第二話 領内ってどうなってんの?
領主執務室から部屋に戻ると、青い顔をした側付きメイドのミナンがソラを探し回っていた。
中身はともかく、外見は未だ二歳児のソラが行方不明にでもなったら責任を問われて処刑されるのだから当然だ。
涙声で無事を確認するミナンに童話をせがんでお茶を濁しつつ、ソラは今後の身の振り方を考える。
おそらく、領民は領主であるクラインセルト家を恨んでいる。
このままだとクラインセルト家の跡継ぎであるソラもとばっちりを受けかねない。最悪、革命を起こされ殺される末路もありえる。
領民からの信頼回復が急務だと判断したソラは打つ手を模索する。
「二歳児に何ができるんだよ……。」
経営に口を出してもあの二人が聞くはずない。というか聞く奴がおかしい。
何らかの方法で領主軍を操り、その武力で両親を脅して陰から統治しようか。そんな危ない思考に染まりかけるが領主執務室で見た証拠を思い出す。
軍団長を含む幹部が積極的に領民の拉致を行っている証拠だ。
下手をしたら邪魔者の排除とばかり、後ろから刺される。
「……早くも詰んだか。手がないこともないけど」
ため息を吐いたソラの顔色をミナンがうかがう。
「ねぇ、メイドさんは領内の人たちがどんな生活をしてるか知ってる?」
ソラは内心と乖離したあどけない笑顔を向けて見せ、窓の外を指さして問う。
窓から見える街の中で石造りの建物は数件だけ、残りは粗末な土壁の家。遠くには屋根だけの住居すら見つけられる。
「……え?」
口を開けてポカンとした彼女はそれが無礼な行動だと気づいた様子で慌て始めた。
「あのですね。クラインセルト領内は領主様や奥様のおかげで素晴らしい発展ぶりを見せておりまして、王都にも匹敵するかという繁栄を享受して──」
「子供相手に難しい言葉を使って煙に巻く気だろうけど、そうはいかないよ?」
某ハンバーガー屋で鍛えた0円スマイルを浮かべて言葉を遮る。
石造りの家を建てる建築技術があるにも関わらず、屋根だけの家が当たり前に存在する風景はやはりおかしい。
「嘘にはいい加減飽きたんだ。俺は事実が知りたい」
ミナンが息を飲んだ。二歳児から般若心経を聞かされたような顔している。
「嘘ではありませんよ?」
「本当の事を言わないと泣き叫ぶよ?」
子供の涙腺は緩い。ソラは幼児の演技をしている内に嘘泣きの技術を身につけていた。
笑顔から一転して瞳を潤ませたソラにミナンは頬をひきつらせた。
「待ってください。言います。言いますから」
開いた手を突きだして制止するミナンにソラは内心で謝る。
結果的に脅す形になったが、跡継ぎの機嫌を損ねた罰として奴隷落ちされるとソラとしても寝覚めが悪い。
「やったあ。メイドのお姉ちゃんだいすきー」
散々子供らしくない言動をしたのでフォローしておく打算的なソラにミナンは引きつった笑みを浮かべながら平民の生活をぽつぽつと語り始めた。
「クラインセルト領には山が存在しません。海に面したこの土地はもともと潮風の影響を受けやすく作物がとても育ちにくい場所です」
ソラは執務室の数少ない資料にもあった記述と照らし合わせて不足分を補う。
クラインセルト領内は無数にある川へ海が満潮を迎えるたびに海水が流れ込むため土が塩気を帯びている。その辺りも作物が育たない理由だろう。
「それから、牧草地も確保できません。家畜も育ちが悪いので専門に育てている人は殆どいませんね。みんな海で採った魚や僅かな作物で飢えを凌いでいます」
農業を円滑に営むためには土地の塩を抜いて海水が川に流れ込むのを防ぐ必要がある。畜産も同様だ。
「道理で魚料理ばかり並ぶと思った」
「魚はお嫌いですか?」
訊ねたミナンに対して首を横に振る。
元が日本人であるためか、すべての海産物が新鮮な天然物というこの世界に不満が一切ないソラであった。
「漁に出るのはどんな船?」
「口で説明するのは難しいので絵を描いても構いませんか?」
「その方が分かりやすそうだしね」
「では、失礼します」
紙を取りに行くかと思いきや、ミナンは水差しから少量の水を机にこぼし、それで絵を描き始めた。
日の光を受けた水が輝き、机の上にきらめく船が描き出される。形はカヌーに近い。帆がないので近海での漁に使うのだろう。
「絵心あるね」
「光栄です。この船に五名ほどが乗ります。海へ出た後、釣り糸を垂らします」
「……網は?」
「網、とはなんですか?」
不思議そうな顔をするミナン。
まさか網が存在しないとは思えず、ソラはおおざっぱな形状と使い方を教える。
「なるほど、実家の納屋の奥にありましたね」
頬に手を当て考え込んだ後のミナンの一言から察するに彼女の実家は漁師らしい。
「何で使ってないの?」
網を使えば釣り糸を垂れるより効率的な漁が出来る。作物が育たない以上は食料の確保のためにも、捕れる魚が多いに越したことはない。
「祖父の若い頃までは使っていたらしいのですが、その……。」
ミナンは言葉を濁して視線をさまよわせる。
「本当のこと言わないと廊下に向かって『メイドのお姉ちゃん大っ嫌い!』って怒鳴るよ?」
「お待ちください! 言いますから」
ミナンは深呼吸を一度すると顔を寄せてくる。内緒話の体勢をとる彼女につられてソラも耳を寄せた。
「前領主様が『平民が立派な船を持つなどけしからん』とお怒りになりまして、船の大きさが制限されたので網が使えなくなりました」
前領主、つまりソラの祖父にあたる人の仕業らしい。
「……ちゃんと地獄に堕ちたかな」
「ソラ様?」
「何でもないよ」
つぶやきに問い返され、ソラは一瞬にして愛想笑いを浮かべる。その笑顔に騙されたミナンは聞き間違えたのだろうと判断した。
「それにしても、四から五人で乗る船でしょ? 網を載せるくらいできると思うけど」
「この辺りの海は数多くある小島の影響で潮の流れが早い上にとても複雑なのです。網を沈めるための錘もかなりの重量がないと流されてしまいます。船に載せられないのはそれが理由かと」
ミナンが眉を八の字にして困り顔をする。なんでも、熟練の漁師でも潮の流れが読めず、毎年のように行方不明者が出る魔の海域らしい。
「話をまとめると、食料確保が難しすぎるって事?」
ソラが締めるとミナンは頷いて肯定の意を表した。
「そんな状態でどうやって税を払うの?」
ソラは可愛いらしく小首を傾げて問いかけてみるが、内容とのギャップが激しすぎて効果が薄いようだ。
不気味なモノを見るようなミナンの視線が突き刺さっている。
「税、ですか……。」
「意味分かってんの? って続けたいんですね。分かります」
ソラの言葉を信じたわけでもないだろうが、船を描いたテーブルを拭きつつミナンは口を開いた。
「税は主に伐採した木で払っていました」
「いました?」
過去形に引っかかって問い返す。
領民の生活が困窮してるから持ち直すまで免除されてるのだろうか、とソラは予想する。
「現領主様が貨幣での支払いを義務付けておられています」
「なるほど。領内に食料がないから、貨幣で税を払わせ、その貨幣で余所から食料を輸入し、領民に配給するわけだ」
どうやら、この世界の父親は第一印象ほど屑じゃないらしいとソラは安心した。
豚とか言ってごめんなさい父上様、と心の中で律儀に謝罪する。
「いいえ、食料の配給などありませんよ。集められた税は領主様達が王都へ赴く際に持っていくそうです」
ミナンの言葉にソラは深いため息を吐き出した。
父親は正真正銘の屑であったらしい。集めた税金はおそらく王都での賄賂に使っているのだ。