ。心のどこかで、そう言って諦めていた。
 隊長とも話す機会がしばしばあった。隊長の方が作ろうとしてくれていたのかもしれないと、ありがたさと鬱陶しさが混在する感情を、新人は抱いた。
 その内容は銃の扱い方のコツからロボットの操縦法……挙げ句の果てには兵法の基礎まで、実に多岐に渡る。コミュニケーション術なんてのもあった。だが、それは彼のようになるには必要なことなのだろうが、只の歩兵に必要なのかと思うと全てが余計で、お節介でしかなかった。
 僕は生き残れる。それだけで十分だ。いつしか、にやけ顔のジェズイットに捕まり長高説を聞かせられるたびに、彼はそう呟くようになっていた。生まれて初めての、反抗だった。

 日々は移ろい、ある一点へと達する。ある者はそれを宿命と言い、ある者は運命と呼ぶ。平穏な戦いなど存在し得ない。只一人の人間の眼には映しきれないだけであり、どこかで何かは動いている。
「救援要請?」
 素っ頓狂な声を出した新人に、ジェズイットが何時になく厳しい声色で答えた。それでも、彼は笑っている。
「ああ。前線へお宝を輸送中の部隊からだ」
「お宝……ですか?」
「HALだよ」
 あの、新仙台――新人が見詰めていた戦闘で証明された通り、二足歩行ロボット兵器の性能においては、共和国は帝国の一歩先を行っている。配備がいまだ遅々として進まない分、その優位を奪われる訳にはいかない。ましてや、ロールアウトしたての機体をみすみす渡してやる義理はない。司令部からも、周辺の各部隊に緊急通達が下ったらしい。
「現時点で最も近くにいるのが残念ながら我々だからねえ。行かない訳にはいかないんだよ、二等兵君」
 そう言って、カーバネル・ジェズイットはまた笑う。形容するなら、哄笑、或いは嘲笑。彼が貶めているのは、周囲であり、世界であり――そして、自分自身なのだろうかと、新人は漠然と思った。彼は顎鬚を弄り、腕の傷跡を指でなぞった。
 三〇分も経たないうちに、新人は小銃を肩に担いで兵員輸送トレーラーに揺られていた。カーボン樹脂製のヘルメットが、眉の上まで覆っている。酷く現実感が無い、と彼は思う。自分が死地に赴くのだという実感が、全く湧かない。
 ならば、これまでの生活に現実感があったのか、と自分に問い、無かった、と即座に答える。そもそも、現実とは何だ。客観なのか、主観なのか。主観だとしたら、現実だと感じなければ現実ではなくなる。逆に、現実だと感じれば現実になる。これまでの生活――部屋の中に閉じこもり、ネットワークの中へと自分を埋めていく感覚は、まさにそうだ。絶対主観で、世界が回る。
 僕は緊張しているのだろうか、と彼は声に出さずに呟く。分からない、とまた即座に答える。緊張とはどういう状態だったか、思い出そうとしても思い出せない。
 これが、現実感が無いということだ。現実感が無い、即ち、これまでと同じ。コンピュータの前だろうと、銃を握って赴く戦場だろうと、何も変わりはしない。出来の悪い小説のように、淡々と、高速で流れていく時間。何があるわけでもない、平均化された日常。主観が一定であれば、そこが暗い部屋の中であろうと、熱砂の戦場であろうと、変わらない。
 ならば、いつも通りにやればいいんだ。淡々とこなせば、日々は後ろへと流れていく。いつも通りに、何も考えずに、状況に自分を埋めていけば良い。やれる、と呟き、深呼吸。
 蹲る新人を、緊張で身動きが取れないと解釈したのか、隣に腰掛けていた先輩の兵士がそっと囁く。
「気張るなよ、新兵くん。どうせお前らに出来るのは逃げることだけだ。多分、敵の中には例のロボットもいる。専門の訓練を受けた兵士ならともかく、お前たちではどうにもならない」
「そんな、じゃあ……」
「適当にやって、逃げろ。安心しろ、背中は守ってやる。それが俺たちの仕事だからな。年下の人間を一人でも多く生き延びさせるのが年長者の役目だって、ジェスイット大尉が言ってたのさ」彼は笑う。
 名前を聞こうとして、止めた。彼のことを知ろうとしないことが、彼への礼儀だと、新人は本能で感じ取っていた。守るものと守られるものの距離は、限りなく遠いものだ。そこに信頼というものが存在しない限り。信頼は、距離を縮める。彼は新人を、遠ざけようとしている。
 やがて移動手段を自らの足に変え、彼らは戦場へとにじり寄ってゆく。眼前に広がるのは、見渡す限りの荒野――赤茶けた大地に色の薄い潅木、岩盤。そして、それと余りにもミスマッチな朽ち果てた都市群が、視界のあちらこちらに転がっている。
 国境に近いこの地域は、二〇〇〇年前に起こったと言われる、惑星規模の気候・地殻変動――俗に言う『大変動』の影響をもろに受けたのだ。露わになった岩肌が灼熱の太陽を浴び続ける脇で、文明の残滓を感じる建物が虚しく風化を受けている。このちぐはぐで、継ぎ接ぎだらけのパッチワークみたいな世界が、彼らの戦場だった。


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