第40話 愕然
店長とあの男が店から出てくるのを、マサトは建物の陰に隠れながらじっと待っていた。何故かは分からないが、そうしなければならないという思いが、マサトの中にあった。
二人を待っている間、マサトは店長とあの男との関係を考えていた。
カップル喫茶へと消えた二人。
カップル喫茶がどういうものかは、マサトは分からなかったが、歓楽街の中にある怪しげなネオンで彩られたその建物からして、恐らく風俗関係の店だろうという事は、マサトにもある程度予想はついていた。だが『カップル喫茶』と看板には書かれている。
『もしかして店長とあの男がカップル?』と一瞬彼らを疑ってみたが、それは違うなという事が、入店から一時間後に出てきた二人の姿を見て明らかになった。
店から出てきた店長と男の傍には、それぞれ若い女性が付き添っていたのだ。店の中で待ち合わせをしていたのかもしれない。
店長と腕を組んでいる女性は、大学生ぐらいだろうか。体の線が細く、真っ直ぐなサラサラとした髪の毛が、腰の辺りまで伸びていた。
男の隣にいる女性は、落着いた感じで、昼間に見かけたら、どこかの奥さん?というような、いたって普通の感じの女性だった。今、そう感じさせないのは、今にも下着が見えそうな程、短いスカートを穿き、少し濃い目のメークをしているからだろう。
四人は談笑しながら店の前を後にした。
それにしても、店長の隣にいた男はいったい誰なのだろう。店長の横にいる男に殴られた経験があるマサトは、遠ざかってゆく四人の後姿を見ながらそう思っていた。
四人の姿がネオンで妖しく輝く歓楽街の中へと消えて行くと、マサトは建物の陰からゆっくりと姿を現し、店の前へと歩みでた。いったいどういう店なのかを確かめてみたくなったのだ。
高鳴る胸の鼓動を抑えながら、マサトは店の前に立った。そして店の中へと続く扉をゆっくりと開いた。中は照明がひとつもないのかと思うほど、真っ暗だったが、暫くして目が慣れてくると、極々薄い照明が店内に施されている事に気がついた。
「いらっしゃいませ」
暗闇からいきなり男が現れた。白いカッターシャツに黒い蝶ネクタイをした男性だ。恐らくこの店の店員なのだろう。男は営業スマイルを浮かべながら、マサトに話しかけた。
「お客様、恐れ入ります。当店は単独でのご入店はご遠慮頂いております。申し訳ありません」男はそう言うと、軽く頭を下げた。
「えっと……女性が同伴だと、中には入れるんですか?」
「はい。女性の方を同伴して頂けますと、ご入店頂けます」
「そうですか、分かりました。どうもすみません」
「いえいえ。今度は是非、お連れ様とご一緒に……。お待ちしております」
「ええ。また次の機会に……ぁ、それと一つお聞きしたいのですが……」
「なんでしょうか?」
「あの……ここはどういったお店なんですか?」
「はい。ここは女性の方と一緒に入店して頂き、一緒に楽しんでいただくお店となっております」
「一緒に楽しむって……やっぱり少し……あの……」
「はい。お客様の想像していらっしゃる様な事でございます。ただ当店の特徴と致しまして、お互いの行為を他のお客様に見て頂いて楽しんで頂く事を目的と致しておりますので、そういったご趣味をご理解いただけないお客様は、ご遠慮頂いております」
「そうですか……分かりました。どうもありがとうございます」
マサトはそう言うと、その店を後にした。
店員から聞いた店の趣旨。店長にはそんな趣味が合ったのかと、マサトは意外に思っていた。普通のレンタルビデオ店よりも、アダルトコーナーが充実しているから、そういった方面が好きなのは分かってはいたが、改めて店長の性癖を知ると、なんだか知ってはいけない事を知ってしまったような気がして、店長に少し悪い気がした。
道すがら、マサトは何故自分がこんな、人のプライバシーを覗くような事をしているのだろうと、ふと思った。店長がどこへ行こうが、どんな事をしようが、それは店長の自由であって、自分が気に留める事ではないのではないか。なのに何故自分は店長をつけるような真似をしてしまったのだろう。そんな事をしても意味がないのではないか。そう思うと、マサトは自分のしていることが急に馬鹿らしくなってきた。店長の事など、どうでもいい事である。今は、エリコさんと話ができなくなってしまった事による心の傷を癒す方が先だ、と、マサトはそれ以上、店長の事を気にしないように決心した。
最近、マサトはバイトの作業に身が入らない。仕事をしながらでも、エリコの事が頭を離れないのだ。仕事でミスをし、店長に注意され、マサト自身も、こんなことで落ち込んでしまう自分を許す事ができなかった。そしてやはりここは、エリコの事を頭の中から消してしまうために風俗へと行き、あの時の女性に続きをしてもらう事で、エリコの事を諦めようと、マサトは再び、店長が連れて行ってくれた店へと行く事を決心した(先日は途中で店長と男を見かけ、店へは寄らなかったため、結局未遂で終わっている……)
仕事を終え、店長に挨拶を済ませようとカウンターの方へと向かうと、店長は先日と同じく、用事があるという事ですでに店を後にしていた。マサトの頭に先日の光景が浮かんでいた。恐らく店長は、今日もあの店へと足を運んでいるのだろうと、マサトは思っていたが、店へ行くのは店長の自由である。今は自分の事を考えよう、と、然程気にも留めることなく、マサトは店を出て歓楽街へと向かった。
今日こそは、エリコを忘れるために、この店で男になるのだと、自分に言い聞かせながら店へと続く階段を登ろうと思った。が、斜向かいにあるカップル喫茶の事が妙に気になり、そちらの方へと視線を送った。と同時に、周りの時間が止まったかのような、感覚に捕らわれた。
エリコが店の前に立っている。しかもあの男と一緒に。
周りの風景が止まって見えた。周りの雑音も耳には入らなかった。ただ、目の前にエリコの事しか目に入らなかった。
エリコが男に無理やり手を引かれ、店へと入ってゆく。あの男は、いったいエリコさんのなんなんだ、とマサトは思った。ゆっくりと店の扉が閉まり、エリコと男は店の中へと姿を消した……。
マサトは何も考えられなかった。いや、考えたくなかった。
エリコが入っていった店は、普通の店ではない事は分かっていた。
先日の店員の言葉が頭に蘇った。
『お互いの行為を他のお客様に見て頂いて楽しんで頂く事を目的と致しております』
そんな店にエリコは入っていったのだ。マサトは愕然とした。それに追い討ちを掛けるような事を、マサトは思い出していた。店長の事だ。店長もこの店の常連のようであるし、恐らく今日も店長はこの店の中にいる。もしも、エリコと店の中で鉢合わせをしたらどうなる。そんな事を考えると、マサトの胸はさらに締め付けられた。と同時に、どうしてもこの店の中に、自分も入って確かめなければならないという気持ちが沸き起こった。無理やり店の中へと男の手により引きづり込まれたエリコ。どう見ても嫌がっているように見えた。ここは自分の手でエリコさんを助け出さなければという思いが、マサトの中で大きくなり始めていた。しかし、一人では中に入れてはくれない。一刻を争う事態である。早く店の中へと入らないと、エリコさんが……。
マサトの中に焦りが見え始めていた。
時間がない。
しかし中には入れない。
どうしよう。
どうすればいい。
頭を抱えるマサトの目に飛び込んできたのは、以前店長に連れて行ってもらった風俗店の看板だった。それを見た瞬間、マサトの中にあるアイデアがひらめいた。マサトは、店の階段を駆け上り、ドアを勢いよく開いた。
戸惑う店員に向かい、マサトが叫んだ。
マサトは以前、自分の相手をしてくれた女性を指名したのだ。
店の奥へと通され、落ち着きのない様子で、女性が来るのを待っていた。
女性が来るまでの時間が、とても長く感じられた。
早くして来てくれ。
早く来てくれ。
マサトが心の中でそう何度も呟いていた時、マサトの座っているボックスに、あの女性が現れた。
「いらっしゃいませ。ナオミです。よろしくお願いします。あら、あなたは確か……」
ナオミはマサトの顔を見ると、ニッコリと笑みを浮かべた。
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