第24話 呼ぶ声
マサトは俯きながら歩いていた。何度か人にぶつかる場面もあり「すいません」と謝る言葉にも力がなく、ぶつかった相手に睨みつけられながら罵声を浴びた。
怒鳴られてもただ「すいません」と無気力に謝るマサト。そんなマサトを見て呆れたのか、怒鳴りつけた相手は捨て台詞を吐きながら、マサトを置いてそそくさと立ち去っていった。
せっかく勇気を出したのに彼女に話しかけることが出来なかった。チャンスというものは一度逃すと二度と手に入らないという事をマサトは痛感した。もうあんなチャンスは二度とないだろう。それを思うと余計に気持ちが沈んでいった。
そんな気持ちでモールの出入口の扉を押して外に出ようとした瞬間、後ろでマサトを呼ぶ声がした。マサトはゆっくりと後ろを振り返った。
「あれ? マサト君。買い物?」
にこやかな表情を浮かべ、マサトの後ろに立っていたのはバイト先の店長だった。
「店長……なんでこんな所にいるんですか? 今日は新しいシステムの入れ替えだって言ってたじゃないですか」
「ああ、あれね、向こうの手違いで午後からになったんだ。それまで何もしないのも勿体無いしね、必要なものもあったから買いに来たんだよ。マサト君も買い物?」
「あ、はい。この間給料をもらったのでちょっと春物の服を買いに」
「そうか。いいのはあったかい?」
「ええ、まあ」
「そうか。ところでマサト君にひとつお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「休みにしておいてこんな事頼むのも気が引けるんだけど、もしこれから予定がないのなら、午後からの作業、ちょっと手伝ってくれないかな。もちろんバイト代はいつもの倍だそう」
「えっマジですか? いいですよ。僕もこれといって用事はないですし、手伝います」
「そうか、それは良かったよ。作業時間が遅れてしまったから、正直人手が欲しかったところなんだよ。いやあ、偶然にしろマサト君にこんな所で出会えたなんてラッキーだったよ。ぁ、そうだ、お昼はもう食べた?」
「いえ、まだですけど」
「そうか、それはちょうど良かった。どうだい一緒に昼飯でも食わないか? ここのレストラン街に、美味しいとんかつを出す店があるんだ。もちろんご馳走させてもらうよ」
「え、いいんですか? バイト代を倍出してもらう上に、お昼までご馳走になってしまって……」
「いいよいいよ、さあ、早く済ませないと作業に間に合わなくなるから、急ごう」
マサトと店長はエレベーターのある場所へと移動した。
偶然とはいえ、店長に会えた事はマサトにとってとてもラッキーな事だった。この落ち込んだままの気持ちで家に帰れば、一日中暗い気持ちで過ごさなければならないところだったからだ。
気持ちが落ち込んでいる時は、何か別の事に熱中すると気が晴れることが多々ある。落ち込んでいる時に考えを巡らせると、ろくな事を考えないものである。逆に気持ちが高ぶっている時に考えを馳せると、割と良い考えばかりが思いつく。人間というものは考え方や気分次第で良くもなり悪くもなるものだと、マサトは店長におごってもらったヒレカツ定食をがっつきながらそう思っていた。
午後二時を過ぎた頃、店に業者がやって来た。業者の手違いという事で、営業担当者や工事担当者は店長にペコペコと頭を下げていた。店長は「まあまあ、お気になさらず作業を進めてください」と笑顔で答えていた。
システムを新しく入れ替える作業を午前中に、そして空調の工事を午後からと決めていたのだが、システムの入れ替えがずれ込んだ為、店の中では両方の工事が同時に進められていた。なので、棚を移動させたり、辺りを整理したりする作業が発生してしまい、店長一人ではとても対処できないところだった。なので、今の店長にとってマサトは荒れ果てた世紀末を救う為に闘っているケンシロウのような存在だった。
工事は順調に進み、システムの入れ替えも午後七時には問題なく終了した。空調の工事もそれから遅れて一時間後の午後八時に終了した。試運転で店の中に暖房を入れてみたら、店内が暖まるまでの時間が以前と比べて半分だったことに、マサトは感激した。
快適な店内で整理作業を進めるマサト。店長は夕飯の弁当を買いに出かけていた。
一人きりの店内。マサトがここのバイトを始めて初めての経験である。広い店内に一人きりだと思うと、何故かワクワクした気分になり、店内をゆっくりと歩き回った。
成人向けコーナーに一人でいると、このDVDが全て自分のモノのような気持ちになり、少し優越感を味わった。
ホラー映画が並べられている棚の前を通り過ぎると、後ろに誰かがいそうな気がして、そそくさとその場を立ち去った。
恋愛向けのタイトルが並んでいる棚で、作品をひとつ取り出す。パッケージに掲載されている男女がキスを交わす写真を見ると、思わずドキッとした。今日出会えた憧れのあの女性と自分がこうなる事を想像しながらパッケージを抱きしめていた時「マサト君、何やってんの?」と店長にいきなり声を掛けられ、思わずビクッとなった。
「あ、いや……パッケージが汚れていたので拭いていました……」
「そうかい。仕事熱心だね。さあ、休憩にしよう。今日は手伝ってくれたから唐揚げスペシャルだ!」
そう言うと店長は弁当の入った袋を掲げながらニコッと笑った。
店の床に座り、店長と向かい合いながら弁当を食べるマサト。他愛ない世間話を交わしている時、マサトはふと新しいスタッフの事を店長に尋ねてみた。
「新しく入った藤本さんは、もう仕事には慣れたんですか?」
「うん、最近は作業にも慣れてよくやってくれてるよ。それに彼女目当ての男性のお客さんも結構多くてね、あの時間帯での売り上げが少し伸びてるんだ。彼女を採用して良かったと思ってるよ」
「そうですか。それは良かったです。僕は藤本さんと同じ時間に入ることがないので、少し気になってたんですよね」
「そうだね、マサト君と藤本さんが顔を合わせる事はないものね。すごく美人な奥さんだよ。マサト君が見たら一目惚れしてしまうかもね。でも既婚者だから誰も手が届かないけどね」
店長はそう言いながらにこやかに笑っていた。店長の話を聞き、藤本さんというのがどんな人なのだろうか、憧れのあの人のような人ならいいのになと、マサトは微笑を浮かべながらそんな事を考えていたのだった。 |