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冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた 作者:門司柿家

惑う娘

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五十九.元々一人暮らしのアンジェリンの部屋に


 元々一人暮らしのアンジェリンの部屋に、五人で詰まって眠るのは容易ではない。ものが少ないとはいえ、部屋自体がそこまで大きくないのだ。
 今のところ大きなベッドにはベルグリフとアンジェリン、それにシャルロッテが眠り、ベルグリフが買って来た簡易の寝床ではビャクが、ソファにはカシムが寝ている。

 一週間ばかりはこの共同生活が続いているが、流石に手狭な感じがする。ベッドが大きいとはいえ三人で寝るのはやはり狭い。
 それにベルグリフとしても、シャルロッテはともかく、いつまでもこうやってアンジェリンと寝ているのは少し違和感があった。

 朝食の麦粥に削ったチーズを振りかけながら、ベルグリフが言った。

「トルネラの雪解けまではもう少しあるからな……いっそ短期間もう一部屋借りようか。お父さんはそっちに移って……」
「じゃあわたしも行く」
「わたしも行く!」
「オイラも」
「……なんだお前ら」

 はいはいと手を上げる三人を見てビャクが呆れたような声を出した。ベルグリフは苦笑した。

「皆揃って移動しちゃ意味がないじゃないか。分かれるなら男女でだろう」
「なんで! 親子が優先でしょ、お父さん!」
「そうよお父さま!」
「えっ、それじゃオイラだけ仲間外れなの?」
「カシムさんは大人なんだから我慢して……」
「そうよカシムおじさま!」
「寂しい事言うなよぉ……」

 カシムは悲しそうに体を揺らした。ベルグリフは呆れたように笑った。

「カシム……そもそも君は別に一緒に暮らす必要ないだろ?」
「ベルの薄情モン! 寂しいんだよ、わかれよ!」

 カシムはテーブルをぺしぺし叩いた。それから思いついたように口を開いた。

「じゃあ広い部屋一個借りて皆で移ろうよ。それならいいだろ?」
「ぐっどあいであ、カシムさん。どう、お父さん?」
「いや、それじゃあこの部屋はどうするんだい? 無駄になるじゃないか」
「別に借りたままでいい……お金の心配はなにもいらないよ、お父さん」
「そうだよベル。オイラとアンジェたちで一回依頼受ければおつりが来るぜ」

 Sランク冒険者はずるいなあ、とベルグリフは苦笑した。

 お金がほとんど必要ないトルネラと違って、オルフェンでは何をするにもお金がかかる。
 ベルグリフも家にある分はお金を持ち出しては来たが、それでも随分減った。前にアンジェリンがセレンを助けた礼だとサーシャが持って来た金貨も、良い折だと持って来ているが、あくまでアンジェリンのものだと思って手は付けていない。
 そうなると、新しい部屋を借りるにしても、娘やカシムの手助けが必要なのは確かだ。そうすると、二人の意見は尊重しなくてはならないだろう。

 何だか無駄遣いのようで気が引ける部分もあるけれど、まだ雪解けは遠い。いつまでもこの小さな部屋に詰まっているわけにもいかない。ベルグリフは嘆息して、頭を掻いた。

「じゃあ、そうするか……良い部屋があればいいが」
「ん! 楽しみ!」
「よーし、そうと決まればさっさと食っちまおう」

 そう言って、カシムは麦粥に匙を突っ込んだ。


  ○


 今日も灰色の雲がかぶさって、雪が降ってそこいらを白く染めている。行き交う人々も口から白い息を吐き出し、まるでそれが集まって雲にでもなっているかのようだ。
 オルフェンの石造りの建物が並ぶ風景は、見ているだけで何だか寒々しい感じがする、とベルグリフは思った。立てられたばかりの頃は色を塗られていたのであろう石壁が、もうすっかり色が剥がれていたりすると、不思議と寂しいように感ぜられた。

 もうこっちに来てひと月以上になる。二十数年前に歩き回った街並みは、改めて歩き回って見ると、記憶よりも古びているようだった。時間が経っているから当たり前なのだが、記憶というものが時間が経つにつれて美しくなっているようにも思われた。実際のもの以上に、記憶の中のものが綺麗に感ぜられるのだ。
 ほんの二年そこそこの生活が、二十五年経った今でも鮮明に思い出せる事にベルグリフは驚いた。あの日々は安穏とこそしていなかったが、確かに他にはない輝きがあったのだろう。

 こういう事を考える度に、歳を取ったなとベルグリフは苦笑した。カシムと再会してからはその感じがより強まったようにも思った。
 何せ、話をする度に昔の風景が喚起されて仕方がないのだ。トルネラで感じていた過去への思いはより輪郭をはっきりさせた。

 それでも、やっぱり今生きている時間を大事にしなくてはいけない、とベルグリフは思う。
 身も蓋もない言い方をすれば、自分の過去の清算など個人的な話だ。目的を同じくするカシムはともかく、あまり大勢の人を巻き込むのは本意ではなかった。

「……グラハムとミトは元気かな」

 あの口数の少ない二人が暖炉の前に座って、相変わらずのちぐはぐな会話を繰り広げているのを想像し、ベルグリフは思わず表情を緩めた。きちんと食事を取っているだろうかと思う。
 貯蔵した食物は傷んでいないだろうか、教えた糸紡ぎはちゃんとできているだろうか、豆の選別は進んでいるだろうか、などなど、考え始めれば色々な事が気にかかる。

 結局、オルフェンで暮らした時間よりも、トルネラで暮らした時間の方が遥かに長い。過去の清算は大事だが、今の自分にはトルネラも同じくらい大事なのだ。
 もう郷愁的になっている、とベルグリフは苦笑した。アンジェリンを笑えないようだ。

 建物の軒先で雪を避けて待っていると、アンジェリンが浮かない顔をして前の建物から出て来た。

「駄目……ここも空いてない」
「……なあ、やっぱり小さな部屋でいいから二部屋に分かれて」
「駄目。それは絶対駄目。家族は仲良く一つ屋根の下」

 アンジェリンはあくまで断々乎(だんだんこ)としてベルグリフの要求を突っぱねた。ベルグリフは嘆息した。
 朝食を終えてから家を出て、あちこちの不動産を回って見た。
 オルフェンでの生活は格差が激しい。一等地に暮らす貴族たちから最底辺の貧民街まで多様だ。だが住人の多くは中産階級に商人や職人、それに冒険者だった。そういった人向けの家は多い。
 だから手ごろな部屋くらい一つはあるだろうと高をくくっていたのだが、意外な事に未だに見つかっていない。どこに行ってもいい部屋が空いていないのである。

 カシムが頭の後ろで手を組みながら言った。

「中々見つからないもんだね。オルフェンは広いけど、人も多いからなあ」
「別に今日見つけなけりゃいけないわけじゃないが……」
「……わたしはあの部屋のままでもいいんだよ、お父さん?」

 アンジェリンはそんな事を言う。ベルグリフは呆れたように顎鬚を撫でた。トルネラの実家は大部屋一つだから止むを得ないところはあるが、オルフェンではそういうわけではない。

「アンジェ……お前も年頃の女の子なんだから、少しはプライベートが欲しいとか、そういうのがあるだろう?」
「ない。隠すようなやましい事は何にもないもん」

 即答である。ベルグリフはうまく言葉を見つけられずに肩を落とした。良い子なんだか何なんだかよく分からない。素直に自分を慕ってくれるのは悪い気はしないものの、もう十八にもなる娘がこれでは不安にもなるというものだ。
 一人で寝る練習はどうなったんだ、とベルグリフは嘆息した。カシムが面白そうな顔をしている。

「ベル、色々大変だなあ、君は」
「分かってるならもう少し俺の肩を持ってくれよ……」
「へへ、ベルとアンジェの間に割り込むような無粋な真似ができるかい」

 雪の粒が大きく、ふわふわとして来て、それが風で軒に舞い込んで服やマントにまとわりついた。
 カシムがシャルロッテとビャクの頭をぽんぽんと叩いた。

「ま、今日はもういいんじゃない? オイラ、こいつらを稽古してやらなきゃ」
「ああ、そうだったな……うん、まあ、部屋は追々見つけよう」

 ベルグリフはくたびれたように笑った。
 ここ数日は、カシムがビャクとシャルロッテの魔法の師になっている。ベルグリフとしては、ビャクはともかくシャルロッテはもう少し遊ばせてやりたいと思っていたのだが、シャルロッテ自身が魔法を身に着けたいと言ったのである。
 彼女は、身に宿す魔力の量こそ多かったが、魔法の扱いはあまり分かっていない。
 ソロモンの巫女として遊説していた最中は、与えられた指輪の力に頼っていた。魔力と最低限の詠唱さえできれば大丈夫だったのだ。それがなくなってから、魔法は使っていない。

 恐ろしく厳しいマリアに比べてカシムは穏やかである。だからこそ、シャルロッテも魔法を教えてもらいたいと思ったのだろう。
 カシムの方も面倒とも思っていないようで、むしろ乗り気になって二人に色々と教えてやっているらしい。

 露店で適当に昼食を済ませてから、カシムに二人を任せ、ベルグリフはアンジェリンと二人でギルドに向かった。
 往来を並んで歩いて行く途中、アンジェリンが嬉しそうにベルグリフの腕に抱き付いた。ベルグリフは小さく笑った。

「嬉しそうだね、アンジェ」
「うん! えへへ……こうやってお父さんとオルフェンを歩けるなんて夢みたい!」

 そう言って、アンジェリンは腕に抱き付く力をぎゅうと強めた。

 エストガルから帰って来てベルグリフと一緒の生活が始まってからというもの、アンジェリンは事あるごとに沸き上がる喜びを発露した。
 トルネラでベルグリフの日常の中に帰るのと違って、自分の日常の中にベルグリフがいるというのが嬉しくて仕方がないらしかった。
 依頼が入ってダンジョンに出かけるまでは、毎日ベルグリフを引っ張ってオルフェンの町中をあちこち歩き回って、良い店や気に入っている場所などを案内したものだ。

 ギルドの建物は人の数が落ち着いてはいたが、それでもざわざわしていた。
 冒険者ギルドが忙しいのは専ら朝から昼にかけてだ。
 基本的に、昼を過ぎてから持ち込まれた依頼は急ぎのものでない限りは翌日に回される。それが張り出されるのが朝なのだ。

 その為、朝はより割りの良い仕事を求めて争奪戦のようになり、せっかちな依頼主の方も少しでも安く、また腕のある冒険者に依頼を頼めるようにと大騒ぎになる。
 それが落ち着くのが昼頃で、それからは自分のペースで依頼を受けても生活に困らない高位ランク冒険者か、ベテランの中堅の姿が多くなる。午後には依頼の仕分けと、持ち込まれる素材の査定や依頼完了の手続きなどが主になって来る。

 受付に行ってみるとマルグリットがいた。道具袋から魔獣の爪や牙、骨などを出してカウンターの上に並べている。
 義足が石の床を叩く音で感づいたのか、マルグリットは振り向いてにんまりと笑った。

「よう、ベル。アンジェも」
「ああ、マリー。済んだのかい?」
「まあな。もうちょいでDランクだってさ。けど、どうにも歯応えがなくて物足りねえぜ」

 マルグリットはそう言っていたずら気に笑った。アンジェリンがくすくす笑う。

「じゃあ、また模擬戦でもする……?」
「お! いいぜ! 今日こそはコテンパンにしてやるよ!」
「ふふん、マリー如きに負けるもんか……」
「言ったな、こんにゃろ! その余裕を崩してやるぜ!」

 マルグリットは嬉しそうにアンジェリンの肩を小突いた。

 同い年で、また実力もほぼ互角という事もあってか、アンジェリンとマルグリットは一種の好敵手のような関係になっていた。
 しかし、今のところはアンジェリンに軍配が上がっている。
 剣の技量は概ね互角だが、やはり経験の差が出ているのかも知れない。
 それでも、何度か立ち合うほどに、マルグリットの動きも洗練されてきているように思われた。

 相手をからかうように悪態をつき合う二人を見て、ベルグリフは微笑んだ。こういった相手がいると成長には拍車がかかる。それにとても良い友人になるだろう。
 それにしたって、天才が二人というのはちょっと次元が違うな、とベルグリフは頭を掻いた。

 アンジェリンが振り向いた。

「マリーと喧嘩して来る……お父さんは?」
「お父さんはまた調べ物をしてるよ。終わったら戻っておいで」
「なんだよ、見に来ねえの? 今日はおれが勝つぜ?」
「はは、土産話を楽しみにしてるよ。頑張れよ、マリー」

 アンジェリンが頬を膨らました。

「わたしにも頑張れって言って……!」
「ああ、アンジェも頑張ってな。怪我だけはしないように」
「うん!」

 受付嬢が微笑ましそうに見ている。

 二人を見送って、ベルグリフは高位ランク専用の受付の方に行った。
 カウンターの向こうにエドガーが座って書類をぱらぱらめくっていた。ベルグリフが近づくと、顔を上げて笑った。片手で落ちかけたバンダナを戻す。

「やー、ベルさん。今日も調べ物かい?」
「ああ。毎度邪魔して済まないね、エドさん」
「何言ってるんだい、むしろ資料の整理にもなって助かってるよ」

 エドガーはカウンターの腰扉を上げてベルグリフを招き入れた。

「俺らも手すきの時に調べちゃいるんだが、中々良い情報がなくてなあ……」
「いやなに、これは俺の問題だからね。あまり気にしないでくれ」
「そうかい? でもまあ、あんたの力になりたいってのは嘘じゃないんだ。何かあったら気軽に言ってくれな?」
「ありがとう、助かるよ」

 ベルグリフは頭を下げた。
 ギルドの職員たちはアンジェリンに恩義を感じており、その父親であるベルグリフにも好意的に接してはくれたが、アンジェリンの流した“赤鬼”の話もあって、ベルグリフは少し近づきがたい存在でもあるらしい、どこか恐縮するような感じもあった。

 しかし、エドガーなどはそういう変な気の使い方をまったくしない。現役のAAAランク冒険者である彼もベルグリフの実力に興味を持ち、数回手合わせをした。かつてライオネルとのパーティでは主として中衛を担い、攻めと守りの駆け引きに長けたエドガーとの模擬戦は、ベルグリフにとっても大いに刺激になった。
 そんな風にしているうちにすっかり打ち解け、歳の近い友人として気さくに接してくれる。ベルグリフにはそれがありがたかった。何だかグラハムの気持ちが分かるようだな、と思う。

「そういえば、今日はユーリさんは?」
「ああ、今日はお休みさね。たまには休ませてやらんと」
「そうか……来るたびにいるから、いつ休んでるのか不思議だったよ」
「ははは、そうだなあ。座ってるだけに見えて意外に疲れるもんな、こういう仕事は。ベルさんは毎日よくやるねえ」
「まあ、俺のは仕事じゃないからね……それじゃ」

 ベルグリフが歩きかけると、エドガーが思い出したように口を開いた。

「そういやベルさんは近々夜に時間作れるかい?」
「夜?」
「そう。いやね、リオの奴が随分くたびれてるから、ちょっと労いに飲み会でも開いてやろうと思ってさ。けどあいつと差しで飲んでも詰まらないし、よかったらベルさんもどうだい。カシムさんも」
「ふむ……でもいいのかい? 俺なんか誘ってもらって」
「そりゃ、友達を呼ぶのは当然だろ? 変に遠慮しなさんなって」
「はは、そうか。じゃあ、ありがたく呼ばれようかな。アンジェたちも誘ってもいいかな?」
「おう、是非是非。うまい東方料理の店があるんだよ」

 その時、依頼を終えたらしい冒険者がカウンターの向こうに突っ立った。エドガーが立ち上がって応対する。横目でベルグリフを見て会釈した。
 ベルグリフは肩をすくめて奥の資料スペースに入った。

 高位ランクの依頼だから、資料の数も下位ランクのものほどではないとはいえ、それでも一人で調べるには多すぎる量だ。過去の資料などは整理されていないものも多い。ベルグリフがそれを調べるついでに綺麗に並べ直して整理しているから、ギルド側も助かっているらしかった。

 続きから目を通し、パーシヴァルが関わっていそうな依頼を探す。近しいものを見つけると詳細を確認し、足取りを辿ろうと試みる。しかし今のところ有力な情報はない。

 やはり東に行ってそのままなのだろうか。
 正直なところ、無駄な事をしているという気持ちもぬぐえない。
 それでも、オルフェンにいる以上何かしていなくては落ち着かなかった。それがパーシヴァルやサティの為になるような気もしていた。それが自分に対する言い訳だと心の何処かで思ってはいても。

 何だか今度はカシムの気持ちが分かるようだ、とベルグリフは苦笑し、書類をまとめて別のものを手に取った。

「あのう……」

 声がして、ベルグリフは驚いてそちらを見た。若い受付嬢がもじもじして立っていた。手に持ったお盆に花茶のカップがある。

「その……お疲れ様です! お茶、淹れたんで……」
「ああ、すみません。どうもありがとう」

 ベルグリフは笑って会釈した。若い受付嬢は頬を染めて花茶を置くと、ぱたぱたと足早に去って行った。
 資料スペースと表を隔てる衝立の向こうから、女の子たちのきゃあきゃあ言う声が聞こえた。

「どう? どうだったの?」
「緊張した……でもやっぱり素敵だわあ……」
「若い男にはない魅力だよね。アンジェリンさんが夢中になるのも分かるなあ」
「今度はわたしがお茶持ってくからね!」

 エドガーの呆れたような声がした。

「……俺にお茶はないわけ?」
「あ、エドガーさん、すみません。すぐ持って来ます」
「君たちさあ……まあいいけど」

 女の子たちの声は遠ざかって行った。

「……なんだかなあ」

 変にむず痒いのを誤魔化すように、ベルグリフは花茶をすすった。


  ○


 マルグリットが大きく息をついた。壁際の長椅子にアンジェリンと並んで腰かけている。

「くそー、引き分けかよ……もうちょっと頑張れよなー」

 手に持った木剣を見ながら、マルグリットは言った。刀身の部分が砕けている。
 アンジェリンも同じようになった木剣を持っていた。状態を確かめるように右手に左手に持ち変えて、ふむふむと頷いた。

「込めた魔力に耐えられなかった……」
「そういう事だな。ちぇっ、詰まんねえ。次はモノホン使うか?」
「んー……怪我だけはしないようにってお父さんが言ってたし……」
「へえ、それは真剣じゃ危ないってわけだな?」

 からかうように言うマルグリットに、アンジェリンはむうと口を尖らした。

「冗談……木剣だろうと真剣だろうと、まだまだマリーには負けない。けど、わたしと引き分けってだけでも大したもんだぞ……」
「はっ、偉そうな事言いやがって。すぐにお前の方がおれを追いかける側になるぜ」

 マルグリットはけらけら笑った。アンジェリンはふんと鼻を鳴らしてマルグリットを小突いた。

 教練場に来て、練習用の木剣を借りて、早速立ち合った二人だったが、始まって数分も経たないうちに木剣が砕けてしまった。それほど打ち合ったわけではないから、アンジェリンが言うように、込められた魔力に木剣の方が耐えられなかったのだろう。
 結局、ある水準以上の実力を持つ者には相応の武器が必要になって来るらしい。

 けれど、ベルグリフとの立ち合いで木剣が壊れた事は一度もないな、とアンジェリンは思った。
 お父さんはめっちゃ強いのに、どういう事だろうと考える。しかしイマイチよく分からない。
 マルグリットが不思議そうにアンジェリンの顔を覗き込む。

「何難しい顔してんだよ」
「お父さんと手合わせした時は、こんな風に剣が壊れたりしなかった……」
「そりゃそうだろ。ベルは剣はそこまでじゃねえし」
「馬鹿言うな。お父さんはわたしより強いんだぞ」
「お前が手ェ抜いてるだけじゃねえの?」

 アンジェリンは馬鹿にしたようにマルグリットを見た。

「お父さんの実力が分からないとは、所詮マリーはマリー……」
「んだと、こんにゃろ。剣なら、おれはベルには一度も負けたことねーぞ」

 実際、トルネラにいた時もマルグリットはベルグリフと何度も手合わせした。最初の数合は切迫した戦いになるが、最終的にはいつもマルグリットが勝利した。
 そういう事があるから、マルグリットからのベルグリフの評価は、弱くはないが自分ほどではないというものだ。
 尤も、それは剣術に限った話で、冒険者としての技量はマルグリットも尊敬しているのだが。

 アンジェリンは木剣の柄を宙に放って、また受け止めた。

「手加減されてるだけ……」
「んなわけあるか。あーあ、やめやめ! お前とこの話題で話してもキリがねえ!」

 マルグリットがやれやれと頭を振る。

「アンジェ、お前さあ。ベルの事になると途端にポンコツだよな」
「ポンコツとはなんだ……実際お父さんは強い。マリーだって一緒に戦ったんでしょ? それなら分かる筈だぞ」
「ん……まあ、それはそうだ」

 マルグリットは頷いた。剣では負ける気はしないが、冒険者としての総合力はベルグリフの方が遥かに高いとは思っている。剣だけの模擬戦という形でなく、地形や小道具を利用するなど手段を選ばなければベルグリフの方が強いかも知れない。マルグリットにもそれは分かっていた。

「けどベルの奴、トルネラに籠ってた癖に、なんであんなに実力あるんだろうな」
「そこがお父さんの凄い所なのだ……きっと精神力」
「……かもな」

 瞑想の修行、およびそこからの魔力の扱いの鍛錬に関しては、マルグリットはベルグリフに遥かに先を行かれていると感じていた。
 マルグリットは折れた木剣の柄を指先でくるくる回した。

「魔力ってエルフの古い言葉じゃ『気』って呼んでるんだけどさ」
「……どういう意味?」
「んー……大叔父上が言うには、ひとつの力の指向性? 方向性? とか何とか」
「……よく分かんない」
「えーと、あれだよ。こう、おれたちが何かに意識を向けると、そっちに知らず知らずに力が籠るだろ? そういう意識に沿って『気』は流れるんだとさ。それをもっと意識的に扱えるようになれば、結果的に剣の腕も上がる」
「ふむ……確かに。わたしたちは魔法使いじゃないのに剣に魔力は込められるもんね」
「そういう事だな。その流れをより意識的にするための最初の鍛錬が瞑想。それで魔力の流れを掴んだら、それを意識して剣を振る。けど、おれはなまじ感覚でできてた分、意識的にやるの苦手でさ……でもベルは得意なんだよな。大叔父上が言うには、やっぱり精神力が大事らしいぜ」
「ふふん……流石はお父さん」

 アンジェリンは自分の事のように自慢げに胸を張った。

 実際、ベルグリフの剣の上達はそれに起因する部分が大きかった。彼の元々持つ魔力の総量は人並みで、取り立てて優秀な所はない。しかし、その多くない魔力を上手く、効率的に扱う技術に長けていた。
 より少ない動きで、より効率的に。
 皮肉な事に、足を失った事がそれをより強く意識させた。
 両足のある冒険者と同じようには動けない。彼はより神経を研ぎ澄まし、足運びや剣先の動きなどに常に気を配った。要するに、知らず知らずのうちに魔力を上手く扱う鍛錬と同じような事をしていたのである。

 それがグラハムの教示によって明確に現れると、目指すべき方向が明瞭になり、彼は一つ壁を超えた。愚直に二十年以上鍛錬を欠かさなかった事が目に見えて現れて来たのである。
 尤も、ベルグリフ自身はそういった分析はしていないのだが。

 アンジェリンはひょいと立ち上がった。

「もう一回戦する?」
「いいぜ。真剣使うか?」
「ん……鞘付きで」
「よっしゃ!」

 マルグリットは嬉しそうに腰の剣を鞘ごと手に取り、くるくると回した。
 二回戦目は激烈な戦いになったが、やはりアンジェリンの勝利に終わった。
 マルグリットが勝つのはまだ少し先の話になりそうである。
+注意+
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