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冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた 作者:門司柿家

また帰れない娘

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五十一.ホットワインは甘く、懐かしい香りが


 ホットワインは甘く、懐かしい香りがした。前にアンジェリンがお土産に持って来たホットワインもうまかったが、こうやってオルフェンの酒場で味わうホットワインは思い出の味だ。
 実際はあの頃のものと味は違うかも知れないが、記憶を喚起される場所で飲むと、そんな事は些細な事のように思われた。

 ギルドを出たベルグリフは、案内されて酒場へと行った。アンジェリンが懇意にしているいつもの酒場だ。
 相変わらず色んな人が出入りしていて、自分が目立つ事もない。だから気が楽だ。エルフであるマルグリットには、誰もが驚いたように一度は目をとめるのだが。
 ベルグリフは何ともなしに周囲を見た。
 ざわざわとした喧騒はとても懐かしい。現役の頃は、こんな場所でいつも酒を飲んだ。現役時代の行きつけの店ではないけれど、冒険者の溜まり場など、どこも似たような雰囲気なのだ。

「ほら、これがアンジェの好物なんですよー」

 運ばれて来た鴨肉のローストをミリアムが勧めた。皮目が良い具合に香ばしく焼き上がって、目に見えて脂が乗っている。

「うまそうだね」
「えへへー、トルネラで食べた鳥の焼いたのも美味しかったですけどねー」
「シラギ鳥かい?」
「そうそう、それー」
「あの鳥も脂が凄かったですね」

 と言いかけて、アネッサはくすりと笑った。

「ミリィ、帽子に脂が付かないようにな? ニット帽が要るぞ?」
「ぶふっ! ふっふふふふ! そうだね! ね、ベルさん!」

 ベルグリフは困ったように笑って頭を掻いた。

「あんまりいじめないでくれよ、知らなかったんだから……」

 シャルロッテが不思議そうな顔をして首を傾げた。

「帽子? 何かあったの?」
「いや……まあ、色々と」

 肉に夢中になっていたマルグリットが顔を上げた。

「なんだよ、気になるじゃねーか。教えろよ」
「ふふっ、今度教えてあげる! あ、ベルさん、冷める前にどうぞー」
「ん、ありがとう」

 身のしっかりした鴨の肉は噛む程に脂が染み出てうまかった。
 成る程、シラギ鳥が好きだったアンジェリンなら、確かにこれは気に入る筈だ、とベルグリフは思った。

 その時、店に入って来たガラの悪い数人連れの男が声をかけて来た。

「おい、見ろ! エルフがいるぜ!」
「すげえ、珍しいな! 初めて見た!」
「ようよう、楽しそうじゃねーの」
「なあ、エルフの嬢ちゃんよ、俺たちが奢ってやるから一緒に飲もうぜ」
「えっ? いいのか?」

 マルグリットは嬉しそうに顔をほころばせる。アネッサが呆れたように肩を掴んだ。

「マリー、こういう手合いの誘いは受けちゃ駄目だ」
「えっ、そうなのか? トルネラじゃ……」
「ここはトルネラとは違うんだよ、マリー。知らない人に付いて行っちゃ駄目だって言っただろう?」

 ベルグリフは苦笑した。そうして声をかけて来た男たちに話しかける。

「悪いけど、この子は世間知らずでね。今日のところは勘弁してくれないか?」

 男たちはげらげらと笑った。

「保護者付きか? おいおい、それにしてもよ、おっさん。義足の癖して剣なんか持ちやがって、どういうつもりだ? まともに振れんのか?」
「オッ、よく見りゃ上玉ばっかじゃねえか。なあ、お嬢ちゃんたち、俺たちの方が楽しませてやれるぜ? こっちに来いよ」
「オラ、邪魔だよ、おっさん。どっか行ってろ」
「まあまあ、落ち着いてくれ。店の中だ。揉め事は迷惑だよ」

 男たちをなだめるベルグリフの傍らで、ミリアムが薄笑いを浮かべて頭の後ろで手を組み、椅子をぎいぎいと鳴らした。

「あーあ、“赤鬼”に喧嘩売っちゃった。どうなっても知らないよー?」
「は……? “赤鬼”……?」

 男たちはぽかんと呆けた顔をして、ベルグリフを見た。そうして一人がギョッとしたように顔を引きつらせる。

「き、き、聞いた事あるぞ! たしか“黒髪の戦乙女”の父親で、剣の師匠って……」
「そういや義足で赤髪っていうと……ま、マジかよ! オルフェンにいたのか!?」
「い、いや、俺はそんな大層なものじゃ……」

 アネッサがいたずら気に笑った。

「喧嘩を売るなら相手を選ばないとな? 強いぞ、この人は」
「いや、アーネ、ちょっと」
「一度剣を抜いたら相手を皆殺しにするまで止まらないよー? 何秒もつかにゃー?」
「な、何を言ってるんだい、ミリィ……?」
「お、おい! こいつらもよく見りゃ“黒髪の戦乙女”の仲間じゃねえか!」
「や、やべえ! 本物だ! 本物の“赤鬼”だーッ!」
「失礼しましたーッ!」
「ちょ、待ってくれ、俺はそういうのじゃ……」

 ベルグリフが呼び止めるのも聞かず、男たちは泡を食って逃げて行った。
 騒ぎを横目で見ていた客たちが、互いに顔を見やってひそひそと話をしている。

「あれが“赤鬼”……」
「“黒髪の戦乙女”より強いんだってよ……」
「今日もギルドマスターに土下座させてたらしい……」
「しかもギルドマスターのやつ、泣かされたらしいぞ……」
「何をされたのやら……親子揃ってただ者じゃねえな」

 ベルグリフは体を縮込めた。何だか既に今日の事が歪曲して広まっているらしい。

「……こういう目立ち方は……困るよ。しかもある事ない事言って……」
「えへへ、すみません。でもスッキリしたー」
「喧嘩にならなかったんだから、いいじゃないですか。それに実際ベルさん強いんだから」
「そんな事ないよ……参ったな……」

 先が思いやられるなあ、とベルグリフは嘆息した。
 マルグリットが感心したようにベルグリフを見た。

「ベル、お前有名人だったんだな!」
「違うよ……」

 回りからの視線が強くなったような気がするが、今更気にしても仕様がない。気を取り直して食事に戻る。

 かつての仲間たちの足取りは今のところ分からない。元々、そう簡単に会えるとも思っていなかったが、出鼻をくじかれたようで少し残念である。
 しかし、それぞれに活躍したらしい事は確かだ。
 彼らがバラバラになってしまった事が気にかかったが、その理由は知る由もない。想像するばかりだが、前向きな理由ではなさそうだ、とベルグリフは思った。自分がその一端を担っているのだとすれば、やはり彼らを探して話をしたい。

 ライオネルはギルドの総力を上げて情報を集めると言った。
 ベルグリフは恐縮して辞退を申し出たが、ライオネルは彼には珍しく一歩も譲らなかった。結局ベルグリフが折れて、協力を受け入れた。ギルドの業務の妨げにならない程度に、という条件付きだが。

「ベルさんの現役の頃は、この店はあったんですか?」

 アネッサに言われて、ベルグリフは腕を組んで少し考えた。
 あった店がなくなっていたり、なかった場所に新しい店ができていたり、ベルグリフがいた頃に比べて都は随分様変わりしているらしかった。現役時代によく行っていた酒場もなくなっていた。
 かつては道具を買い揃えるために町中を歩き回っていたから、道などは覚えているつもりだったが、あの頃の記憶もあまり役に立たなくなっているらしい。
 ベルグリフは苦笑した。

「……どうだったかな。もう二十五年は前の話だから、記憶も少し曖昧でね。街並みも少し変わっているものだから」
「二十五年前なら、ある」

 後ろから声がしたから、びっくりして振り向いた。酒場のマスターが立っていた。

「尤も、あたしの親父がやってたけどね」

 マスターはそう言って、蕪の酢漬けと茹でた腸詰の皿をテーブルに置いた。そうしてベルグリフをじろじろ見る。

「……あんたがあの黒髪の娘っ子の親父さんかね」
「ああ。娘が懇意にさせてもらってるみたいで……」

 マスターは嘆息した。

「……嫁探しは娘に任せないで自分でした方がいいと思うけどね」
「はっ……?」
「ま、あたしのとやかく言う事じゃないけどね……」

 ぽかんと口を開けるベルグリフを置いて、マスターはカウンターの向こうに行ってしまった。ベルグリフは呆気に取られて呟いた。

「……そんなにあちこちに広まっているのか?」
「マ、マスターまで知ってるって……なんで?」
「アンジェの奴、何考えてたんだろう……相談でもしたのかな?」

 ミリアムとアネッサも不思議そうな顔をしている。マルグリットはにやにやと笑った。

「アンジェって面白そうな奴だな。会うのが楽しみになって来たぜ」

 ベルグリフは嘆息した。

「説明しなきゃいけない人が沢山いるなあ……」

 ビャクがくつくつと笑った。

「育て方間違ったんじゃねえか?」
「そうとまでは言わんが……参ったな」

 ベルグリフは諦めて、ぬるくなったホットワインを舐めた。

 夕飯を済ませ、酒場を出た。冬の風がワインで火照った頬に心地よかった。
 ベルグリフはアンジェリンに会って、オルフェン滞在中の宿を頼るつもりでいた。しかし、そのアンジェリンは公都に出向いて留守だ。
 当てがなくなったかのように思われたが、アネッサたちが部屋の鍵を預かっているらしかった。

「何があるか分からないから、預かっておいてって言われて」
「ふむ……」

 こんな状況を想定していたわけではないだろうが、丁度いい。オルフェンにいる間は、そこで寝起きさせてもらう事に決めた。アンジェリンが帰ってくる間の部屋の管理も兼ねればいいだろう。

 アネッサたちを伴って下宿の管理人に挨拶し、説明をして部屋に入った。
 ランプを灯すと、部屋の中がぼんやりと明るくなった。
 無事に部屋に入れた事を確認したアネッサたちは頷き合って踵を返した。

「じゃあベルさん、また明日」
「お休みなさーい」
「ああ、ありがとう、二人とも。マリー、二人の言う事をちゃんと聞くんだよ」
「分かってらあ! お休み、ベル!」

 三人を見送り、ベルグリフは改めて部屋の中を見回した。
 部屋は小さかったが、あまり物はない。
 調理台らしい所に食器棚と食品棚を兼ねたものがあって、食卓と、それを囲む椅子が四脚、服を入れるらしい箪笥、小さな本棚、冒険関連の道具をまとめておく棚と箱、ソファ、それから抽斗のついた小さなテーブルと椅子のセットがあるくらいだ。
 のびのびと寝る為なのかベッドは横広だが、女の子の一人暮らしにしては飾り気がない。しかしそれがアンジェリンらしいといえばらしいな、とベルグリフは小さく笑った。

 ビャクとシャルロッテもアネッサとミリアムの家に移っていたから、今日まで使われていないらしかった。帰郷の土産物らしい雑多なものが壁際に積まれていたが、全体的にはきちんと整理され、留守のせいで薄く埃がある以外には気になる所はない。
 ベルグリフは安心したように頷いた。

「よかった……片付けてはいるみたいだな」
「お姉さまは元々そんなにものを持たない人なのよ、お父さま!」

 シャルロッテはそう言ってベルグリフの裾を引っ張った。ベルグリフは苦笑してシャルロッテを撫でた。

「そうみたいだね……けど、シャルはこっちでよかったのかい? 女の子同士でいた方が……」
「お父さまと一緒がいいの!」

 ベルグリフが言い終わるより前に、シャルロッテは腕に抱き付いた。

 マルグリットはアネッサとミリアムの家に行った。
 最初は女の子と男とで分かれようかという提案だったのだが、シャルロッテはベルグリフと一緒がいいと聞かず、こうやって一緒にこの部屋に残っている。
 ベルグリフは困ったようにビャクの方を見た。

「……どうすればいいのかな?」
「俺に聞くんじゃねえよ」

 ビャクは不愛想にそう言って、ソファに寝転がった。
 ベルグリフは苦笑した。ベッドの布団を取り上げて、窓際でばたばたと振って埃を飛ばす。

「アンジェがいる時は、三人はどうやって寝てたんだい?」
「ビャクはいつもソファよ! わたしはお姉さまとベッドで寝てたの!」
「ふむ……」

 それでは、順序としては自分がシャルロッテと一緒に寝ると言う事になる。別にそれは構わないのだが、ちらとビャクの方を見ると、仰向けに腕枕をして変な体勢で寝転がっている。それが気にかかった。

「……ビャク、俺がソファで寝るから、君はベッドでシャルと寝なさい」
「あ?」

 ビャクは面倒臭そうに顔をベルグリフの方に向けた。

「何でだよ……余計な世話だ、おっさん」
「そう言うな。あんまり若いうちから変な恰好で寝ていると体が曲がるぞ」
「知るかよ。大体、あんたの体がソファに収まるわけねえだろ」
「ああ……それもそうか」

 ビャクは小さく笑った。

「見りゃ分かるだろ。馬鹿か、おっさん」
「……やれやれ。じゃあ三人で寝るか」

 ベルグリフは嘆息すると、何事かシャルロッテに耳打ちしてから、つかつかとソファに歩み寄り、ひょいとビャクを抱え上げた。ビャクは目を白黒させた。

「な、なにしやがる!」
「軽いな。ちゃんと食べてるのかい?」
「う、うるせえ! 離せ!」
「はいはい」

 ベルグリフはビャクをベッドに放り込んだ。ばふん、と音を立てて、布団の上にビャクは突っ伏した。その上から掛布団を持ったシャルロッテが覆いかぶさる。

「捕まえた!」
「テメェ! どういうつもりだ!」

 布団から頭だけ出してもがくビャクの額を、ベルグリフはこつんと小突いた。

「汚い言葉は癖になる。口にすれば心もすさむ」
「だから何だってんだ!」

 ベルグリフはいたずら気に笑い、ビャクの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「今夜は黙ってこっちで寝ろって事さ」


  ○


 地下牢の鉄格子の前に人影が立った。痩せて、背中を丸めている。黒いローブを着て、フードを被っていた。

「おい……おい“天蓋砕き”!」

 しわがれた声がそう言った。牢の中で寝転がっていたカシムは面倒臭そうに体を起こした。

「次から次へとうるさいなあ……」
「黙れ! 貴様、いつまでこんな所でぐずぐずしているつもりだ! さっさとここを出て“鍵”を手に入れろ!」

 カシムはからからと笑った。

「オイラの知った事かい。もうあんたらとは縁切りだって言ったろう?」
「ふざけるな! 私では力が足りぬのだと言っているだろう! ぐずぐずしていてはシュバイツどもに先を越されてしまう……!」
「オイラの知ったこっちゃないね」

 カシムは再び仰向けに寝転がった。黒いローブの男はくっと唇を噛んだが、やがて薄気味悪い笑いを浮かべた。

「……いいのか? 自らの存在の礎を否定して。するべき事があるから、お前は死に引きずられずに済んでいるのではなかったか? するべき仕事を否定して、お前が生きている理由などどこにある? 自分がやって来た事を否定するつもりか? ここで貴族の手先になる事が、貴様の生きている意味だったとでも言うつもりか?」

 カシムは面倒臭そうに寝返りを打った。

「……勿体ない、か。確かにそうだよなあ」
「おお、そうだ! 何かを成し遂げるからこそ存在に価値ができる。そう言っていたのは貴様自身だろう!」

 しかし、カシムは黒いローブの男の方を見もせずに呟いた。明らかに男に向けたものではない。

「生きてるかどうかもさ、分かんないだよな……」
「……? なんだと?」
「許してくれるんだろうか。オイラはオイラなりに考えてやってみたんだ。あれこれ調べた。いっぱい戦った。それでも……」
「なんだ……何を言っている……?」

 カシムは黒ローブの方を見た。

「オイラも疲れちゃったんだよ」

 その時、階段の方からがちゃがちゃと鎧の音が聞こえた。男は慌ててローブを翻した。

「ともかくさっさと出て来い! このままではただで済まんぞ!」

 黒いローブの男は足元の影に沈み込んだ。カシムは嘆息した。
 入れ替わるように鎧の兵士の一団がやって来た。隊長格の黒い鎧の男が怪訝な顔をする。

「……誰かいたのか?」
「壁の影と話してたのさ。悪いか?」

 カシムは飄々とした様子で言った。鎧の男はしばらく目を細めていたが、やがて口を開いた。

「殿下のお召しだ。出ろ。今度は断る事は許さん」
「へえ。オイラみたいなへろへろに公子様が何の用事だい?」
「黙れ。さっさと出ろ」

 鎧の男は兵士たちに指示して鉄格子の戸を開けさせた。兵士の一人が驚いたように目を剥く。

「た、隊長……こいつ、足枷……」
「ふん……こんな所に閉じ込めておける相手ではない。ここにいるのはこいつなりの道楽だ」

 鎧の男は嘲笑するような顔をした。カシムはくつくつと笑った。

「道楽ね……ま、どうでもいいけど」

 鎧の男が顎で促すと、兵士二人が両側からカシムを抱えて立たせ、そのまま引きずるようにして階段へと向かった。鎧の男はにやりと笑った。

「……生きる意味を見失えば、英雄とて亡者と変わらんな。まあ、せいぜい利用させてもらおう」

 兵士たちは立ち去り、地下牢は冷たい静けさが包み込んだ。


  ○


 薄いカーテン越しに朝の光が部屋に差し込んだ。
 アンジェリンは寝床の中でもそもそ動き、やがて体を起こした。長い髪の毛は癖になってくしゃくしゃと波打ち、寝巻の裾も乱れている。
 寝床に入ったはいいが、何だか色々と落ち着かず、輾転反側しているうちに夜が明けていたという具合である。それでも記憶は曖昧だから、寝た事は寝たのだろう。

 大公のお屋敷に来て、ヴィラールとの邂逅に辟易して、あれこれと着せ替えをして、リーゼロッテに話をして、彼女に連れられてカシムという得体の知れない男に会った。
 寝起きの頭では、それらがみんな夢の中の出来事のように思える。

「……夢ならせめてお父さんに会いたかった」

 アンジェリンは呟いて、ばふっと枕に顔をうずめた。いつもの枕よりも深く顔がうずまって、肌にさわる布の感触も細かくさらさらしている。

「むう……ふかふか」

 ボルドー家のお屋敷のベッドも柔らかかったが、アンジェリンにも心地いいくらいの柔らかさだった。ここのは輪をかけて柔らかい。柔らか過ぎて落ち着かないくらいだ。
 オルフェンの家のベッドは固いし、トルネラの実家に至っては藁の上に毛布だ。そっちに慣れているから、柔らか過ぎる寝床では逆に寝辛い気がした。
 この柔らかなベッドに慣れている貴族などは、固い寝床では眠れないのかしら。体の慣れというのは恐ろしいものだなあ、とアンジェリンは思った。

 二度寝するでもなく、ただ寝床の中でごろごろしていると、扉がノックされた。

「おはようございます、アンジェリン様。お目覚めですか?」

 アンジェリンはのっそりと身を起こし、ベッドから降りた。

「起きてます……」

 返事をするとメイドたちが入って来た。ギルメーニャの姿はない。彼女はどうしたろう、とアンジェリンは思った。今も屋敷の中で色々情報を集めてくれているのかも知れない。
 ぼんやりしたアンジェリンの姿を見て、メイドたちは可笑し気にくすくす笑った。

「ふふっ、よくお休みになられました?」
「……正直、そうでもない」
「あらあら……朝食をお持ちしても?」
「うん、お願い……します」
「ではその間にお着替えを」
「御髪も梳かさなくちゃいけませんね」
「ささ、こちらにどうぞ、アンジェリン様」
「は……」

 姿見の前に移動したアンジェリンはメイドたちに囲まれて、髪を梳かされたり寝巻を着替えさせられたりした。
 どうしていいか分からないから、されるがままになっているが、こういうのはやっぱり慣れない。嫌な気持ちがするというよりは、何だか照れ臭い。

 着替え終えたら朝食である。
 朝食は軽いものだったが、それでも高貴な感じがした。
 パンからして焼しめた固いものでなく、ふっくらと柔らかな白パンなのだ。そこに半熟の茹で卵に温野菜、燻製肉の薄切りを炙ったもの、カボチャのものらしいとろみのあるスープなどが付いていた。
 遠慮なくすべて平らげたアンジェリンは、食後のお茶をすすりながらメイドに尋ねた。

「今日も着せ替え……?」
「ええ。でも昨日で大体の方向性は決まりましたからね、今日はさらに詰めて行きますよぉー。ふふ、アンジェリン様は肌もお綺麗だし、髪の毛もお綺麗。着飾り甲斐がありますわ。ここだけの話、貴族様方にも見劣りしないと思いますよ?」
「そ、そう……?」

 アンジェリンはもじもじして頬を染めた。そんな風に言われると満更でもないがちょっと恥ずかしい。冒険者としての称賛には慣れているけれど、こうやって女の子として褒められるのはむず痒い。
 昨日はメイドと一緒になって盛り上がったからそれほどでもなかったが、こうやって気分が落ち着いている時だと、余計にその照れ臭さが助長されるようだった。

 また昨日の如くあれこれ服を着替えた。どうやら明るめではなく、落ち着いた色合いの服で行くつもりらしい。
 自分の姿がくるくる変わるのは何だか面白いけれど、脱いだり着たりするのはやはりくたびれる。魔獣と戦うのとは別の疲労だ。

 昼前くらいになってようやくドレスが決まり、アンジェリンをきらびやかに飾り立てて満足したメイドたちは、きゃあきゃあ言いながら昼食の支度に出て行った。
 アンジェリンはソファに深く腰かけて、くたっと力を抜いた。

「貴族って……毎日こんな事やってるのかな……」

 ぽつりと呟いた。

「そうでもないけどね」
「どぅわ!?」

 突然声がしたので、アンジェリンは驚いて横を向いた。ソファの脇にメイド姿のギルメーニャがにやにやしながら立っていた。アンジェリンは嘆息した。

「脅かさないで……」
「わたし程度に気付かないとは余程疲れたみたいだね、ふふふ」
「うん……体力はある筈なのに、なんでだろ?」
「高貴なパワーのせいだね。下賤の者はそのパワーに当てられると疲労が溜まるのさ」
「……冗談でしょ、と言い切れない感じがする」
「受け流す術を覚えなきゃならないね、ふふふ」

 ギルメーニャは笑いながらお茶を淹れてアンジェリンの前に置いた。

「まあ、一息入れて。そしたらもうお昼だよ」
「ん……午後はどうしよう? 礼儀作法?」
「そう。あとは主神に捧げる祝詞も覚えないとね。式典だから」
「ふーん、祝詞……え!? そんなのもあるの!?」
「ううん、ない。ま、お辞儀の仕方と歩き方くらいだね」
「脅かさないでよ……歩き方も?」
「そりゃ、上品なドレス姿なのに、大公閣下の御前に大股で歩いて行くわけにいかんでしょ。しずしずと、お淑やかに行くのさ、ふふふ」
「……そういうのは、わたしの柄じゃないんだけどなあ」
「うん、知ってる。ま、少しの不作法はお目こぼししてくれるさ。アンジェはあくまで冒険者なんだから」
「ならむしろ、そういう格好の方がいいのでは……」
「そういうのはわたしじゃなくてヴィラールお坊ちゃまに言ってくださいませ、ふふふ」

 ギルメーニャはおどけて一礼した。アンジェリンは口端を緩めた。
 それから昼食になって、ふわふわのオムレツ、蒸かした芋、鶏もも肉の炙り、川魚の蒸かしたものに香辛料を振りかけたものなど、また違うメニューにアンジェリンは舌鼓を打った。

 アンジェリンは、よくこれだけ違う品目を並べられるものだ、と感心し、不思議に思った。
 こんな事にお金を使わないでも、これだけ味が良いのだから、同じメニューでもよさそうなのに。

「美味しいけど……なんか無駄遣いのような気がする。お屋敷だって、こんなに広くなくたっていいんじゃないかな……」
「こういうのはね、力を示す為なんだよ」
「力?」

 と食後のお茶を飲みながら、アンジェリンは首を傾げた。ギルメーニャは頷いた。

「これだけの品数を揃えられるんだぞ、とか、これだけ豪華なものを用意できるんだぞ、っていうね。財力は当然力に直結する。アンジェだって、お屋敷に入ったら体がすくんだでしょ? 豪華さってのはある種の威圧感があるもんだね、ふふふ」
「……確かに」

 まして、ここは大公の家だ。貴族相手に威圧するくらいのお屋敷なのだろうから、アンジェリンなぞ威圧され過ぎて勝てない。

「……下手な高位ランクの魔獣より厄介かも」
「慣れだよ、慣れ。心の問題」

 ギルメーニャはくつくつ笑った。そうしてアンジェリンを上から下へまじまじと見る。

「けど、中々良いドレスだね、それ。髪型もいいし、随分可愛くなったよ」
「そ、そう……?」

 アンジェリンは照れながらスカートの裾をつまんだ。緑がかった青系統を基調にした、落ち着いた色合いの柔らかいドレスである。飾りも控えめだが、要所要所にアクセントが入っていて、嫌味がない程度には豪華だ。肩が出ているのでちょっと落ち着かないが、仕方がない。
 髪の毛は上半分を部分的に編み込みにしてまとめつつ、長さを活かした髪型に整えられている。
 縛った所には軽めの髪飾りも付けてあって、鏡の前に立つと、アンジェリン自身も一瞬誰だか分からなくなるような有様だった。

「なんか照れる……お父さんが見たら褒めてくれるかな?」
「うん。アンジェのお父さんも見惚れると思うよ。感動して泣いちゃうかも」
「そ、そうかな……えへへ」
「貴族様から求婚されたりしてね。そしたらどうする? ふふふ」
「やだ。それは絶対やだ」

 アンジェリンは頬を膨らました。貴族に嫁入りだなんて、息が詰まる気しかしない。
 ともあれ、礼儀作法もいいけれど、少し気分転換がしたい。アンジェリンはそう言って、少し屋敷の中を歩き回って見る事にした。
 ギルメーニャがにやりと笑った。

「何かあった時には、屋敷の形を覚えてないと駄目だしね」
「そういうわけじゃないけど……そういえば、追加の情報はある?」
「大公自身には何もない。気難しいけど聡明な人らしいよ。けど大公家の兄弟には要注意だね。長男は馬鹿じゃなさそうだけど、油断できない。次男は馬鹿だから何をするか分からない。腹違いの三男は得体が知れない」
「……リゼは?」
「あのお嬢様は何にも危険はないよ。ま、婚約者にはちょっと気を払った方がいいかもね、ふふふ」
「なるほど……」

 アンジェリンはホッとした。リーゼロッテは無邪気なあのままなのだ。心配はしていなかったが、あの天真爛漫さに裏があったら何も信じられなくなる。
 アンジェリンは伸びをして、肩を回した。

「さて……敵情視察と行きますか……」
「お供しますよ、お嬢様。ふふふ」
「……なんか楽しいね」

 二人はくすくす笑って、部屋の外に出た。
+注意+
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