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冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた 作者:門司柿家

また帰れない娘

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四十九.過去を清算する必要がある、とグラハムは言った


 過去を清算する必要がある、とグラハムは言った。

「そなたの悩みはそこに起因するだろう。棘のようなものだ。それを抜かねば、本当の意味で過去を克服する事はできない」
「……やはり、そうなんだろうかね」

 ベルグリフは林檎酒を含んで目を閉じた。秋祭りの喧騒が耳に心地いい。
 確かに、トルネラに来て、アンジェリンを育て始めた時から、自分は過去と決別したと思っていた。実際に、彼女を育て、送り出し、初めての帰郷の頃まではアンジェリンの事ばかりを考えていた。

 しかし、この前の帰郷とボルドーの騒動で、アンジェリンがすっかり成長した事を知ると、不思議と自分に向かって視線が向いた。
 克服したと思っていた過去が、今となっても不思議と思い起こされ、その度に小さく胸が締め付けられるようだった。

 克服したのではない。見ていなかっただけだ。
 ベルグリフは俯いた。

「けどなあ……マリーもダンカンも出てしまうし、その上俺が出るとなると……」
「……トルネラが心配か?」
「……ああ」

 なにせ、自分がボルドーに出掛けていた時に、ミトによる森の異変が起こったのだ。
 ダンカンがいたからよかったものの、もしいなかったら、と思うとぞっとする。あそこまでの事はそうそう起こらないにせよ、村の若者だけでは対応の難しい魔獣が出る可能性だってゼロではない。
 まして、この時期にオルフェンまで出たら春が来るまで戻るのは難しいだろう。それを考えるとどうしても足が鈍る。

 グラハムはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「私が残ればよかろう……」
「……はっ?」

 ベルグリフは驚いて顔を上げた。

「君が、トルネラに?」

 確かに、もしもそうならばこれ以上に安全な事はない。たとえ魔王や龍が出たところで恐れる事はない筈だ。自分が残っているよりも安心できる。
 グラハムも既に村には受け入れられている。寡黙であるがゆえに、まだ畏怖されている節はあるが、決して邪険にはされていない。

 グラハムに留守を任せ、マルグリットと共にオルフェンを目指す。アンジェリンたちに会い、かつての仲間を探して過去に決着をつける。
 そんな事を想像すると、ベルグリフは年甲斐もなく高揚した。

「けど……いいのかい? 君も旅を続けるのでは?」
「……私は元々マルグリットを追っていた。あれは危なっかしかったからな」

 グラハムは不思議に遠い目をして、目の前で踊る人々を見やった。言い寄って来る村の若者を笑いながらあしらうマルグリットの姿があった。

「しかし……ここでの経験を通じて、あれも人並みに振る舞う事ができるようになったろう……私が付いておらずとも平気な筈だ」
「……そうか。マリーも確かに成長したからな」

 ふっと微笑むベルグリフを、グラハムは真っ直ぐに見据えた。

「そなたのおかげだ、ベル。その恩を返させてもらいたい」
「……ありがとう、グラハム。感謝するよ」

 ベルグリフは目を伏せた。歳の離れた友人の精いっぱいの親愛の情に、胸の内が暖かくなるようだった。
 グラハムの膝に乗ったミトが、不思議そうな顔でベルグリフを見上げた。

「おとさん、おでかけ……?」
「ああ……お前のお姉さんに会いに行こうな」
「おねさん……」

 グラハムはミトを膝に乗せたまま、ぽつりと言った。

「……ひとつだけ頼みがあるのだが」
「ん?」
「そなたが旅に出ている間……ミトは預かっていてもよいか?」
「……寂しいのかい?」


  ○


「ベルさぁーん!!」

 ギルドに入って来たミリアムは、ベルグリフを見つけるや体当たりするような勢いで突っ走って来て、興奮気味にベルグリフの手を取ってぶんぶんと振り回した。

「なんでなんでなんで!? わーわー、ベルさんだ! 本物のベルさんだ!」
「こらこらミリィ……そんなに振り回したら痛いよ」

 ベルグリフは苦笑した。ミリアムは手こそ放したものの、興奮気味に足踏みしている。その頭にアネッサが呆れたように軽く手刀を落とした。

「何やってんだ、お前は……」
「だってベルさんだよ!? アーネだって嬉しい癖に!」
「う……」

 アネッサは軽く頬を染めてベルグリフを見た。照れたようにぺこりと頭を下げる。

「お、お久しぶりです、ベルさん」

 ベルグリフはくつくつと笑った。

「ああ、久しぶり、アーネ。二人とも元気そうだ」
「はい。えっと、その……手紙、届きましたか?」

 アネッサは言いづらそうに口をもぐもぐさせた。ベルグリフは首を傾げた。

「手紙? いや……」
「入れ違っちゃったか……その、アンジェは」
「ああ、叙勲だろう? ライオネル殿から聞いてるよ。いやあ、エストガルでよかった。トルネラに出発していたらどうしようかと……」

 と、言いかけたベルグリフの前で、ライオネルが流れるような動作で土下座の体勢に入った。

「本当に申し訳ございません、ベルグリフさん……お怒りの事と思いますが、私の首でよければいくらでも……」
「い、いやいや、顔を上げて下さいライオネル殿。大公閣下に勲章をいただけるなど名誉な事でしょう。父親として喜びこそすれ、怒る理由がどこにあるんですか」
「しかし娘さんには本当に……本当にお世話になっているというのに、恩を返すどころか、帰郷の邪魔ばかり……」

 ベルグリフは困ったように笑った。しゃがみ込み、ライオネルの肩に手を置く。

「仕方がありますまい。力を持ち、高い地位にある者はそれなりの責務を負う事の方が多い。そうでなくては、地位そのものの価値が失われます。Sランクだからといって好き放題していたのでは、冒険者そのものの品位がさらに下がってしまうでしょう。私はあの子が父親会いたさで叙勲をないがしろにしなかった事が嬉しいのですよ。ライオネル殿、きちんとあの子に伝えていただき、ありがとうございます」
「ベ、ベルグリフさん……そんな、お礼を言っていただくような事は何も……」

 ライオネルは滂沱の涙を流した。
 勿論、高い地位があっても好き放題している者だっている。冒険者に限らず、多くの貴族もそうだ。ボルドー家の三姉妹のような貴族の方が稀有かも知れない。
 しかし、それでも身分というものがある。気に食わないにせよ、簡単にないがしろにしていいものではない。その辺りをきちんとわきまえたアンジェリンの事が、ベルグリフには好ましく映った。それに、勲章をもらえるほど娘が評価されたというのは、親として素直に嬉しい。

 もしもギルド側がアンジェリンをかばってトルネラに行かせていたとしても、後々必ず問題は起きるだろう。
 冒険者ギルドは、多くの冒険者たちの生活の糧の元となり、都の人々の困り事を請け負う組織だ。大公家に睨まれて運営に支障をきたしては、多くの人たちが困ってしまう。そうなったら、たとえギルド側の好意の結果だったとしても、ベルグリフはあまり良い気持ちはしなかったに違いない。

 感嘆にむせび泣くライオネルを見て、マルグリットが面白そうな顔をしている。

「なんだよ、ギルドマスターっていうから凄い奴かと思ったら、全然駄目じゃねーか」
「うぐっ……ひ、否定はしませんよ……」

 ベルグリフが顔をしかめた。

「こらマリー。そういう事を言っちゃ駄目だ」
「う……ごめん……」
「いや、いいんですよベルグリフさん……事実ですし……」

 ユーリがくすくす笑う。

「地位自体の価値が、ね。耳が痛いわね、リオ?」
「……はい、努力します」

 ライオネルは俯いた。ミリアムがちらちらとマルグリットの方を見ている。

「それでー、えーと、そっちのエルフさんを紹介して欲しいなー、なんて」
「ああ、そうだったね。彼女はマルグリット。ちょっとした縁でしばらくうちに居候してたんだ」
「ほえー、エルフと縁が……」
「まあ、ちょっとした、ね。冒険者になりたいっていうから、ついでに俺もここまで来させてもらった。マリー、こっちは俺の娘のパーティメンバーだ。高位ランク冒険者だから、お前の先輩になる」

 マルグリットはむんと胸を張った。

「マルグリットだ! よろしくな! マリーって呼んでくれていいぜ!」
「ミリアムだよー。ミリィって呼んでね」
「アネッサだ。アーネって呼ばれてるけど……まあ好きに呼んでくれ」
「おう! 二人は冒険者なんだな? 強いのか?」
「んー、まあまあ? わたしもアーネも、一応AAAランクだよ」
「へえ! すげえじゃん! でもおれもすぐに追いつくからな!」
「ふうん……マリーはそんなに強いのか?」
「へへん、強いぜ?」

 娘たちが騒ぐのを横目に、ベルグリフはライオネルの方を見て言った。

「そういうわけで、この子の冒険者登録をお願いしたいんですよ。忙しいとは思いますが」
「いやいやいやいや、もちろん最優先でやらせていただきます!」
「ほどほどで構いませんよ。急ぐわけではありませんから」

 ベルグリフは苦笑した。ユーリはくすくす笑い、マルグリットを呼んだ。

「じゃあ、マリーちゃん。こっちで登録済ませちゃいましょ」
「おっ! やった! じゃあベル! ちょっと行って来る!」
「ああ」

 ユーリはマルグリットを連れて踵を返しかけたが、ふと思い出したように振り返った。

「あ、あのう、ベルグリフさん?」
「は」

 ユーリは頬を染めてもじもじした。

「独り身とお聞きしていますが……そのう……お嫁さん探しを娘さんに任せるのは、その……どうなのかなあ、って」
「……はっ?」
「す、すみません、余計な事ですよね! わ、忘れてください……」

 そう言って恥ずかしそうに両手を頬に当ててぱたぱたと駆けて行った。マルグリットは慌ててその後を追う。
 ベルグリフは困惑して眉をひそめ、アネッサの方を見た。

「嫁探しって……」
「いやあの、アンジェが……」
「……アンジェが?」

 アネッサは慌てたように声を大きくした。

「あのッ、ベルさん! 実はこっちにも紹介したい子たちが!」
「ん? いや、あの嫁探しって……」
「なあ、ミリィ!?」
「そうそう!」

 ミリアムが後ろの方にいたシャルロッテとビャクを引っ張って来た。
 ベルグリフが視線を向けると、シャルロッテは恥ずかし気にビャクの後ろに身を隠し、顔半分だけ出して様子を伺った。ビャクは何故か警戒したような顔をしている。
 ベルグリフは目を細めた。

「君たちは……確かボルドーで?」

 シャルロッテは口をぱくぱくさせて頬を染めた。

「あの……その……シャルロッテです! あ、あの時は、助けてくれてありがとうっ!」
「ん? ああ……そうか。無事でよかった。元気そうだね?」

 シャルロッテは胸がいっぱいになったように頬を上気させ、たたっと駆け出してベルグリフの胸の中に飛び込んだ。ベルグリフは驚きつつも抱き留める。

「ど、どうしたんだい?」

 シャルロッテは何も言わずに、ただぐりぐりとベルグリフの胸に顔を押し付けた。
 ベルグリフは苦笑しながらその頭を撫でてやった。そうしてアネッサとミリアムの方を見る。

「えーと……?」
「はは……まあ、色々ありまして……」
「そうなんですよ、ベルさーん。話したい事いっぱいあるんです! あ、でも話しちゃったらアンジェが怒るかにゃー?」
「いや、構わないよ。アンジェはアンジェで話す事は沢山あるだろうさ。それよりも、嫁探しって……」
「あのー」

 ライオネルが遠慮がちに言った。

「その……気にならないならいいんですけど、話すにしても場所を変えた方がいいかも……」
「え」

 ベルグリフは周囲を見回した。ここはギルドのロビーだ。大勢の人が行き交っている。その人たちがベルグリフたち一行を見て、ひそひそと話し合っていた。

「赤髪に……義足……」
「あれが“赤鬼”か? “黒髪の戦乙女”の親父にして師匠っていう……」
「ああ、間違いねえだろう……“黒髪の戦乙女”より強いらしいぞ……」
「エルフを連れてたぞ……何者なんだ?」
「見ろよ、あのオーラ……只者じゃねえぞ……」
「ギルドマスターが土下座してたしな……」
「……なんで幼女を抱いてるんだ?」

 異様な注目を集めている。
 ベルグリフはたちまち居心地が悪くなった。オルフェンのギルドでは“赤鬼”の名前は有名になっているという事を思い出した。

「ライオネル殿、忠告感謝します……みんな。マリーが戻って来たら、場所を変えようか」

 ベルグリフはそう言って苦笑した。
 嫁探しとは何の事なのか、気になって仕方がない。


  ○


 甘い、良い匂いがしている。薬草や香草、乾燥させた花などが沢山お湯に沈められていて、薄緑色にお湯が色づいている。

 こんな風呂は初めてだ。

 来賓用の部屋付きの個人風呂で、湯船はせいぜい二人が浸かれるくらいだけれど、浴室は広い。体を洗うだけでなく、服の脱ぎ着も同じ部屋でできるくらいの広さだ。浴室なのに壺とか絵画が飾ってあるのがアンジェリンには可笑しかった。
 アンジェリンはお湯に浸かりながら、ぼうっとしていた。何をしに来たのだか忘れかけるようだった。
 温度はちょうどいいし、良い香りはするし、このまま寝てしまいそうだ。

 お湯の中から両手を出してまじまじと見た。剣を握り続けた為に皮がごつごつと分厚くなっている。それがお湯でふやけて、所々白くなっていた。

 お父さんみたいな手に近づいたかな。

 そんな事を思いながら、アンジェリンは口元までお湯につけてぶくぶくと泡を吹いた。束ねていない長い髪の毛が、海藻のようにゆらゆらとお湯に漂った。

 メイド三人がかりで徹底的に体を洗われたから、今までにないくらいさっぱりしている。あんなに泡にまみれたのは初めてかも知れない。布越しとはいえ、容赦なく体のあちこちをまさぐられたから、何となく乙女の尊厳が失われたようにも思うけれど、まあ、悪くはない。
 洗い終えて、体を温めるまではメイドには出てもらっている。同じように風呂に浸かっている相手ならばともかく、服を着ている相手に見られているのは落ち着かない。

 お湯越しに、あまり豊かでない胸と腰が見えた。
 スレンダーに引き締まっている、と言えば聞こえはいいかも知れない。剣を振るって戦う為にも、あまり揺れる胸は邪魔臭い。それでもアンジェリンだって年頃の女の子である。より女らしいふくよかさに憧れる事だってある。
 腰と胸とに手をやりながらミリアムやヘルベチカを思い出して、アンジェリンは眉をひそめた。

「一向に膨らまない……なにゆえ」

 しかし、ないものねだりをしても仕方がない。アンジェリンは諦めて立ち上がった。ゆらゆらと漂っていた髪の毛が一気に重みを持って体中に張り付いた。

 ふかふかしたタオルで体を拭く。
 いつもの風呂屋で使うような、使い回されたぺらぺらのものとはわけが違う。このままこれだけ体に巻いても心地よさそうだ。
 中の水音を聞いたのか、扉の向こうからメイドが声をかけた。

「お済みですか?」
「うん」

 言うと早速扉が開いて、メイドたちが入って来た。手に手に肌着やドレスを持っていて、何だか楽しそうだ。

「肌着はこちらをお召しください!」
「ああ……スレンダーで素敵……これは逸材だわ」
「髪の毛もお綺麗。どんな髪型が似合うかしら? 髪飾りも……」
「ドレスの色も悩みますね。寒色でシックに行くか、それとも暖色……」
「ほっそり引き締まってらっしゃるのだから、あまり緩い服は駄目よ」
「適度に露出した方が魅力的だけれど……あまりあからさまでも下品になっちゃうわね」
「まだ時間はたっぷりあるわ。ささ、アンジェリンさま、まずはこちらを……」

 メイドたちの勢いに、アンジェリンは圧倒された。

「……ビャッくん、お前の気持ちがちょっと分かった気がするぞ」

 アンジェリンは呟いた。
 あれやこれやと色とりどり、デザインもとりどりのドレスを着せ変えて、初めは憮然としていたアンジェリンも段々と楽しくなって来たらしい、大きな姿見の前で立ったり座ったりしているうちに日が暮れかけた。
 しかし、楽しくなって来たとはいえ、旅の後だから流石に疲れる。アンジェリンは大きく息をついた。

「……ねえ、今日はくたびれた。続きは明日でもいい?」
「あら、乗って来た所ですのに……でも仕方がありませんね」
「でも方向性は決まりましたもんね。明日が楽しみですわ」
「お夕飯をお持ちしましょう。アンジェリン様、ごゆっくりくつろいでくださいまし」

 メイドたちはきゃいきゃいとはしゃぐようにしながら、それでも手早くドレスを片付けて部屋を出て行った。
 簡素な部屋用のドレスを身に纏ったアンジェリンは、ふかふかしたソファにどさっと腰を下ろした。座ると、何だか思った以上に疲れているらしい事に気付いた。

「……恐るべし貴族」

 また呟いた。自分にはまだまだ知らない世界があるのだ、と思った。
 しかし、恥ずかしさを克服さえすれば、綺麗なドレスに身を包む事は嫌ではない。アンジェリンだって年頃の女の子なのだ。
 それに、何かに没頭していれば、帰郷がふいになった悲しみも紛れる。実際、来たばかりの緊張感や、ヴィラールに対する苛立ちも大分収まった。

 勲章だって、持ち帰って見せればベルグリフも喜んで褒めてくれるかも知れない。タイミングが悪すぎるくらい悪いし、別に勲章や名誉に興味があるわけではないが、本来は貰って悪いものではない筈だ。自分がどう思うかは別の話だけれど、価値があるからこそ、皆それを名誉だと思っているのである。

 ソファに座ってぼんやりしていると、こんこんと扉がノックされた。

「お夕飯をお持ちしました」
「どうぞ」

 扉が開いて、メイドたちが料理の乗った盆を持って入って来る。着せ替えの時よりも一人増えて四人だ。メイドたちは慣れた手際でテーブルに皿を並べる。ヴィラールの命じた通り、かなりの量だ。
 ソファから食卓に移動したアンジェリンは、それをぼーっとしながら眺めていたが、新しく増えたメイドの顔を見てギョッと目を見開いた。

 料理を並べ終えたメイドたちはテーブルの横に並んだ。

「お給仕いたしますわ」
「いや、あの……見られてると落ち着かないから……その、他の仕事に行ってもらって大丈夫、です……その……右端の人だけお給仕してくれれば」

 メイドたちは顔を見合わせたが、アンジェリンが貴族ではないという事を思い出したのか、納得したように頷き、指名された一人を残して部屋を出て行った。

 三人が出た後で、一人残ったメイドが手早く扉に鍵をかけ、にんまりと笑った。

「美味しそうな夕飯でしょ。ふふふ」
「……なにやってんの、ギルさん」

 メイド服に身を包んだギルメーニャはくすくす笑った。

「お仕事、お仕事。似合う?」

 ギルメーニャはスカートの裾を持って、おどけたように礼をした。
 アンジェリンは呆れたような安心したような気分で、ともかく脱力した。

「よく入り込めたね……」
「こういう時はバタバタしてて人も増えてるからね。それに、わたしは冒険者やる前は地方巡業の劇団にいたから、こういうのは得意なのさ」
「へえ……そうだったんだ」
「ううん、嘘。さあ、冷めないうちにどうぞ。ふふふ」

 ギルメーニャはワインの栓を抜いて、グラスに注いだ。
 アンジェリンは諦めてフォークを手にした。テーブルマナーなぞ分からないから、適当に頬張って咀嚼し、ワインを飲んだ。
 さすがに大公家の食事だ。どれもうまい。量はかなりある筈なのに、次々と手が伸びて止まらない。もぐもぐと口を動かしながら、アンジェリンは思わず嘆声を漏らした。

「うまし……なんか、わたし結構お腹空いてたかも」
「だろうね。どうだい? オルフェンとは少しメニューの内容が違うんじゃないかな」
「うん。でもうまい」

 茹でた野菜に溶かしたチーズをかけたものを食い、焼き肉にかかっていた平皿のソースをパンで拭って口に運んだ。
 川魚の燻製を煮たらしいものは、独特の香りがあるが嫌いではない。
 レバーをペーストにしたものや、大きな二枚貝を殻ごとローストして、刻んだ香草を乗せたものなど、オルフェンではあまり馴染みのないメニューも中々うまい。

 たちまち食べてしまって、お腹がふくふくとなった。
 何だか幸せな気分である。空腹だと腹立たしく感じる事でも、満腹だと何ともない。眠くなるような心持で、瞼が突然重みを増した。
 ギルメーニャは慣れた手つきで空の食器を集めて重ね、お茶を淹れてアンジェリンの前に置いた。

「お口に合いましたか、お嬢様?」

 おどけたような口調に、アンジェリンはくすくす笑った。

「うん……貴族って毎日こんなの食べてるのかな?」
「貧乏貴族ならまだしも、大公爵だからね。今アンジェの食べたものよりもいいもの食べてるんじゃない?」

 つくづく大公って凄いなあと思いながら、アンジェリンはお茶をすすった。ボルドー家でご馳走になった料理も美味しかったけれど、ここと比べてしまうと、盛り付けや種類などはどうも野暮ったい感じがした。
 ギルメーニャはアンジェリンの向かいに腰を下ろした。

「それで、どうだい? 貴族のあしらい方がちょっとでも分かったかな?」
「相手も人間だって分かった……でも生きる世界が違い過ぎ。慣れない。無理」
「こればっかりは仕方ないね。でも一回経験しておくと心構えが変わるってもんさ、ふふふ」
「うん……ギルさんが一緒に応対してくれてたら楽だったろうけど、それじゃわたしも勉強にならかったかも……」

 多分、ギルメーニャが飄々と応対する後ろで、やっぱり貴族は気に食わないと口を尖らせているばかりになったていような気がする。やり過ごすだけならばともかく、何の経験にもならない。
 ギルメーニャは少し嬉しそうに口端を緩めた。

「そいつは殊勝だね。いい子いい子。鍵穴から見てたけど、まあ、及第点だね。駄目だったらトラブルが起きた振りして部屋に飛び込もうかと思ってたよ」

 アンジェリンはかくっと脱力した。

「見てたんだ……実はずっと?」
「どうかな、ふふふ」

 ギルメーニャはにやりと笑いながら、テーブルに手を突いた。

「でね、少し情報を集めて来たんだけど、ちょっとキナ臭い感じがするね」
「……そう」

 何となく予想できた事ではある。ヴィラールの馬鹿馬鹿しい見栄だけで終わっていればいいのが、それに便乗して何か企んでいる連中がいるらしい。
 貴族ってのは権力抗争が好きだなあ、とアンジェリンは呆れを通り越して妙に感心してしまった。

「どういう連中か分かる?」
「今のところは分からんかなあ。なんせ、疑い出せば全員怪しいからね。大公家の兄弟、有力貴族、その親類、加えて、今回の舞踏会は皇太子殿下も招待されてるっていうんだから」
「皇太子?」
「皇帝の御子息だね。順調に行けば次期皇帝って人さ、ふふふ」
「……今回が特別?」
「だね」

 ローデシア帝国はエストガルも含めた大陸北西部の一大帝国だ。エストガルは公国として自治を認められてはいるが、あくまで大公位を皇帝から拝したという扱いである。公国では国王でも、帝国では臣下の一人なのだ。
 このお屋敷の威容からしてもエストガル公国だって大したものなのに、それを臣下に持っているローデシア帝国というのは、随分大きい。そんな帝国の次期皇帝までも招かれているとなると、陰謀の匂いがするのも止むを得ないな、と思ってしまうくらいには、今回の舞踏会は怪しい。

 少し前までのアンジェリンなら何とも思わなかったけれど、ヴィラールであれだけくたびれるのだから、もっと凄い人たちと話すと、もっと疲れるに違いない。アンジェリンは身震いした。

「……で、わたしの叙勲が舞踏会の目玉?」
「らしいね。ま、アンジェは突っ立ってて、勲章をもらう時に恭しくお辞儀をすればいいでしょ。後は貴族様方が勝手にあれこれ口上を述べ立ててくれるさ」
「どういう風なのか、想像もつかない……」
「だろうね。気を付けなよ。お辞儀の角度が一度でも傾いたら客席からトマトが飛ぶからね」
「え」
「嘘。でもお辞儀の仕方くらいは覚えた方がいいね」
「……面倒臭い」
「じゃあ、やめとくか、ふふふ」
「……そうもいかないでしょ?」

 アンジェリンはムスッと口を尖らして立ち上がると、ソファの上に横になって天井を見た。ギルメーニャはくすくす笑った。

「今からやるかね?」
「やだ。今日は疲れたから明日から本気出す……」
「うむ、それもありだね。ま、舞踏会当日もわたしが影からサポートするよ、ふふふ」

 と言うと同時にギルメーニャは立ち上がり、途端に気配を消して部屋の暗がりに入り込んだ。
 ドアノブががちゃがちゃと音を立てた。しかし鍵がかかっているから開かない。扉がノックされる。
 アンジェリンは面倒臭そうに上体を起こした。

「……どちら様ですか」
「わたしよ、わたし!」

 少女の声だ。しかし誰だか分からない。アンジェリンは立ち上がって扉のそばまで行った。

「わたしじゃ分からないですけど……?」
「えっ、分からないの? わたしリーゼロッテよ! 開けてちょうだい!」

 誰だ。
 アンジェリンは横目でギルメーニャの方を見た。暗がりから出ていたギルメーニャは、にやりと笑って頷いた。悪い人間ではないらしい。

 アンジェリンは鍵を開けてやった。すると、十二歳くらいの少女が部屋の中に飛び込んで来た。
 焦げ茶色の髪の毛を結い上げており、上品なドレスに身を包んでいる。
 顔つきは幼さを残して可愛らしく、人懐っこさを感じさせるが、いたずら気でもあった。

 少女は頬を膨らまして、アンジェリンを見上げた。

「もう! すぐに開けてくれなきゃ嫌よ!」
「はあ……」

 困ったように視線を泳がせるアンジェリンの後ろから、ギルメーニャが恭しい態度でお辞儀をした。

「リーゼロッテ様、ご機嫌麗しゅう」
「ん! ねえあなた、お茶を淹れてちょうだいな!」
「はい、ただいま」

 ギルメーニャは面白そうな顔をしながら、そそくさとお茶の支度を始めた。
 リーゼロッテと呼ばれた少女は、勝手知ったるとばかりに食卓のテーブルに着いた。そうしてアンジェリンを見てにっこり笑い、向かいに座るように促した。

「あなた、冒険者なのよね!? ヴィラールお兄様が呼んだんでしょう?」
「ええ、まあ……」

 アンジェリンは困惑したまま促されるままに椅子に腰かけた。ギルメーニャがにやにやしながらお茶のカップを前に置く。正体を知っているアンジェリンには芝居がかって聞こえる口調で、言った。

「こちらは大公閣下の御息女、リーゼロッテ・エストガル様であらせられますよ、アンジェリン様」
「ああ、大公様の娘さん……」

 アンジェリンが言うと、リーゼロッテはむふむふと笑った。

「そうよ! ねえ“黒髪の戦乙女”さん? わたしね! 冒険者のお話を聞くのが好きなの! だから遊びに来たのよ? お話してちょうだい!」
「ん……」

 どうしようか、と思った。
 くたびれているから、このまま寝てしまいたい気分ではある。
 しかし目の前のこの少女は、きらきらとした無垢な目で真っ直ぐにアンジェリンを見ている。昔、ベルグリフに話をねだった時の自分を思い出すようで、どうにも断れない。
 アンジェリンは諦めたように嘆息して、小さく微笑んだ。

「分かった……どんな話がいい? ですか?」
「魔王殺しなのよね!? 魔王って、どんな魔獣だったの? 強かった?」
「魔王ね……うん、強かった、です。なんかね、ぐねぐねした影みたいな姿で……大きさはあなたと同じくらいかな」
「ええ! そんなに小さいの!?」
「そう……だから油断したら危なかった」
「すごい……ねえ、魔王には牙はあるの!? 龍と戦った事ある!? どっちが強いのかしら!?」
「うーん……龍は火を吐くけど、魔王は吐かない。でも魔王の方が動きは早い」

 公女であるにも関わらず、リーゼロッテはまったく偉ぶらない純粋な好奇心を発露して来る。そのせいか、アンジェリンも知らず知らずに砕けた口調になっていた。
 リーゼロッテは目を輝かせて一々大仰に反応し、アンジェリンもそんな彼女の反応が楽しくなって、話はすっかり盛り上がった。照明用の黄輝石が部屋を照らしているから、外は暗くなり始めているのにも気付かない。
 ギルメーニャがくつくつと笑って、お茶のお代わりをポットから注いだ。

「仲がよろしい事で……」
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