第四話 捨てる神あれば拾う神あり。
ソラの両親が屋敷にいた十日間に九人の使用人が“処罰”された。ソラが庇っていなかったら倍の人数が消えていただろう。
もちろん、物理的に。
元から勤めていた使用人の中で今も屋敷で働いているのは八人だけだ。
更に、領民への税も三割増えた。いくつかの村が離散したからというのが建前だが、徴収した税金はとある司教へ、出世祝い金という名の賄賂に使われる。
それらの事を自慢するように話す両親と同席するソラは痛む頭と増幅する殺意をおさえつつ、食卓を囲んでいた。
油に砂糖をまぶしたような味がする料理の数々が机に並べられている。見るだけで食欲が失せ、食べれば吐き気がこみ上げる。そんな食事だった。
「ソラ、食べないのか?」
豚親父が皿をソラに差し出す。ぶよぶよの手で皿を持ち上げ、上下させていた。
その皿をパイ投げの要領で豚親父の顔面へ投擲できればどれほど幸せか、と考えるソラの敵意に気づいた様子はない。
「あぁ、その……。気分が優れないので」
「なに? ソラはまた体調を崩したのか。食事のたびにそれだな」
豚親父が顎だか首だかわからない部分をこすりつつ、料理人に目をやった。
「コック、お前が出す料理のせいではないのか?」
剣呑なその視線にコックが身を震わせる。
そもそも、この油まみれの料理は豚親父の注文なのだが、記憶から綺麗に消えているらしい。
激しさを増した頭痛を我慢しながらソラは口を挟む。
「お父様、そのコックを処罰する前に一つ試してみてはいかがでしょう?」
コックは一縷の希望を託した視線でソラを見た。二歳児に向ける視線では決してない。
「ソラ、何を試すというの?」
顔面凸凹婆がソラに聞く。その母親面に苛つきを覚える彼の心中を知るものはいない。
──てめえ等はパチモンなんだよ、自覚しろ。
彼にとって、クラインセルト家当主夫妻は領民を苦しめる敵でしかなくなっていた。
「そのコックがもっとも苦手とする料理を作らせてみるのです。それを食べて美味しくなければ不合格でいいでしょう」
両親が口を開くより先に件の料理人を厨房へ追いやったソラに豚親父が不満そうな顔を向ける。
「ソラよ。わざわざ不味い物を出させる必要はなかろう。さっさと殺してしまえばよいのだ」
「お父様、何も食べるのが我々だとは言っておりません。そこのメイドに食べさせましょう。平民の舌でも不味いと感じるならばそれまで、美味しいと感じるならば我々の舌が肥えすぎているだけです。我々の舌が肥えているだけなのにコックを処罰しては懐が狭いと思われます」
「ふむ。一理あるな。平民の舌がどれほど貧しいか、試してみるのも一興か」
豚親父と顔面凸凹婆がニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。
二人の隙を見てソラは側付きメイドに目線で謝っておいた。
コックの料理が運ばれてきて、メイドが「美味しい」と感想を述べたことに大笑いした豚親父達はやはり平民の味覚はおかしい等と好き放題に言って食堂を後にした。
なし崩し的にコックへの処罰は見送られ、犠牲者を出さずに食事は終わった。
豚親父達は翌朝に王都へ出発する。
“病弱な跡継ぎ”ソラは領地でお留守番である。
テーブルを片付け始めた使用人達を横目にソラも席を立ち、自室へと向かう。
この十日間、様々なことがあった。
何人かの若いメイドが豚親父に襲われそうになったり、領主軍が村一つを奴隷化する計画を立てたり、顔面凸凹婆が『美人税』なる物を起案したり……。
ソラの心労が蓄積していく日々だった。
片端から阻止したお陰で使用人達から信頼され始めたのだけが救いだ。一部には不気味だと避けられているが……。
「ソラ様、素晴らしい助け船でした」
後ろを歩く側付きメイドのミナンがソラをほめる。
「君には悪いことしたね。あのコック、本当に苦手な料理をだすんだものなぁ」
得意料理を出せとは言わないが、もう少し器用に立ち回ってほしいものだとソラは苦笑する。
「えぇ、大変な味がしました。それはそうと、先日の頼まれ物が届きました」
「そうか。よくやった」
ミナンの報告にソラはニヤリと悪ぶった笑みを返した。二歳児が背伸びしているような微笑ましさがある。
「あんな草をどうなさるおつもりですか?」
ミナンの質問には部屋に入るまで無言を通す。
空気を読めるメイドは彼に付き合って無言のまま部屋に入り、扉を閉めた。
「さて、ミナンの質問に対する答えだけど……きっと信じられないと思う」
ミナンに向き直り、ソラは切り出した。
なにしろ、これから話すのは数百年先の知識を複合したものだ。
顕微鏡すら存在しないこの世界では確かめることができない知識もベースにしている。
怪訝な顔をするミナンを椅子に座らせ、彼は計画の説明に移った。
「──と、今の所はここまでが限界だ。あまり派手にやると豚……お父様が喜ぶだけだからな」
説明を終えたソラが締めくくると、ミナンは知恵熱を出した頭に手で風を送りながらため息を吐いた。
「正直、よく分かりませんでした」
ミナンが疲れた声で感想を述べる。
「そうだろうね。理解できる人がいたら王都でも引っ張りだこだよ」
ソラの立てた計画はこうだ。
木の板を加工して札を作り、それで宝くじを行って資金を集める。
集めた資金で食料を買い付けつつ、浮浪児を集めて海辺の廃村に住まわせる。ついでに集めておいた古着を着せて恩を売っておく。
海辺の廃村にて浮浪児達に漁を教える。既に漁師を確保してあるから問題なく行えるだろう。
ここまでの計画はこの世界の人々でも理解できる。宝くじのやり方は教える必要があったが、それだけだ。
宝くじの原型と言われる富くじは江戸時代にもあったから、さほど難しいシステムではない。
問題はこれらの次、塩性植物の品種改良と特産化だ。
中でも一年中凍った草こと、アイスプラントは葉に塩を蓄える性質を持つ草で、蓄えた塩のせいで葉が凍っているように見えるから名付けられたもの。
実はこの草、塩性植物の特徴である『塩害を受けにくい』から更に一歩進み、『海水を与えても育つ』ほど塩に強い植物で、日本でも研究されている。
これを使えば海上で農業が出来るのみならず、農場が海の真っ只中であるため徴税官に発見されにくい。
言ってしまえば、脱税である。
──バレたら後で払えばお咎め無しだよ。日本国首相だってやったじゃないか。
法倫理も法道徳も泣いて許しを請うのが権力であり、今のソラは悪徳領主の跡継ぎである。
「理解は出来ませんでしたが、悪巧みなのは分かります」
「慈善事業さ」
クスクスと忍び笑いながら、うそぶく二歳児。
「……俺は領民の生活を改善したい。そのためには秘密裏に事を運ぶ必要がある」
一瞬にしてまじめな顔を作り、ソラは真摯に訴えかける。
「お父様達は人々からむしり取るだけで何も与えない。このままでは俺が跡を継ぐより先に領地がなくなる。それは困るんだよ」
「……御子息様、何か勘違いをしてらっしゃいませんか?」
「なに?」
問い返したソラに対してミナンは口を歪めた。
そして彼女はゆっくりと椅子から腰を上げて、見惚れそうな美しい所作で一礼すると言い放った。
「大事な御子息様に仕える側付きが、領主様や奥方様の味方でないはずがありませんよ?」
「おい、まさか……っ!?」
ソラが事態に気づいたその刹那、ミナンは素早く身を翻した。
「待てっ!」
すぐに追いかけるが二歳児の走力で追いつけるはずもない。
メイドはみるみる彼を引き離し、廊下の向こうへ姿を消した。
「はぁはぁ……くそっ!」
廊下にへたり込みながら悪態つく。
──あのメイドめ、聞くだけ聞いて寝返りやがった!
彼女が計画のすべてを理解しているとは思えないが、宝くじのやり方を領主である豚親父に教えるだけで幾らかの報酬を期待できる。
ミナンは成功するかも分からない二歳児の計画に付き合うより確実な利益を選んだのだ。
計画が漏れた以上、仕切り直しだ。しかも、監視が付けられたならば動き難くなる。
弱みを握っていれば良かったとソラは後悔した。
「何か別の手を考えないと……。」
思考をフル回転させながら自室に引き返す。
「やはり、一人では限界がある。せめて街に降りられれば何とか出来るんだが」
猫の手も借りたい状況だ、手癖の悪い猫はごめん被るが。
自嘲しながら自室に入る。何故かそこに先客がいた。
先客である十五歳ほどの娘は夕陽を反射する明るい茶髪を弄っていたが、部屋に入ってきたソラに気づいて振り向いた。
「あ、御子息様。ミナン先輩からの言い付けで一年中凍った草を持って参りました」
彼女は右手に持ったアイスプラントを掲げ、ほがらかに笑いかけた。
「……捨てる神あれば拾う神あり、か」
ソラは呟いて、ため息と共に重い気持ちを吐き出した。
つい最近、領主の屋敷に娘を奉公に出し、アイスプラントが周辺に自生する漁村、ここまで情報があれば場所は特定できる。
「君の実家を村ごと潰されたくなければ俺の言うとおりにしろ」
弱みを握り裏切りを予防する。ソラとしても不本意だが手段を選ぶ余裕はなかった。
──詰みかけの盤面だが、逆転の芽はある。摘まれる前に、
「詰んでやる……!」