妖精とワタシ
「あのね、アヤちゃんったらひどいの」
学校から帰ってくるなり、ランドセルも手提げかばんも置かず、花ちゃんはそういって唇を尖らせた。
大好きな、大好きな花ちゃん。
意地っ張りで、つらいことやいやなことがあっても我慢して泣かないで、とっても頑張り屋さんで、本当はだれよりも優しい女の子。
四年生になったばかりの花ちゃんは、本当に花が咲いたみたいに、この春にぐんと背も伸びて、顔だってお姉さんみたいになって、なんだかまぶしいぐらいだった。
でも、そういう表情は変わらないね。
怒ったような、泣きたいような、いろんなものを我慢している顔。
その表情が、急に暗くなった。
瞳を伏せるようにうつむいて、花ちゃんは消え入りそうな声を出した。
「ねえ、ハノカ。聞いてる?」
ハノカ。私の名前。
私は、もちろんとうなずく。
「アヤちゃんと、遊ぶ約束をしてたの。でも急に、やっぱりダメだって。あたし、楽しみにしてたのに」
知ってるよ。
日曜日に、アヤちゃんのパパさんの車に乗せてもらって、遠くの大きな公園に行く約束だったんだよね?
知ってるよ、花ちゃんが楽しみにしてたこと。
大きな目をきらきらさせて、話してくれたの、覚えてるよ。
「それにね、トモキくんもひどいの」
トモキくん。
その名前に、私は思わず笑ってしまった。
だってそれは、花ちゃんの大好きな男の子の名前。一生懸命手作りして、二月にバレンタインのチョコをあげたのだって知ってる。
お友達といっしょになって、「友チョコ」なんていって、ごまかしちゃったみたいだけど。
「ねえ、ハノカ、聞いてる?」
私は慌てて笑うのをやめた。そうだ、花ちゃん、真剣なんだから。
聞いてる、ちゃんと聞いてるよ。
「トモキくんね、この髪型、似合わないっていうの。パパもママも、似合うっていってくれたのに」
あらら。
それって、照れてるんだと思うな。
それぐらいの男の子ってね、恥ずかしくて、なかなか女の子を褒められないものだよ。
気にしなくていいよ。
「ねえ、ハノカ。変じゃないよね? 似合ってる?」
もちろん、似合ってるよ。
「似合う?」
似合ってるよ、かわいいよ。
とってもとっても、かわいいよ。
「ねえ」
花ちゃんの目に、涙がにじんだ。
どうしたの、花ちゃん。
めったに泣かない花ちゃん。いつだって我慢する花ちゃんなのに。
「ねえ、ハノカったら、ひどいんだよ」
その言葉に、ズキリとした。
「急に、いなくなちゃったの。この髪だって、いちばんにハノカに見せたかったのに、いなくなっちゃったの。かわいいねって、いってくれないの。ねえ、ハノカ……」
とうとう、花ちゃんは泣き出してしまった。
べたりと床に座り込んで、大きな声をあげて、まるで生まれた時みたいに泣いている。
どうしよう、どうしよう、花ちゃん。
私はここにいるよ。
ずっとそばにいるよ。
でもね、花ちゃん。花ちゃんはもう、大きくなってしまったから、お姉さんになってしまったから、私とお話しすることが出来なくなっちゃったの。
でも、それだけだよ。
いっしょにいるのは、変わらないよ。
「花、どうしたの?」
扉が開いた。
泣き声を聞きつけてやってきた芳江ちゃんが、心配そうに花ちゃんの肩を抱く。
「ママぁ」
「どうしたの、落ち着いて。だいじょうぶ、だいじょうぶよ」
芳江ちゃんが、花ちゃんの背中を優しく優しくさすっていると、花ちゃんはだんだん落ち着いてきた。
しゃくりあげながら、どうにかして言葉をつむぐ。
「ママ、ハノカがね、ハノカがね、いないの。もう、ずっと、いないの。花のこと、嫌いになっちゃったのかなあ」
芳江ちゃんが、こっちを見た。
そんなことあるはずがないのに、本当に目が合ってしまって、私の心臓が大きく跳ねる。
「妖精さんは、いつだって、花の隣にいるわ」
とっても優しい声。
ああ、変わらないね。こうやってママさんになっても、ちっともかわらないね。
強くて優しい、芳江ちゃん。
知ってる? 花ちゃんはね、あのころのあなたにそっくりよ。
「ね、花、だいじょうぶ。妖精さんは、ずっと花といっしょにいてくれるから。そんなに泣いてちゃ、妖精さん、心配しちゃうでしょう?」
花ちゃんは、ぴたりと泣き止んで、私を見た。
私がいる方向を、確かに見た。
「ほんとう?」
「本当よ。ママもね、いまの花ぐらいまでは、妖精さんとお話してたの。四年生になったころ、見えなくなってしまったけど。でもずっと、近くにいてくれたのよ」
「ほんとう?」
「本当。だから、妖精さんに笑われちゃわないように、しっかりしなくちゃね、花」
「……うん」
花ちゃんは、かすかに、微笑んだ。
その少しだけ寂しそうな笑顔が、あんまりいとしくて、なんだか切なくて、伝わるはずもなかったけれど、私は花ちゃんの頭を優しく撫でた。
本当よ、花ちゃん。
だから泣かないで。
私はいつだって、あなたを見守っているから。
「ママはどうして、ハノ……妖精さんがずっと近くにいてくれたって、わかったの?」
花ちゃんの問いかけに、芳江ちゃんは昔と変わらない笑顔を見せた。
「そうねえ。花、あなたが大きくなって、大好きなひとと結婚して、赤ちゃんを産んだら、わかるわ、きっと。──ね」
最後の「ね」は、どう考えても私に向けられていて、私は驚いて飛び上がる。
もしかして、芳江ちゃん──
知らずに、私は微笑んでいた。
大好きな大好きなあなたたちを、私はずっと、見守っているからね。
読んでいただき、ありがとうございました。
これは、nico先生がムーンチャイルド企画に投稿されたイラストに物語を加えさせていただいたものです。